第六章 ~判明~
第6章
翌月曜日から、アルマエロ達と田中姉妹は芦屋家でミーティングを開く事となった。一応の中立地帯として両者が合意したのである。アルマエロ達にとってはクロイスパイアヌⅠー0008の修理を行う上で好都合なため、宿泊する事となった。それを一番喜んだのはプリヌフであったが。
「一日中、ここで食事が出来る!」
「昼は誰も居ないから、勝手にやってくれ」
幸せそうな彼女に、失笑しながら注意する堅吾であった。
堅一郎の用意した修理用施設とは、未来マテリアル研究所敷地内に新設された宇宙開発関連の実験棟であった。建物があるばかりで未だ何らの機材、設備も搬入されておらずがらんどうであり、機甲騎士1機を収容するには充分な広さがあった。その機甲騎士の搬入作業は、夜間に実施された。ペスロ・アクタリスヌ・カッソスー0028貨物室上部シャッターを開放し(遮蔽場により水が流れ込む事はない)、ペスロ・ゾルキスヌ・アグミナー0014の艦外アームでトレーラごと引き上げた。輸送艦としては小型に分類されるそれは、そのまま吊り下げ光学迷彩状態で未来マテリアル研究所に運び込んだ。自走能力を持つトレーラごと建物内に収容された後、機甲騎士クロイスパイアヌⅠー0008は、恐らく17年振りに立ち上がったのであった。
「うわー、お台場を思い出すなぁ!」
かつて見に行った実物大ロボットを脳裏に甦らせつつ、梅木は見上げた。
「実は、これにあれを搭載出来ないか、と思ってね」
「あれを、ですか?大丈夫ですかねぇ?」
話し合っている2人へ、白衣を着た長身の女性が近付いてきた。首からはゲストの入門証を下げている。アルマエロであった。
「堅一郎さん、明日からで良いですか?」
「ああ、アニーさん。こちらは梅木君。梅木君、こちらはアニーさんだ」
堅一郎が互いを紹介すると、アルマエロは静かにお辞儀をした。彼女達の立場上、本名を使用する事は避けようという事になっていた。
「あ、ああ、どうも…」
10センチ以上身長が低く小太りの梅木は、スラリとしてグラマラスな外国人と思しき金髪女性を前に、しどろもどろとなった。
「ところで、修理は…」
「ああ、はい。明日からお願いします」
「判りました。それでは」
小さくお辞儀をし、踵を返すと去ってゆくアルマエロ。
「あのう、どういう立場の方ですか?日本語もお上手でしたし」
「妻の知人でね。これの開発チームの一員として来日した」
「そうですか…これを、修理するんですか?」
背後の機甲騎士を指さす。どうやら新型演算素子を使用した新規プロジェクトの開発用機材と考えていた様であった。
「防衛省からの極秘の依頼でね。アメリカで開発途中の物を、まぁ日米共同開発の予算獲得のため日本で密かにデモンストレーションをやったらしいが、まぁ、何せ開発途中だからね、制御系がおシャカだそうだよ」
「なるほど…それで、うちに極秘で修理依頼が…」
「ああ。あちらさんとしては、こちらに出来るだけ負担して欲しいだろうしねぇ、次こそデモを成功させないと」
楽しげに頷く梅木。全くの口から出任せを簡単に信じる。それも無理からぬところではあった。扶桑電気は殆ど知られていないが、軍需向けのアビオニクス機器を防衛省に納入していたのであったから。
「本社デモ用のをこちらに転用して構わないそうだから。基板の改造やアダプタの製作等は必要になるだろうけれど、宜しく頼むよ」
1つ肩を叩く。
「実装はあちらのチームが?」
「ああ。私も立ち会うがね。あと、当然判っているだろうけれど、この事は絶対他言無用に願うよ。余計な詮索も無しでね」
「承知してます!」
「頼むよ。『あれ以来、2人の姿を目撃した者は無かった』なんていうのはご免だからね」
2、3度肩をどやしつける。梅木の笑顔は引きつり、額にねっとり脂汗が吹き出した。
「はぁ…」
「ははははは!」
豪快な笑い声を残し、堅一郎はオフィスへ引き上げていったのであった。
翌日から、アルマエロは研究所に出勤し(短期間なのでゲスト扱いである)、プリヌフは連絡係として芦屋家の自宅警備員となった。アルマエロが帰宅した7時過ぎ(彼女は堅一郎から遅くなる旨の伝言を頼まれていた)、既に来ていた田中姉妹も含め、5人でミーティングを兼ねた夕食は始まった。
「派遣艦隊の戦力が問題だわ」
上手に箸を使い、スーパーで購入した唐揚げを摘む花子。
「…最大で機甲騎士1大隊36機、歩兵大隊600名、自動砲台多数、誘導弾多数、対空火砲多数。これが強襲揚陸艦。重巡洋艦の方は大口径電磁加速砲1門、単装電磁集束砲塔4基、誘導弾多数、対空火砲多数、外に自動砲台など搭載可能」
マカロニサラダをスプーンで掬い、口に運ぶ芳子。今日はカレーである。レトルトでなく、市販のルーで堅吾が作った。口に合うかを考慮し、甘口にした。
