第二章 ~遭遇~
第2章
虚空の宇宙空間に、可視、不可視問わず大量の電磁波と紫電をまき散らしつつ、それは突然出現した。アルマエロ一等技官とプリヌフ二等航宙士を乗せた小型の輸送艦、ペスロ・ゾルキスヌ・アグミナー0014であった。
[空間跳躍離脱成功。艦体異常なし。全機関異常なし]
艦橋の狭いコクーン内にスピーカーが響かせるプリヌフの声を聞きながら、全天スクリーンに表示されている宇宙空間を、アルマエロは見上げていた。艦橋要員は各自がコクーン(繭)状のカプセル内で職務をこなす。このコクーンは脱出ポッドの役割も兼ね、緊急時最後に退艦する彼ら、彼女らの生残性を高めている。
<これで何度目の跳躍だった?>
[28度目です。一度の出帆で長距離跳躍をこれほど繰り返すのは正直不安でしたが、どうにか保ってくれました]
呟きの様なアルマエロの問いに答えるプリヌフの声には、安堵の響きがあった。
<目的の星は、この近く?>
[あと50光秒程。既にその惑星が所属する恒星系内部です]
全天スクリーン内に1つのウィンドウが現れ、オレンジ色に輝く小さめの恒星(あくまで恒星としては、だが)を大写しにする。
[”原初の光”に極めて類似した恒星と推測。目的の惑星も、母星型惑星の様です]
もう1つウィンドウが開かれ、その惑星が表示された。青と白、茶色等で彩られたそれは、彼女達の遺伝子に刻み込まれ、何十世代もの間渇望の対象となってきたものであった。
<ここに、ミマナが…>
惑星の映像に見入っていたアルマエロは、豊かな胸の上で黒光りする、ホームベースの様な形状のペンダントを首から外し、目の前のコンソールに開いたスロットへ挿入した。コンソールから伸びた金属棒が20型程の枠を形成する。ほの白く輝き出すその枠内に表示されたアイコンの中から1つを選び、指で弾くと新たなウィンドウが開き、笑顔で並んでいる2人の女性の静止画が映し出される。その右側はアルマエロ、左側は堅一郎の肖像画によく似ていた。ただ違うのは、ボブカットのその髪は晩秋の紅葉の様な、鮮やかな紅である、という事であった。
[本艦は181秒後に母星型惑星の大気層へ突入開始します。不測の事態に備え、気密確認等お願いします]
<了解。大気層突入は大丈夫?>
それは何十世代も前から未経験の出来事であったのだ。極めて希薄な大気層しか持たない惑星ならば幾つかあったのであるが。
[シミュレータでしか。しかも母星の情報を基本としたものですので]
何とも心許ない回答ではある。
<しかし、ミマナを乗せた輸送艦は、成功した可能性があると聞いた。攻撃を受け空間跳躍機関を暴走させた輸送艦より、我らの方が成功の可能性は高い筈>
[それは、そうですが…]
実際にミマノロを乗せた輸送艦がどうなったのか、知る者は無いのである。実際に成功したかどうかも現状では不明であった。
<ともかく行く外ない。間もなく全ては判明する事>
コンソールのスイッチ類を操作しながら明るさを心掛けつつアルマエロは会話を締めくくった。全天スクリーン上に次々現れるウィンドウには、コクーンの気密状態、緊急脱出装置、非常通信装置等々に異常の無い旨が表示されていた。
[はい、了解しました]
別のコクーンに収まっているプリヌフも、会話を終え操艦に集中する。輸送艦は、光速の30パーセント近い速度で漆黒の虚空を飛翔した。
もはやその惑星は、拡大しなくとも全天スクリーンの大半を占めるまでの近距離にあった。
[随分と機械文明の発達した知的生命体が存在する様です]
<静止軌道上に人工衛星…他に多数の人工衛星を使用している>
ウィンドウ上に次々と惑星を背景とした人工衛星が表示される。
[はい。他に飛行機械も多数確認出来ます。光学迷彩を発動します]
未知なる知的生命体の文明レベルや性質(好戦的か否か、等)が不明のため、ここでは隠密裏に行動するのが得策であろう。輸送艦の姿が消える。どこか遠方からその様を見ている者があったならば、それに遮られていた星々の光が、真空中でありながら揺らめきつつ突然姿を現した様に見えたであろう。
<全艦異常なし>
[大気層測定完了。突入制御データ修正無し。対地重力制御正常。突入!]
やがてゆらめき周辺がオレンジ色に輝き出す。2人にとって、人生初の大気圏突入が開始された。降下速度は、単純に物理法則に従うより緩やかである。高度2万メートル程で、艦は水平飛行に移った。
<まずは第1段階完了…>
全天スクリーン上では、丸みを帯びた地平線が白く煙っている。
[これより位置確認信号を送信します]
夜の領域で、プリヌフは言った。行方不明の輸送艦に対し、友軍の存在位置確認信号を送る。もし相手の機能が一部でも健在であれば、応答信号を送信する筈であった。
[最初に送信後、応答があれば10秒後に自動再送信し、その応答で位置を確認します]
<応答のある事を祈ろう>
見上げる全天スクリーン上では、地上は昼と夜をめまぐるしく繰り返していた。
[応答ありました!]
歓喜に近いプリヌフの声。それはつまり、少なくとも目的の輸送艦はこの惑星上にあり、その機能の一部は健在である、という事であった。惑星を背景に現れたウィンドウ上に、簡略化された図が表示される。地球を示す球体のスケルトンモデルに、その上を横切る艦の航跡、その曲線上の2点と球体の1点を結ぶ線。
[位置確認地点へ進路を設定、降下します。長らくのご不便、ご苦労様でした]
<油断せずに。まだ全て終わった訳ではない。飛行機械に注意を>
[了解!]
