第91話 初婚
チーズ作りやお酒造りについて話して話題を逸らしていたが、とうとう珠との馴れ初めや意識し始めた時期について聞かれたので、観念して珠との日常について話す。どうやら、仁美さんは恋バナを聞きたかったらしい。女性の恋愛談義好きって、いつの時代も変わらないのか。今まで聞かれなかったことの方が不思議だけど、今この機会が俺に聞くチャンスだと仁美さんは思ったのだろう。
「珠を拾った直後は、あまり信長も良い顔はしなかったな。牛の乳搾りとか、部屋の掃除とかの作業を任せ始めると何も言わなくなったけど」
「初めは、珠様が孤児達のまとめ役をしていたのですよね?」
「本当に初期の頃だけ、まとめ役をさせていたな。3歳から8歳ぐらいまでの子供しか居なかったから、一応珠が最年長者だった。一部の子供は、歳すらわからなかったけど」
孤児の育成は、最初はほとんど賛同者を得られなかった。しかし軽作業を任せながら勉強を教えていると、徐々に何をしようとしているのか理解する者も増えて、最終的には数多くの協力者を得ている。孤児や孤児じゃなくても寺に流れてしまうような子供に、子供でも出来る仕事と教育を与えて人材を育成したことは、将来の俺を凄く助ける結果となった。
初期の頃は珠に孤児達の世話係を押し付けていたが、料理を教える段階でまとめ役は珠から別の子に変えている。料理に関しては基礎的なことと共に、現代風の味付けを教え込んだけど、これは完全に俺のために行ったことだな。元々織田家にいる料理人はプライドが高くて面倒な人間も多かったので、現代風の味付けに関しては子供に一から教えた方が早いと判断したんだっけ。
……俺自身、料理はあまり得意じゃなかったけど。材料が分かっている料理の中で再現出来そうな物から順番に珠やその他の女の子に教え込んだ。戦国時代の料理は良く言えば素材の味を活かす、悪く言えば薄味だったから、無理に食べるより食事自体を我慢したことも多い。
「珠を異性として意識し始めたのは、向こうがそれらしい態度を取り始めてからだな。吊り橋効果のせいだと思って、遠回しにその事は伝えたけど、珠が諦めなかったというか……」
「吊り橋効果とは、何でしょうか?」
「あれ?伝わってないのか。吊り橋効果は恐怖や不安を感じている時に、助けて貰った人に対して恋愛的な感情を抱くことだよ」
料理や発酵について教えている内に、次第と珠との距離は近くなったけど、女性らしい身体つきになってからは一旦距離を置いた。そして1560年代に入って、完璧な大人の女性となった珠に結婚相手についての相談をしたら「秀則さんが良い……!」の一点張り。
俺が結婚相手について具体的な候補を挙げ始めた時には、泣きつかれてしまい、大きな体躯でしがみつかれたので大変だった。
「珠様の身長は大きかったと聞きますが、どの程度なのですか?」
「当時の17歳の時で、既に俺より大きかったよ。今の仁美さんぐらいの身長はあったんじゃない?」
「17歳で172センチですか。巨女と言われたのも納得できる背の高さですね」
「最終的には175センチぐらいまで伸びたよ。牛乳の効果が1番出たのは間違いなく珠だと思ってる」
……俺の思想に染まったせいで、他人との結婚の強制はし辛かった。この時期には頭角を現していた部下の秀吉が、寧々との恋愛結婚を決めたことも大きかったと思う。しばらくして、俺も潔く結婚することを決め、式までは誠実なお付き合いをしようと心に決めた。しかし、抱きつき魔だった珠と四六時中一緒にいたら我慢なんて出来なかった。
「それから秀則さんの子供が1560年代だけでも14人ほど生まれていますが、側室を迎え入れた時の珠さんの様子はどのような感じでしたか?」
「……珠は俺に執着していたというか、とにかく捨てられることに対して過度の恐怖があったんだと思う。だから表立って反対とかはしなかったし、側室の子とも上手くやってたよ」
とにかく抱き着く癖があったのは、捨てられたくないという想いがあったからだと思う。辛かったことしか無かったと言う幼い頃の記憶なんて早く忘れて欲しかったけど、それも珠を形成する一部なのだと感じた時からはより親密な関係になれたと思う。
……そこから徐々に母親と息子みたいな関係に変化していったのは俺が成長しなかったからだろう。最初は父親と娘だったのに、恋人同士となり、最終的には母親と息子みたいな関係になっているけど、それでも常に俺を支え続けてくれたことに変わりはない。
「最初は全てにおいて珠に依存されていたのに、いつからか俺が依存していた気がするよ」
「それは、理想的な関係なのではありませんか?私としてはもっと秀則さんに頼って欲しいです」
「これ以上、仁美さんに頼っていたら駄目人間になりそうだから遠慮…………もう少しくっついて寝る?」
「はい」
なんとなく、なんとなくだけど仁美さんに昔の珠が被って見えたのでいつも以上に仁美さんと近づいて寝る。俺の指示を待っていた時の珠の姿と、先程のおねだりするような目つきの仁美さんの姿は、よく似ていた。単に女性の懇願する時の表情が似ているだけだろうけど、それを無下にすることは出来なかった。
……8月手前の夜中でも暑い時期に、お互いの肌が触れ合うほどの至近距離で寝る事が出来るはずも無く、10分もすれば自然と離れた。既に何度も肌を重ねたにも関わらず、気温以外の要素で仁美さんの体温が上がっていたように感じたのは、きっと気のせいだろう。