第94話 釧路港
8月に入り、親衛隊の人間の半数が実家に帰ったり、遊びに行ったりしている。もちろん、彩花さんと同じように競馬やその他のギャンブルで一攫千金を夢見る人もいる。何回か勝つことが出来れば一生遊べるだけのお金が手に入るだろうし、夢見る若者は多い。どれぐらいの人が勝てるのかは分からないけど。
……単純に、賭け事でお金を賭けること自体が好きな人もいるのかな。隊長と副隊長以外の給料は、休日が多いからそこまで多く無いようだけど。
彩花さんも北海道の南東部にある釧路の牧場にいる祖父と母に会うため、休暇初日から汽車で青森まで直行する予定だった。その予定を変更してもらって、京都から釧路までは船で向かうことにする。丸2日かかったけど、船旅は好きだから問題無い。青森まで汽車で行っても、釧路まで結局は1日半ぐらいかかるし。
「えっと、仁美さんはついて来て大丈夫だったのかな」
「ついて来て欲しく無かったのですか?」
「そういった意味で言ったんじゃないよ。分かってるでしょ。
……何で笑ってるの」
「いえ、秀則さんが子供らしくて可愛いところ、初めて見れたので」
北海道に来て最初に思ったことは、夏なのに寒いということ。気温はたぶん20℃を超えていないだろう。釧路が特別寒いという訳じゃ無さそうだし、単に北海道は夏でも薄着だと肌寒い、ということだ。過ごしやすいし、夏場の長期休暇を過ごす避暑地として人気なのも頷ける。
7月30日の昼に京都を出て、釧路港に到着したのは8月1日の朝。そして長期休暇に入っても軍服を着て俺の近くにいる彩花さん。せっかくなので私服姿も見てみたかったけど、実家に着くまでは仕事モードかな。
船の中では、ひたすらに考え事をしていた気がするから時間が経つのが早い。
「子供……子供かぁ」
「……?
秀則様は51人もの子宝に恵まれていましたが、それでも感慨深いものなのですね」
「毎回、子供が出来たら嬉しかったよ。でも今回は何か違うんだ。上手く言語化出来ないけど」
「……もしも私が男の子を産めば、関係がややこしくなるからですか?」
「その点においては心配していないから大丈夫」
彩花さんが男の子を産んだ時に、彩花さん自身は主家筋では無いから跡継ぎ問題が勃発してしまう。だけど俺が生きている間は俺が当主を指名できそうだから、この件については何も問題視していない。
問題視したいのは、このあやふやで希薄な関係性だ。珠の時は10年も一緒にいて、珠側が積極的なアプローチをした上での恋愛結婚だ。側室となった女も、長い期間一緒にいて好きだという感情をぶつけられている。俺自身が一目惚れした女もいるけど、それでも結納までの間にお互いに好意があることを把握し、お互いに色んなことを知った後で結婚をしている。
今回は俺が崇め奉られている状態で、お互いにお互いの本質を知らないまま、流れで子供まで出来て結婚、という感じだ。崇拝されている状態で、きっかけが崇拝対象への奉仕なので、どう足掻いても健全な関係は望めない。とりあえず様付けを止めさせたいけど、命令で止めさせても本質的な関係性は何も変わらないから困る。
……そんなことを船の中で延々と考えた結果、もうあれこれ考えるのは止めよう、といういつもの結論に達した。既に長いこと生きているし、こういった人生とは何か、愛とは何か、みたいな議題でうだうだと考えても平々凡々な俺が良い結論を出した覚えが無い。
羽柴秀吉や佐々成政、前田利家などの旧来の友人や部下が続々と倒れて死んでいくのを見て、何も思わなかったわけじゃない。ただ、そのことについて考えることを止めただけだ。幸いなことに珠は長生きだったから死に別れはしなかったけど、死に別れたらその日は一日中大泣きして、翌日には深く考え込んで、その次の日には思考停止していつも通りの俺に戻っていただろう。
人生、楽しまないと損だ。俺があといつまで生きているのか分からないし、いつまで生き続けるのかも分からない。だから、その時になって後悔しないように生きたい。俺は常に、後悔のしない選択だけをしてきたつもりだしな。
というわけで朝からイカ焼きを頬張りながら下船を開始。仁美さんから子供っぽいと言われたけど、吹っ切れたついでに色々と重しまで外れてしまったらしい。まあ、いつまでもガキっぽいのは色々な人から言われたし、その記録も残っているから問題無いだろう。
もう少し、最初から俺が俺らしくしていれば仁美さんや愛華さんの態度の軟化は早かったのかもしれない。最初の頃は、ボロを出したら死ぬかもしれない、とすら思っていたからな。もうボロが出過ぎて取り繕えないと判断したし、これでもし反逆されたら俺の見る目が無かっただけだ。
とりあえず、これから仁美さんと彩花さんと凛香さんに関しては全面的に信頼することにする。愛華さんは、俺を除けばこの中で一番子供っぽいから危険でもあるんだけど、一番会話もしたし、信用することは出来る。他の豊森家の人間に関しては、後々信用していこう。
「今日から彩花さんの家の近くに泊まろうと思っていたけど、もしかしてアレ?」
「はい、そうですよ。周りには厩舎か社宅しかないので、家に秀則さんも泊まります?」
「うん、泊まることが出来そうなら彩花さんの実家に泊まることにするよ。
……彩花さん。様付け、止めてくれたのか」
「秀則さんが、そのことで悩んでいたように思えたので。
あ、あの、不束者ですがよろしくお願いします」
彩花さんの実家というか、祖父の家に向かうと非常に大きな建物で、周りには小さな民家や寮が点在しているだけだった。牛の牧畜や馬の世話をしているようで、彩花さんは10歳までこの家で過ごしていたとのこと。少し気になったので周りの建物について彩花さんに聞いてみると、チーズの加工所や牛乳の直売所もあった。
……やっぱり胸の大きさに牛乳は関係しているのではないかと、玄関で見事な正座をして迎え入れてくれた彩花さんを見て、そう思った。