表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

第一話

 ひきこさん――。

 それは、人間界のホラー業界では一時期人々を恐怖に陥れた存在である。

 しかし、神々の世界のヒキコさんはとても無害だった。


 なぜなら――。


 文字通り「引きこもっているだけ」だから。

 ――というか、正確には存在感が薄すぎて誰も気づいてくれないだけ。


 そう――誰も。




 ◆




 今日も夫の隣に立つのは、全国民が聖女と崇め奉る麗しき王妹。

 桜唇から零れる迦陵頻伽の如き美声が貴族達を酔わし、民達の心に歓喜の渦を呼び覚ます。

 歩く度に靡く艶やかな桃色の髪と漂う甘い花の香りが、周囲の者達の心を魅了する。

 聖女と呼ばれる前は春の妖精と謳われた絶世の容姿だが、首から下の蠱惑的な肢体はまるで妖婦の如きという完璧さ。


 蒼瞳と桃髪を持つ王妹の微笑みに、建国祭の開会式という今日この日、王宮に立ち入る事を許された選ばれし一部の民達がテラスの下で沸いた。


 王妃たるヒキコさんは、それを斜め向かいの建物から静かに見ていた。


 麗しき絶世の王妹。

 その隣に立つのは、白金の髪と湖水の瞳を持つ女神と見紛う美貌を兼ねそろえたこの国の王――泉王。

 優婉にして妖艶。

 普段は鉄仮面並に変化のない顔に、珍しく小さな笑の色が浮かべれば、民達の歓声は更に凄まじいものとなる。


 お似合いの二神。


 文武に優れ、絶対的なカリスマ性で国民を統べる聡明な王。

 王妹もまた、象徴的な存在としてだけでなく、実質的な王の補佐の一神としてその辣腕を振るっている。

 有能だが、くせ者揃いで扱いがたい者達が揃う泉国上層部ですら、王と王妹には真底心酔し、永久の忠誠を誓う。


 だから、王の隣に王妹が並ぶのは何も不思議ではないのだ。


 実際、王妃が嫁いでくるまでは、王妃の仕事は全て王妹が担っていた。

 ただ、それが王妃が嫁いで来た後も変わらぬままというだけで。


 理由は簡単だった。

 王と王妹の仲を夢見る周囲がそれを許さないのだ。

 一方、夫――王も、そんな麗しく聡明で有能な妹姫をそれはそれは溺愛している。

 それこそ、強引に宛がわれただけの王妃よりも。


 王の隣は常に王妹であり、今日のように公式行事でさえも王妹がその隣に並ぶ。

 血の繋がった兄妹でありながら、まるでお似合いの二神。

 互いが互いの為だけに産まれてきたかのような王と王妹。


 兄妹でなければ、血が繋がってさえなければ――と、その悲劇に涙する者達も多い。

 運命の悪戯に、残酷さに泉国国民は叫ぶ。


 ああ、血が繋がっていたばかりに、王は愛しても居ない女を娶らなければならない。

 けれど、冷酷なる王が選んだ王妃が取るに足らない少女なのだから、国民達はホッと胸をなで下ろした事だろう。


 有力な貴族の娘や豪商の娘、または他国の王族の姫ならばまだしも、当の王妃は何の後ろ盾もない少女なのだから。


 それこそ、王妹をどれだけ寵愛しようとも、文句などつけられる筈がない。


『所詮お前など、王と王妹様の愛の障害を取り除くためだけの傀儡なのよ』


 名ばかりの王妃、名ばかりの妻。


 泉国王妃に求められるのは、王と王妹の仲を邪魔せずに閉じこもること。

 ヒキコさんになる事だった。




 ◆




 泉国――。

 それは、天界十三世界の一つを構成する炎水界にある国の一つ。

 水の列強十ヵ国の第十位に位置するかの国は、全ての泉を統括管理する役目を担う。

 そんな泉国の文化と生活は凪国によく似ており、文化と生活の根幹は古代仙人界のスタイルを多く取り入れていた。


 泉国王妹の纏う白い衣装はそれほど絢爛豪華ではない。

 むしろ清楚な趣がある装いは、王妹が纏えば慎ましい高貴な装いとなり彼女の美を引き立てる。