虚空に短時間、幾つもの小さな光点が生まれる。艦外数カ所の姿勢制御推進機により減速、艦首の転進を行った輸送艦は、主推進機に点火し飛翔を続けたのであった。
日本では夜であった。
<何!?>
突然鳴り響いた警報音に、田中姉妹は跳び起きた。
<敵襲!?>
2人はあのライダースーツ姿であった。寝間着としてはかなりの違和感である。ベッドを離れると、自動的に壁に収納される。2人はその姿のまま、部屋を飛び出した。
廊下も寝室等と同じ様な配色、内装であった。緩衝材が壁一面に貼り付けられているのも同様である。少し行くとステップと手摺りのみの簡易型エレベータが2台並んでいる。2人はそれに乗ると、開いていた手摺りを閉め、小さなコンソールを操作した。上昇してゆく。何階分か上がり、エレベータは止まった。再び廊下を行くと、大きな自動扉に行き当たる。扉横の読み取り装置前に、花子が首から提げたペンダント(六角形で黄色をしている)を掲げると扉が開く。
扉の向こうはテニスコート程の広さの部屋であった。天井は緩やかに湾曲しつつ前方へ傾斜し、楕円形の床自体も緩やかに下っている。中央の階段を挟んで右に4つ、左に3つ、2段に分けられた楕円形の天蓋が上がったコクーンがある。それらはまるでパイロットの搭乗を待つ戦闘機のコクピットの様であった。2人は左右に分かれ、手近なコクーンに収まると天蓋を閉じた。
<警報を!>
花子がそう口にしたのとほぼ同時に警報は止まった。コンソールのスイッチを操作すると、即座にあの枠が形成される。全天スクリーン上にはウィンドウが1つ、表示されていた。
[帝国の信号を傍受した?私達を攻撃しにここまで?]
花子のコクーン内に芳子の声が響く。
<それは考え辛いわ。相手は暗号化もせず2度、同じ信号を送っている。恐らく、あの輸送艦の位置を確認したのよ>
枠内のアイコンを次々指さしつつ、全天スクリーンに次々表示されるウィンドウの内容を読み取り花子が推測を述べる。
[今更あの輸送艦を回収しに来た?]
<搭乗員達の救出も兼ねてね>
[私達はどうする?]
<そうね、司令部の指示を仰がないと>
[きっとこう言う。『帝国勢のあるところ、いかな辺境といえども諸君らは連合の兵士として立派に戦わねばならぬ!』]
男の口真似をしてみせる。花子は苦笑した。
<それはそうね。こちらも充分な戦力があれば立派に戦ってみせるわ。こんな遠隔地へ派遣された敵には多少の同情も覚えつつね…あるいは…>
突然逡巡しだす花子。
[何?どうした?]
<いえ…ねぇ、飛来した艦は、本当に輸送艦の回収に来たのかしら?>
[どういう事?]
<こういう可能性は?皇太子派が私達と同様の情報を得て、この地にミマノロを頼って逃走してきた>
[可能性だけなら何でも。たとえ皇太子派であろうと、敵である事は変わらない]
<そうかも知れないけれど…きっと、あなたのお兄さんが上層部に居た頃なら>
[兄の話はやめて!今は関係ない!]
驚くほど感情的な芳子の声。花子は自分の失態に顔を顰めた。
<ご免なさい、軽率だったわ>
[…]
重たい沈黙が暫し流れ。
<…とにかく、この一件を報告して、指示を仰ぎましょう>
[…そう、するしかない]
コクーンの天蓋が開き、2人が姿を現す。しかし2人は視線を合わせる事を避けつつ艦橋を出、寝室までそのまま無言を通したのであった。
アルマエロ達が探していた輸送艦は、多賀上湖の底に沈んでいた。それを確認すると、プリヌフは艦を隣の多賀下湖に降下させた。万が一追っ手が襲来した場合に備えての措置であった。
<知的生命体に見られなかっただろうか?>
[夜の領域で、活動も活発ではない様ですし]
外部のカメラで撮影した地上の様子を確認しながら、プリヌフは答えた。
<本当の、夜か…>
[大気成分分析と、抗生剤調合は終了しましたか?]
<…いや……ああ、今完了。大気成分は、特に致命的な量の有毒物質検出無し。抗生剤投与は後で>
[先に下りていて下さい。艦の確認が済み次第、私も下りますので。10時間は安静に願います]
<そうさせて貰う>
そう返事があった直後、手を忙しなく動かしていたプリヌフのコクーンの外から、低い機械音が聞こえて来た。それがコクーンの天蓋が開いた音である事を、プリヌフは熟知していたのであった。
コクーンの外へ出たアルマエロは、その部屋を見渡した。そこは艦橋であった。面積はテニスコート程。楕円形の部屋の床は傾斜し3段に分けられている。その外周には階段が設けられている。5つあるコクーンのうち4つは円形の天蓋が開いている。前方に傾斜している目の様な天井のほぼ中央に、まるで瞳の様にドームがあった。それを見上げたアルマエロは、暫し動きを止めた後、閉じているコクーンへ向かった。天蓋を軽く叩く。
[何ですか?]