「恐らく、最大という事はない。機甲騎士もせいぜい1中隊程度」
堅吾のする様にスプーン上のライスを短くカレーに浸し、アルマエロが指摘した。
「なぜそう言える?」
スプーンから箸に持ち替え、唐揚げに手を伸ばす芳子。
「帝国防衛軍だから。恐らく、艦隊派遣は執政からの正式なものではない。点数稼ぎを狙った管区司令官当りの独断」
「その根拠は?」
「あのー、お代わりを」
芳子の声に被る様に、静かであったプリヌフが口を開いたかと思えば。
「プル…」
呆れた様子のアルマエロと、今にも吹き出さんばかりの堅吾。
「親父の分も残しとかないとな」
渡された皿にライスとカレールーを盛り付けながら、優しく注意する。
「すいません…」
恥ずかしげに皿を受け取るプリヌフであった。
「…根拠は?」
気を取り直し、芳子が再び問う。
「執政は帝国防衛軍を信頼していない。軍内には皇太子を慕っていた者が今も大勢いるから。もし私達の確保に向かわせるなら、近衛軍か、あるいは私兵団の筈」
「小戦力という根拠は?」
「それも、今説明された通り、執政が帝国防衛軍を信頼していないから。大きな戦力を動かせば、造反の疑いをかけられかねないので。臨時の警戒出動程度の戦力に抑える必要があると」
名誉挽回とばかりにプリヌフが説明を引き継いだ。
「それなら、こちらにも勝機はありそうですね」
言って花子はマグカップの牛乳を飲み干した。
「まだ要るか?」
「お願いします」
堅吾は冷蔵庫に牛乳パックを取りに立ち上がった。
その夜、堅吾は馴染みの夢を見た。この数週間、忘れてしまいそうな程ご無沙汰であった夢を。母親の上に馬乗りとなった殺人犯は、以前にも増して闇が深くなった様であった。
『忘れるな』
それは囁く。
『お前の罪を、忘れるな。この闇を払えぬ、お前の罪を』
それは、ぐったりとなった母親の首から右手を離し、彼の方へと…。
「うあぁぁ!」
跳ね起き、額一杯の脂汗を拭うと扉を叩く音。
「どうした、堅吾。何かあった?」
アルマエロの落ち着いた声。起きていたのか、起こしてしまったのか。サイドテーブル上の目覚まし時計は6時少し前を指していた。
「何でもない、大丈夫だ。起こしたなら、済まなかった」
「こちらは問題ない。何か怖い体験でもした?」
「いや…いつもの、夢を見ただけだ」
「夢?どの様な夢?知りたい」
「本当に大丈夫だ、気にするな!」
少し語気を強めると。
「そう…」
寂しげな響きの籠る声。立ち去る気配はない。
「あー、もう!」
根負けし、頭を掻きつつ立ち上がると扉へ向かう。鍵を外すなり、アルマエロは押し入ってきた。
「どの様な夢?もしかして、お母さんに関するもの?」
「…ああ。母さんが、殺される夢だ」
力なくベッドに腰掛ける。
「犯人を見た?」
「見た。見た…筈なんだ。どうしても、思い出せない。闇の中に沈んで、どうしても」
両手で頭を抱える。それこそが、彼の最大の罪なのだと、闇の言葉が甦る。
「思い出せない…ならば」
アルマエロは、堅吾の前で中腰になり顔を覗き込んだ。
「想起装置を、使ってみる?」
「想起装置?田中姉妹の持ってきた奴か?でも、あれは危険だって」
「使い方を誤れば、そう。でも、同じ夢を何度も見るのなら」
「使えるのか?」
1つ頷くアルマエロ。
「装置はどこ?」
「親父が保管してる。朝食の時に訊いてみるか」
堅吾の表情が心持ち明るくなった。
「あれを使うのですか?」
鼻白んだ様に堅一郎が訊ね返した。アルマエロは1つ頷き。
「はい。今夜、使い方を教えるので、取ってきて欲しい」
「判りました。持ってきましょう」
ダイニングを足早に出て行く。少しの間ののち戻ってきた彼の手には、アタッシュケースがあった。手渡されたアルマエロが開けて中を確認すると、頷き再び閉める。
「では、今夜」
アタッシュケースを床に置く。そして朝食は開始された。
夜、風呂から上がり、体の火照りが引くのを待っていると、堅一郎とアルマエロが帰宅した音がした。時計は10時を回っていた。
「今日は遅かったな」
パジャマを着、部屋を出るのと、アルマエロが2階に上がってきたのとはほぼ同時であった。
「お疲れ様。随分遅かったな」
アルマエロは意外にも、と言うべきか、上機嫌な様子であった。
「問題はない。あと数日は遅くなる。この世界の技術は素晴らしい」
「技術?だったら、あんた達の方が遙かに進んでるだろ?」
「確かに。しかし、ここには私達が歴史の中に置き忘れてきた技術がある。貴方のお父さん達は、それを非常に高い水準まで高めた」
「?修理に使える物があったのか?」
「あった!貴方達の技術は、確かに大きな欠点はあるが、同時に大きな利点も持つ」