 建国祭の主役の一神として、王の隣に立つに相応しい姿という以外言葉はない。


 そうして、美しい王と王妹、やはり民達から絶大な人気を誇る上層部の手腕により、建国祭は大成功のうちに始まった。


 建国祭の期間は一週間。

 王宮での催し物を始め、王都でも沢山の夜店が建ち並ぶ。

 他国からの使者や王族に連なる者達に加え、近隣国から観光客も訪れる。


 中でも、三日後の本祭に向け、王都に出入りする者達が一番多い時期として客気と賑わいは最高潮に達していた。


「あ、この焼き鳥美味しい」


 基本居ても居なくても関係ない王妃ことヒキコさんは、いつもより神通りの多い下町の居酒屋に居た。


「おぅ! ねえちゃん良い飲みっぷりだねぇ!」

「おじさん、ハツとレバー、それとお酒頂戴」


 いつもより五割増しで無い存在感を出しながら、ヒキコさんは店主に注文をする。

 すぐに運ばれてきた焼き鳥を食べながら、お酒をチビチビと飲む。


 この仕事帰りの一杯が止められない。

 元々庶民出のヒキコさんは、まったりと野趣溢れる居酒屋の時間を満喫していた。

 実年齢が十六歳――なんていうツッコミもこの下町では通用しない。

 加えて、周囲には酔っ払いが大半を占めているが、気を抜けば存在感皆無になるヒキコさんには何の問題もない。


 そして周囲も思わないだろう。

 泉国王妃がこんなこところに居るなんて。


 そもそも国民は、泉国王妃の顔を知らない。

 常にヴェールで隠し、公式の場には一切出ずに後宮の奥深くに居る彼女の姿を知る者は王宮内でも少ない。

 それこそ、王と王妹、上層部とそれに連なる者達、そしてヒキコさんの世話係達ぐらいで、更にヒキコさんの素顔を知る者に至ってはそこから上層部に連なる者達を差し引いた数しか居ない。


 その徹底的な隠しっぷりから言っても、ヒキコさんの存在は周囲に漏らしたくない事実なのだろう。


 泉国王妃は、ただ居れば良いだけの存在。

 何もせず、限られた者以外とは会わず、ただ後宮の奥深くに入れば良いだけの存在。


 王妃としての教育もなく、日がな一日後宮で無為に過ごす日々。

 三食昼寝付きではあるけれど、ただ食っちゃ寝するだけという生活が一年も続けば流石のヒキコさんも憔悴した。

 王妃のくせに、何も仕事をせず国民の血税で生活する日々に。


 ぶっちゃけ、自分本気でいらなくない?


 とかも思った――元々好きで王妃になったわけではないが。

 そもそも、王妹との仲を邪魔しない王妃が入れば良いのだ。

 ただ思うがままに動く王妃が居るという事実が欲しいのだ。


 血の繋がった妹を公然と妻にする事は出来ないが、内々にはする事は可能だ。

 が、世間に対する体裁として別の少女を王妃にする必要があっただけで。


 そして、その王妃に求められているのは存在することだけ。

 そいういう王妃が王宮に居るという事実だけで良いのだ。

 実際に、王妃となった少女が王宮に居ても居なくてもいいのだ。


 そうとなれば、ヒキコさんの行動は早かった。


 仕事をしようと。

 流石に王宮内では無理だから、王都で。

 どうせ王妃の顔を知っている者など居ない。


 王の渡りも義務程度と言わんばかりに夜中まで来ないし、週一程度である。

 その時は一緒の寝台で寝るが、それは文字通り寝るだけである。


 それ以外は常に王妹と一緒という、その凄さ。


 儀礼的に通い、かといって行う事は儀礼的に軽く何か不都合は無いかを聞き、後は寝るだけ。


 王は王妃に対して完全に無関心だった。

 そして王妃も王に対して無関心だった。


 そもそも、この結婚自体が愛とは無縁のものだったから。


 だから、ヒキコさんの心にチクチクとした痛みもただの気のせい。


 ヒキコさんは王妃として無能だった。

 全くの役立たず、ただの穀潰し。


 でも、王妃でないならば?