外部スピーカーが訊ねてくる。
<ドームのシャッターを開いて>
[?水中ですが…]
<良い>
[判りました]
ドームを覆っていた装甲シャッターが開くと共に、揺らめく淡い光が射し込んでくる。耐圧ガラスを通して見上げるその光景は、彼女にとって懐かしさを覚えるものであった。
<もう何年になるのか…>
コクーンの横に腰掛け、ぽつり、呟く。と、天蓋が開いた。
<この光景をどこかで?>
アルマエロと並び、プリヌフもドームを見上げる。
<フロイスクリヌイⅣ(よんせい)記念園の水族館で。この様に水中を見上げながら巡れるのは3カ所のみ>
<そうですか、知りませんでした。あの類の施設はただの贅沢な貴族趣味と思い、興味がありませんでしたから>
<そう…確かに、そうかも。しかし、きっと存在意義はある>
<どの様な?>
<…多分、希望。この様な贅沢も、我々にはまだ許される。まだ未来はある、という希望>
<希望…そうですか、私も、もし帰れたなら、行ってみたいと思います>
<そう…必ず希望はある>
2人の瞳が潤み始める。そうして、まだ暫く2人はドームを見上げ続けたのであった。
アルマエロ達が地球に降下をしてから3日余り。約束の日曜日がやって来た。堅吾は午前中を予習で過ごした。全教科について、翌週の授業分に目を通しておく。集中している間に正午近くになる。
「ああ、テーブルに着いててくれ」
堅吾がダイニングに下りてゆくと、堅一郎が珍しくエプロン姿であった。
「…うん、久し振りだな」
休日にはたいてい画材道具を車に積み、スケッチ等に出掛けている父親の出来る料理といえば、数種類しかない。もっとも、それは堅吾も大差ないのであるが。
「チャーハン?」
テーブルに着き、父親の最も得意な料理名を口にする。一般家庭のガスコンロで、フライパンで作るにしては飯粒もパラパラでかなりいける。
「ああ、待ってろ。見ろ、この腕の冴え!」
フライパンの中空に、黄色い飯粒が舞い踊る。堅一郎は本当に楽しそうであった。間もなくフライパンをガスコンロから降ろし、火を止める。
「ほら、持って行け」
チャーハンを2枚の皿に盛りつけつつ堅一郎が言うと、キッチンへやってきた堅吾はそれらをテーブルに運んだ。堅一郎はフライパンに水を張り、冷蔵庫からスーパーの総菜類を何品か取り出すとテーブルに移動する。その間、堅吾はダイニングの食器棚からマグカップを2つ取り、テーブルに常備されているインスタントの中華スープを作った。
「「頂きます」」
唱和すると、食事を始める。
「ところで、田中姉妹というのは、どこに住んでるんだ?」
スプーンを口に運びつつ、さりげなく堅一郎が訊ねる。
「さぁ?聞いてないな」
興味なさげに返答する堅吾。
「そうか…良く、美真名の事が判ったな」
「下山口小出のクラスメイトから聞いたそうだけど?聞いた方は偶然だったかも知れないけど、言った方は悪趣味って言うか、少し腹が立つ」
触れられたくない過去に軽々しく触れられた怒りがぶり返してくる。
「でも、犯人が判るかも知れないんだろ?協力しない手はないと思うが」
「…余り、当てにはしてない」
振り切る様に、スプーンで大きくチャーハンを掬い、口に運ぶ。以後、食事を終えるまで2人は無言を通したのであった。
田中姉妹は午後2時5分前に来た。門柱のインターホンのボタンを押す。
『はい』
堅吾の声。
「約束通り来ました」
お揃いのワンピース姿の姉妹は、不似合いなアタッシュケースを手にしていた。
『待ってて』
玄関扉が解錠される音がする。少し、扉が開いた。
「2人だけ?」
首を出すと周囲を見渡し、不思議そうに堅吾が訊ねてくる。
「そうだけど?」
芳子が答えると、暫く逡巡した後、堅吾は大きく扉を開いたのであった。
「入って」
素っ気なく言い引っ込む。姉妹は視線を一時絡ませると、門扉を開け玄関先へと向かったのであった。
玄関に入ると、父子は並んで待っていたのであった。
「ようこそ、初めまして。どうぞ上がって下さい」
堅一郎が愛想良く2人を歓待する。姉妹はパンプスを脱ぎ、廊下に上がった。堅吾は2人が堅一郎の後について行くのを見送ると改めて玄関を見遣り、小さく首を傾げたのであった。
リビングの応接セットで4人は相対した。お茶と和菓子はセット済みであった。
「さて、良いですかな?ところで、あなた方は美真名の一件について、こうしてお訪ねだとか。どういった情報をご要望ですか?」
柔和な笑顔を湛えたまま、物腰柔らかげに訊ねる堅一郎。
「何でも結構です」
芳子が素っ気なく答える。
「何でも、と申されましても…」
頭を掻きつつ苦笑する。それを不愉快の表現と受け取ったのか。
「すいません、曖昧な事しか言えなくて。実は、私達も何を訊ねたら良いのか判らないんです。その、当時の報道内容等は、ネットで検索出来るだけ探してみたんですが、そこから漏れている様な事実が無いでしょうか?その、話をしてくれたクラスメイトも、ぼんやりした事しか覚えていなくて」
慌ててフォローに入った花子は、横目で芳子を非難がましく見遣った。
「ああ、そうですか」
穏やかな表情で頷いてみせる。事件から半年余り後に堅吾は小学校に入学するが、猟奇殺人犯による犯行が近所で発生したという事もあり、その当時はまだまだ事件について人の口に上る事も多く、被害者の息子である堅吾もその身の上が知られると、しばしば辛い目に遭わされたのであった。
「失礼致しました」
「いえいえ。判りました。とりあえずあの事件についてお話しする前に、お断りしておきますが、あなた方がお求めの情報を持っているかは、何とも申し上げられません」
