第95話 サトリ
彩花さんはイギリス人のクォーターのクォーターだ。母方の祖父の祖母がイギリス人だと言っていた気がする。そしてこの家には、彩花さんの母親とその父親である彩花さんの祖父が住んでいる。
……要するに、混血人として差別的な扱いを受けた彩花さんの祖父が居るということだ。
「私の名前は織田 賢士 グレイソンです。Graysonは祖母の家名でした」
自己紹介の時には少し身構えていたけど、彩花さんの祖父は気さくな人で68歳とは思えないほど若い。家名が織田なのは、婿入りしたからだろう。織田家の女性があてがわれる時点で、優秀な人であることは理解している。
「私の名前は豊森秀則です。あなたの孫娘である彩花さんを、貰いに来ました」
「あなたが今話題の秀則様でしたか!まさかとは思いましたが、秀則様ですか!」
俺が自己紹介をすると、ビックリしたような表情になり、笑い始めた。……賢士さんの娘も孫娘も、豊森家に嫁入りしたという形になるのか。家系図が凄まじいことになりそうだ。
「……あれ、今までと反応が違う」
「秀則さん、今までは風格がありましたけど、今は全く感じられないです」
「ああ、そういったものは船の中にまとめて置いて来たのかも知れない。せめて休暇中は休みたかったし、京都に戻るまでは森田秀則のままで過ごすよ」
彩花さんから風格が感じられないと言われたけど、今までは豊森性を名乗る段階で相手を威圧してきたのかも知れない。だけどこれから孫娘を貰おうと言うのに威圧してどうするんだ、という感じなので気持ちは楽にして、賢士さんと挨拶を交わす。ついでに職業:豊森秀則も休みたいのでそのことについても言及しておいた。
「ここら一帯の牧場は、全て賢士さんの所有地ですか?」
「ええ、そうです。凄いでしょ?」
家の周りの広い牧場は全て賢士さんの所有地で、元手は競馬で増やしたらしい。馬のレース前の様子と騎手の様子だけでレース展開を細部まで予測し、20頭全ての順位を当てることも珍しくないようだ。3連単は100発98中だと言っていた。
……本当に100回以上賭けて、人生で2回しか外して無いようなので、頭が良いとか運が良いとか、そういった次元の話で片付けられるものでは無い。そんな賢士さんの元に織田家のサトリという異名を持った女性が嫁ぎ、産まれたのが彩花さんのお母さんだ。
「あら。彩花、もう帰って……秀則様?」
そんな彩花さんのお母さんは、俺を見てすぐに豊森秀則だということを見抜いた。彩花さんとそっくりだけど、元軍人だし体格は良い方だと思う。彩花さんが歳を重ねたら、こんな風になるのだろう。
「私は豊森 彩由里です。秀則様、不甲斐ない娘ですが、どうかよろしくお願いします」
彩由里さんは、俺を見るなり豊森秀則だと断定して挨拶してきた。俺が彩花さんと一緒に来るという情報は急な予定なので伝わっていないはず。だけど彩由里さんはそういう知り得ないはずの情報を知ってしまう、分かってしまうような人間だそうだ。サトリ妖怪の正体は、こういう人のことなのかもしれない。
「お婆さんも、お母さんもサトリなら、彩花さんも察したり出来るの?」
「一応、近いことなら……あっ、本当に心を読むことは出来ませんよ?あくまで立ち振る舞いや周辺の状況、見た目からわかる性格などから察しているだけです。
あと、秀則さんの考えを読むことは不可能です。私が知らないことを考えられたら、当てることが出来ませんので」
人の心の中まで察することが出来るとか胡散臭いと思うけど、実際に凛香さんや愛華さんが適当に紙に書いた文字を彩花さんは言い当てることが出来た。そう言えば日中戦争の時、敵軍の夜襲を分単位で読み切ったとか報告にあったけど、やっぱり先を読む力が異常なのか。
「ハンバーグと2648円を言い当てるって凄いな」
「愛華さんは金額を書くと思いましたが、その額は読み辛かったです。いたずらに桁数を増やすほど負けず嫌いでは無いので、4桁のお金だとはすぐに思いましたが、その先は少し……」
凛香さんのハンバーグを当てることが出来るのはまだわかる。凛香さんの大好物だし、食べ物を書きそうな雰囲気はあった。しかし愛華さんの2648円、という意味の無いお金の金額をピタリと当てるのは人間を止めているだろう。
打ち合わせ済みではないようだし、試しに5桁を宣言して58231と適当に書くと今度は彩由里さんがピタリと当てた。彩花さんの家系の人が怖すぎる。
今日の夕食は彩花さんが無事に帰って来たことと妊娠のお祝いということで、賢士さんが大きなチーズを持って来た。どうやらチーズフォンデュを行うようで、茹でた野菜や牛肉、鶏肉、馬肉が用意された。チーズフォンデュ自体は戦国時代の時に俺が一度だけ祝いの席で実行しているので、今でもお祝いの時に食べられるそうだ。あの時はお金が吹き飛んだが、今はそこまで高額では無いとか。
……馬肉は塩を振って軽く焼いた後、チーズに潜らせて食べる。ある程度覚悟した上で聞いたが、やはり競走馬として生きていけないと判断された若い馬の肉だそうだ。走る事自体が嫌いな馬とか、脚部不安が続く馬とかの場合、少し肥えさせてから食肉用として屠殺するとのこと。
肥えさせようとすると、察したりする馬がいるから辛いと賢士さんは語っていた。察した上で太ろうとするような馬までいるらしく、そういう話を聞くと悲しい気分になる。改変前の世界でも、走れない馬や結果が出せない馬には殺処分が待っていた。
そして俺はこういった話で、悲しい気分にはなるが否定する気は無い。この日本では年間十数万頭もの馬が生まれては、その半数以上が競走馬となる前に、もしくは1回走っただけで屠殺されている。長ければ30年も生きる馬を、最期まで養っていたら破産は避けられないのだ。馬肉は美味しい上に、高値で売れる。もしもこの状況で屠殺を認めなかったら、牧場主の経済的な負担が酷いことになるな。
まあ、今の日本では誰も気にしていない問題なので命の恵みに感謝して食べよう。……馬を育てた本人である賢士さんが美味いなぁと言いながら食べる辺り、図太い人間が多いだけなのかもしれない。