「それは?」
「欠点は、制御機構の処理能力が低い事。利点は、電力と発熱が低い事」
「…要するに、うちらの演算器はトロいけど、消費電力と発熱量が少ない、って事か?」
「そう!私達は、処理能力のために、消費電力と発熱量に目を瞑った。演算器自体の消費電力と、冷却装置のためのそれとで、機甲騎士の動力源は余裕が少ない。クロイスパイアヌⅠは特にそう。高速機動のため高性能な物を求めた結果、他の機体より稼働時間が短くなった。載せられる兵器にも制限があった。貴方も見た、電磁集束砲も、本来なら載せられない筈だった」
「本来なら、って事は?」
「そう!貴方達の物を使えば、出来る余裕で使える様になる!」
「そうか…それは、良かったな」
今にも踊り出さんばかりのアルマエロの様子に、堅吾は微かな胸の痛みを覚えた。彼女は今、自分が操縦する機甲騎士の修理に心血を注いでいる。それは何より彼女達自身の為であろう。そもそも異星人の艦隊が地球に接近中であるのは、彼女達の責任である。地球が戦場となり、何も知らぬ人々が犠牲となれば、地球人類の怨嗟の炎は彼女達を焼き尽くす事となろう。しかし。原因がどうであれ、そういう現状であるならば、彼女達には派遣艦隊を撃破、ないしは撃退して貰わねばならない。恐らくは、地球の軍事力による抵抗は殆ど効果が無いか、あるいは破滅的な損害を自らにもたらすであろうから。話を聞く限り、敵の増援は無いと見て良さそうであるし。さて、その為に父親は助力を惜しむつもりはない様である。では、自分はどうか?現状は、ただの傍観者に過ぎない。それで良いのであろうか?
「堅吾?」
不意に、アルマエロの呼び掛け声に気付いた。
「…何?」
「どうかした?何か、悪い事を言った?」
知らぬ間に難しげな表情でもしていたのであろう。息が掛かる程の近さから心配げに顔を覗き込んでくるアルマエロに、思わず赤面しつつ堅吾は後ずさった。
「いや、そんな事はない!疲れているとこ悪かった!」
早口に捲し立て、部屋に引っ込んだ。後ろ手に扉を閉める。
「…堅吾、後で想起装置の使い方を教える」
扉の向こうから、アルマエロの声。
「ああ、判った!」
早口で答え、その場にへたり込んだ。
入浴を終えたアルマエロが想起装置を携え堅吾の部屋にやって来たのは、11時少し過ぎであった。美真名の使用していたパジャマ姿であった。サイズが合っていないのか、特に胸の辺りがきつそうである。
「この装置は、このままでは最近の記憶から、順番に遡って、次々と頭の中に再現させる。思い出したいのは昔の記憶。同じ夢を見るなら、鍵を用意すればいい」
「鍵?」
ベッドの上に腰掛け、その横に置かれた装置を突きながら堅吾が訊ねる。椅子に腰掛けたアルマエロは、それを取り上げ堅吾の頭にセットした。
「夢に出てくる物をこれに記憶し、それを鍵として夢を見た時自動的に記憶を探る。ただし、古い記憶は変化しているかも知れない」
言いつつスイッチを入れる。
「さぁ、夢に出てくる物を」
指示に従いまず堅吾が思い浮かべたのは、リビングの様子であった。半開きの扉の向こうに見える風景を。
「はい、1つ目。もう1つ」
外部モニタで記憶を映像として見ていたアルマエロが指示する。次は、母親の顔。写真等も極力目にしない様にしてきたため朧げではあるが、笑顔を思い浮かべられた。
「はい。これでいい」
スイッチを切り、外す。眉根を右手で揉む堅吾。
「これから毎日、寝る時にこれを着けて」
「こんな物着けて、寝られるかな」
訝る堅吾であったが、心配は全く無用であった。
「やぁ、ご苦労様。今週中には載せられそうかな?」
ディスプレイに向かい作業を行っていた梅木に、堅一郎が声を掛けた。
「そうですねぇ…休出、なさるんですか?」
「急ぎの仕事だからね。これが終われば、一応君の仕事は一段落だ」
「すいません。明日中には」
「そうか。ところで、終電は大丈夫かい?」
ディスプレイ上の時計を見た梅木は、顔を顰めた。
「あぁ、出ちゃった。10時18分が最後だったのに」
「なかなか花金は楽しめそうにない終電だね」
「そうなんですよね、接続が悪くて」
苦笑する梅木。
「だったら、今日はウチに泊まるかね?宿泊届は出していないんだろ?」
宿泊届は午後10時までに、上司の印鑑を貰い警備担当者に提出しなければならないのであった。
「え、リーダーのお宅に?」
梅木が少し困った様な顔をする。
「タクシー代も馬鹿にならないだろう?久し振りに堅吾も喜ぶだろうしね」
「そう、ですねぇ…」
目を伏せがちに、ぼそぼそと答えた。
