第五章 ~露見~
第5章
その人工衛星は、白色矮星の公転軌道を高速で回転していた。何もない、誰も気に留める筈のないそこに、なぜ人工衛星があるのか?それは田中姉妹の艦と彼女達の所属する連合の情報統括司令部、謂わば軍諜報部とを結ぶ素粒子通信経路の中継器であった。宇宙艦等と異なり、微少な素粒子を順番に空間跳躍させる素粒子通信は装置も小型であり、到達距離も遙かに長い。とはいえ、それでも1万光年近い距離を一気に到達するのは不可能であった。そこで中継器として人工衛星を何機か、極秘に設置したのであった。それもまたそのうちの1機であり、帝国の版図に最も近い物であった。そして、それに接近する、1隻の帝国防衛軍所属の工作艦があった。プリヌフが通信経路を借り報告を行って間もなくの事であった。さて、ここで少し説明をするべきであろう。帝国には3種類の軍組織が存在する。1つは文字通り帝国領土を防衛する(実際には連合領土への侵攻の主力ともなるが)帝国防衛軍、1つは皇帝及び皇室を防衛する為の近衛軍、最後に皇族が各々に与えられた領土を保持する事を主目的とした私兵団。私兵団の結成は皇族のみに認められた特権である。これら3組織は指揮系統を除けば完全に独立している訳ではなく、人材や資材の融通、兵装の共通化等交流も持つ。ミマノロはかつて帝国防衛軍に所属し、アルマエロと共に皇太子の私兵団に引き抜かれたという過去を持つ。工作艦とは、人工衛星や宇宙標識、宇宙港施設等の設置や修繕等を行う事を主目的とする非戦闘艦である。兵装と言っても多少の対空火砲程度。その工作艦が今、1本のアームを伸ばし、人工衛星と相対速度0の状態で何かを設置していた。宇宙空間に漂う1人の人影がそれを確認し、何らかの作業を行い通信を入れると、アームはそれを放して動き始める。人影はそれに掴まり、工作艦に収容された。やがて工作艦は加速し公転軌道を外れると、そのまま紫電を残し空間跳躍したのであった。
『また外れた。飛行経路を維持』
スピーカーからアルマエロの静かな注意が流れてくる。
「判ってるんだが…」
操縦席の中で、堅吾は小さく呟いた。彼は今、普段着のまま機甲騎士を操縦中であった。とはいえそこは芦屋家の2階の1室である。結局のところ堅一郎は操縦席の設置を快諾したのであった。それは色々と用意した説得の言葉が一切無駄となる程に。日曜日早朝、アルマエロ達は連絡艇に操縦席を積載し、窓の前にタラップを下ろして静止した。タラップから伸ばした斜路でゆっくりと操縦席を室内に運び込み床に置く。それだけで操縦席は機能したのであった。そして今、アルマエロの指導の下、機甲騎士操縦基礎教程Ⅰ、つまり基礎中の基礎を習っている。操縦方法自体はアルマエロ達が日本語学習に使用したあの情報端末を用いた。
「使えるのか?」
頭脳に直接情報を注入するという機械を不気味がる堅吾に。
「使えなければ、記憶出来ないだけ。問題はない筈」
と、操縦席備え付けのマニュアルを元に日本語化したものを差した情報端末を、事も無げに差し出すアルマエロであった。不安を抱えたまま頭に装着し、スイッチを入れる。
<メディア読み取り開始>
アルマエロの一言で、情報端末がマニュアルを読み込み始める。せり出した眼鏡部分には操縦席の様々な名称の図解から始まり、機甲騎士の起動から停止までの様々な操縦方法の実写映像等が表示され、同時に解説の音声とその映像が脳に注ぎ込まれてゆく。急激に気圧が変化した時の様な頭痛に頭を締め付けられる。こみ上げてくる吐き気に耐えていると、やがて映像は途切れ、頭痛は止んだ。
「…きつい」
スイッチを切り、外す。
「私達の時よりは容量も少ない。うまくいった?」
「どうすればいい?」
「言葉を思い浮かべる。機甲騎士の起動は?」
「…」
頭の中で『機甲騎士の起動』と考える。すると、その解説の映像と音声(ボーカロイドの様な、機械的な日本語であった)が脳裏に浮かぶ。
「…左右の肘掛けの起動スイッチを、同時に押す」
「うまくいった。これで操縦方法は、全て頭の中にある」
