閑話⑤ 感情(西暦2020年8月2日)
中国軍の死体が山積みになっている北方戦線の一角に、その人物はいた。秀則が抜けたことで北方戦線の総司令官となった豊森将伯元帥だ。将伯は第6軍の軍団長である豊森秀一郎と第10軍の軍団長である佐藤直樹に、秀則の言葉を告げる。
「『機関銃を開発したから実戦で運用をしてくれ』と秀則様の指令書には書いてあった。よって今日から3日間、試験的に機関銃というものを運用し、報告書を作成して貰う。機関銃は秀則様が主導となり開発を進めていたものだ。私が見た限りでは、これからの戦争が変わるものだろう」
「了解致しました」
「……新兵器の運用のために、呼び出したのですか?」
内容は機関銃の試験運用についてであった。この言葉に秀一郎は素直に従い、佐藤はこれだけのために呼び出したのかと不満を漏らす。手紙のやり取りでも、もっと下の立場の人間に告げても問題の無い指令のために、数時間もかけて移動したので無意識のうちに漏らしてしまった言葉だった。
「ただの新兵器では無いことぐらい、わかるだろう?それに足並みが揃うまで、第10軍は太原市で防衛に徹していれば良い」
「……その防衛戦に、新兵器は運用できるのですか?」
「あれは防衛時に真価を発揮する代物だろう。攻撃時にも使えるだろうがな」
元々、佐藤は中将にまで出世できるタイプの人間では無かった。18年前のインパール会戦の時に偶然にも多大な戦果を挙げ、上司である将伯が異例の出世を成し遂げたために、中将まで出世できたタイプの人間だ。
しかし、将伯は豊森家の人間であり、佐藤は豊森家以外の人間だ。佐藤が退室した後、秀一郎へ将伯が話しかける。
「軍に所属する人間が、人の前で感情を抑えられないのは将として失格だとは思わないかね?」
「……あれを評価したのは叔父上でしょう?」
「ああ。戦場において周囲の状況を把握する能力には長けていたからな。推薦はしたぞ?まさか、通るとは思わなかったが」
内容は佐藤のことであり、ここにいる人間は豊森家の人間しかいない。愚直なタイプの人間である佐藤の悪口に発展するのに時間はかからなかった。
「士官は兵士達の命を背負っているということが分かっていれば、たかが新兵器、という認識にはならんだろう」
「秀則様が開発したと知ってあの態度ですからね。……秀則様も感情は抑えていませんでしたよ?」
「感情を見せるのと抑えないのとでは大きな違いがある。秀則様は前者で佐藤は後者だ」
秀一郎はまだ30代と比較的若く、将伯も佐藤より若い。だが、佐藤より将伯の方が人の上に立つための知識を多く持っていた。そしてそれは、若い秀一郎へと受け継がれる。
「人間である以上、感情を持つのは当然だ。それを0にするのは至難の業であり、身に付けようとして身に付けられるものではない。しかし抑えることなら出来る。その鍛錬はしておくべきだ」
「その話は、士官学校でも聞いています。秀則様の場合は抑えていないのでは無く、見せているとのことですが?」
「……人間である以上、感情を持つのは当然だ。では人間でない者は、感情を持つのか?」
「……秀則様は人間のように、私からは見えました」
軍を率いている者は、感情を抑えなければならない状況が多々ある。感情的に動けば取り返しのつかない失敗をすることもあるからだ。また、感情を相手に見せることで不利になることも知っている。豊森家の人間であれば、感情から相手の思考を読む術をある程度身に付けているからだ。
そして話は秀則のことに移り、秀則が感情を見せていることを将伯は話す。秀則は感情を顔に出すこともあり、その姿は将伯も秀一郎も目撃していた。
「美味い食べ物を食べた時や、北京が陥落した時など、笑顔だったじゃないですか。死傷者の報告時には、悲しそうな目で……」
「世間一般で言う、当たり前の感情を秀則様は見せているだけだ。抑えていないのとはわけが違う。人が人として持つべき感情を持っていると思い込んでいるからこそ、人として存在しているに過ぎない」
顔に出てしまう表情から考えを読み取ることが得意な将伯も、秀則が喜んでいる姿からその真意を汲み取れたことは無い。そのことを秀一郎に伝え、教える。
「佐藤からは、不満気な表情からすぐに『こんなくだらないことでわざわざ呼んだのか』という思考がお前でもわかるほどに読み取れただろう?」
「……まあ、それは私でなくてもわかるでしょう」
「感情が表に出る人間は、それだけで戦場では不利だ。だからこそ凛香君を推薦していたのだがなぁ」
「あの仏頂面ですか。確かに、豊森家が定める将としての素質を全て兼ね備えていると言えます」
将伯にとって、凛香は軍を率いる者としての素質を全て兼ね備えていた人材だった。とはいえ急な出世は内部の不和を招き、本人の欲が少なかったために親衛隊へと異動される。秀則と凛香の繋がりを知った将伯は、もう凛香を取り戻せないと悟った。
「まあ、感情はなるべく抑えろという話だ。特に戦場では、将官の顔色1つで兵の士気に関わり、戦死者の数に影響する。出来る限り、負の感情は見せないようにな」
「はい、心得ています。
それでは私も、機関銃の試験運用を開始します。良い結果が出ると思いますよ」
「ああ。行ってこい」
叔父である将伯の前で、秀一郎は機関銃への期待を隠さずに部屋を出る。甥の秀一郎が戦場へ出るのを、将伯は朗らかな笑顔で見送った。
次回から本編再開していきます。