第149話 実験数
この研究所は成果が出ていないし、実験の回数も多くは無い。だから予算が減らされ続けていたのだろう。彼らは彼らで実験してみたいことが山ほどあったのに、予算のせいで制限されていた。実験が出来ないようになると、成果どころか実験結果すら出せなくなっていくし、見事な悪循環に陥っていたと言っても良い。
こういう研究所は、珍しく無いのだろう。重要度はさほど高くなく、成果が出辛い。出来れば今年も予算を下さいと懇願してきたけど、どうしようか凄く迷う。
長期的に見れば、凄い技術の元となる実験を行っているのかもしれない。子供が培養液から生まれるようになれば出産時の痛みや、最悪の場合というのが無くなる。改変前の世界では倫理的にアウトなのだろう。あの技術力なら、やろうと思えば数年で出来そうな技術なのに、やってないし。
……研究予算は他と違って間違いなく俺の意思が尊重される。今より上の技術レベル、生活水準を俺が知っているため、ある程度の投資結果が分かるからだ。しかし生物の分野で、しかも体外での培養とか俺はよく分からない世界の話だ。投資した結果の予測すら難しい。
お金を貰う以上、研究者はある程度出資者の意向を守る必要がある。でも俺にはその意向を決める知識すら無い。じっくりと考えてみると、他の技術レベルより明らかに生物の分野は一歩抜きん出ている。ならば、出す指示としては結果が出やすいように持っていく方が良いだろう。
「……研究に必要な実験器具の開発に注力してくれ。未来のため、実験しやすい環境を生みだして欲しい」
「今よりも、もっと楽な実験方法を編み出せということですか?」
「ああ。それが出来たなら、予算は増やす方向でいく。ある程度、自動化出来る工程は存在するはずだ」
研究室を一通り見学した結果、生物を取り扱う実験には労力と多くの時間が必要なことは分かった。だから、生物の分野は実験しやすい環境づくりを優先することにした。メスシリンダーとか三角フラスコとかは似たようなものが存在しているけど、こればかりは改変前の方が良いはずなので、実験器具の開発は研究効率を上げるはずだ。実験器具の知識なら、少しばかりあるし。
そのことを研究所の研究員に伝えると、最初はわりと困惑した表情を見せられたが、途中から納得したような顔になったので意図は伝わったはず。たぶん、実験手順の中で面倒な作業や難しい作業はあるのだろう。
……俺も、最初は実験のための環境づくりから始まったしな。ビーカーを開発するのにも四苦八苦したのは良い思い出だ。というかガラス作りはわりと苦労した。苦労した甲斐はあったけど、ガラス作りは基本的に失敗続きだったからな。そのわりにはビーカーをあまり使わなかったし。今では色々な分野の研究所で活用しているようだから、個人的には嬉しい。
失敗が多い実験や、成果が出ない研究所は、一旦ストップをかけて研究環境づくりに集中した方が良いのかもしれない。実験結果を多く出すために無理して頑張る必要も無いから、貴重な研究者が倒れたりしないように労働環境も整えないといけない。
増長したら面倒だけど、今の研究者の境遇を鑑みるに増長する人間はいないだろう。予算を獲得するために時間をかけて発表準備を行い、少ない実験回数で意味のある結果が出たように思わせる話術を鍛えるとか、本末転倒過ぎる。
幸い、来年度の研究費予算は増える予定だし、国全体としての蓄えもまだ残っている。何だかんだ言って中国に戦争で勝ったというのは大きいし、日本人に限っても人口は増えた。研究者の枠は、どんどん拡大していっても良いだろう。
「女性としての率直な意見が欲しいのだけど、今から機械が出産を代理しますとなった時、どう思う?」
「私は今、お腹の中に赤ちゃんがいるので複雑な……言語化が難しい気持ちになりますね。立ち位置的には反対派だと思います。出産の時の痛みや苦しみがどれほどかは予想できないので、それを知れば意見が変わるかもしれません」
「彩花さんでも言語化出来ないって……いやまあ言語化出来ないのはわかるけど。愛華さんは?」
「知っている人で出産時に死んだ人がいるので、どちらかと言えば賛成派ですね。出産は想定以上の激痛が襲うものだということは教えられていますし、私自身、別に痛みを好む体質でも無いので……」
愛華さんが真顔で痛みを好む体質では無いと言っているけど、その隣に立つ彩花さんはわりと激痛に快感を覚える人なので何とも言えない表情になった。機械が出産を代理するというのは当分先、というか遥か未来の話なので今は気にしなくても良いと思っているけど、それを最終目標にする以上はこういうこともちゃんと考えないといけない。
ちなみに、凛香さんは少し考え込んだ後に「母乳が出ないのは困ると思う」という意見を出した。確かに機械が妊娠……機械が妊娠?しても母乳は出ないだろうし、母乳が出ないと赤ちゃんの発育にも影響は出るかもしれない。ただ、人の受精卵の体外での培養が可能となった頃には完全に母乳を再現した飲み物も開発されてそうだから、心配は要らないかな?
そんなことを考えていたら、彩花さんが何処からか母乳で育った幼児と母乳を一切飲ませずに代替品で育った幼児のデータを持って来た。そして、健康度合いを比べると母乳で育った方が高いという。……メリットとデメリットが多すぎて、俺一人の判断は無理だなこれ。
ただ、こういう研究を許可している辺り、豊森家的にはありなのだろう。研究中に得られる知見と言うのも、この分野だと多いかもしれないからな。