「何でも結構です。お願いします」
「…それでしたら、まずは私が知る限りの事件のあらましを、まずお話ししましょう。といっても、大半は息子が小学生のとき話してくれた事を、私なりに構成したものですが…」
そう前置きし、堅一郎は10年前のその日の事を語り出したのであった。
10月に入ってまだ間もない平日。芦屋 堅一郎はいつも通り出勤していた。息子堅吾を出産して以来、体調を崩しがちであった妻美真名は、朝発熱し、幼稚園を休んだ当時5歳の息子を病院に連れて行き、昼食を摂らせて寝かしつけた後、キッチンで洗い物をしていたらしい。午後2時頃、来客があり、美真名は客を上がらせた。それから暫くの間ののち、その客と美真名は争い始め、美真名に馬乗りとなったその客は彼女を絞め殺し、リビングの窓から裏口に出、誰にも目撃される事無く逃走した…
「正確には、犯人は唯一息子にのみ目撃されていた訳ですが…しかも、その犯行の瞬間だけを。争う物音に目が覚めた息子が、心配になってまだ熱の残る体で下りてゆく間に静かになり、リビングで横たわる妻に馬乗りとなった犯人が、首を絞めていたと。犯人は息子に気付いた様ですが、ちょうど隣家の主婦が異様な物音に様子を見に来てくれて、息子は難を逃れたそうです。来客の時間等は、その主婦から聞いた話ですね」
「堅吾君は、犯人の顔を?」
「それが、見た様なのですが、どうしても思い出せないと。余りにショッキングな出来事に、記憶がブロックされているのでしょう」
哀しげに傍らの息子を見遣る。堅吾は顔を伏せ、必死に耐える様に両手を膝の上で握り締めていた。
「そうですか…でしたら、是非これを」
少し嬉しそうに、花子がアタッシュケースをテーブルの上に置き、開いた。ケースを回し、2人に見せる。
「これは…」
中に入っていたのは、ゴーグルの様なハイテク機器2台であった。田中姉妹の使用していたHMDより一回り大きなゴーグル部分に、バンダナの様な太いバンド、更に頭頂部にラグビーのヘッドギアの様な十字型のバンドが付いている。
「これが、親戚から借りてきた想起装置、記憶を思い出す補助をする機械の試作品です」
「これが…」
「はい。これを頭に装着し、スイッチを入れ思い出したい記憶に関する事を思い浮かべて下さい。例えば、お母さんに関する事であれば、その顔や、身につけていた物、アクセサリーなど」
身につけていた物、を強調しつつ説明しながら堅一郎の傍らに回り込み、想起装置を取り上げる。
「さあ、どうぞ」
笑顔で差し出された装置を、受け取り困惑顔の堅一郎。
「ちょっと待て」
待ったを掛けたのは堅吾であった。
「はい?」
「思い出す必要のあるのは俺だ。そもそも、その装置、臨床例はどのくらいだ?」
「り、臨床例?」
花子が動揺を露わにする。
「そうだ。何人に試してどの程度効果があった?障害等の報告は無かったのか?」
「いえ、そういった事は何も聞いては…」
「だったら開発なり試験なりの担当者が同行するんじゃないのか?試作品といえば企業秘密だろう?一高校生が気軽に持ち出せるのか?俺はてっきり臨床試験の1ケースとして使わせて貰う事を想像していたが。だから2人で来た時、後で来るのかと思っていたんだ」
たたみかける堅吾に、花子は狼狽するばかり。不意に芳子が動いた。傍らのアタッシュケースを開け、中から拳銃らしき物を手にすると不意に立ち上がる。
「文句を言わず、装着する!」
父子に向かって突き付けられたそれは、確かに自動拳銃らしき形状ではあった。しかし、映画等で目にする様な可動箇所が見当たらない。せいぜい安全装置と引き金程度か。
「言っておくけれど、玩具じゃない」
事態が飲み込めず固まった父子の間に照準を定め、引き金を引く。小さな爆発音。思ったより小さな銃声。しかし、確かにソファに穴が穿たれる。一転して重たい静寂。
「さぁ、装着を」
銃口を巡らせ、父子に促した時。インターホンのチャイムが鳴った。
時は少し遡る。多賀下湖の湖底で感傷に耽った後、アルマエロら2人は地球の大気中から検出した細菌、ウィルスのワクチンを自ら投与し、10時間余りを安静に過ごした。夕方になり、憔悴した2人は水分と養分補給を行い(それは食事などという優雅なものではなかった)、身体を清潔にした(消毒ナプキン状の物で体中を洗浄する機械を搭載していた)。そして翌日からの行動を相談したのであった。その結果、まずはこの惑星、この地域について情報を得る事、ミマノロとの再会(あるいは輸送艦搭乗員との邂逅)はその次、という事になった。幸い、ミマノロの緊急キットからの遭難信号送信は確認していた(位置確認信号受信を契機として遭難した輸送艦が緊急キットの機能を起動したのであろう)。それを辿れば、再会を果たせる可能性は高かったのである。
さて、情報を得る、とはいえ2人には全くこの惑星について予備知識がない。結局のところ、光学迷彩状態の連絡艇で上空から地上の様子を観察する事に2日目は費やしたのであった。常時飛び交っているラジオやテレビの電波も記録し(とはいえ情報の復元方法を知らないため情報とはなり得なかったが)1日中飛び回り、自分達とそっくりな知的生命体の存在、その服装、言語(もちろん全く理解出来ない)生活習慣等を映像に収めたのであった。映像を解析、話し合った結果、言語はともかく(同じ知的生命体であっても、使用する言語が相違する場合のある事は判明した)、服装はどうにかしなければならない、という事になった。2人とも、田中姉妹のライダースーツの様な格好であった。それを、パンツのスーツに変形するという事で落着したのであった。