そうして、分厚いマニュアルと格闘する必要もなく、堅吾が機甲騎士の操縦法を覚えて1時間余り。彼は機体を水平飛行させる事に苦心していた。
「何で、こう…」
操縦席内部では、曲面で構成されたハッチ部分全体を使用したスクリーン上に全ての情報が表示される。今そこには、大小2つの円が表示されている。内側の円は機体の進行方向を、外側の円は進行方向のぶれの許容範囲を示す。内側の円は小さく設定されているが、それでも細かくぶれ続け外側の円をはみ出す事となる(円が僅かでもはみ出せば、読めない警告が表示される)。
『難しい?』
「判ってる、筈なんだが…」
どうすれば内側の円を中央に安定させられるか、見えている筈なのだ。それが現実には、上にぶれたのを修正しようとして下にぶれ、右にぶれたのを修正しようとして左にぶれ、といった具合であった。と、ここで少し、機甲騎士の操縦方法について解説する。
機甲騎士には、飛行機の主翼の様な揚力発生装置は存在しない。クロイスパイアヌⅠ(機種を示す場合、機体番号は省略する)の場合、両脇と背中、両足の爪先と踵にある7基の推進機の推力偏向噴射口により揚力と推進力を得、その制御により機体の進行方向を変化させる。主翼、尾翼を持たないVTOL機とでも言えようか。クロイスパイアヌⅠの場合、同時に脚部の制御により他機種と比較しても、より機動性を高める事に成功している。操縦に必要なものは両肘掛けと、その手の部分にあるスイッチ類。肘掛けの手の平部分はトラックボールとなっている。更に両足のフットペダル。前記の推力偏向噴射口は肘掛けのスイッチで推力の方向と推力量を操作し、腕は肘掛けを、脚はフットペダルを動かす事で動作させる。トラックボールは様々なメニューや選択肢の選択、決定等に使用される。
結局のところ、基礎教程Ⅰを終了出来ぬまま、2時間と経たずに操縦訓練は中止された。
『今日はここまで』
外から掛けられたアルマエロの声に、堅吾は大きく溜息をついた。
「停止方法は判る?」
操縦席の隣に腰掛けたアルマエロの問いに答えはなく、ハッチが開放される。
「ふぅー」
心底疲れたといった風に溜息をつく堅吾。顔中汗でびっしり濡れている。
「大丈夫?」
情報端末を外しながら、アルマエロが訊ねた。操縦席は常に操士の肉体、精神の状況をチェックし、内部の映像、音声を記録している。アルマエロは情報端末を通しそれらをモニタしており、心身共に負荷が掛かりすぎていると判断し訓練を中止させたのであった。
「母さんは、こんなもの本当に操縦してたのか?」
「もちろん。これは特に難しいが、ミマナには手足と同じだった」
操縦席を出ると、自動的にハッチが閉じる。
「そうか…想像もつかない」
畳の上にへたり込んだ。
「どうすれば良いか、判っていた筈。やり方も正しかった、頭の中では。脳の活性状態がそれを示している」
「じゃあ、何で?」
「体がついて行けていない。微妙な操作のずれが、機体の安定を乱す」
「…つまり、俺がトロい、って事か?」
「トロい…それは違う。神経追随訓練が不足しているだけ。貴方でなければ、この短い時間であそこまでも動かせはしない」
「あそこまで、ね…いっそのこと、考えただけで動かせる様にすれば?」
「それは失敗した」
「やったんだ…」
苦笑する堅吾。自分が考えつく程度のアイデアは、既に誰かが試しているという事かと。
「神経追随訓練を行うか?」
「…どうやるんだ?」
「これを使う」
情報端末を差し出す。堅吾は渋い顔をした。
「またこれか」
「今度は肉体を使う」
受け取った堅吾は、1日で2度目の装着を行った。
日曜日というのに、田中姉妹は艦に籠もっていた。といって、何をしている訳でもない。要するに、黄昏れて何もする気になれずにいたのであった。
<これ以上、どうしろというの?>
