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第二話

 泉国王妃――ヒキコさんの本名は、柚蔭(ゆいん)と言う。

 今年で一六歳になる彼女と王の年齢差は三歳、王妹とは同い年――というのは大して重要ではない。


 ヒキコさんはどこまでも平凡で無特徴だった。

 強いて言うなら特徴がない事が特徴なのかもしれない。

 身長は高くも低くもなく、体型は痩せてもいなければ太ってもいない。

 髪は一般的な紅でも蒼でもなく、灰色で目の色も黒に限りなく近い紫色。

 顔は特別不細工ではないが、一度見ても大抵の人はすぐに忘れてしまいそうな何処にでもある顔。

 人間界で流行っていたゲームでいえば、モブキャラという所だろう。


 しかし、ヒキコさんの真の価値はその特技にある。


 すなわち


 存在感が薄すぎて気づかれにくい事。


 そう、別にヒキコさんは泉国に来てから引きこもったわけでない。

 元々産まれ持った特技が、自分の気配を消す事が出来る――というよりは、意識しないと誰にも気づかれないほど常に存在感が薄いというものであった。

 だからこそ、存在感がなさ過ぎて居なくなっても誰にも気づかれないし、凪国では王の影――『海影』の長たる茨戯に諜報活動の部分で影としてスカウトされかけた事だってあった。

 しかも、好きな服装が顔を隠せる黒フード付きの黒衣という所からして年季が入っている。


 流石に王都で働いている時には顔は出しているが、泉国王宮では常に顔まですっぽり黒衣を纏う。

 ヴェールを被るよりもこちらの方が好きだし、そういう格好をしていても誰も気づかない。

 というか、王妃がそこにいる事すら気づかない。


 と、ここで一つ疑問に思うだろう。

 そんなスキルがあるなら、とっとと存在感を隠して凪国に逃げ帰ればいいのに。

 いや、そもそもどうして王と王妹の仲を応援する一派に掴まったのか――と。


 理由は簡単だ。

 目を付けられた時、ヒキコさんは今までの神生で一番存在感を露わにしていた。

 もちろん理由は別にあるけれど、それが運の尽き。

 その後、ヒキコさんの事を調べ上げた一派は、彼女が友神の竜胆と共に巻き込まれた神買い事件に介入して、彼女を買い取り王妃として王に宛がった。

 そう――共に買い取った竜胆を無事に凪国に返す事と引き替えに、ヒキコさんは自らの身を売ったのだ。

 そこで泉国国王か誰かに助けを求めれば良かったのだが、彼は望まぬ王妃の存在に怒り狂って式まで会いに来ず、凪国側が駆けつけた時にはヒキコさんは泉国王妃の地位に居り、手が出せなかった。

 しかも竜胆は手厚く保護されており、保護した自分達に恩返しをしたいとしてヒキコさん自らが申し出た事と押し通された。

 もちろん、事が露見した場合の為の処置として、ヒキコさん自身が書いた書状まで用意されていればどうにもならない。

 そこでヒキコさんが脅されたといっても、言った言わないの水掛け論となる事は目に見えており、凪国はヒキコさんの命の保証を取り付けるぐらいしか出来る事はなかった。


 それ以外となれば、戦になる。

 一派は利用価値のあるヒキコさんを返さないし、この時何故か王もそれを良しとしなかった。

 もし泉王と上層部がヒキコさんの身柄を凪国に返還する様に命じれば、一派としては従うしかなかったかもしれないのに。

 けれどその理由はすぐに分かった。

 他に、王と王妹の仲を裂く事なくその地位に甘んじている都合の良い存在が居なかったのだ。


 だから、ヒキコさんは一神泉国に残された。

 後ろ盾になるという凪国の申し出すら蹴った泉王により、無力な存在として。

 当たり前だ。

 後ろ盾なんて持たれたら、泉王の愛する王妹が害される恐れがあるのだから。


 あるのは、命の保証だけ。

 だから、価値の無くなったヒキコさんを一派は捨て置くだけで留めている。

 都合の良い事故死を望むだけに留まっている。


 そしてそれは、王や上層部も同じだろう。


 だからヒキコさんは王妃でありながら警備は無きに等しく、存在感さえ消せば王都にも簡単に降りられる。


 それでも、ヒキコさんは思った。

 いつか――と。

 いつか、お役御免の時が来たならば。


 凪国がもう一つ勝ち取ってくれたもの。

 それは、ヒキコさんの代わりにその役目を担ってくれる者が現れた時は、ヒキコさんを自由にする事。


 知りすぎた者として消す事は許さない。


 もちろん、それを自国での事だからと泉王が突っぱねる事は可能だったが、何故か彼は受け入れた。

 それは紙面に記載され、泉国、凪国、そして炎水家が一部ずつ持つ。

 炎水家が持つとなれば、決してその契約は破ることは許されない。


 それは一派さえも反論一つ許されない。


 命の保証――それは、知りすぎた者としての抹殺や暗殺からの回避。

 そして、代わりが出来た時の解放。


 この二つが、ヒキコさんに許され与えられた最大の保証。


 ただ、その代わりが何時現れるか分からないから、ある意味お先真っ暗であるのは変わりない。


 それに、代わりが現れなければ、ヒキコさんは永遠に泉国に囚われ続ける。


 けれど――。

 それでも、もし現れたら?