時計の針は11時近くを指していた。堅吾とプリヌフはリビングでDVD鑑賞をしていた。夜のトレーニングを終えて(新メニュー込みで)風呂を済まし、眠ろうと思っていた堅吾の部屋に、プリヌフがやって来たのは10時頃であった。彼女は語学習熟の為と称してテレビを見ていたが、ふとラックに置かれたHDDレコーダとDVDパッケージが気になったので操作方法を教えて欲しい、と言ってきたのであった。どうせならと、一足早く帰宅したアルマエロも誘ったが、疲れているからと断られ、2人でリビングに向かった。ラックからリモコンを取り出すと一通り操作方法を教え、実際に1本鑑賞する事になったのであった。
42型液晶ディスプレイを、左手前から巨大な宇宙船が横切ってゆく。往年の名作SF映画である。
「凄い!この様な物を就役させていたとは!」
いや、あんたらの方がよっぽど凄いだろう、と思いながら、堅吾が突っ込む。
「いや、だからこれはあくまで空想だ。この話の時代設定からもう10年以上経つが、未だ計画さえ無い」
「そうなのか?しかし、これはどこへ向かっているのだ?空間跳躍は使わないのか?」
「いや、この船にそんな現実味のない機能は付いてない。まぁ、あんたらにとってはある方が現実か。でも向かっているのはこの太陽系の一惑星だからな」
「そうか」
「…あんたをキューブリックやクラークが見たら、どう思うんだろうな」
ぽつり、呟く。この作品の中では、神を一段高いステージに進化した異星人として描いている(実際に出ては来ないが)。隣の、地球人と殆ど変わらない異星人には、テレビシリーズから始まった長いシリーズ物の方が良かったであろうか?
「ほう、なかなか優秀な対話機能ではないか?」
「それも俳優が、人間が話しているだけだ」
「そうか…」
「あんた達の世界には、こういう空想ものの娯楽映像は無いのか?」
「ふむ…娯楽映像と言っても、実際の戦闘記録を編集した戦記物や、母星時代の伝記、伝承等を元にした歴史物が殆どだからな。クロイスパイアヌⅧ(はっせい)の大遠征などは何度も映像化された」
「そうか…クロイスパイアヌ?それ、機甲騎士の名前か?」
「?ああ、そうか。いや、そちらは帝国の歴代皇帝から取った名だ。皇太子が新たに付けた。クロイスパイアヌに限らず、皇帝の名は全て、母星にあった王国の、王の名から取っている。私達こそその王国の、いや、母星の正統なる後継者という意味で。だから、私達の暦を正統歴と呼ぶ」
得意げに説明するプリヌフの声に被さる様に、玄関扉の開く音がした。
「お、帰ってきたか」
堅吾は立ち上がった。リビングから顔を出したところで、父親の後ろの、見た記憶のある顔に気付く。
「お帰り…」
「何だ、未だ起きてたか…ああ、こちら梅木君だ。覚えてないかな?」
訝しげな表情をしている息子に、10年以上前に会ったのが最後であった事を思い出し、梅木を紹介する。
「あ、お邪魔します!」
顔を伏せる様にお辞儀をする梅木。
「どうも…」
堅吾も、おざなりなお辞儀を返す。
「終電が無くなってね、今夜ウチで泊まる事になった」
「そうですか…部屋は?」
「ああ、リビングでもどこでも結構です!シャワーさえ貸して頂ければ!」
手にしたコンビニ袋を顔の前に掲げる。中には替えの下着類のパッケージが、透けて見えていた。
「そうですか。毛布を使いますか?」
「お願いします!」
素早くお辞儀をすると、顔を背ける様にそそくさと堅吾の前を通り過ぎ、脱衣場の中へ消えてゆく。
「随分慌ててるな」
「明日も仕事だからな。早く休みたいんだろう」
父親は足早に書斎の中へ。堅吾はリビングへ引っ込んだ。
「という訳だ。この続きはまたな」
リモコンを操作し、DVDを取り出すと電源を切る。トレイは自動的に収納された。
「そうだな」
プリヌフも立ち上がる。リビングを出ると、2階へ上がっていった。
「俺も毛布を取ってくるか」
ディスクをパッケージに収めラックに戻すと、電気はそのままに1階の父親の寝室へ向かったのであった。
その夜、堅吾はまたあの夢を見たのであった。階下で物音がし、のろのろ、ゆらゆらと階段を下りてゆく。廊下を見渡し、リビングから物音がするのを確認し、半ば開いた扉へとのろのろ、よたよたと近付いてゆく。扉の枠の陰から、そっと室内を覗くと…
「逃げて…堅ちゃ」
首を絞められつつ、掠れた声で母親が逃亡を促す。双眸に涙を溜めつつ。首からは奇妙なペンダントが床に垂れ下がっている。首から腕を辿り、視線が上がってゆく。全てがもどかしい程緩慢な動き。その行き着く先はいつもの暗闇、ではなかった。背広を着、ネクタイを締め、歪んだ笑顔を満面に張り付かせているその人物は。
「梅木、さん?」
夢の中の呟き。肌つやなど少し若い梅木が、母親を殺そうとしていた。不快感を催させる笑顔を張り付かせたまま、梅木はこちらへ顔を向けた。長い、満足げな溜息をつき、母親を絞め殺した右手を、堅吾の方へと伸ばしてき…
