第115話 戦史
8月16日、朝早くから凛香さんに起こされたので、顔を洗って支度をしてから陸軍士官学校の校舎へと向かう。補習は朝の8時からとのことなので、随分と早い起床になった。最近はわりと自堕落な生活を送っていたから、寝ぼけ眼のまま教室へと向かう。教室では机と椅子が並べられているけど、1つずつ用意されているわけでは無く、長い椅子に数人が座る感じだ。
昔は1人に対して1つずつ机を用意していたそうだけど、長机の方が色々と効率的だから長机にしたらしい。1つの長机には5人ぐらい座れるが、隣に座るのは彩花さんだけだ。凛香さんはいつも通り真後ろだけど、ちょっと表情が硬くなっているので、座学に嫌な思い出でもあるのかな。
今日は戦史の講義をしてくれるようなので少し楽しみだ。補習を受ける生徒も次々と教室の中に入って来て、前の方の席から順番に埋まっていく。最初に教室へ入ったのに教室のど真ん中に座った俺が恥ずかしくなって来たが、移動し辛いのでこのまま講義を受けよう。最後に入って来たのは若そうな教師で、青ざめた表情をしていた人だ。
「起立!気を付け!礼!」
「よろしくお願いします!」
講義は挨拶から始まるので、教師が起立、気を付け、礼、と流れるように言い、生徒側は大きな声でよろしくお願いします、と返答する。ちなみに一昨日、見学について伝えるとこの時の挨拶で命令形が云々と言っていた。だから、俺の存在は無視してくれと伝えてある。と言っても、教師は目線を俺に向けて来るのでやはり気になるのだろう。
今日の補習では金ヶ崎の戦いでの織田軍の動きを解説するそうで……当然、改変後の金ヶ崎の戦いだから俺は当事者だ。教師が青ざめた表情になっていた理由も察した。しかも豊森秀則の思考についても考える講義のようだから、答えがここにいるのは色々と不味そうだ。
……どうやら教師の話を聞く限り、学期末の試験で金ヶ崎の戦いについて可能な限り詳しく書け、という問題が出た感じだ。1年生の戦史の講義で最初に学ぶことが俺の関わった戦についてとか、色々と妄信され過ぎていて怖い。
「じゃあ、俺の指揮した戦って全部真面目に解析されているの?」
「はい。海軍士官学校出身の私でも学んだことですので……」
彩花さんと小声で会話していると教師の肩がピクピクと震える。授業中の私語は禁止されているので怒らせてしまった、と思っていたら怖がっている表情だったので素直に頭を下げ、パントマイムで授業を進めるように伝える。
「……えー。それではまず、朝倉家侵攻軍の総大将となった秀則様は2万人の軍勢を引き連れて敦賀にまで進軍します。この時、2万人の兵の他に4000人の今で言う工兵を引き連れていたと言われています。攻略目標地点は朝倉家の金ヶ崎城、一乗谷城ですね。敦賀に着いた秀則様はここで川を利用した防御陣地を構築します」
教師の説明する戦の流れは概ね正しく、思っていた以上に正確だ。当時の俺は秀吉や勝家、光秀や成政と一緒に、敦賀にまで進軍した。そして浅井家の裏切りに対抗するため、黒河川を中心とした防御戦略を組み立てた上で、一乗谷城まで侵攻しようとした。
凄く、懐かしい記憶だ。勝家に進軍速度を早めろと急かされたり、光秀が朝倉家へ寝返らないか不安で監視を強化したり、秀吉と成政が喧嘩を始めたり……ろくでもない記憶しか残ってねえ。
「この時、秀則様が打ち出した防御戦術は川沿いに柵を作り、脆弱な箇所を作ってわざと敵を引き込むものでした。突破して来た敵の主力部隊を長弓隊と鉄砲隊で一方的に倒す『殺し間』戦術はこの後、秀則様が多用される戦術です」
途中で戦術の話に入ったり、金ヶ崎城攻略について話しながら、金ヶ崎の戦いについて解説をしていく教師。殺し間と言っていたけど、後で十字砲火だと訂正しておこうか。あの頃は、殺し間としか言ってなかったっけ?
渡河攻撃はどうしても一箇所に戦力が集中するものなので、わざと突破させてから十字砲火を加える戦術は戦果がかなり大きいものだった。フレンドリーファイアも多かったが、それ以上の戦果を見込めるので止めることは無かったな。何より、相手が警戒をしてくれるから時間稼ぎには凄く役立つ戦術だ。
「秀則様は浅井家の裏切りを読んでいたと言われており、この防御陣地を築き上げたのは浅井家の謀反前でしたが、浅井家の裏切り後、防御陣地は大いに活用されました。その前に秀則様が一乗谷城へ進軍をするのですが、防御陣地には羽柴秀吉と明智光秀を残しています。一方で先鋒は柴田勝家が…………」
実際に体験した事を歴史の授業として受けるという奇妙な体験をしつつ、当時を思い出しながら彩花さんの質問に答えていく。私語は禁止なので筆談だ。
『何故、浅井家の裏切りを知っていたのですか?』
『知っていたから』
俺の回答に頭を傾ける彩花さんだけど、ハッとした顔になって納得した様子だった。回答になって無いような気がしたけど、彩花さんが納得したならそれで良いか。
「浅井家の謀反が起こり、敦賀で浅井軍と朝倉軍に挟撃されることになった秀則様は、軍勢を二手に分けて抗戦します。ここで兵の配置が歪なのは、浅井軍と朝倉軍を合流させないようにするためだったと言われています」
浅井家の裏切りは想定通りに起こったので、軍を二手に分けて浅井軍と朝倉軍の両方に対応した。特に朝倉軍が暴れると面倒だったので、時々朝倉軍へは攻撃も行っていた。兵糧はあらかじめ大量に持ち込んでいたため、持久戦が可能だったのだ。それでも4万対2万と、数では圧倒的に劣勢だったから苦しかったが。