半泣き状態で花子は寝台に寝転がり、右手で顔を覆った。正しく進退窮まる状況であった。先週の日曜日、アルマエロから渡された映像等の情報を、2日余りを掛けて詳細に確認し、試作機に関する推定の仕様、量産の可能性(帝国現用機との類似点について考察し、その影響を推測)、実機の現状等を上官に報告したのであったが、情報が不足していると一蹴されたのであった。そればかりか奪取の可能性について執拗に食い下がられ、帝国の人間(皇太子派)の来訪を白状すると、戦闘に勝利し奪取せよ、とこれである。増援要請は言下に却下された。この遠隔地に割ける戦力は無い、と。一応2機の機甲騎士を持参してきてはいるが、まともに戦闘の出来る戦力ではない。そもそもが戦闘を前提とした任務ではないのであったから。ならばせめてと、脅迫紛いの事まで口にし堅吾に更なる情報入手の期待を掛けたのであったが、それもあえなく潰えた。
<…やはり、やるしかない>
寝台に腰掛け、唸る様に芳子が呟く。
<やるって、まさか!?>
右手を顔から離し、上体を起こす。
<…試作機を、奪取する>
<でも、それは>
<艦内には入らない。これの電磁加速砲で艦橋を狙撃して官制機構を破壊する。それで自爆はしない筈。後は機甲騎士で貨物室をこじ開け奪取する>
<ちょっと待って!そんな事をして彼女達が黙っていると思うの!?脅しが脅しでなくなるわよ!>
<大丈夫!戦闘になれば私達が必ず勝つ!>
<必ず勝つ、って…>
敵の戦力も判らないのにこの自信は何であろうか?否、自信などでなく、自暴自棄か。
<それで私達は帰国する!>
<…ちょっと待って。ねぇ、少し考えましょう?>
静かに、そして少し冷たく響く声で、花子は言った。
<充分考えた上での結論>
<そうかしら?まぁいいわ。とりあえず私達にとって理想的な状況を想定しましょうか。私達は試作機を奪取した。戦闘にも勝利した。それで、奪取した試作機はどうするの?この艦には機甲騎士は2機までしか収容出来ないのよ?私達のを置いてゆく?最新量産型の機体を?今度はそれを理由に帰国を却下されるわ>
冷淡な口調でここまで口にし、長い溜息を1つ。
<判っているでしょう?司令部は、私達にここで朽ち果てて欲しいのよ。戦死したならきっと小躍りするでしょうね。私はその思惑に進んで乗るつもりはないわ>
再び横になる。
<…なぜ、私が…>
芳子の口をついてか細い呟きが漏れると、知らず、双眸から涙が溢れ出す。それを拭う事もせず、声を押し殺していたところに、素粒子通信機からの受信確認ブザーが艦内に鳴り響いた。ようやく涙を拭い立ち上がる芳子。部屋を飛び出してゆく花子に続き、部屋を後にしたのであった。
目の前には、見慣れた室内を背景にピンポン球程の球体が幾つか、方向も速度もばらばらに漂っている。それらは気紛れに方向や速度を変え、つかみ所がない。堅吾は先程からそれを掴もうとして悪戦苦闘していた。ピンポン球の動きは見えていた。方向を変えるため速度を緩めるところも。しかし、手を伸ばそうとした時にはもう変化し、手を擦り抜けてゆく。
「…難しいな」
AR環境の中にある堅吾を傍から見れば酷く間抜けに思えるが、アルマエロは微笑の1つも浮かべず見守っている。
「見て手を動かすのでなく、見ながら動かす」
「て、言われても」
「体の感覚を、鋭くして、見えている物に手が正確に届く様に」
その説明を受けても、そう簡単には行かず…と、窓の外からバイクのエンジン音が近付いてくるのに気付く。それは、自宅の前で停止した。
「誰だ?」
情報端末のスイッチを切り頭から外すと、窓から顔を出す。
「芦屋くーん、お願いがあるの!」
ヘルメットのバイザーを上げ脱いだ、後部座席の花子が叫ぶ。
「何だ!?」
「あの2人に連絡を取りたいの!方法は無い!?」
あの2人、とはアルマエロ達の事であろうと察した堅吾は、アルマエロを手招きした。
「ここに居るが、何の用だ!?」
アルマエロが顔を出すと。
「ああ、良かった!すぐ私達のところへ来て!連絡が入っているわよ!」
唐突な出来事に、アルマエロと堅吾は顔を見合わせたのであった。
情報端末でプリヌフに連絡を取り、連絡艇で迎えに来て貰うと、アルマエロは堅吾にも同行を求めたのであった。
「貴方のお母さんに関する内容である可能性が高い」
と、上手く丸め込まれた様な理由で、堅吾も田中姉妹のフリゲート艦へやって来たのであった。5人は素粒子通信室に寿司詰めとなった。
[こちらウルッフ氏の協力者。パール・カシム氏は居られるか?]