 もし、現れたら――。


 そう思い、ヒキコさんは働き続ける。

 最初は元庶民という性格上、何の仕事もせずひたすら三食昼寝付きでぐうたら過ごす日々に激しい罪悪感を抱いたせいでもあったが。

 とはいえ、王妃になった経緯が経緯だから、最初はめっちゃ贅沢してやろう――と最初に思ったのも事実だが――。


 やはり庶民には無理でした。


「おい、ヒキコ」

「……」


 右手に焼き鳥左手にワンカップ。

 存在感希薄絶賛中で王都から戻り、後宮外れにある王妃の間へと歩いていたヒキコさんは、足を止めた。

 おかしい――いつも以上に力を抜き、存在感はマイナス値を突破した筈なのに。


「ヒキコ、聞いてんのか?」


 それは、この国の将軍の一神。

 粗野な物言いだが、ヒキコはその男の見た目が絶世の美女(男)だと知っている。

 因みにこの国も、凪国同様上層部は男の娘揃いだった。


「おい、ヒキコてめぇ俺を無視すんなっ無視子って呼ぶぞ!」

「無視子で良いです」


 そう言いながら、振り返りもせずにスタスタ歩き出したヒキコさんの肩に向かって彼は手を伸ばした。


 するり


 伸ばした手がからぶる。


 ぶん

 するり

 ぶん

 するり

 ぶん

 する~り


「てめぇいい加減にしろよっ!」


 五月蠅いこの上層部。

 ヒキコはヤサグレた。


「良いからこっち向け! 向けない何かがあるのかっ」


 向けない何か――。

 とりあえず、右手に焼き鳥、左手にワンカップ持ってますけど――うん、これは向けない。


 ヒキコは時間を稼ぐことにした。


「それよりどうしてあなたが後宮に居るんですか」

「あぁ?」

「後宮は王の為に咲き誇る花々の園。女しか入れない禁域。まさかとうとう後宮入りですか?上層部全員が後宮入りするのも近いですね」

「――っ!!」


 凄まじい怒声と同時にヒキコさんのスタートダッシュ。

 それはロケットエンジンを思わせる素晴らしいものだったと、後に目撃した者達は語る。


「ヒキコおぉぉぉぉっ!」

「……」


 ヒキコさんは無言で逃げる。

 ハムスターの様に焼き鳥をほおばり、ぐびりとお酒で流し込みながら。

 その途中できちんと燃えるゴミに串を、燃えないゴミにカップを捨てて行く。


 これで証拠隠滅。


 自由になった両手でヒキコは完璧な走りフォームを作る。

 手と足を大きく動かし、長い廊下を駆け抜ける。

 その後ろにはつかず離れずの将軍の姿。


「待てヒキコっ! 待ちやがれっ!」


 待てと言われて待つバカは居ない。

 そのままヒキコは自分の部屋まで来ると、扉を開けて中に滑り込み鍵をかけた。


「ヒキコ!」


 激しく扉を叩かれる。


「おい出てこい! ってか、なんで勝手に外に出てんだオラァ!」


 こいつ口悪いな――と思った最初の頃。

 見た目女だからせめて仕草と口調だけでも男に……という涙ぐましい努力の末という事を知った時、思い切り吹き出してしまいそれからこういう関係になっている。


「ヒキコ、ヒキコっ!」


 ヒキコと叫び続ける将軍。

 王妃とも呼ばず、かといってヒキコさんの本名を呼ぶわけでもない。

 というか、この王宮でヒキコさんの本名を覚えている者はどれだけ居るだろう。


 因みに、上層部は皆『ヒキコ』と呼んでいる時点でたぶん皆無だろう。

 夫すらも、「ヒキ――王妃」と言いやがった。

 別にそれは良い。

 凪国でもヒキコと呼ばれていたし。

 別に引きこもっているわけではない。

 ただ生まれつき存在感が無くて、かなり頑張らないと存在感が出ないだけで、隅っこと暗いところが大好きなだけだ。


「ってか外に出るなって言ってるだろうが! いや、浮気か?! 男と逢い引きかオラァ!」

「逢い引きも何も男の娘しか居ないじゃんここ」


 途端に扉が吹っ飛びそうになるほどの一撃が来る。

 いや、細かく見れば見た目も男とか、平凡な容姿の男も居る――そう、位が下になればなるほど。

 けれど、上層部は全員男の娘ではないか。

 そして後宮に近づけるのはその上層部しか居ない。


 そう、上層部だけは後宮すらもフリーパスなのである。

 だから上層部の一員である将軍が居た所で何の問題もない。


「ちくしょうてめぇ! マッチョか?! 黒光りする筋肉眩しい俺達が望んでも得られないムキムキマッチョをたぶらかしたのかこの野郎っ!」


 得られてるじゃん、この前マッチョ貴族に襲われかけてたじゃん。

 と、呟いたヒキコさんの部屋の扉は今度こそ吹っ飛んだ。


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