「うわっ!」
目覚めても、彼は未だ夢の中にいた。彼の開かれた双眸の前では、今見た夢が再生されていたのであった。想起装置を装着していた事に気付き、外すと横へ置く。荒い呼吸を調え、高鳴る鼓動の納まるのを待つ。目覚まし時計を見ると、6時少し過ぎであった。
「どうしたの、夢を見た?」
扉の向こうから、アルマエロが声を掛けてくる。
「ああ…」
ベッドから立ち扉を開ける。
「…どうしたの、どこか痛い?」
「え?」
知らぬ間に、彼は涙を流していた。気付いて右腕で拭うが、頬が乾く事は無かった。
「何で、みっともない…」
目頭を押さえる堅吾。と、不意に、アルマエロが両腕を彼の頭に回し、胸に掻き抱いた。
「もう、我慢しなくて良い」
その暖かさ、柔らかさ。碌に覚えている筈のない母親の腕の中を思い出した気がして、声を上げて堅吾は泣きじゃくったのであった。
時は堅吾が夢の中である頃まで遡る。リビングの扉を開け姿を現した梅木は、身なりを調え鞄を手にしていた。テーブルの上には、置き手紙を残しておいた。泊めてくれた事へのお礼、一旦帰宅する事、起こさないよう挨拶無く出て行く非礼を詫びる言葉等が認めてあった。廊下を見渡し、するりと出ると足音を立てないよう玄関へと歩き出す。その直後であった。背後で扉の開く音が聞こえたのは。
「ああ、梅木君。もう帰るのかい?」
ギクリとした後、慌てて踵を返す。
「ああ、リーダー、お早いですね」
「いや、トイレに行くだけだが。君こそ早いね。朝食を食べて行けば良いのに」
「いやいや。一度家に帰りたいので。また会社でお会いしましょう。昨晩は、本当にお世話になりました」
幾度となく頭を下げる。
「いやいや。じゃあ、また」
右腕を上げトイレへ向かう堅一郎。それを見送った後、最後に1つお辞儀をして梅木は玄関へと向かったのであった。
「あの梅木さんが、殺人犯?」
想起装置から記憶された映像を呼び出し見た後、アルマエロは不思議そうに呟いた。
「夢の中では。最近会ったばかりだから出てきたのかも」
「10年前の記憶から探し出した筈。記憶の中の梅木さんは、少し若い」
「…そうだな」
暗い表情で堅吾は言った。もし、母親を殺害したのが彼とすれば、彼はその前も、そして最近も、女性を何人も手にかけている事になる。自分の知人が猟奇殺人犯かも知れないというこの可能性は、彼の気を重くさせずにはおかなかった。
「これをどうすればいい?」
想起装置を眺めながら、訊ねるアルマエロ。
「…これだけじゃ、梅木さんが犯人て証拠にはならないな。とりあえず、親父に相談する」
立ち上がり、パジャマを脱ぎ始める。細身ながら逞しくしなやかな上半身が露わとなった。
「…」
「…あー、すまない。部屋に戻っててくれ」
部屋着へ着替える様を凝視しているアルマエロに気付き、少し恥ずかしげに堅吾は言った。
「判った…」
少し残念そうに、アルマエロは部屋を出て行ったのであった。
朝食の前に、堅一郎に想起装置の映像を見て貰った。ゆっくりと装置を外し深く溜息をつく堅一郎。
「堅は、こんな夢に苦しめられていたのか…信じられない、と言いたいところだが…」
想起装置をテーブルに置く。
「もちろん、これだけじゃ証拠にはならないだろうけど」
「いや、1つのきっかけにはなる。友人の警察関係者に調べて貰おう。それで可能性が高ければ、本格的な捜査に入ってくれるだろう」
「そうか…カラ振りだったらご免」
「そんな事を気にするな。少しは気が楽になったか?」
「ああ…」
少し不安げに頷く。
「そうか。じゃあ、食事にしよう」
こうして静かに朝食は始まったのであった。
[射線がずれている!姿勢を安定させて!]
操縦席に芳子の声がスピーカー経由で飛ぶ。機甲騎士の格納庫で、田中姉妹はシミュレータによる戦闘訓練中であった。2台の操縦席は有線で接続されていた。
<このっ!このっ!>
ハッチ内側全体に表示される帝国の量産型機甲騎士相手に、サブマシンガンで射撃を行っている花子は、しかし満足に命中させられずにいた。2人が使用するアエッナラ・シーリンー00011と00012は、25ミリ口径と37ミリ口径のサブマシンガン、ライフルを標準装備する。武装は通常時両肩から伸びた支持部に設置されたマウントに固定されており、使用時には90度回転しストックが前方に突き出される仕組みとなっている。液体火薬と弾体を分離して格納し、過剰充填(通常の2倍、3倍の火薬量で発射する事)が容易である。つまり簡単に弾体の貫通力、威力を高められるのである。液体火薬は拳銃の様な小火器にも一般的に使用されている。
[噴射口の制御が雑!もっと集中して!]
