第9話 技術力の格差
「それで、何で右翼の艦隊の船は真っ二つになっていったんだ?」
「それが……わからないんです。右翼の艦隊は全滅し、生き残りも少ない上、その生き残った人の中に何が起こっていたのか把握できていた人はいませんでした」
「砲撃で沈んだ訳じゃないのか」
「砲撃だと思いますが……それだけでは無い、と思います」
吉良さんに右翼の艦隊がどういう攻撃を受けたのか聞いてみると、はっきりとしない答えが返ってきた。わかっていることは、艦船が真っ二つになったということと、大きな水飛沫が上がったということ。
機雷……いや、魚雷かな?恐らく魚雷は、衝角戦術に対する最強の答えだろう。膨大な数の敵艦隊が体当たりしに向かってくるとわかっていれば、俺でもその対策法には辿り着く。開発方法や仕組みは知らんが。
沈んだ艦船の間近にいた右翼の生き残りの人でも何が起こっているのかわからなかった、ということは水中に魚雷の発射管があったということか、単に船内にいて魚雷の存在に気付かなかっただけか……。
1つ言えることは、イギリスの技術力は間違いなく日本より上だと言うことだ。それも、艦船に関わる技術は圧倒的に上の可能性が高い。
「……吉良さん、ありがとうね。ちょっと考えたいことがあるから、宿に戻るよ」
「報告以上のことを喋れず、申し訳ありません」
この海軍基地の上層部で唯一豊森姓では無いという吉良さんに別れを告げて、宿舎に戻る。
その道中で、凛香さんに聞いてみた。
「仁美さんが日本の国力は世界1位、イギリスは世界2位って言っていたけど、別に正確に計算したわけじゃないよね?というか、どうやって国力を求めたのか疑問なんだけど」
「……国力は人口や領土の大きさから算出してるから、正しいと思う。
秀則様も、国力を人口や領土で……」
「ああぁぁ……確かに戦国の世で、国力は基本人口で推し測っていたね。
……これも俺のせい、か」
仁美さんが京都を案内している時に世界の国の国力トップ5を聞いてみたら、1位大日本帝国、2位大英帝国、3位フランスコミューン、4位プロイセン王国、5位スペイン帝国との答えが返ってきたが、よく考えれば国交を持たない国ばかりで、推測でのランキングでしかないことに気付いた。
その事を追及すると、推測でしかない人口と情報が不確かな領土、出所不明の戦争結果から算出しているとの答えが。技術力や工業力、その他諸々をほとんど考慮してなさそうなので、仁美さん……というか豊森家全体の国外に対する警戒が甘すぎるのだろう。
魚雷をすでに開発している国の艦船を、169隻も沈められたことが奇跡に近い所業だ。漁夫の利を得ようとしたプロイセンの艦隊が途中から参戦して混戦になった挙句、三方ともに艦隊が壊滅状態になったから撤収したが、もしもプロイセンが横槍を入れなかったらどうなっていたことか。
プロイセンが倒したイギリスの艦船も、日本の戦果として数えられているのかもしれない。これは想像以上に不味い状況だ。もうイギリスは日本の技術力を上回っている、と確信を持っているだろう。幸い、今はフランスとの戦争が激化しているために矛先が向いていないが、いつ襲われても文句が言えない立場だし、襲う準備はしているはずだ。
……フランスとイギリスがアメリカで激しく争っている、という情報すら正しく無いような気がして来た。唯一日本が他国に勝っていると断言できるのは人口と領土の広さと……全体主義的な国民性、か。
「日本が陸上で外国との戦闘を最後に行ったのは何年前だ?」
「18年前にイギリスがインパールに攻めて来た時が最後だと思います。今すぐ詳細なインパール会戦の情報を集めます」
最後の陸戦についてを聞いてみると、南紅海戦の3年前とのことだった。3年前に攻撃されたからインドを狙いに行こうとして、先にスエズ運河を抑えて補給路の妨害をしようとしたら紅海での海戦に負けた、って流れかな?
その攻めて来た時のことを詳しく聞こうとしたら、素早く愛華さんは部下達に指示を出して、その指示を受けた部下達が走り出す。
そしてすぐに一枚の紙が愛華さんから手渡された。
【インパール会戦 2002年3月8日~2003年6月9日】
・戦力
大日本帝国軍:戦闘開始時10万人 最終86万人
大英帝国軍:戦闘開始時16万人 最終70万人
第一次インパール会戦 2002年3月8日~3月24日
日本軍死者12000人 イギリス軍死者10000人
第二次インパール会戦 2002年3月29日~4月3日
日本軍死者2400人 イギリス軍死者3000人
第三次インパール会戦 2002年4月16日~5月7日
日本軍死者23000人 イギリス軍死者25000人
第四次インパール会戦 2002年5月24日~6月2日
日本軍死者6000人 イギリス軍死者7000人
第五次インパール会戦 2002年8月9日~9月1日
日本軍死者40000人 イギリス軍死者38000人
第六次インパール会戦 2002年11月12日~11月27日
日本軍死者8900人 イギリス軍死者7400人
第七次インパール会戦 2003年4月14日~4月17日
日本軍死者2000人 イギリス軍死者2600人
第八次インパール会戦 2003年5月10日~6月9日
日本軍死者45000人 イギリス軍死者50000人
日本軍死者:総計139300人 イギリス軍死者:総計143000人
とりあえずこれを見て最初に驚くところは、なんでこいつら本国から離れた場所でここまでの大軍を動かせるのか、ということだけど、日本はタイやビルマにも本土と同じような都市を作り上げているそうだし、イギリス軍はインドから武器弾薬以外の補給が可能だそうだ。武器弾薬をインドで作らせず、本国や他の植民地からインドへ送っているのはインドに反乱されないようにするためだろうか?改変前の世界でそんなことしてたっけ?
この戦いでイギリスはインドからの徴兵も行っており、両軍で山のような死体を築いた。敵軍の死者は死体の数から大まかな数値を割り出したそうなのでたぶん正確。勝ち負けで言えば、インパールの死守は出来ているから一応日本の勝ちになる。
第八次インパール会戦後は、イギリス軍が昔に暗黙の了解で国境として定められたジャムナ川の向こうに撤退して終わり。講和会議とかは開かれて無い。というかここ100年ぐらい、この世界は各地で戦争をしているが、白紙和平が結ばれたことは一度も無いらしい。勝ち負けがはっきりするまで戦うとか、どこの戦闘民族だ、と言いたくなる。侵略しておいて何も言わないって……。
インパール会戦は、日本軍が防衛側なのにかなりの損害が出ている。ということは日本軍は陸でも弱いのだろうか?ざっと死者の数に目を通した後は、次々と持って来られる紙に目を通す。気になるのは大日本帝国陸軍の使っている大砲や銃について、大英帝国が使っているものとさほど変わらなかった、という記述。幸い陸では技術力の差が無いらしい。
総合的に見ると、日本の陸での戦闘能力はイギリスとほぼ互角かやや負けている、ぐらいかな。海で大差負けしているのに、陸でも負けかけているのか。
次回から主人公がここまでのまとめと考察を行います。