 王妃としては無能でも、ただのヒキコさんとしてなら。


 王妃は、王と王妹の仲を裂かない利用しやすい傀儡でなければならない。

 後ろ盾のない無力な少女でなければならない

 けれど、それがヒキコさんである必要はない。


 無力な少女であれば、いつだって誰だってとって代われる。


 だから、いつの日かお役目から解放される時が来たならば――。


 その為に、ヒキコさんは今日も働いていた。

 あの場所で肥え太り腐り堕ちないように。


「ぷはぁ~、美味しいっ」


 最後の一滴まで飲み干し、ヒキコさんはコップを置いた。

 その飲みっぷりに店主が笑う。


「嬢ちゃん気に入ったぜ」


 この店に入るのは初めてだ。

 けれど、普段通っている店と同じぐらい美味しく、ヒキコさんは一口で気に入ってしまった。


 惜しむべきは、この店が建国祭だけの出張屋台という事。


「ほれ、土産」

「え?」


 焼き鳥の串を包んだ紙袋を渡された。

 といっても、この後は王宮に戻るヒキコさんにとっては少し困ったお土産である。

 そもそもヒキコさんが王宮の外に出ている事は秘密なのだから――というか、たぶん誰も気づいて居ないだろうが、存在感がなさ過ぎて。


「良いから良いから、食えって。食って寝て元気になれ」

「……へ?」


 店主の言葉に、ヒキコさんは首を傾げた。


「そんな泣きそうな顔してよぉ。あれか? 恋神でも浮気したのか? ってか、嬢ちゃん若いんだからそんな男捨てて新しい男を見付けなって」


 そこに「なら、俺は~」と酔っ払い数神が立候補するが、店主に笑って却下される。


「また来なよ」


 店主の言葉を背に、ヒキコさんはのれんをくぐり店の外に出た。


 夜空に瞬く星々。

 青銀の輝きを地上に放つ月。


 普段はここまで遅くなった事はないが、建国祭ともなれば王は幾つもの行事に立ち会い、まず王妃の所に来ることはない。

 それは、今まで三回あった建国祭の全てで同じだったから間違いない。


「……でも、流石に持って帰れませんね~」


 ヒキコさんは焼き鳥の匂い漂う袋を手に、ゆっくりと歩き出した。

 そして途中で一本取り出し、口にほおばる。

 やっぱり美味しい。

 元料理人であるヒキコさんは素直に心の中で店主へと賞賛の言葉を贈った。


 ヒキコさんは元庶民だ。

 そして、元々は料理人であった。

 それも、凪国王宮の下っ端料理人である。


 そんな彼女が泉国王妃としてこの国に迎えられたのは、今から三年前の事。

 相変わらず存在感皆無だったが、それでも仲の良い友神は居たし、上司同僚には恵まれていたし、凪国上層部にもそれなりに可愛がられていた。


 孤児として、帰るべき故郷も家族も全て亡くしたヒキコさんが何とか生きてこれたのは、あの国に居たから。


 けれど、凪国建国から百年目のあの夜。

 ヒキコさんは、王と王妹の仲を応援する一派により、泉王の王妃へと祭り上げられた。


 ヒキコさんが嫁いだ泉国は、炎水界では水の序列第十位の国として名を馳せ、賢王たる泉王と聖女たる王妹、そして有能たる上層部が中心となって民達と共に国を司っていた。


 特に王と上層部は大戦時代に同じ軍で戦った盟友という仲。

 けれど、それは炎水界の多くの国々もそうであり特に珍しい事ではなかった。


 ただ、泉国には他の国とは違って聖女という存在が居たけれど……。

 王に並ぶ民達の希望であり、心の支えともなっているその相手……それが、泉国国王の妹姫だった。


 湖国国王の妹姫ーーつまりヒキコさんの義妹は、大戦時代から絶世の美少女として名高く、好色だった前天帝が強引な後宮入りを望む程だったと言われている。

