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第六話

 最後になるかもしれない仕事。

 その貴重な時間を熊狩りで無駄にしたくない。


「なんで熊狩りしたくねぇんだよっ」

「なんで熊狩りしに行かなきゃならないんですか」


 確かに王都近辺の山に行く依頼はあるが、珍味のキノコを採ってくるだけであって熊を獲ってこいなんて依頼は入ってない。


「俺の趣味だっ」

「仕事中に趣味を持ち込まないでください」

「てめぇ! 熊の何が気にくわないんだっ! あのムキムキの上腕二頭筋! 波打つ大臀筋! そして輝く黒々とした剛毛!完璧じゃねぇかっ!」


 よし分かった。

 この駄目上司は凪国王妃に似ているのだ。

 今この時、ヒキコさんは確信した(とっても遅いが)


 凪国王妃――果竪も魅惑の白い大根によく悶えていた。

 きっと彼女は、八百屋か大根農家に嫁いだ方が心底幸せだっただろう。

 なのにあのロリコン大魔――でなく、麗しの白き女神に捕まってしまったが為に彼女の神生はどん底まで落ち込んだ。


 あの白き王にさえ――。


『ああ私の可愛い果竪! もし萩波が相手でなければどんな手段を用いてでも性転換してあなたを娶って妻として可愛がってあげましたのに!』


 うん、どっちにしても不幸だ。

 ヒキコさんは凪国王妃を追いかけ回している侍女長を思い出し納得した。

 いや、侍女長だけではない。

 上層部自体が凪国王妃をそれはそれは追いかけ回していた。


 果竪依存症


 果竪不足


 なんて、よく分からない症状を起こして。

 しかし構われる方はたまったものではない。


 あれを見て思った。

 王との結婚なんてロクなもんじゃない――と。

 夢見る乙女達の「いつか王子様が」なんていうのは、所詮夢で終わらせた方が良いのだ。

 実際に起こったら苦労するのはこっちだ。


 ――と、ヒキコさんは自分の経験もあわせて断言した。


 今ごろ凪国王妃は元気だろうか。

 王の迷惑な愛に押し倒されているか、上層部の重たい溺愛に頭痛を覚えているか、それとも大根達の逞しい上腕二頭筋に酔いしれているか――。


「なっ! 熊は最高だろっ!」

「分かりました、これからは熊男さんって呼びますから」

「バカかてめぇ! 熊と俺を同列に扱うんじゃねぇ!」


 ああ、そこは怒るだけの


「熊に失礼だろ」


 ヒキコさんはそっと脳神経外科のパンフレットを黄汀に渡した。

 もちろん、ゴミ箱に投げられたが。


「分かりました、もう良いから一神で熊狩り行ってきてください」

「ああん? ヒキコはいかねぇのか?」

「黄汀さん、これでも私は一応か弱い女の子なんですが」

「は? ヒキコはヒキコだろう? ヒキコ科ヒキコ属に属する。人間界を恐怖のどん底にたたき落とした『ひきこさん』さえ裸足で逃げ出す真性ヒキコ」

「どうせなら『サダコさん』の方が良かった。そうしたらテレビの中に引きずり込んで差し上げたのに」

「バカだなヒキコ。サダコさんはテレビから出てくるが、テレビに誰かを引きずり込んだりはしないんだぜ。ダッセ~!」


 なら、ヒキコさんの名前に相応しく引きずり回してやろうか。


「というか、俺に雇われの身のくせして自分は仕事放棄か」

「上司がロクでもない仕事をするのを止めようとしているだけです。それに……その山って、夜までに帰ってこれないじゃないですか」


 ヒキコさんの中に、世話係の言葉が蘇る。


『今日の夜、王のお渡りがあります』


 流石のヒキコさんも、王のお渡りを無視する事は出来ない。

 それどころか、その時に部屋に居なければ自分が王都に働きに出かけている事が露見する。


 それに大騒ぎに――いや。


(大騒ぎにはならないか)


 居ても居なくてもいいと言われた。

 王妃という存在があれば良いと。

 王と王妃が結婚した事実が必要であって、そこに本当に王妃が居る必要はない。


 そもそも、ヒキコさんの存在自体を周囲に知らせたくない、とばかりに部屋に押し込まれていたのだから。


 だが、そこまで考え、ヒキコさんは前言を撤回した。


(ううん、大騒ぎになるわ)


 隠しておきたい相手が外に出ている。

 誰にも会わせず、誰とも話させず、ただ飼い殺しにしていた王妃がのうのうと王都に降りてその存在を露わにしている。

 もちろんヒキコさんが王妃だと気づく者は皆無だろうが、秘密というものはふとした所から漏れるものだ。


(な、なんとか王が来る前に帰らないと)


