LGBTに生産性はあるけれど
某党の某議員の発言が炎上しているようです。
私のフォロワーさんの中でも何人か吹き上がっていらっしゃったので、これはどういう問題なのだろう、と自分なりに調べ、考えをまとめてみました。
今回の炎上で最も大きな問題だと思われるのは、『LGBTには生産性がない』という一文でしょう。また、これと絡めて、老人やら、障害者が殺された事件を引き合いに出す人もおられるようです。
私はむしろこちらのほうが問題であるように思われます。
生産性という言葉の定義にもよるかもしれませんが、LGBTの方はLGBTであることによって生産性、たとえば仕事や学業に関わる能力が阻害されているわけではありません。無論様々な問題はありますが、それは周囲の理解不足に起因するものであって、LGBTだから生産性が低いわけではない。特別な支援が必要なわけではなく、法整備と教育、啓蒙活動によって解決できる類のものです。この点、障害者と一緒くたに語るのは危険だと思われます。
心身に障害を持った方は障害によって特定の能力が阻害されているため、基本的人権に則って特別な支援が必要です。しかし、LGBTの方はLGBTであることによって能力に何らかの影響が及ぼされているわけではない。つまり生産性があるから、LGBTの方個人に税金を使った支援が必要かと問われると、そうではないと私は考えます。啓蒙活動には費用が必要だし、財源は当然税金になるでしょうけど、その程度なら許容されるのではないでしょうか。
で、もう一つの問題は結婚や出産に関わること、つまり同性愛カップルは子供を作らないという点だろうと思われます。
私個人としては、同性のカップルの結婚も認められるべきだと思っていますし、子供を持たないライフスタイルも認められるべきだと思います。かく言う私もいい年こいて独身でね。
ただし、それはそれとして、政治家には政治家としての観点もあるだろうと思うのです。
現代の日本人でまさか少子高齢化問題を知らない方はいないでしょうし、現状に問題意識を持たない政治家がいたとしたら、私はむしろそちらの見識を疑います。誰だって法に触れない範囲で好きな人生を歩む権利はある。けれども、国の維持、存続のためには、できれば子供を作って育ててほしい、というのが本音でしょうし、そういうメッセージを発してもいます。
しかしながら、現に子育て世代への予算も理解も足りません。限られた財源の中で(いや、もしかしたら安倍首相は本気で財源は無限にあると思ってるかもしれませんが)どこに優先的に予算を振り分けるべきかと考えれば、子供を作る機会と可能性のあるカップルを選ぶのは当然の判断だと思います。
で、この文脈において、同様に子供を作れない老人はどうなのか、と引き合いに出す方もいるようですが、社会保障制度が崩壊したら真っ先に見捨てられるのは老人でしょう。つーか、若者がもっと選挙に行くようになれば、そのタイミングはさらに早くなるかもしれないんですけどね。
LGBTのカップルでも養子をとることができる、と言う方がいらっしゃいます。それはもちろんその通りですが、子供というのは道端からポンポン生えてくるものではありません。海外の恵まれない子供を連れてくれば、それはいずれ移民問題に発展する可能性もあり、より巨視的な観点からの議論が必要です。
LGBTには権利も生産性もある。しかし、それを国がどの程度支えていくかという問題については、LGBTだけではなく広い視野でデリケートな議論を重ねる必要がある。
本エッセイの結論はこんな感じでまとめさせて頂きたいと思います。