 といっても、夫と義妹の兄妹にとって前天帝は、あの人達の従姉妹と叔母、そして領民の女性達を強引に後宮に連れ去り弄んだトンデモナイ相手。

 しかも、彼女達の返還を何度も懇願する領主だった父親を惨殺し、その後従姉妹達全員を自害や暗殺で死なせた前天帝は、「そんな昔のことなど忘れた」とのたまった挙げ句、「せめて遺骨の返却を」と頼み込む後の泉国国王を無視して妹姫を要求した。

 これには民達の為にと我慢してきた夫もついに怒り狂い、後の上層部達と共に挙兵するに至った。


 強引な後宮入りの挙げ句自殺なんて当時は珍しくない悲劇だけど、それでも一つだって起きて良いものじゃなかった。


 生きてくれーーそう告げ、最後まで連れ去られた家族と領民を取り返そうとしてくれた前領主に謝りながら、民達は領主の遺児たる兄妹と共に武器を手に取り戦った。


 その後、夫達は大戦の最中に後の炎水家に忠誠を誓い、大戦終結後には領土と民を与えられて国を興し、それが泉国だった。

 一方、献身的に兄と上層部を支える王妹はいつしか聖女と呼ばれ、自国他国問わずその存在を欲する者達が現れた。

 中には強引な手段に出る者も多く、王妹の結婚問題は多くの国々がその動向を固唾をのんで見守るほどの大事となった。


 そんな中、泉国国王は凪国から一人の少女を王妃に迎えた。

 その少女がヒキコさんだった。


 当時若き美貌の賢君の結婚に多くの者達が驚愕したというが、それ以上にヒキコさんの方が驚愕した。

 何しろ、ヒキコさんにとっては文字通り突然の災難だったからだ。


 ヒキコさんの意思など全くなく、気づけば逃げられない状況に居た。


 ワタシの神生って一体何なんだったのだろう。

 逃げれば殺すと言われ、強引な取り交わされた婚姻。

 当然王が望んだものでなく、その後王は大層怒り狂ったという。

 けれど、周囲の説得と王妹との仲が壊されないと知り、何とか怒りを抑えたものの、望まぬ王妃は疎ましいと言わんばかりに関わりは全て事務的だった。


 王妹のおこぼれを賜っているに過ぎない王妃は、当然王と王妹を溺愛する上層部にとっても目の上のたんこぶ。

 貴族達だって、寵愛無き王妃――という以前に、王と王妹の仲を形だけでも裂く存在に敵愾心と憎悪すら抱く始末。


 世話係達だって最低限の仕事だけすれば、他は室内に居ない事すらしばしば。

 まあ、だからヒキコさんが外に出ていられるのだが。


 だが――最もヒキコさんの障害となる者達――彼女を強引に王妃にした者達すらも今では彼女を完全に捨て置いた。

 使い勝手の良い王妃という存在を得た後は、その少女が生きようが死のうがどうでも良い――と、面と向かって嘲笑われる始末。


 だから、こうしてヒキコさんは外に出ても何の咎めも受けない。

 むしろ、ここでのたれ死んでも彼らには痛くもかゆくもないだろうし、都合の良い事故死すら望まれている。


 ワタシの神生って何?


 何度も何度も繰り返した問い。

 けれど、その答えは出ない。


 ただ、後宮で自分の身の不幸を嘆くには、ヒキコさんは精神的に強すぎた。


 だから、ヒキコさんは働く事にした。

 王妃となって二年目にようやく見付けた仕事は、それこそ以前の仕事とは全く違うけれど。

 王妃でなくとも、ただのヒキコとして働く事は出来る。

 いつか掴み取る事が出来るかもしれない、望むべき未来の為に。


 これは、そんなヒキコさんの物語――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