<本人である。何があったのか?>
険しい面持ちでプリヌフが問い掛ける。
[…問題が起きている。貴君らの居場所が帝国の知るところとなった。確保のため慌ただしく艦隊が派遣された]
<!どこから情報が漏洩したのか!?>
[…情報漏洩源に関しては現在情報収集中。恐らくは、帝国側の協力者である可能性が大。捕捉されたか、裏切ったかは不明]
<それが誰か、確認は可能か?>
[…時間が必要。入手情報の精査、入手経路の確認等、慎重に行う必要有り。こちらは帝国側協力者の全員を把握していない。そちらはどうか?]
<こちらも把握していない>
[…了解]
<確保の為の艦隊構成は?>
[…重巡洋艦1隻と強襲揚陸艦1隻の最小構成。デロ・ベルナ・アグミナー0108、ブロイア・グロズスー0032]
<デロ・ベルナ・アグミナー0108、ブロイア・グロズスー0032、了解。帝国防衛軍所属か?>
[…肯定。そちらには15日程で到達する模様]
<了解。連絡に感謝する。はい?>
不意に肩を叩かれ振り返ると、アルマエロが耳打ちしてくる。それを聞いたプリヌフは少し怪訝そうな顔をしたが。
[どうかしたのか?]
<いや。1つ確認したいが、艦隊派遣が動き始めたのはどれ程前の事か?>
[…ああ…3日程前の事となっている]
<了解。改めて連絡に感謝する。以上>
[…貴君らの奮戦に期待する]
こうして通信は切れたのであった。
「なぁ、何か、通信に妙な間が無かったか?」
堅吾は気になった事をそっと芳子に訊ねた。
「素粒子通信は、情報の変換や伝達要素の読み取りに時間がかかる。通信速度が遅いのが欠点」
そんなひそひそ話をよそに。
「3日前か。なら、私達の通信が元ではないか」
少し安堵した様に呟くアルマエロ。
「何なんだ?」
内容の判らない会話を聞かせられ続け、ストレスの溜まった堅吾が一同を見渡し訊ねる。
「この2人を連れ戻すため、帝国から艦隊が派遣された。あと2週間余りでやって来る、そう」
少し青ざめた芳子が要約してくれた。
「どういう事でしょう?」
アルマエロの言葉が理解出来なかったプリヌフが、アルマエロに訊ねる。
「1つ、可能性を考えた。この通信経路に複製機でも設置されたのではと」
複製機とは、中継用衛星を通過する通信内容をそのまま複製し、別の素粒子通信経路に転送する為の装置である。
「…なるほど。私達の通信を転送されたなら、もっと早く艦隊派遣が具体化していてしかるべき、と」
「「…」」
田中姉妹は横目で意思疎通をする。
「艦隊が来るだって?ここで戦うのか!?」
「私達の対応次第でそうなる。従うなら戦闘にはならない」
物静かにアルマエロは言った。
「従う気は有るのか?」
「有るなら最初から脱出などさせない!戦う、あるいは逃げる!」
プリヌフの力説に、堅吾は少し白けた様な表情をした。
「逃げるって、どこへ?」
「あの赤い惑星でも!」
天を指さしつつ言うプリヌフ。
「火星か…近すぎるだろ。そもそも、あんたらに逃げられたらその連中はどうするんだろうな?俺達地球人類の事なんぞお構いなしに探し回るか?恐らく、世界中の軍事大国がそんな事を見過ごしはしない。最悪宇宙戦争だ。核兵器だって、必要と考えれば使いかねないだろうよ。そんな事になっても、原因のあんたらは知らん顔か?」
「ならば、私達が捕まれば良いのか!?」
「そうは言わない。逃げ方を考えてくれれば良い。少なくとも、地球にいない事を判らせてやってくれれば」
「甘いと思うわ」
不意に、花子が口を開いた。その双眸には、何かを覚悟した者の様な、異様な輝きがある。
「どういう事だ?」
「彼らの目的が、この2人の確保だけとは限らない、という事よ。湖底に沈む輸送艦の回収も目的なのかも。もしそうだとすれば、どれ程地球に居座るかは判らないわ。それに、そうなれば私達は任務を達成出来なくなるの」
