第150話 返事
成果の芳しく無かった研究所を視察した次の日。イギリスに住むロイズさんへ手紙の返事を書くことになった。……美雪さんが。
俺に英文の手紙を書く技能は無いし、そもそもロイズさんから来た手紙には『日本の皇帝、豊森美雪様へ』みたいな宛名が書かれていた。俺の存在はまだ知らないのか、知ってて知らないフリをしているのかは流石に読み取れない。
実は豊森家の当主は、公的な権力を持ち合わせていない。だからこそ美雪さんはフリーダムに動けるし、当主があまり聡明な人物で無くても国としての維持が可能となっている。だけど豊森家の当主の言うことは絶対という状態。豊森家の当主は、豊森家の人事権を持っていると言っても良いのかな。これは、俺が実務をしたく無かったから出来上がっていったシステムだ。
国にとって必要な役職や組織を創成し、そのトップに息子達を据える。息子達は俺の不死身っぷりをよく知っているからか、反抗をしない優秀な駒だった。そして天下統一を果たした後、俺がせっせと要職を生み出したのは国にとって必要な機関だったという理由もあるけど、当主の仕事を極力減らすという意図もあった。
……何せ、戦国時代の大名家の当主は様々な仕事が降り注ぐ。朝倉攻めの功績で敦賀を所領として認められた後ぐらいのことだけど、趣味で推し進めていた事や政務が多すぎて、一度パンクした。この頃から、というか最初から楽をしたい、という思いは持っていたのだろう。この楽をしたいという気持ちは、技術開発や組織作りに大きく影響した。
だからまあ、豊森家の人間が国の中枢を支配していて、豊森家の当主は豊森家内で絶対的な発言権を持つけど実務は皆無という状況になっている。美雪さんは、正確には日本の皇帝では無いわけだ。豊森家の皇帝って感じだな。思い通りに日本を操れるという意味で、実質的には日本の皇帝でも合っているけど。
そんな美雪さんがロイズさんへの返信を書く前に、もう一度ロイズさんのお手紙を辞書を見ながら翻訳してみた。結果、愛華さんの翻訳はほぼ正確で、俺はイギリス人の手紙を翻訳しながら読むのに1時間前後の時間がかかるということが分かった。
「……マスコミに好かれる優秀な人間、か。わざわざこれを書いたロイズさんの真意は、マスコミと民衆が国を亡ぼそうとしているから助けてくれ。もしくは単に、マスコミには気を付けろ、って感じかな?」
「マスコミと民衆が国を亡ぼす、ですか?」
「美雪さんは、マスコミのえげつなさが分からないか。まあ、フランスと似たような状態だよ。フランスが崩壊した当時よりもマスコミが発達してそうだから、状況的にはさらに不味そうだ。もしも手紙に書かれていたことが全部真実だったとして……国の財政が苦しい時なのに、健康保険や年金制度という民衆に好かれるための政策を実行して、実際に国民に好かれているという状態が成り立っているという状況。冷静に考えてみれば、中々の窮地に陥っていることがわかる」
ゆっくり翻訳しながら読むと、今まで気付けなかった部分が浮き彫りになった。まず、財政的に苦しいというのは手紙の後半の部分で分かる。フラコミュやオスマン帝国と消耗戦をしているのは財政に大きな影響を与えているだろうし、現実として色々と悪化しているからチベットやアフガニスタンの独立運動を抑えられなくなっているのだと思う。
そんな状況下で、弱者を救う政策を実施して国が保てるかという話になる。おそらく、国債を大量に発行しているだろう。しかしマスコミはロイズさんを味方し、世論すらロイズさんを味方している感じだ。これは、思っていた以上にイギリスが不味い状況に陥っていると考えて良いだろう。
「マスコミというのは、それほど危険なものなのでしょうか?」
「豊森家が新聞の発行を独占している理由は、情報操作が容易だからという理由だけじゃない。民間の新聞社が存在すると、最悪の場合、虚偽の情報を民衆にばら撒かれることになる」
今の日本で、新聞を作っているのは豊森家だ。都合の良い様に切り取られた情報に慣れてしまっているのか、美雪さんは豊森家に都合の悪い情報というものの影響力を測り損ねているのかもしれない。それなら、例え話をしておこうか。
「俺が『盗みは良く無い。お金が無いから盗んだ。どうしても欲しかったから盗んだ。そんなことを言う人間は犯罪者だ!』と発言するとしようか」
「はい。当たり前のことですね」
「これを悪意ある者が記事にすると『豊森秀則が「お金が無いから盗んだ。どうしても欲しかった」などと発言』みたいな感じになる」
「……それは、流石に酷すぎませんか?それに、少しでも調べればその情報の発信者が」
「調べない。この記事を見て、俺に対して負の感情を持つ人間が、大半を占めるような世界になる可能性すらある」
実際にマスコミがよく使うような情報の歪曲を例として美雪さんに言ってみると、この場にいる全員が黙り込んでしまった。……信じたく無いのは分かるけど、この切り取り方は実際によくある切り取り方だ。そして国民感情として、発信者では無く発言者にヘイトが向いた。誰が情報を発信したのか、そんなことは大多数の民衆にとってどうでも良いことだ。
「今のは、マスコミに悪意ある者が発信した情報でもある。本当に発信者次第で、民衆は簡単に揺れ動く。今だって、俺の発言で全員がマスコミに悪印象を持っただろう?」
「……なるほど。確かにマスコミというものに悪印象は持ちましたね。拭うことが難しいほどの悪印象です」
「彩花さんは、元々分かってたんじゃないの?」
「流石にここまで悪意ある情報の改竄なんて想像出来ませんよ。……お話を理解することは出来ました。ですが、実際に一度、実験を行ってみるべきだと思います」
思っていた以上に話は通じたようだけど、実験をしようと言っている辺り、理解しても納得まで至らなかった模様。急遽、来週か再来週辺りの新聞で一部地域にだけ嘘の情報を流すことになった。……一部地域に偽情報を流すとか、俺が散々忍者を使ってやっていたことでもあるのだけど、新聞の効果は更に上をいくだろうな。
結局、美雪さんが書く手紙には『苦しい状況なのに弱者を救う政策を実行できるとは素晴らしいですね』みたいな内容と、難民が来たことについてを中心に書くこととなった。インド、スエズ運河、ジブラルタルのルートで手紙を出すよりかはロシア、プロイセンを中継したルート方が早くて安全性も高そうなので後者を選択したけど、ロシアとプロイセンには話を通しておかないといけないな。
……フラコミュ陣営が共通の敵になれるなら、プロイセン&ロシア陣営とイギリス&スペイン陣営は接近出来るかもしれないが、イギリスとプロイセンの関係上、難しいのだと思う。日本とイギリスの関係よりかは、まだ希望がありそうだけど。