<してる、つもりだけれど…>
彼女達の機甲騎士には、両脇及び腰部前後に推進機の偏向噴射口が設定されている。クロイスパイアヌⅠほどの機動力と高速性は無いのであるが、安定性と操縦性は上の筈であった。あったが…
[推力の調整にムラがある。だから機体がブレる]
少しきつすぎたと思ったか、少し口調を和らげる芳子。機体を少し回転させれば、その機体が7機目を撃墜したところであった。芳子を表示したウィンドウの中のカウンタが、カウントアップされる。自分を示すウィンドウの中のカウントは未だ”1”である。
[…模擬戦闘初期目標達成。終了]
呆れた様に芳子が宣言すると、映像は消えた。溜息を1つつき、花子はハッチを開放した。気怠げに出ると、外では芳子が両腕を組み渋い表情で操縦席に寄り掛かっていた。
<…どうするの?敵の挙動を単純にしていてこれでは、実際の1コ小隊も相手に出来ないかも>
<…ご免なさい>
<謝らなくて良い。何にもならない>
<ご免なさい>
<…もういい>
辛そうに謝る花子に、深い溜息を1つ残し芳子は格納庫を出て行った。すまなそうにそれを見送ると、傍らの機甲騎士を見上げる。トレーラに横たわる機体は、つい最近整備を済ませたばかりである。機甲騎士は艦体の左右に分割された格納庫に収容されている。艦中央は核融合炉や推進機等の機関部が集中している。つまり、ここを破壊されれば一巻の終わり、という事であった。
<…どうしろって、言うの?>
深い溜息と共に、愚痴を吐き出す。それもやむを得まい。彼女は正式な操士ではないのであるから。この任務に抜擢されるや基礎戦闘訓練までを受けただけで放り出されたのである。そこで正式な二等操士である芳子に特訓を付き合って貰ったのであるが、あの体たらくであった。俯き加減に、格納庫の片隅に設置された簡易シャワールーム(被災地等で使用される物)へ足を向けた。それは日本に来てから導入されたのであるが、花子以外は使用しない(芳子は備え付けの洗浄室を使用する。帝国の物と異なり、人体に無害な洗浄液を霧状にして拭きかけ、後で拭き取る)。せっかく水がふんだんに利用出来る環境に居るのだからと、花子が導入を決めた(水の調達、浄化に要する労力は苦にならない)。
簡易シャワールームの前で服を脱ぐ。とはいえ彼女が身につけているのはアルマエロ達と同様、ライダースーツの様な防護服である(バイクに乗る時等にも使用している)。首の細い金属環に触れると、それは2つに分れた。ゴムの膜が縮んでゆく様に彼女の肉体から剥がれ、足下で正方形のマット状になる。着用時は逆に金属環を両手で持ち上げる。全裸の彼女はそれの上から退くと巻物の様に丸め、傍らに立て掛けた。中に入り、シャワーを頭から浴びた。彼女は自分の逆境を嘆くよりも、自分の不甲斐なさを嘆き、腹を立てていた。境遇に関して言えば、彼女にとって最悪とは言えなかった。本来ならば、ここに居る事さえ無かったであろうから。
<頑張らないと>
水音のなか、消え入りそうな声で呟く。戦い生き残る為には、より一層切磋琢磨しなければならないのであった。
月曜日の早朝、いつもの起床時刻より前に堅吾は父親に起こされた。アルマエロ達も同様であった。一同はダイニングのテーブルに落ち着いた。
「実は、ついさっき友人から連絡がありまして。メールで梅木君に関する調査結果を送ったと」
「もう調べたのか?」
驚いて堅吾が聞き返した。
「日本の警察は結構優秀だよ。まぁ、それはともかく。どうやら成果はあった様ですね」
印刷したメールの内容を咀嚼しながら、堅一郎は話し始めた。
「一連の婦女暴行殺人事件は、判明しているだけで12年間にわたり16名の犠牲者を出しています。犯人は、何ヶ月か集中的に犯行を起こした後何年か沈黙する、という事を繰り返しているそうで。一番長い間隔が、4年ほど前、より正確に言えば3年半余り前からつい最近の所沢の事件、という事になりますか」
一旦言葉を切り、牛乳で喉を潤す。
「さて、16件の犯行現場、犯行日時と彼の行動を照合してみると、古いものについては防犯カメラ等の映像も残っていないので何とも言えませんが、11件については関連性のありそうな物が残っていました。乗用車で犯行現場方面を行き来しているのを確認出来るのが7件。うち1件では制限速度違反で切符を切られています。これ以降、1年ほど犯行は止んでいます。更に2件、犯行現場付近で駐車違反の切符を切られ、やはりその直後から1年程度犯行は止んでいます。犯行日時近くに犯行現場付近の防犯カメラに写っていたのが11件。まぁ、これらには先程の7件と同じ事件のものが含まれますが。あと事件があった頃住んでいた場所が半径10キロ以内なのが5件。所沢の一件も、これに含まれるでしょうね」