「持ってかれたんじゃ、しょうがないだろ。任務終了で帰国出来るんじゃ?」
「それも甘い」
芳子が会話を引き継ぎ、田中姉妹はアルマエロを見据えた。
「上官はきっとこう命令する。阻止する為に戦え、と。私達は逃げる事を許されない。貴女達はどうする?折角訪ねた人の眠るこの地を見捨て、逃げる?」
芳子の双眸にも、異様な輝きが宿っていた。姉妹の視線を、アルマエロは怯む事なく正面から受け止める。
「安い挑発。こうなった原因は、貴女達の通信経路に問題がある為かも知れない」
「もしそうなら申し訳ないけれど、今は未だ判らないわ。それより貴女達はどうするの?」
花子が重ねて問うと。
「もちろん戦うつもり。私達に逃げる場所はない」
「アルム!」
とんでもない、と言いたげなプリヌフを右手で制し、アルマエロは続ける。
「戦力の確認を。貴女達は?」
「このフリゲート艦ナクラカ・ビルター00045、1隻に機甲騎士、アエッナラ・シーリン2機」
「最新量産型機甲騎士…」
アルマエロも、連合の機甲騎士についてはそれなりに情報収集を行っていたのであった。
「そちらは?」
「…輸送艦ペスロ・ゾルキスヌ・アグミナー0014。積荷は開発中の機甲騎士の部品と機械類。以上」
「…それだけ?」
「警戒するまでもなかった…」
2人の声には、今まで慎重すぎた事への後悔や、これで戦うつもりなのかという呆れが混ざっていた。
「今は。しかし、ペスロ・アクタリスヌ・カッソスー0028には、修理が必要だが最強の機甲騎士1機と、機甲騎士用の小出力電磁集束砲2機が存在する」
「そんな物が有ったの?渡された情報には無かったけれど」
「約束はあくまで試作機に関してのみ」
しれっと言うアルマエロに、田中姉妹は渋い表情をする。
「それに、未だ未熟だが操士も1人居る。最強の機甲騎士を操縦するに相応しい操士が」
「おい、それって俺の事か?」
詰め寄る堅吾に、静かに頷く。
「初めから戦わせるつもりだったのか!?」
「いずれは。貴方には、私達皇太子の意志を継ぐ者の象徴となって欲しかった」
「何だ、その皇太子の意志って?」
「それは、私達人類を救う事。それは執政も恐らく同じ。けれど、方法が違う」
「方法論の違いか。まぁ、良くある事だな」
「私達は執政のそれを容認出来ない。だから戦う。そして私達の意志の正否を問う。貴方には、その為の象徴になって欲しい」
「そうなのか。しかし、急に象徴とか言われてもな…」
頭を掻く堅吾であったが、不意に思い付いた様に、再び口を開いた。
「ところで、あんたが容認出来ない執政のやり方、って何だ?」
「執政は、連合を滅ぼす為、かつて無い程の戦争の準備をしている」
「戦争反対、って事か?」
「簡単に言えば。その戦争で、帝国臣民の四割余りが犠牲になるかも」
「そんなに戦死者が?」
「それより、むしろ物資を振り向ける為の、凍結措置にされる人々の方が問題」
「凍結?それって、人工冬眠とか、そういうのか?」
「…そう、ほぼ同じ。食料など不要になる。しかし、人は、機械と違う。戦争が長引き、凍結措置が長引けば、蘇生不可能になる可能性は高くなる」
「なるほど…」
「帝国内には、不平不満が溜まっている。その様な状態になれば、反乱が起きかねない」
「それは好都合」
芳子がポツリ、呟くが。
「その頃には、連合も大勢死んでいる」
「…」
混ぜっ返す様な話題では無かった。
「いや、確かに、それは避けたい事態なんだろうな。でもなぁ…」
「もちろん嫌ならば仕方がない。クロイスパイアヌⅠー0008は、今回は私が操縦する」
「出来るのか?」
「開発者は私。貴方のお母さん程には行かないが」
「修理出来るのか?」
「施設が必要。副制御機構以外で修理が必要なところを調べる。副制御機構も調達しなければ」
「その副制御機構って?」
「主制御機構と情報を遣り取りしながら、手足や推進機等を制御する…基板。冷却不足で溶けていた」
