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二話:こどもとねこ

 こどもは「ねこ」という生き物がいることは知っておりました。

 以前、「おかあさま」がここに居たころ、一匹の子猫が迷い込んできたことがあるのです。

それはとてもちいさくてふわふわしていて、かわいらしくにゃあにゃあと鳴く生き物でした。

こどもはすっかり子猫に夢中になりましたし、「おかあさま」もそれはそれは可愛がっておりました。

けれどある日のこと。

「おかあさま」が子猫にひっかかれてしまったのです。

「おかあさま」はちっとも怒っていませんでした。子猫はまだあかんぼうだから仕方がないのよ。

そういって優しく笑っておりました。

けれども黒い髪の男の人は許しませんでした。

「おかあさま」の細い指に傷ができていることを知った男の人は、おもむろにその子猫を壁に叩きつけてしまいました。

そうして子猫は、それきり動かなくなってしまったのです。

最後に会った時の、「おかあさま」のように。



「おかあさま」がここに居なくなってしまってから、男の人はほとんどここには姿を見せることはありません。

けれどこどもの脳裏にはそのときの恐怖がこびりついていましたから、男の人にみつかれば目の前の猫もそのようになってしまうと思いました。


 そうして動かなくなってしまったら、おかあさまや子猫のように、あの男の人に連れて行かれてしまうとも。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




庭に隠れていた猫はとても大きく見えました。

あの時の子猫より六回りは大きいように思えます。

赤黒いものは血でしょうか。

べっとりとついた血からはもとの毛並みの色を想像することすらできません。

それでもおなかはちいさくちいさく動いておりました。

だからこどもは寒いことも忘れて、声をかけました。

「……ねこさん、き、きずのてあてをしたいのですが、さわっても、よろしいでしょうか……」

「おかあさま」が居なくなって以来、ほとんど仕事をしなかった喉でしたが、なんとか言葉を紡いでくれました。

猫はその言葉に、うっすらと瞳を開けてくれました。

しかしこどもの姿を一瞥し、すぐに瞳を閉じてしまいます。

こどもは具合が悪い時ほど動きたくないし声も出ないことを、身をもって知っております。

だから余計に猫のことが心配になりました。

だんだんと陽の落ち始めた外は寒く、傷を負った猫にとってはあたたかい場所のほうがよいのでしょう。

悩んだ末にこどもは、着ていた着物を脱いで猫をくるみこみ、よいしょと両の腕で抱え上げました。そうしてよたよたと部屋に運び込むと、自分の布団の上になんとかおろすことができました。

そうしてこどもはかじかんできた指先にはあと息をふきかけつつ、器にくんできた水と残っていた食べ物をすべて猫の前に置きました。

 そこでこどもの力は尽きてしまいました。もともと熱のあった身体は芯から凍えるほど寒くなっています。そのくせ襦袢は気持ちの悪い汗でぐっしょりとなっておりました。

 へたへたと猫のそばに座り込むと、こどもはそのままちいさく蹲りました。

「ねこさん……」

こどもはとなりでぐったりとしている猫をみつめました。

脳裏に動かなくなってしまった「おかあさま」や子猫のことが浮かびます。

知らず、声が震えました。

「ねこさん、どうか、ねこさんはうごかなくならないでください……」

猫はその言葉にほんの少しだけ瞳を開け、そうしてちいさくでしたがぶにゃあと鳴いてくれました。



次の日こどもの目が覚めたとき、となりにいた猫はやはり同じように丸まっておりました。だけども前に置いてあった器のお水が減っていたので、こどもはほうっと息を吐きました。

けれどもこどもの熱は下がっていないようでした。

あたまがぼうっとしてからだがとても重たい気がするのです。だからこどもは横になったままぼうっと猫を見ておりました。

やがて猫はほんの少し頭を動かして、自分のからだをゆっくり舐め始めました。

こころなしか毛並みにまみれていた赤いものが少なくなっている気がします。

猫さんはこうして傷を舐めて治すのだなあとこどもは感心しました。

やがて目を開けていることが苦しくなってきたので、そのままこどもは瞳を閉じました。息が吸いにくくて、喉の奥がぜいぜいと音を立てます。

おみずが飲みたいなあと思いましたが、「おかあさま」がいない今はこの部屋には誰もやってきません。外をつなぐ小さな扉からは日に一度だけお膳を差し入れるひとの腕が見えますが、それだけなのです。

だからこどもはただまぶたを閉じました。次に目が覚めたときに動けたらおみずを飲もうとぼんやり思いながら。



いくら眠ったのでしょう。こどもはひどく苦しくて目が覚めました。

のどがからからでからだがすごく熱く感じました。

息を吸うのも辛くて勝手に涙がにじんできます。そうして思いました。

「おかあさま」はこんなとき、優しい手で汗を拭いてくれました。おみずを飲ませてくれました。

どうして「おかあさま」は帰ってきてくれないのでしょう。あの男の人が帰してくれないのでしょうか。あのまま動かないままなのでしょうか。

考えるとなぜだかぽろぽろと涙がこぼれてきました。その理由もわかりません。

小さくおかあさまとつぶやくと、ふいに何かが頬に触れてくるのを感じました。

それは「おかあさま」の指の感触によく似ておりましたので、こどもはたいそう驚きました。目をみはりますが、あたりは真っ暗で何も見えません。

外からもれてくる薄い月の光でぼんやりと誰かが居ることだけはわかりました。人影は暗く、顔は見えませんがその髪だけは月の光をはじいて金色に光っております。

「……おかあ……さま……?」

それはおかあさまの色でした。

こどもの髪の色はおかあさまのものよりも暗いものでしたが、おかあさまの髪の色はきれいなきれいな月の色をしていたのです。

ふいに胸が詰まってさきほどよりももっと多くの涙がでてきました。ぼろぼろこぼれるそれにびっくりしたのでしょう。

一瞬だけ動きを止めた指は、それでもゆっくりと頬のつめたいものを拭ってくれました。

「お、かあさま……」

泣きじゃくり、そうして再度つぶやいた声はそれはそれはみっともなくかすれておりました。

けほけほと喉が音を立てたことに気付いたのでしょう。

指はついと頬を離れてゆき、そうしてなにか冷たくてやわらかいものが唇にあてがわれました。

はたしてそこから注がれるものはみずでした。

こどものからだはこどもの意思とは無関係にそれを求めていたようでした。

ごくごくをそれを飲み干し、そうしてけだるい心地で横たわっていると、先ほどの手が頭に触れてくるのを感じました。

それはこどもが知っているおかあさまのものより大きいような気もしましたが、それでもとてもやさしく頭を撫でてくれました。



おかあさま。

おかあさまが、かえってきてくれた。



こどもはその安堵のなかで、そっと目を閉じました。

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