「そこまで、符合してるのか…」
「もちろん、これだけでは証拠として不十分でしょう。もっと決定的な物証がないと」
ダイニングは静まりかえった。僅かな間ののち、何かを思い出した様に、アルマエロが口を開く。
「ミマナが身につけていた認識票は、どうしましたか?」
その言葉に、堅吾も夢の映像を思い出す。
「そうだ。あれどうしたんだ?母さんのペンダント、どこかに片付けた?」
「ああ…!そうか!」
堅一郎の表情が明るくなる。
「実は、あれは私が帰宅した時には無くなっていました!恐らく犯人が持ち去ったのでしょう!あれが彼の身辺から見つかれば犯人確定です!」
「でも、どうやって見つける?家宅捜索でもして貰わないと」
「もっと簡単な方法がある」
プリヌフが言った。
「位置確認応答信号を受信出来ればよい」
アルマエロが続けた。
「どういう事だ?」
「敵地に残された味方を救出する場合、救出部隊は位置確認信号を送信する。すると、認識票は自動的に応答を返す。それを追えば、認識票のありかに辿り着ける」
「あんな小さいのに、そんな機能が…」
堅吾は心底感心した。
「なるほど。では、それを利用しましょう。後の事は、私に任せて下さい」
堅一郎は歯を見せて笑顔を作ったのであった。
手早く朝食を済ませ、7時少し前に堅一郎、堅吾、アルマエロの3人はとある一軒家の前に立っていた。築30年以上は経っているであろう、小さな木造の2階建てである。表札には梅木、とある。連絡艇で何度か位置確認信号を発信し、その応答信号を追跡してみれば、やはりそこに辿り着いたのであった。
「予想通り、か」
堅吾が小さく呟くうちに、堅一郎は中へ声を掛けていた。
「梅木くーん、居るかねー?ちょっと急用があるんだがー」
程なくして、玄関の引き戸が開けられ、梅木が顔を出した。
「リーダー、どうしたんですか?こんな時間に?」
多少驚きながらも少し眠たげに訊ねてくる。
「朝早く済まなかったね。実は、アニーさんが帰国前に話しておきたい事があるそうでね」
愛想の良い笑顔で言うと、隣のアルマエロが会釈した。副制御機構は修理完了しており、再度デモを実施後アルマエロは帰国する、という設定になっていた。
「はぁ、そうですか…」
困惑でなく嬉しさを前面に出し、梅木は道を空けた。
「どうぞ!」
先頭に立ち、奥へ進む。堅一郎達の背後に隠れる様に、最後に上がった堅吾には気付かなかった様である。梅木は、奥の6畳間へ一同を通した。最後に堅吾が入った時、梅木は初めて困惑した表情になった。
「堅吾君、君は?」
「ああ、実は、息子も関係のある話でね」
「そう、ですか?」
納得しかねる様な表情の梅木。それを尻目に、アルマエロは腰のポーチからハンディターミナルの様な機械を取り出す。芦屋家を初めて訪れる際にプリヌフが使用していた物であった。それのスイッチを入れ操作すると、小さなディスプレイに矢印の様なものが表示される。
「あそこ」
アルマエロの指さした先にあるのは、ただの本棚であった。2つの本棚が、レールの上を左右に動く様になっている。
「済まないね、梅木君」
堅一郎が梅木をブロックする様に進み出、堅吾が本棚の右側を左へずらす。
「な、何を!」
血相を変えた梅木を、堅一郎は両肩をがっしり掴みブロックする。
「まあまあ、すぐ済むから」
本棚の後ろは木の壁であった。が、その一角が縦長のカバーになっていた。それを開くと、ナンバーキーが出てくる。
「やめろ!何の権利があって!」
「まぁまぁ」
止めようと堅一郎を押し退けようとするが、まるで足から根が生えたかの様に、堅一郎は両肩を掴んだままびくともしない。
「い、痛いっ!」
思いの外の握力に、梅木が悲鳴を上げる。堅一郎は微笑を浮かべたまま、しかしその双眸には暗い感情が覗いていたのであった。その様な間にも、ナンバーキーをアルマエロが機械でスキャンし、番号を打ち込んだ。壁は小さく開き、隙間に指を入れると、その向こうには2畳程の空間があった。木製の棚には、ネックレスやイヤリング、ペンダント等の装飾品のほか、ホルマリン漬けにされた人の耳の様な物などが並べられている。その中にはアルマエロの物と同じ、認識票もあった。ミマノロ以外の、誰かの物ではあるまい。
「ああぁぁー!」
喉も裂けよとばかりに叫ぶ梅木。その場にくずおれる。
「見つかったね」
スマホを取り出し、いずこかへ電話をする堅一郎。間もなく、私服や制服の警察官、鑑識係が乗り込んできた。
「猟奇殺人犯等の中には、被害者の身につけていた物や肉体の一部などを持ち帰り、殺人の記憶を再現する為の助けにする場合があるそうだね。そういうのを”戦利品”と言うそうだが」
へたり込んだままの梅木の前に屈み込み、堅一郎は静かに言った。
