第142話 意欲
株の導入は、日本と言う閉じられた市場でも効果を発揮するものだと考えている。だけどお手本の意味でモデルケースが成功しないと、起業を考えている人達に二の足を踏ませることになってしまう。資本家が生まれるせいで、貧富の格差はより広がるだろうし、その点での不公平感は否めない。しかし何か起爆剤が無いと、諸外国に生産能力で追いつこうなんて夢のまた夢だ。
国有企業の生産する物の値段が最低基準でもあるので、民間企業はそれと戦っていた。大量生産に移行して値段を下げても、国有企業が市場価格を見て赤字覚悟で値段を下げてしまうので、これまでは商品の特色で勝負を行ってきた。
銃や服、弾薬や食糧の大量生産が可能だったのは、国有企業が大量生産をしようと頑張っていたからだ。この大量生産の精神を民間企業にも持って貰いたい。そして大量生産を行うためには、民間企業が成長するためには、どちらにしても資本が必要になる。
「労働者の労働条件も企業の生産力に関わって来るから、少しでも労働条件での競争を生みたいのだけど……現状で満足している人が多いというのはネックになってくるな」
「手を抜けば流石に分かりますが、意欲があるのか無いのかを判断することは難しいです」
「結果が同じなら意欲があっても無くても変わらないという人は多いけど、やっぱり労働意欲はあった方が良いよね?」
「はい。しかしノルマを上げると、能力的についてこれなくなる人間が発生します。それに単純労働では、労働意欲を向上することは難しいでしょう」
愛華さんが単純労働では労働意欲を向上させるのは難しいと言っているが、共産主義や管理社会では仕事を必死にしなくても、ほとんどの人は生きていけるから手を抜くという事態が発生する。
今の日本では国民を雇っている状態なので、手を抜いていたら報酬を減らすという形で罰することは出来るけど、労働意欲を上げることは難しい。マイナスをゼロにするのと、ゼロをプラスにするのは方向性が違う。
……客が来ると舌打ちするレベルで性根が腐っている人が多い、というわけではないが、適度に働いて生きていくだけという人間は多い。芸能関係が軒並み死んでいて娯楽は少ないのかもしれないけど、それでも娯楽の種類は戦国時代と比べて圧倒的に増えた。適度に働くだけで、ある程度の娯楽に恵まれた生活を送れるなら必然的に労働意欲は下がるものなのか?
「娯楽というか、趣味が読書の人は多いよね?」
「特に豊森家の人間は、空き時間に本を読む人が多いですからそう見えるのかもしれません」
「彩花さんは、あまり本を読んでいる姿を見ないけど?」
「私はもう題名とあらすじを見ただけで結論が分かってしまうので……幼い頃はそれでもよく読んでいましたよ?」
娯楽の話に関してだけど、今の日本でも読書を趣味にする人は多い。そして誰が先駆けかは分からないが、漫画も存在している。豊森邸の書庫の存在のお陰で本屋に入ったことが先日まで無かったけど、その先日、本屋で漫画を発見して驚いた。
……R-18な漫画が子供でも手に取って見れるような所に置いてあるとか、改変前の日本では色々とあり得ない状況だけど、規制する必要性が感じられなかったから看過した。
ついでに、本に関しても官能小説は多かった印象だ。軽く性描写のある本が売れ行きは1番良いとか知りたくも無かった。いやまあ、俺も男だから男向けに関しては分かるけど、女向けも売れているのか。性犯罪はわりと重罪だし、子供はそんなにお金を持つことが無い世界だから問題は起きてないのかな。
そもそも、改変前の日本でR-18の規制を真面目に守っている人がどれぐらいいるのかという話になる。携帯電話やスマートフォンの普及で、小学生の時期から裸の画像なんて簡単に見れる時代になった。何にせよ、性に寛容な世界だと言うなら別に問題が発生するまでこのままでも良いだろう。
「……最初から、労働者の人権を守り過ぎていたのか?いや、今まで反乱が起きなかったのは労働者の人権と雇用が守られていたからだし、今から引き締めてもなぁ」
「秀則さんが一言、労働者達に激励の言葉を発するだけで生産効率は上がると思いますよ?」
「それで過労死されても嫌だから、労働者の環境についても考えてみるよ」
豊森家の統治が上手くいっていた1番の要因は、反乱が起き無かったことだ。国民感情が良い方向に振り切れたことにより、国民は今の安定した幸せな生活を豊森家の統治のお陰だと思うようになった。実際、肉体労働は多いけど国が無理なく働ける範囲を見定めて労働をさせている。そして生きていくだけなら、十分過ぎるほどの報酬を支払っている。
……工場勤務はこれからどんどん増えるだろうし、労働者の人権についても深く考えた方が良い。もしも労働者の軽視が始まってしまえば、労働者の中でも賢い人間が労働者を纏め上げてストライキを決行するだろう。
昔の新聞を見る限り、既に汽車の車掌達が団結してストライキを行おうとした形跡がある。その時は密告制度に国側が助けられ、ストライキは未遂に終わっているが、人員を多くして休みを増やしている。それと同時に、ストライキ対策も実行された。
なお、車掌の賃金は増えたどころか労働時間が減ったせいで微減している。計画した人物は罪に問われたみたいだが、罰金刑だけだった。その後は転職しているため、何かはされたのだろう。
……一般人によるストライキ事件も、新聞のお陰で詳しく事情を知れるのは良い事だ。ちなみにストライキするぐらいなら上に相談したり、更に上の立場の人間に直訴しろ、というような法律が制定され、ストライキは犯罪となった。状況によっては、情状酌量をされるみたいだけど。
相談しても黙殺されるからストライキするのではないか、とも思ったけど、豊森家の当主や上層部に直談判する機会は結構多いので黙殺したらヤバい世界だったな。
正義感の強い人が多いようで、統治する側から見れば非常にありがたい状況だ。その正義が、豊森家の決めた正義ということだけは引っかかるけど。