火曜の夜
はじめてです…よろしくね?
きっとあの頃の私にとって、名前の知らないお兄さんと過ごしたあの場所が、時間が、誰にも引けを取らない青春だったのだと、そう思える。
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雨が降った後、溝に溜まった水を蹴り、私はさらに高く、高くとブランコを漕ぐ。
家を出てきた時に履いていたボロボロの運動靴は、泥水を啜り少し重くなっている。
重くなった足を大きく振ってさらに高く、高くと身体をあげる。
このまま天国まで届いてしまえばいい、なんて中三にもなってもそんな子供らしい事を考えながら、私はそのまま加速していく。
頰を温い風が撫でる。
ブランコの鎖がギシギシと軋む。
口の中で鉄の味がする。
濡れた長い髪の毛を伝い、雨水が流される。
あんな親じゃなければ、あんな学校じゃなければ、あんな男と付き合わなければ。
後悔はいくらでも出てくる。こんな事になるならと、何度も考えた。
ついに我慢できずに家を抜け出して、夜の公園で馬鹿みたいにブランコに乗っている。
そんな自分の姿を再確認して、自嘲気味に笑いが漏れてしまう。
もう別にいい、どうでもいい、そのままこの手を離してブランコから放り出されて車道まで転がっていけば…それで楽になれるかも。
そう思い、より一層地面を強く蹴り、足を溜めて大きく足を振る。
しっかりとした勢いをつけて、車道に飛び出せるように。
自分の死に、愉快にカウントダウンをする。
3、2、1…
「ねぇ君、何やっているんだい?」
[ガチャン!]
突然聞こえた声に驚き、鎖から離そうとした手に再度力を込めてしまった。
ブランコの勢いが少し弱まり、私は視線だけを声のした方へ向ける。
暗闇ではっきりとは見えないが、背丈と声の低さからして高校生くらいの男性がそこにいた。
いつからいたのか気づかなかった。
それほどまでに今の自分は周りが見えていないのだろう。
そんな自分にまた嫌気が指し、声をかけてきた男性に返す言葉に少し棘が入ってしまった。
「…ブランコ」
ぶっきらぼうに返した私の答えに、男性は少し驚いたような雰囲気を見せた。
そちらから聞いてきたのだから、そのような反応をしなくてもいいだろう、と心の中で愚痴をこぼす。
男性は驚いたと思ったら、何を思ったか次は大きな声で笑い出した。
私は笑い出した男性を少し君が悪いと思い、不快感をたっぷり込めながら次はこちらから話しかける。
「…何がおかしいの…」
「いやいや…ごめんごめん…ぷふっ…そりゃ確かにブランコだね」
男性は涙を拭うような仕草をしながら笑いを堪え切れないといった声でそう答える。
「じゃあ質問を改めるよ、君はなんでこんな時間にブランコに乗ってるのかな?」
私は一刻も早く男性にこの場から立ち去って欲しくなった。
男性の声はどこか優しさを含んでいて、今の自分に向けられたら色んな事を話してしまいそうになる。
「…どっかいって」
そう冷たく言い放つ。
部活でもそうだ。他の後輩達にどのように声をかければわからない。何を考えているかわからないと言われ、
『それなら近寄らないほうがいい』
なんて、冷たく言ってしまった。
その言葉に後輩達はもちろん、同学年のチームも私に非難の目をむけた。
もちろん自分が悪いのは分かっている。
謝ればいいという事も分かっている。
それでも、話し方が分からない、謝り方が分からない。
不器用すぎる自分を、許せなくなって、また息がつまる。
(あぁ畜生…)
こんな気分になるなんて…この男が私に話しかけたせいだ。
そう思う事にして八つ当たりに男を睨む。
男はそれに気づいていないのか、そのまま飄々としながらも優しさを含んだ口調で話しかけてきた。
「ねぇ君、お名前は?」
(新手のナンパ!?)
男が言った質問に心の中で全力でツッコム。
しかし、ナンパされる謂れも少しは察しがついた。
あぁ確かに暗闇ではあるが、私の今の格好を見れば見境のない理性のタガが外れた獣はヨダレを垂らして近寄ってくるだろう。
私自身、それなりに自分は可愛いと思ってるし、バドミントン部で鍛えた手足はスラリと伸びて、胸だって人並み以上はある。
そんな私が白いTシャツを着て、足が見えやすいバドミントンのパンツを履いて、雨に濡れて服が肌に張り付いている姿を見れば、健全な男子であれば二度見はするだろう。
「…ナンパ」
私は警戒を解かないまま、そう声に出した。
すると、男はそれを聞いて焦ったかのように弁解し始めた。
その様子を見てほんの少し毒気が抜ける。
そのまま私はポツリポツリと、言葉をこぼす。
「…ナンパじゃ…ない…?」
「も、もちろんだよ!?」
「いきなり…声かけて…?」
「それは…!ちょっと話してみたいなって思っただけで!他意はないよ?」
「…本当に…少しも…?」
「…ちょ…ちょっとだけ…面白そうな子だなぁとは…思いました」
「…やっぱり…ナンパ?」
「それは違うよ!?」
私がこぼしていく言葉に男は慌てながら、少し大袈裟に答えていく。
その反応が少し面白くて、そして、この男が思ったような獣じゃないという事がなんとなくわかってくる。
この男はきっと、いざとなったらヘタれるような男だ。
雰囲気でなんとなくわかる。残念男子だ。
私と男はそのまま30分程、そんな調子で会話をしていた。
公園の時計が9時半を指す。
周りの壊れた街灯がつくことはなく、いつの間にか晴れていた空から照らす満月が、ほんのりの私達の頰に光をともした。
「…もうそろそろ時間だね」
男は今まで話していた中で最も悲しそうな声を出した。かすかに見えた彼の顔は、鼻筋が高く、世間一般では美形と呼ばれるものだった。
しかし、その顔はとても寂しそうに歪んでいる。
その残念そうな声に私は胸がギュウッと締め付けられるような気がした。
「…そ、じゃあね」
私はそう言って、今まで止めていなかったブランコを止めた。
今この時間だけは、家にいるときよりも、学校にいる時よりも、体育館にいるよりも幸せに感じていた。
『ありがとう』
そう伝えたい。ほんの少しの勇気で言えるのに、不器用な私にはどうしてもその勇気が出せない。
何も出来ずに月に照らされる男の目を見つめる。
せめて、言葉に出さずとも伝わればいいのにと、また子供らしいことを考えて、心一杯の思いをもって見つめる。
何故こんなに気持ちが高ぶるのだろう。
何故彼から目を離したくないのだろう。
何故彼ともっと話していたいのだろう。
そんな疑問を全て飲み込んで、私は男から目を離した。
「日曜日」
これからこの場を去ろうとする私に、男はそう言って引き留めた。
「これから毎週、日曜の朝に僕はここにランニングに来ようと思う」
少しだけ鼓動が速くなる。
心のどこかが暴れ出したような感覚だ。
「また、会おう」
男の声が暖かい風乗って私の耳へ運ばれる。
心に一滴の水が落ちる音がした。
これが嬉しいという感情なのは知っていた。
期待を込めて後ろにもう一度顔を向けた。
しかし、男はもうそこにはいなかった。
それでも、もうそこには寂しさはなかった。何故なら…
「日曜日…」
今日が火曜日、後5日経てばまたあの男に会えるのだと分かっているから。
あぁ、そういえば…あの男の名前はなんだったのだろうか。
日曜日、まずはそれから聞いてみよう。
そう思い、私、美空 奏は大嫌いな家に帰った。
最後まで読んでくださりありがとうございます。