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第139話 折衷案

『重度の精神障害者であると医師に判断された日から1年以内であれば、親は養育を放棄することが出来る。その場合は人ではないものと判断して、豊森家が引き取る。1年以内に放棄しなかった場合、人として扱うため、親は責任を持って育てる必要がある』


11月15日に制定された以上の決まりごとは、12月までには法律として整えられるだろう。そして2021年の1月からか4月からかは分からないが、施行される予定だ。


豊森家の中で障害者をどう扱うかの議論は約2ヵ月の間、ずっと白熱していた。その結果、出された答えは『答えなど無い』だった。


……どう倫理観が発達しても障害者が邪魔という気持ちや、気持ち悪いという感情を抱く人は消えない。逆に障害者を機械的に殺す決まりを作っても、善意が蝕まれる人や可哀想だという感情を持つ人が消えることはない。これは人が人である限り永久に答えは出ないとし、折衷案を出すことで妥協する。それが豊森家の答えだった。


母親ですら憎しみを抱く人がいる。逆に父親だからこそ愛す人もいる。兄弟でも殺意が芽生える人はいるし、姉妹だからこそ我慢して耐えるべきだという人もいる。ならば、人によって正解は違うという解釈をしたということだな。どちらかが、完全に0になる事は無い。


人という字は、人が1人で立って歩いて行く姿を示している。最初はそんな主張で立つことが出来ない障害者を人ではないとしていた人もいたし、全体的に優生思想に染まっているのに、随分と考え抜いて結論を出している。


仁美さんによると、数年後を目途に放棄して後悔した人間、放棄して良かったと思っている人間、放棄しなくて後悔した人間、放棄しなくて良かったと思っている人間をそれぞれ募る予定だ。各自の立ち位置から、1年間の猶予期間中である親に助言を行う機関の設立も行うとのこと。


まあ、これで当分の間は固定されるだろう。障害者を強引に犯罪者に仕立て上げる世の中よりかは譲歩され、かつ割り切られた考え方になっている。もちろん、この考え方にも疑問を呈する人がいる。しかしこれ以上の折衷案が存在しないことに対してはほとんどの人間が賛同した。


議論の中で、個人的に印象に残っている人がいる。


「人は誰しもが人として生きる権利を有するはずだ!」

「生産性の無い人間を全て庇っていけば、社会が成り立たないのは分かっている」

「ハンデを持つからと言ってその差を埋めるために優遇するのも間違っているだろう。障害者が生まれた時から優遇される存在となるなら、私は反対する」

「……不快感や嫉妬、その他様々な感情を人間が持つ限り、障害者は排斥し続けられるのだろう」

「障害者が過半数を占めるような世の中になるか、人間が感情という人間性を捨てた時に初めて障害者は人間になる。そんな世界は存在しないのだから、これ以上答えを求めるために議論を続ける意味が見出せない」


最初は数少ない障害者の味方だったその人は、考え抜いた末に、人が感情を持つ限り障害者は障害者であり続けると結論付けた。1番最初に、折衷案を提案した人物でもある。もちろん、この人以外も相当悩んだ末の結論だ。結局、答えが人それぞれなら親が判断すべきだということだろう。


ついでに、重度の障害者についての定義付けもされた。健常者であれば100点を取れるテストで、25点以下なら重度、50点以下なら中度、75点以下なら軽度だ。試しに俺が17歳用の試験を受けたが、100点だった。67歳用は用意出来なかったらしい。


試験は「20メートルの距離を1分以内に自力で移動する」「1から10までの数字を書く」「椅子に3分間無言で座る」「点線をなぞる」など、本当に健常者であれば簡単なものだ。なお加藤さんは3分間椅子に無言で座ることが出来ず、他にも色々とやらかして89点だった。


……試験であることは伝えられていて、3分間無言で椅子に座っていろと加藤さんも指示されたはずだ。それなのに「3分経った?」「まだ3分にならない?」「3分って長いね」と再々試験の時まで喋っていたので減点を食らっている。


そんな加藤さんでも軽度の障害者とはならない試験で、重度の障害者だと判断された場合のみ、見捨てる選択をすることが出来る。……見捨てると言葉を濁すのは止めよう。見殺しにすることが出来る。


どのような形であれ、人が人を殺す権利を持つのは駄目じゃないかと主張する人もいたし、どうせ見殺す人が多いだろうから将来的に枠は中度までにしてしまえと言う人も存在する。後々自身が重度の障害者になった場合は、殺してくれと願った人もいる。


また、身体障害者と精神障害者は別物だと主張し、まともな思考を持つ身体障害者は重度でも人であると主張をした人もいた。しかし四肢欠損レベルだとどう足掻いても25点以下になるので、重度の身体障害者に関しては再度議論を重ねると言っているが、四肢欠損の人間を普通の人間として生かすためのコストが算出されてしまっているからどうなるのかは分からない。そもそも、そこまで重度の先天的な身体障害者がこの世に存在していないから、議論が難しいのは確かだ。


「秀則さん、調査の結果が出たようです。

2歳の子供を持つ親を対象に、この法案が通った時、子が重度の精神障害者であった場合は養育を放棄すると答えた割合が8割を超えています」

「……彩花さんは、どうするの?」

「もしも我が子が障害者であれば、ですか?それはその時にならないと分からないでしょうけど……捨てると言う選択肢を肯定される現状が維持されているならば、秀則さんが賛同してくれるのであれば、迷いなく捨てます」

「そっか。そうなるのか」


豊森家としては、どちらの選択肢を選んでも全面的に肯定すると表明する予定だ。だから育てるという選択肢を選んだ人には金銭面の援助を行う予定だし、捨てられた障害者に関しては人ではないものとして扱う。


……同じ障害者でも差が生まれるのはおかしいと言う人がいれば、それは自分勝手な押し付けであり親から愛されたか否かの差がある以上は同じ障害者ではないと言う人もいる。本当に完璧な折衷案など存在しないが、これ以上の折衷案が出なかったのは確かだ。


改変前の日本での出生前診断を受ける割合は3割を超えていて、陽性の場合の中絶率は9割を超える。陽性なのに中絶しない人間ならそもそも出生前診断を受けないとか、命の選別だとか色々と言われているが、1つ言えることは改変前の日本ですら本音では障害者を嫌だと思う人間は多かったということだ。


しかし本音を言ってしまえば人間性が疑われる。だからこそ匿名性の高い掲示板やSNSでは本音と本音がぶつかり合って果てしない議論を生んでいた。そして今の日本では、現実で本音と本音を語り合い、議論を行った。最初の議論の時より、明らかに倫理観は改変前基準で高まったとは思う。


……特に軽度の障害者(当時基準)が身近にいる一般人として招かれた島津さんと、折衷案を提案した恒一郎さんの激論は凄かった。どちらが高慢か、か。その時の世論によって答えが変わるのなら、答えなんて無いに等しいという結論でも、結論を出したことに対して評価はしたい。

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