3日目、遂に遭難信号を追跡する事となった。2日目に湖を中心に結構な広範囲を探索したものの、受信出来た遭難信号は1つのみ。それがミマノロのものである事を祈りつつ、連絡艇を飛翔させる。緑豊かな地上を見下ろしつつ、やがて住宅街へ。その中に遭難信号の発信源はあった。近くの空き地に降下させると降り、連絡艇は帰艦させた。アルマエロが1つ、深呼吸する。
<ふむ、悪くない>
再び深呼吸。まるでやり溜めでもしておこうかという風に。プリヌフも、躊躇いがちにそれに倣う。
<本当に。後ろめたさ無しに深呼吸が出来るなんて>
端から見れば、妙な白人達が深呼吸しながら何かに感じ入っているという図。しかし、2人にはそういった行為を奇妙と感じる感性はない。
<さぁ、行きましょう>
プリヌフがハンディターミナルの様な装置を持ち、その先導で2人は歩き出したのであった。
間もなく一軒の家の前に、2人は辿り着いた。
<これを押す様ですが…>
観察の成果をプリヌフが早速試すべく、門柱のインターホンのボタンを押す。暫しの間ののち。
『はい、どちら様ですか?』
スピーカーから男の声で問い掛けてくるが、もちろん意味は判らない。
<ミマノロ一等操士はいますか?>
自分達の言葉で返答とはなっていない答えを返す。相手は無言。
<ミマナ、いるの?>
プリヌフに続き、アルマエロも問い掛ける。やはり無言。待つ事暫し、今度は玄関扉が開いた。
「すいません…」
扉から顔を出した堅一郎は、出来る限り扉を狭く開いたまま胸の前に掲げた左手であるジェスチュアをした。指を2本立て、2度上下に振る。それを目にするや、プリヌフの表情が険しくなる。
<敵がいます!2人以上!>
小声でアルマエロに教えるや、腰のポーチの中から小型の自動拳銃の様な物を取り出した。それは芳子が使用した物と似ていた。
「どうぞ、お入り下さい」
今度は扉を大きく開き、招き入れるジェスチュアをした。短く視線を交わし、2人は素早い動きを見せたのであった。
チャイムに一瞬気を取られた芳子であったが、気を取り直しアタッシュケースから拳銃をもう1丁取り出すと、花子に投げ渡す。
「出て」
銃口で堅一郎に促すと、彼はゆっくりと立ち上がった。
「あなたも」
堅吾も促されるまま立ち上がり、父子は姉妹に背後から銃を突き付けられつつダイニングへ移動したのであった。
「はい、どちら様ですか?」
インターホンのモニタに映る2人の女性に向かって、堅一郎が訊ねる。返ってきたのは、フランス語と中国語を足した様な語感の、彼にとっては懐かしい言語であった(話せはしないが)。
「帝国!3日前に降下した艦の!?」
芳子は表情を強張らせ、花子は不安げに視線を彷徨わせた。
「招き入れて!玄関で拘束する!」
4人は玄関へ移動した。堅一郎と田中姉妹は土間に下り、堅一郎が扉を開ける。
「すいません…」
右手はノブを持ち、左手は、枠からさりげなく体の前に持って行く。姉妹は扉の両側に身を隠し、銃を構えていた。
「どうぞ、お入り下さい」
扉を大きく開き、暫しの間ののち、堅一郎は不意に背後へ飛び退く。と、ほぼ同時にプリヌフ達が飛び込んできた。
「気付かれた!?」
芳子が驚嘆しつつもアルマエロへ銃口を向けようとした時。
「忘れてる!」
横から伸びた右手が、銃を持つ右手を掴もうとした。
「くっ!」
咄嗟に手を引き逃れ、手の主である堅吾に銃口を向け直そうとした。
「遅っ!」
堅吾は銃を持つ手を下から掬う様に持ち上げ射線を外しつつ引き付け、素早く捻ったのであった。
「痛い!」
思った以上の膂力で捻られ銃を取り落とし、為す術もなく堅吾に組み敷かれる。一方花子は堅吾の予想外の行動に気を取られ、プリヌフの銃に武器を捨てる事を余儀なくされていたのであった。
<ほう、この若者>
芳子を制した堅吾の双眸が赤みを帯びている事に、アルマエロは気付いた。花子の銃を取り上げ、花子に突き付ける。
「拘束する物を!」
堅吾の一言に、堅一郎はあたふたと家の中へ走り去った。
「くぅ、このっ!」
「動くな。こいつは本物なんだろ?」
右膝の下でもがく芳子の後頭部を、拾った銃で小突くと芳子の動きが止まる。
<なぜ、この様な所に連合がいる?>
プリヌフが花子に訊問する。姉妹が手にしていたのは、間違いなく彼女達の敵の制式銃であった。
<何も喋るな!>
芳子が鋭く叫ぶと、再び堅吾が銃口で小突く。
「何だ、さっきからこの言葉?どこの言葉だ?」
「…」
問いには答えず、目一杯首を巡らせ堅吾を睨もうとする。
「お前ら、まさかどこかの国のスパイか何かか?」
「それは、かつて美真名も話していた言葉だ」
いつの間にか戻っていた堅一郎の手には、布製のガムテープが握られていた。
「どういう事だ?母さんが!?」
息子の問いに答えず、堅一郎は微笑みを湛えたまま、芳子の両手首をガムテープでぐるぐる巻きにし始めたのであった。
田中姉妹は手足をガムテープで拘束され、ダイニングに運ばれた。
<お前達の目的は!?他に仲間は!?>
銃を構え、床に並んで座らせた姉妹を訊問するプリヌフ。
<…敵に語る言葉はない>
気丈に見返し、短く答える芳子。花子は恐怖のためか俯き、呼吸が早くなり始めていた。
<同じ言葉を話すのにか?始祖達の貢献に仇なす反乱者が!>
<圧制者の戯れ言など聞く耳持たない>
「親父、これ一体何なんだ?」
