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第114話 子孫

「じいじ?」

「……じいじなのは確かにそうなんだが、慣れないな」

「いつまでも若いというのは、歳を重ねるにつれ羨ましくなってきましたよ。最近では、私の方が父上と間違われることも多くなりましたしね」

「それはお前の背が俺より高いのが悪い」


孫の公秀と初めて対面したのは、もう公秀が1人で歩ける頃だった。東北地方へ遠征している間に生まれており、帰還後も忙しくて中々会えなかった時期だ。公秀からの第一声が、じいじだったことは覚えている。初孫だったけど、利発そうな顔立ちであまり可愛いとは思えなかった。


……そもそも、子供に対する愛情とかは希薄だった。1人で人口爆発を起こしていたし、名前を全員覚えるのも一苦労だった。特に公秀が生まれて以降、度重なる孫の出産報告の数は異常だった。秀一の子供だけでも、1600年までに12人いたな。しかも秀一は名前に「秀」を入れたがるせいで全員が似通った名前になり、12人分を覚えるのは凄く大変だった。


1590年代後半は知人の死も多かったが、それ以上に孫の出産祝いを用意するのが面倒だった。多い時には1ヵ月で10人を超えていた時もある。途中から孫の成長祝いは5歳の時には日記帳、10歳の時には兵法書と、悩まなくても良いようにあらかじめ決めておくようになった。


そして孫の中でも、1番多く接していたのは公秀だ。幼い頃は蝶を眺めながら「何で飛べるの?」と蝶に話しかけるような子供だったが、成長するにつれて俺の未来の話に興味を持ち始めた。未来には何があるのか、何を再現出来そうなのか、色々と聞いて来た記憶がある。


知識欲はもしかすると秀一以上だったのかもしれないが、飽きやすいのか自分から実験するような人間では無かった。むしろ周りの人間にその実験を任せていたから、孫の中では公秀が俺に1番似ていたのかもしれない。孫の中では1番多く接していた、とは言っても子供達と比べるとそこまで長い時間を一緒に過ごしていたわけでは無いから、印象は薄い。


そんな公秀の墓は、秀一の墓の奥にあった。公秀の墓の奥には、公秀の子の墓があるのだろう。公秀の墓まで参拝するような一般人は少ないようで、少し人口密度は低くなった感じだ。


「これ、ずっと豊森家の当主の墓が続いているの?」

「はい。美雪さんのお墓まで用意されてますよ」

「……美雪さんはまだ43歳だよね?あと30年は生きるんじゃないの?」

「確かに用意は早いですが、当主になった人物が初めに用意するのはお墓ですから」


彩花さんによると、公秀の墓のずっと奥に美雪さんのお墓があるとのこと。ずらっと並ぶ豊森家当主のお墓はどれもこれも立派だけど、普通の人より敷地が広くて墓石が大きいだけだ。特別な装飾をするような奇抜な当主はいなかったらしい。この伝統は公秀がきっかけっぽいので、公秀の日記も後で読んでみることにしよう。


豊森家の当主以外の人間は、納骨堂に納められている人も多いようなので豊森家の納骨堂に行ってお参りを済ませておく。形はどうであれ、立派な大国を築き上げて来たご先祖様……子孫達だ。たぶん、この納骨堂に納められた人の中に、俺のDNAが入っていない人は居ないんじゃないかな?岐阜以外にも豊森家の納骨堂は各所にあるようなので、豊森家の人間が多いことはあらためて実感することが出来た。


「公秀様の日記は、今では当主用の日記しか残っていないはずです。豊森家の当主の中でも1番資料が少ない方ですね」

「当主用の日記って何?当主しか読めない感じ?」

「私も詳しくは知りませんが、秀一様が当主用の日記というものを用意したという話を美雪様から聞きました。以降、後世の当主のために、その時の思考をそのまま記した日記があるそうです」

「ああ、秀一なら分けそうだな。後で当主用の日記も読んでおこうか」


豊森家の人間には、日記を書く人が多い。というか紙の大量生産に成功したから、俺が毎日のように日記を書き始めたのを周りの人間が真似し始めた。別に俺自身、消えることを想定して日記を書いていた訳では無いが、後世に重要な資料として残れば良いな、という考えはあった。そして公秀の書いた日記は、ほとんどが焼失していると彩花さんが教えてくれた。


しかし当主用の日記というものがあり、それは無事なようなので今度読むことにする。秀一が当主となった時、普段用の日記と分けて書き始めたそうで、公秀も真似をしたから伝統として続いているらしい。書いてある内容は親衛隊の全員が知らなかったから秘匿性が高いものなのだろう。そもそも当主用の日記という存在自体を親衛隊の8割の人間が知らなかった。


……秀一の思考がある程度読めるからわかるけど、普段のことを書いてある日記と分けた理由は、大切な部分の抽出を行いたかったからだろう。俺の日記だけでも数十年分という量を一から読むのは時間がかかるし、大事な決断をしたその日の思考、というものだけを要約した日記は後の世の当主の参考になりそうだ。




子孫達のお墓参りは思いの外時間がかかり、気温も暑い日だったので旅館へ帰るとすぐに一息入れる。子供や孫のお墓参りは、終わってみれば喪失感だけが残るという結果だった。ただ、それだけだ。何と言うか、現実味の無さを感じて、あまり込み上げて来る思いなどは無かった。……きっと彩花さんが子供を産んでも、親として持つべき父性は芽生えないのだろう。


まあ、こういうことは気にしないと決めたばかりだし、明日の事でも考えようか。明日はもう1回陸軍士官学校へ行って、座学の補習を受けてみる予定だ。成績が悪い生徒は問答無用で切り捨てていると思っていたから、成績が悪い生徒へ向けて補習をするというのは正直に言うと意外だった。だけど、教育機関としては真っ当だろう。


それでも少人数に絞っているから、補習を受けられる人物にもある程度の条件が存在するのかな。そこら辺も知るために、座学の補習にお邪魔する。このことを明日の補習の担当の教師に伝えた時、青ざめた表情だったのは気にしない。

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