「あれか、GPUボードとか、そんなものか…じゃあ、主制御機構がメインボードか?…ああ、まぁ、そういうのだったら、親父に相談すれば?」
アルマエロの話の内容を想像するのが面倒臭くなったのか、父親に丸投げである。
「貴方のお父さんに?」
「ああ。親父はそういうのを作るのが仕事だから」
軽い調子で説明する堅吾であった。
アルマエロの持ちかけた相談に、たちまち堅一郎は乗り気となった。
「なるほど、貴女方と私共のテクノロジーを結集したいと、こういう事ですね?」
満面の笑顔で身を乗り出す堅一郎であった。
「使える技術はある?」
「使えるかどうかは貴女に判断して頂く必要がありますが。提供可能な物は御座いますよ。修理用の施設もご用意出来るでしょう」
「そう…いつから使える?」
「そちらが宜しければ、明日からでも」
いとも容易く、堅一郎は請け合ったのであった。
フリゲート艦に残っていた田中姉妹は、上官と通信を行った。帝国の逃亡者確保のため帝国の艦隊が接近中であり、どうするべきか指示を仰ぐ為に。返答は予想通り、全力をもってこれを撃破せよ。
「奮闘を期待する、か。ええ、立派に戦ってみせるわ」
「生き残るため」
2人は視線を交わし、頷き交したのであった。
「1、2、3…」
堅吾の苦しげなカウントが、室内の空気に寂しく溶けてゆく。指を立て、彼はいま腕立て伏せの3セット目を行っていた。腹筋50回、背筋50回、腕立て伏せ30回を3セット、それにブリッジも加え、彼は入浴前の日課としてきた。今日からは、更に新メニューも追加された。スポーツマンという訳でもない彼が、なぜそれをするのか?健康のため?ダイエット?快眠のため?いずれも否。より自分を厳しく罰する為であった。
母親の死を眼前にしながら何も出来なかった彼を、誰も責めはしなかった。当然であろう。5歳の彼が大人相手にまともに抵抗出来た筈がない。第2の被害者となっていたのが関の山である。その様な事は、彼も理解はしていた。しかし、納得は出来なかった。彼は罰を欲した。泣き虫であった彼は涙を封印し、自分を罰してくれる存在を求めた。それはいじめっ子であったり、街の不良であったりした。手出しをせず、ただ殴られ、蹴られた。その為に相手を挑発する様な真似もした。簡単にKOされてはならないと体を鍛えだした。より長く苦痛を受ける為に。そういった彼の行動は喧嘩好きであるとか、マゾであるとか(結果的にそのケが有ると言えなくもない)、周囲から誤解を受け続けてきた。そんな彼に、何の偏見も先入観も持たず接してきたのが秋川であり田辺であった。最近では罰を求め街中を徘徊する事も無くなったが(日々刺激的な事が多すぎるのは大きいであろう)、その日課をやめるつもりは無いのであった。
たっぷり汗をかいた後シャワーで軽く流し、ゆっくりと湯船に身を沈める。1日の疲労を湯に溶け込ませながら、彼は現状と今後についてとりとめもなく考えた。事態は余りに手に負えないところへと向かっていた。この地球上で、あと2週間余り後にごく僅かな者のみが知る宇宙戦争が始まろうというのである。アルマエロは自分に、戦いに参加して貰いたそうであったが、到底その様な決断は出来そうになかった。どうやら状況はこちらにかなり不利な様で、未だシミュレータで満足に水平飛行も出来ない自分など役には立つまい。神経追従訓練も未だ始めたばかりである。2週間余りでどうなるのか、予測がつかない。それでも、この地球の危機を何もせず見ているべきであろうか、10年前の様に?あるいは、別の場所で戦って貰う、という手も…
「…最低だな」
自己嫌悪がこみ上げてきた。あの4人にとっては背水の陣を敷いての戦いなのである。それを他人事の様に(実際そうではあるが)軽々しく考えている気がしたのであった。荒々しく湯で顔を洗うと、苛立たしげに浴室を後にした堅吾であった。