意味不明な言語で応酬する様を、困惑をもって見ている堅吾に、堅一郎は微笑のまま今度も答えない。
<お前達もミマノロ一等操士達を追って来たのか?答えろ!>
引き金に指を掛ける。花子の呼吸がより早くなる。
<返答は変わらない>
真っ直ぐ銃口を見詰める芳子。死の恐怖はそこにはない。花子の呼吸はもはや過呼吸といって良かった。
<このっ!>
引き金が、ゆっくり引き絞られようとした、その時。
「やめろ!」
声とほぼ同時に、堅吾の右手が銃を持つプリヌフの右手首を掴み、捻り上げていた。
<何をする!>
苦痛に顔を歪めつつ叫ぶプリヌフを無視し、芳子に向かい言った。
「良いか?これから俺の言う事を翻訳しろ。良いな?」
緊張感から解放され、安堵の色の隠せない芳子は小刻みに頷いた。
「俺の家で血を流すな。殺し合いがしたいなら全員出て行け」
その言葉を、芳子はほぼそのまま丁寧に翻訳してプリヌフ達に聞かせた。
<我々に出て行けと?帝国臣民ではないのか!?>
腕を捻られたまま、驚愕と共にプリヌフが毒づく。
<何とも言えぬ。その若者には我々と同じ血が流れている様だが。それはともかく、我々は警告に従うべきと思う。我々にはまだ為すべき事がある筈>
<…そうでした>
アルマエロから芳子へ視線を移し、引き金から指を離した。それを堅一郎が奪う。そうしてようやく堅吾は手を離す。いつの間にか、花子の呼吸は平静に戻っていた。
「なぁ、これからどうするのかこの2人に訊いてくれ」
芳子に向かい、また言う。1つ頷き、プリヌフと短く遣り取りした後、芳子は言った。
「話があるから残りたいと」
「そうか…だったら、お前達はもう帰れ。持ってきた物は全て置いてだ。良いな?」
もう武器を持っていないという保証はどこにもない。例えばアタッシュケースに何か仕掛けがあるかも知れないのである。芳子は大いに不満そうであったが。
「判ったわ。帰ります」
顔を上げた花子が断言した。
「なら、そう言ってくれ」
プリヌフ達を見遣りながら堅吾は言った。また未知の言語の遣り取り。プリヌフは怒った様子であるが、アルマエロの一言に不承不承、という風に口を閉ざす。
「承知したそうよ」
心なしか安堵した様に花子が答えた。
「それなら」
堅一郎はキッチンへ行き鋏を持ってきた。2人のガムテープを切る間も、プリヌフは油断なく2人を警戒していた。
「これで済んだと思うな」
「ご免なさい、堅吾君、お父さん」
闘志満々としおらしさ、2種類の視線を浴びつつ、4人は芦屋家を後にする田中姉妹を玄関先で見送ったのであった。
「学校でも外でも、二度と俺に近付くな」
背中に堅吾が言葉を投げつけた。
4人はリビングに場所を移した。先導した堅一郎は3人を入口で待たせ扉を閉めると何分か後に再び扉を開け入室を促し、プリヌフ達にソファに着席するよう手振りで示す。3人が腰を落ち着けると。
「少し待っていて下さい」
アタッシュケースを手にそそくさとリビングを出て行ってしまった。後に残された堅吾とアルマエロ達は、互いの様子を窺う様にチラ見していた。
<間違いない。この若者はミマナの遺伝子を受け継いでいる>
<若者、ですか?この惑星の知的生命体の外見と実年齢との相関は、未だ判然としないのですが>
<ミマナが消息を絶ってからの時間を考えれば、若者である事はまず間違いない。問題は、あの高齢の男性が何者かという事だが…>
<?輸送艦搭乗員では?我々のハンドサインを知っていたのですし>
<ならばなぜ、我々の言葉を使用しない?>
小声で話し合っているのを、堅吾は胡散臭げに視線を合わせぬよう見ている。と。
「お待たせしました」
堅一郎が戻ってきた。リュックの様な、あるいはランドセルを縦長にした様な、光沢のない薄緑色の物体を手にして。
「これが、美真名の遺品です」
堅吾の隣に腰を下ろし、それをテーブルの上に置いた。
<緊急キットですね>
プリヌフが手を伸ばし、背部下方の留め具に触れると、シャッターの様に開く。中に入っていたのは、田中姉妹が学校の屋上でしていたHMD状の機械の様で、ただし少々デザインは異なる。
<少し古い型の情報端末ですね>
手にしたプリヌフが、裏返したりしながら優しい目で眺めている。
「なぁ親父、あんな形見あったのか?」
訝しげな堅吾の問いに。
「ああ、見せた事は無かったな」
「何で?」
「見せても意味が判らなかったろうし、第1、見せられる状態じゃなかっただろう?」
「そりゃ、まぁ…」
声が小さくなり、俯いてしまう堅吾。
<これは?>
アルマエロが緊急キットに残された、小さなプラスチックの透明袋を取り上げる。中にはSDの様なメディア。堅一郎がどうぞ、という仕草をすると、袋からメディアを取り出し、プリヌフから情報端末を借りスロットに挿入する。額部にセットしスイッチを入れると、長方形をした装置の下方から眼鏡部分がせり出し、アルマエロの両目を隠した。
<メディア読み取り開始>
その一言と同時に、装置は指示を実行開始した。眼鏡部分に、彼女が読める文字の文章が一瞬表示され、続いて読めない日本語の文章が表示される。それと同時に、脳に直接音声情報が書き込まれて行く。それのみならず、文字の種類や読み方、構文や単語、活用形等言語の情報のほか、各種単位や時間関連(暦など)等々を変換する為の情報が、テレビの講座番組の如く映像、音声情報で目と脳に注ぎ込まれる。まるで緊箍児で締め付けられるかの様に、頭が全体的に痛み出す。
<うぅぅ>
