第108話 牢獄
裁判で5年以上の懲役刑が言い渡された場合、まず1年間は刑務所内で作業可能な仕事に従事することになる。この時の勤務態度により、以降の過ごし方が変わると彩花さんに説明された。
「刑期が5年未満の場合は、最期まで刑務所内で作業可能な仕事だけなのか」
「最初の判決で5年未満の刑期と決まっても、1年以上を刑務所内で過ごした上で5年以上の刑期が残っている場合は刑務所外に出ることがあります」
「……刑期って伸びるの?」
「はい。特に更生の余地が無いと判断されるような人間の場合、外へ出す訳にはいかないので」
態度が悪かった場合は刑期が伸びる可能性がある。と言っても刑期は段階的に増える上、刑期が増えるような受刑者はよっぽど性根が捻じ曲がった人しかあり得ないとのこと。現に、過去5年間で32人しかいない。どうやら長期の懲役刑を言い渡された上に償いの意思が感じられないような人だけ、少しずつ刑期が増えるようだ。
この1年間の仕事態度によって、残りの期間の過ごし方が変わるようで、真面目に罪を償いそうな人物なら田畑を耕すことになる。この場合は足枷も外されて、わりと自由だ。ただし労働時間の長さや辛さは国有企業で働く人達の比じゃない。
12時間労働が基本とか過労死で死ぬのでは?と思ったけど、健康状態もきっちりと管理されているので過労死に至ったことがほとんど無い模様。懲役刑が、強制労働で日本に罪の分を還元するイメージになった。囚人達自身に洗濯や食事の用意もさせているようだから、運営コストは低そうだ。
娯楽は少なく、休日は祭事がある数日のみ。年に10日も休めないとかブラック企業より恐ろしい。……真面目に償いそうな人でこの扱いなら、最初の1年間すら勤務態度が悪かった人の扱いはある程度想像出来る。いや、最初の1年もスケジュールを聞いたらほぼ無休だったから、労働意欲の低い人には辛いだろうけど。
「……最初の1年間で、更生の余地無しと判断された人はどうなるの?」
「鉱山で足枷を付けて働いています」
「もっと、具体的に」
「……鞭で打たれながら、日に16時間ほど労働環境が劣悪な炭鉱などで働いています」
想像出来るが、具体的な労働内容を彩花さんに聞くと凄まじいものだった。主に炭鉱へ出荷されるそうだけど、労働災害は多発するし、病気になる人も多い。少しでも怠けていたら鞭が飛ぶ辺り、奴隷扱いだ。少し気になったので、どういう人が炭鉱行きになるのか聞いてみる。
「その最初の1年すら真面目を装うことが出来ない人間って、存在するの?」
「『俺は悪くない、こんな社会を作った豊森家が間違っている』と言って豊森家の人間を殺害した人物は、懲役85年×4の刑となり、炭鉱で死ぬまで十数年の間、働き続けています」
「……思っていたより、炭鉱送りが妥当な人間だった」
すると、豊森家の人間を4人殺した人物が例に挙げられた。というか反社会的な思想を掲げて豊森家の人間を故意に殺すと、懲役85年なのか。数字が大きすぎて実感が湧かない。
ちなみに鉱山で働く国有企業や民間企業の労働者はもっと良い労働条件だし、賃金も高いけど、労働災害が起こるのは変わらない。国有企業の場合、最低でも年収は80万円で事故発生時の補填は50万円が基準。基準と言っても事故発生時に大怪我をしないとその50万円という額は貰えないけど、擦り傷などの軽い怪我でも数万円は貰えるようだ。
まあ、故意に殺人事件を起こしたら生き地獄だという認識が国民全体にあるのは今のところ良い方向に作用している感じだし、現状は略式の導入の検討だけで良いか。少年による殺人事件の第一審が終わり、少し痩せている女性が起こした器物損壊の第二審を見て、そう思った。
「1日に、2つの事件を取り扱うのか」
「事件が多い時はもっと忙しくなると思いますよ」
「逆に、事件が少ない時は暇なのか?」
「はい、訴訟が起きなければ暇になりますね。しかし、1年の内で暇になる時期など2、3回しかないはずです」
殺人事件の時とは打って変わって平和な喧嘩ムードの家政婦とその主人。雇用主側は故意に一番高い壺を割ったのだから全額弁償しろと言っており、被雇用者側は過失であり勤務中の出来事なので労働者側に全額の弁償をする義務は無いと主張している。
「……例えば彩花さんが勤務中に100万円のお皿を割った場合、どうなるの?」
「転んで割った場合など、過失であれば月々の給与の半分までは割った本人が負担します。この月々の給与は基本給で計算されるので、6万円ほどは私が負担することになりますね」
「普通の家政婦の基本給なんて4万円程度だから、半分だと2万円か。割られた壺が数百万なら、雇い主側だと辛いか?」
この主人と家政婦はここ最近、喧嘩が多かったようなので主人側は故意で割ったと主張し続けている。しかし第一審の簡裁が出した判決は、家政婦が購入時の金額の1割を弁償しろというもの。過失の割合が高いと判断したようだ。
割った壺の購入時の金額は120万円とのことなので、12万円の負担だな。これで家政婦側は納得したが、主人側が納得していないから地裁で争っているという状況だ。
……殺人事件の時のピリピリ感はあまり無いが、それは主人があまり利口な人間に見えないからかな。裁判所なのに50歳過ぎのおっさんが家政婦に向かって怒鳴っているだけだし。これも今日で量刑が決まるようで、裁判長が家政婦に判決を言い渡すが、家政婦は前年度の給料の1ヵ月分を支払うことになった。この家政婦さんの前年度の月々の基本給は4万5000円程度なので、第一審の時より支払い額は下がるという判決だ。
「この場合、第二審の結果が優先されるよね?」
「はい。第一審より第二審、第二審より第三審の結果が優先されますね。そもそも控訴した時点で前の判決を捨てている扱いになるため、後の結果しか残っていない状態になります」
「……これ、高等裁判所でも争われるの?」
「いえ、控訴する権利は訴える側と訴えられる側で1回ずつしかないため、第二審で判決がひっくり返った時にしか第三審に行きません。例外はいくつかありますが、この件に関しては控訴されないでしょう」
この後、高裁へ控訴されることは無いようなので、主人側が敗訴ということで良いのか?勝ち負けの線引きが曖昧な裁判だから、ちょっと悩む。結局、家政婦側は完全に過失の時の2倍の額のお金を払うことになったし。
簡裁や家裁での第一審と地裁での第二審で判決が違うことは多いようなので、裁判官の裁量が量刑に大きく関わるということだろう。というか裁判官の数が足りて無い気がする。合格率は3%とか昔の俺が勝手に決めた気がするけど、いつの間にか足切り点を突破した人間の中で上位3%というより厳しい試験になっているし、裁判の費用が安いから起訴が多い。
……元軍人で36歳から勉強を始めた愛華さんの父親は、たった2年の勉強でその合格率3%以下の試験に受かっている。そんな人が、実力主義の軍で出世競争に負けていたのか。