 仕事を続けられないとしても、王都には来れる。

 しかし、バレてしまえば、それさえも出来なくなるかもしれない。


 今日のように――いや、今朝など比べものにならないほど厳重な警備を敷かれるかも。


 そうだ――警備。

 ヒキコさんは朝のことを思い出す。

 世話係達もそうだが、そもそも今日は何もかもが朝からおかしかった。

 警備なんて今までついた事もないのに。


 しかし、もし何かが起きているとなれば、あまり良くない事だろう。

 下手すれば、関係ない者達――ヒキコさんの仕事に関係する者達も巻き込んでしまうかもしれない。


 その最たる相手はこの黄汀である。


「夜、か――まあお前は泊まりがけの仕事は最初から拒否してたしな」

「はい」

「けど、夜遅くまで仕事する事は何度かあった」


 黄汀の言うとおりだ。

 もちろん、その場合のアリバイ作りは「夕食はいらない」だが。

 それに、月に一度あるかないか、ぐらいの頻度だからこそ今までバレずに済んでいた。


「まあ無理強いはしないさ」

「黄汀さん……」


 今までと打って変わった黄汀の態度に、ヒキコさんの心が痛んだ。

 色々と横暴な上司だが、それでもヒキコさんが辞めないのはこういうさりげない優しさに惹かれて。


 他の同僚の時もそうだ。

 子供が熱を出して長く休みを取らなきゃならない時、黄汀はいとも簡単にそれを認めた。

 それどころか、相手の心に負担がかからないようにさえした。


「あの――」


 何かが起きている。

 そしてその何かはヒキコさんにとってあまり良くないもの。

 仕事も、続けていけるか分からない。

 そんな予感がする。


 薄々気づきながら、少しずつ抱えていたものが形作る。

 普通辞職願は後任や職場に迷惑をかけない為にも余裕をもって行う。

 でも、ヒキコさんには時間がない。


「黄汀さん、私」


 辞めたくない。

 でも、言わなければ。

 理由を聞かれたらどうしよう。


 結婚する?

 親の介護が?

 子供のことで?


 どれも駄目だ。


 ならば仕事が嫌になった――。

 いや、それだけは言いたくない。

 だって仕事はとても楽しかったから。

 辛い時も苦しい時もあったけれど、本当に、楽しかった。


 喉が詰まる。

 言葉に詰まる。


 ただ空気だけが口の中を行き来する中、ヒキコさんは何とかそれを言おうとした。


「ヒキコ」


 それを制したのは黄汀だった。


「いい、言わなくても分かってる」

「え?」


 分かっている?

 それは、どういう。


 混乱するヒキコさんは黄汀を呆然と見る。

 だが、次の瞬間ヒキコさんの中の何かに罅が入った。


「生理痛の時の休みがつくかどうかだろう? まあお前の仕事の頑張りを考慮して」

「なんで黄汀さんが私の生理痛を知ってんですかっ!」


 まさかもう王都まで広まったのか?!


 いや、でもちょっと待て。

 王宮の上層部で広まっているのは「王妃の初潮」であって「ヒキコさんの初潮」ではない――いや、ヒキコヒキコ言われてるけどっ!


「陛下も大浮かれだしな。まあ、仕事も無理だろう」

「大浮かれじゃないです! というかなんで私の初潮が知れ渡って」


 ――え?


「とりあえず一年働いていたから、退職金は出すさ。後で計算しておくから、ああ、取りに来させなくても俺から行く」

「え、あ、あの、黄汀さん?」

「にしても長かったな。ここに来て三年目、ようやくか」


 この、言い方。

 そして、ヒキコさんを見る目つき。

 楽しくてたまらないという、愉悦のそれ。


「お前と仕事が出来て楽しかったぜ――ヒキコ、いや、王妃様」

「っ?!」


 な、なんで――。


 黄汀がくすりと笑う。

 口角を上げて笑う黄汀の顔は、いつもとはまるで別人のように美しく――ゾクリと震えるほどの危険な香りがした。


 見た目熊なのに。

 ぼっさぼさなのに。


「ってか、本当に気づいてなかったのか?」

「へ?」

「普通の職場が、身元不明の相手を雇うわけねぇだろ。まあ神生きてりゃ色々あるが、お前の場合は保証神さえ作らせなかった。保証神となる相手が居ない事はあっても、俺が紹介する相手全て断っただろ」


 当たり前だ。

 そこから、ヒキコさんの身元がバレたら困る。

 客として一時的に付き合うならばまだしも、保証神ともなれば色々と付き合いは出てくるし、そうなればバレる危険性も高まる。


「普通ならそこで不採用だ」

「あ……」

「でも俺は雇ったさ。何故か? 調査でもしたのか? いいや違うな。最初からお前の正体を俺は知っていたからだ」

「知って……」


 どうやって、知ったのか?


 その理由はすぐに分かった。

 黄汀がスッとヒキコさんの足下に傅いた。


「初めまして、泉国王妃。我が名は黄汀――」


 そして続く言葉は。


「泉国国軍参謀が一神でございます」


 ニヤリと笑う顔は、なじみ深い上司のものだった。


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