苦痛に呻きながらも、アルマエロは耐え続けたのであった。装置は10分余り情報の奔流で彼女をもみくちゃにした後、停止した。呼吸も荒くスイッチを切ると眼鏡部分が引っ込み、外した時には額にびっしりと汗をかいていた。
「大丈夫ですか?」
堅一郎の問いに、僅かな間ののちアルマエロは頷いた。日本語を理解した最初の瞬間であった。
<あなたも>
プリヌフに手渡す。
<結構な容量だから、少々きつい>
プリヌフは躊躇いがちに、アルマエロと同様額部にセットする。
「はじめて…はじめ…アル…マエロ……」
暫く小声で言葉を呟いていたアルマエロは、やがて堅一郎に向き直った。
「はじめまして、アルマエロ・クオリスチア・プルニエゴ……です」
こうして、日本語の自己紹介はクリアしたのであった。
芦屋家を追い出された田中姉妹は、しかし素直に帰宅した訳ではなかった。
「早く出てきて」
花子がバイクに凭れながら、小さく呟く。その隣で、芳子は周辺を警戒していた。
「周囲に不審な人影無し」
「本当に、このまま見張るつもり?」
2人は芦屋家から少し離れたはす向かいの駐車場から、芦屋家の方を監視していたのであった。ツーリング仲間でも待っているかの様にしながら。
「帝国の兵力を確認する必要がある。こんな隔絶地まで2人きりで来るとは考え難い」
「私達は2人きりだけれど?」
「…それは、そう」
2人、どちらからともなく溜息が漏れる。
「わたし…たちは、ミマノロが、しるひと、です」
たった10分程しか掛けなかったと思えないほど、どうにか聞き取れ、理解出来る程度の日本語で、アルマエロは言った。
「…つまり、貴女方は美真名の知人、という事ですね?」
堅一郎がゆっくりと話す。
「ち、じん?ミマナを、どういう、かんけい」
「私が、ですか?」
「はい」
堅一郎は少し寂しげに微笑んだ。
「美真名は、私の妻で、この堅吾の母親です」
1つ息子の肩を叩く。
「つ、ま…おく、さん?はは、おや…おかあさん…」
1つずつ確かめる様に呟く。
「私はこの惑星、地球と呼んでいますが、ここの生まれです。私の妻、ミマノロ・ポロク・アッシクルは17年程前、この地に降りてきました」
この言葉に激しく動揺したのは、当然ながら堅吾であった。
「何だそれ、母さんが異星人みたいな言い草!」
「その通り。美真名はこちらの方々と同じ異星人だ」
到底正気の沙汰とは思われない様な言葉を、堅一郎はにべもなく言い放つ。
「……」
「多賀上湖脇の林の中で、私は妻と出会いました。私は絵を描くのが好きでして。美真名はずぶ濡れで、震えていましたが、気丈にも私を睨み付け、銃を向けてきました」
絶句した息子を置き去りに、堅一郎は話を進める。懐かしげにテーブルの上の銃を見遣る。それはプリヌフから取り上げた物であった。
「私は彼女に、自分が敵意のない事を伝えようとしました。全く言葉も通じず、身振り手振りでも意思が伝わりませんでしたが。そうこうするうち、彼女は気を失いました。助け起こしてみると、高熱で、私は彼女をこの家に運び、着替えさせようとしましたが、あの一体型のスーツの脱がせ方が判りません。ファスナーも何も無いですし。仕方なく、首輪の様な金属部分を弄っていましたら、2つに別れて、その、不作法な事に…」
恥ずかしい思い出が甦ったのか、堅一郎の頬が赤らむ。
「ぼうごふくを…ぬいだのか」
「脱がせて、しまいました。まさか、あんな風になるとは…」
「わたしたち…は、きて、い、いる、います。きんぞくぶぶん、とは、この、これ、です」
ワイシャツの襟を捲ると、上手に隠されていた首輪の様な金属部分が現れる。
「そうです…その下に着ているのですか?」
「これです」
アルマエロが襟の裏側に指を入れると、スーツが変形を始めた。襟やボタンが縮んで消え、白かったワイシャツは黒くなり、上着やパンツと一体化する。それは田中姉妹のライダースーツと同様であった。
「これ、でしたか」
「そうです、そうです」
感心した様に何度も頷く堅一郎。アルマエロは元の服装に戻した。
「それで、ミマノロは、どうなったか」
少し苛立った様に、プリヌフが訊ねてくる。
「失礼、話が逸れましたね。美真名は言葉が全く判りません。乗ってきた宇宙船も水中で動かなくなった様で、とりあえず私の家、つまりここで暮らす事になりました。いやぁ、最初の頃は大変でした。2階の部屋に閉じ籠もって、出てこようとしなかったり。それでも少しずつこの世界の事を覚えてゆき、慣れていきました。そうして2年程後、息子の堅吾が生まれたのです」
「その、わかもの、が」
アルマエロは、堅吾を真っ直ぐに見た。
「そうです」
大きく頷く。
「あなた、は、ちきゅう、に、ひと。ミマノロとこども、の、できること、かのうだった」
「はい。2人で色々と話し合いました。彼女の、つまりあなた方の世界では、子供を作れる機会はなかなか巡ってこないとか。帰れる見込みもないなら、と、この地球で母親になる事を選びました」
「いま、ミマノロを、どこ」
「…美真名は、死にました」
俯きがちに、ぽつり、告げる。
「しぬ…おわり」
そう呟いたプリヌフの表情が、見る間に険しくなる。
「ミマノロのしんだの、そのため、それのため!」
立ち上がり堅吾を指さす。
「いや、待って下さい。確かに出産後体調を崩していましたが…」
「それ!いせいじんにこうはい、どうなるか!」
「ですから、それは話し合って…」
「ミマノロの、わたしたちの、だいじなひと!それを、しんだ!」
激昂したプリヌフは、しかし。
「うるせぇ!!」
彼女を超える音量の、堅吾の一言に我に返る。