「これが美真名の物である事は、間違えようがないな。ねぇ、梅木君?」
刑事が持っていた機械を受け取る。それはアルマエロの物であり、横のスロットに認識票が挿してある。ディスプレイに映し出されていた顔は、間違いなく美真名であった。ただし、髪の色は見事な紅葉の様な紅であるが。
「何で、そんな物が…何で…」
「今朝思い出したんだが、あの頃私と君は徹夜で1日おきに勤務していたね。いつ海外の工場から連絡があっても対応出来る様に。あの日も10時頃までに引き継ぎを終えて、帰宅したんじゃなかったかな?」
堅一郎の言葉も耳に入らず、譫言の様に繰り返す梅木の傍らへ、堅吾が屈み込む。
「実はさ、俺も思い出した事があったんだよなぁ。あんた、4年前に、当時中1なりたてだった俺を、殺そうとしたよな?」
「そんな事があったのか?」
驚く堅一郎には答えず、堅吾は続けた。
「家の近くの、高いコンクリート塀で囲まれた狭い十字路でだ。今じゃ通らないが、あの頃、俺は通学でいつも通ってた。その日も家へ向かって右折して、路肩に停まってたバンの横を通り過ぎた。そのまま何メートルだったか歩いたら、突然停まってたバンがアクセル全開で走り出した。それに気付いた俺は、全速力で数メートル先の電信柱の陰へ飛び込んだんだ。バンは速度を落とさずに走り去ってった。犯人にしてみりゃ、予想外の展開だったろうよ。逃げる場所は無かった筈なんだ。盗難車か何かで全速力で突っ込んで、撥ねたらそのまま逃げる。車はどこかで処理すりゃ良い、程度の計画だったんだろ?ところが逃げられターゲットの近くを通り過ぎた。顔を見られたかも知れない、そう思ったんじゃねぇか?それだったらマスクでもしてりゃ良かったのに、あんな事になるなんて、想像もしてなかったか?」
「お、お前、まさか!?」
呻く様な梅木の問いに、堅吾は首を振った。
「残念ながら、見てねぇ。この頭以外はな!」
梅木の頭に手を伸ばすと、素早く引く。するり、と髪の毛がその頭から外れた。
「ああっ!」
梅木の短い悲鳴。
「土曜日の夜、ウチに来た時違和感があった。頭と髪の毛の動きが微妙にずれてた。若ハゲか何かかと思ってたんだが」
梅木の頭部は無精髭の様な髪が僅かに伸びていた。いつもは剃っているのであろう。
「くそっ、こんな事をしてっ!」
「いつもは接着剤みたいな物で着けてるんだろうが、夜も遅いし着きが悪くなってたか?今日も早くて着けてる暇がなかったろ?別に毛が生えない訳じゃないよな?楽しみの為に、剃ってるんだろ?証拠を残さない為に」
「そんな事はない!これはただ!」
「10年前、母さんを殺したあんたは2年ほど静かにしてた。目撃者が居たんだ、いつ警察が来てもおかしくない。まぁ、来ても5歳のガキの言う事だとやり過ごせる自信はあったかもな。結局警察は来なくて楽しみを再開した。4ヶ月程してあんたは犯行現場近くで駐車違反をやり、また1年ほど静かにした。次は3ヶ月程でスピード違反、1年後はまた4ヶ月程で駐車違反、そして母さんを殺した約6年後、さっき言った行動に出た。なぜだ?何で6年も経ってから?」
俯き加減に何事か呟いた梅木を無視し、堅吾が続ける。
「自分を誤魔化すのに限界が来たか?警察は来てない、大丈夫、と自分に言い聞かすのが無理になったか?そして、その結果あんたは4年余り、母さんを殺した時より長く、静かにしてた訳だ」
不意に、梅木の襟首を掴み、引き寄せる。
「良かったな、あんた。いつ自分の悪事がバレるかと、びくびくしながら暮らす日々はもうお終いだ。残りの人生は、この首に、いつロープが掛けられるか、その日を待ちながら厳しい監視の中で暮らすんだな」
梅木の襟首を締め上げていた息子の右腕に堅一郎が優しく触れると、堅吾は手を放した。刑事が手錠を掛けると、警官と共に両脇から腕を取り引き立てて行く。するり、その前に回り込んだアルマエロが、梅木の頬を1発、張った。殺気だった双眸で見返してくるのも意に介さず、前を空ける。
「これで良かった?」
堅吾が立ち上がると、アルマエロが訊ねてきた。
「ああ…もうそろそろ、帰らなきゃな。今日も学校だ」
どこか振り切れた様な笑顔で答える。
「私はもう少し、ここに居るよ」
堅一郎が言う。梅木宅を出てゆく2人を、誰も引き留めようとはしなかったのであった。
デロ・ベルナ・アグミナー0108から人工衛星が1機、放出された。それは連合の通信経路から情報を(複製機を介し)入手する為の中継器であった。既に司令部との直接交信は不可能な距離であり、艦隊が独自に情報入手するよう努めるべき旨は、最初から指示されていた。その為、こうして必要に応じ使い捨ての中継器を設置しつつ、艦隊は地球へと急行していたのであった。間もなく、艦隊は空間跳躍に入った。