「てにをはぐちゃぐちゃの日本語で言いたい事言いやがって!何にも知らないくせに!」
憤然と立ち上がり、リビングを出て行く。それを引き留めるでもなく見送った堅一郎は、少々険しい表情でアルマエロら2人へ向き直った。
「怒らせてしまいましたね…貴女方の慣習なのかも知れませんが、少々無神経な言葉遣いではありませんでしたか?」
不快感を滲ませた口調で、2人を見較べながら言う。
「むしんけい…わたしたちの、ことばわるかった」
「なにがわるい…わるい?」
アルマエロの呟きを受け、プリヌフがようやく疑問形で訊ねる事が出来た。
「まず最初に言っておきます。美真名の死は、息子の誕生と直接関係はありません。それと貴女、お名前は?」
プリヌフは堅一郎に視線を向けられて、自己紹介がまだであった事を思い出したのであった。
「プ…プリヌ、フ…エル、ティア……カ、ルシアム」
発音に苦戦しつつ、ようやく名乗る。
「プリヌフさん。貴女は美真名を、大事な人、と言いましたね?」
「はい」
「ならば、なぜ、17年間も彼女を放置しておいたのですか?大事な人を、必死で探しましたか?」
「ほうち…しんぶん?…なにもしない」
アルマエロの呟きは、下らないボケにも聞こえた。
「ひっし…いっしょうけんめい…しぬつもりで?」
プリヌフも、堅一郎の言葉を咀嚼しようとそれこそ必死であった。
「どうですか?」
なかなか返答はない。どうやら沈黙が返答の様であった。
「…探さなかった、のですね?」
あからさまに落胆を表情に出す。
「さがす、てがかりの、すくなかった」
言い訳がましくプリヌフが言う。
「そうですか?少なくとも、貴女方の敵は、貴女方より探すのに必死だった様ですが。あの2人が、あれほど流暢な日本語を喋っていた事からも、随分前から来ていた事は確かでしょうね」
「りゅうちょう…うまく…じょうずに…」
アルマエロの小さな呟き。
「今日のところは、お帰り頂けませんか?これはお渡しします」
緊急キットに、プリヌフから取り上げた銃を入れ押しやる。アルマエロ達は視線を交わすと、メディアを挿入したままの情報端末を仕舞い、シャッターを閉じたのであった。
「かえります…さよう、なら」
緊急キットを手に取りアルマエロが言うと、堅一郎に倣って3人は立ち上がった。玄関先まで堅一郎が見送る。外は闇の帳が下りようとしていた。
「近頃は危ない人間がこの近くにも居る様ですから、気をつけて下さい」
「むかえ、が、くる、から」
プリヌフがポーチから、来た時持っていた装置を取り出し操作して暫くすると、家の前に低い唸り音を立てつつ何かが降下してきた。見える筈のない背景を揺らめかせつつ、それは中空でタラップを降ろす。その空いた部分から、何か旅客機のキャビンの様な空間が垣間見える。誰かが下りてくる気配はない。
「さようなら?」
アルマエロが最後に振り返り、別れの挨拶をする。
「さようなら」
堅一郎は教授する様に、ゆっくりと返答した。
「さようなら」
再びそう口にし、タラップの向こうに消える。見えざるそれは、一旦垂直上昇し、南西の方角へ飛び去ったのであった。
待ちに待った動きであった。玄関先に出てきたアルマエロ達を認めた田中姉妹は、更に周囲を警戒する。
「やはり、2人きり?」
先程から見張っていても、アルマエロの同行者らしき者は見当たらない。
「未だ判らない。迎えが来る筈」
芳子の言葉通り、見えざる迎えがやってくる。しかし、降ろされたタラップから誰も姿を現さない。
「自動操縦?警護も無し?」
「本当に、2人きりなの?」
2人が見えざる迎えの中に消え飛び去る様を、2人は見送った。
「…あちらも、事情がある様ね」
「…」
ヘルメットを被った2人は、バイクに跨ると芳子の運転でその場を離れたのであった。
連絡艇の操縦席に着きながらも、アルマエロ達は自動操縦に全て任せ話し合っていた。
<残念です。ミマノロ操士が亡くなっていたなんて>
右手で顔を覆いながら、プリヌフは鼻声で言った。
<この、地球という未知の惑星で、本星とも連絡を取れず、救助の来る見込みも無く…彼女の判断は、やむを得ない>
<しかし、我々は心の支えを失いました。これからどうすれば良いのですか?この星を去るにしても、どこへ行けば>
<暫くここに留まる。あの若者と、話がしたい>
<ですが、連合が居るのですよ?戦闘になれば、こちらに勝ち目があるかは>
<恐らく、大した戦力はない。充分な戦力があるなら、位置確認信号送信時に気付いて迎撃してくる筈>
<それは、そうですね>
<ともかく、まず我々がやるべき事は決まっている>
<それは何でしょうか!?>
プリヌフが勢い込んで訊ねてくる。アルマエロは、そんなプリヌフを横目で見る。
<プル、貴女があの若者に謝罪する事>
<私がですか?しかし、彼が生まれたからミマノロ操士は>
<父親が言っていた。彼の誕生とミマナの死に直接関係はないと>
<そうですか?あの人の言う事は大半が理解出来なくて>
<私も大差ない。しかし、それは理解出来た。謝罪すべき。たとえ彼の誕生とミマナの死が関連していたとしても、彼に責任はない>
正面から見据えられ、プルは不承不承、言った。
<…了解しました。いつでしょうか?>
<明日>
<明日?もう少し間を>
<時間が惜しい。明日>
<…了解しました>
話をしている間にも、連絡艇は多賀下湖に到着していた。一旦空中停止し、静かに湖面へと降下してゆく。やがてさざ波のみを残し、連絡艇は水中に没したのであった。




