2.不幸か
「で、この男は突然空から降ってきたと? 若君は、そうおっしゃりたい?」
ダウルドが眉間に皺を寄せ、地面に横たわる男を見た。
「うん。不思議な話だよなぁ」
腕を組み、感心しているクオンに、アガンはむっつりとした顔で言った。
「そんな馬鹿な。人が空から落ちて来るはずがございません。本当に落ちてきたのであれば、この者はきっと人ではありますまい」
確かに、男は人間とは思えぬほど整った顔をしている。古代アーシアの芸術家たちが、人間の理想の形を追い求めて刻んだ彫像のように、完璧な美しさを備えている。しかも、上空から落下して地面に激突したはずなのに、滑らかな肌には傷ひとつついていなかった。癖のあるふわりとした長髪は艶やかな瑠璃色だ。世界中から人が集まるノガルドの宮廷にいたクオンは、これまで多くの人種に出会ってきた。肌の色も髪の色も目の色も体型も様々な人々を見てきたが、こんな髪の色にはお目にかかったことがない。
「天使かな?」
クオンが微笑むと、アガンが鋭い目で言った。
「魔物かもしれません」
「こんなに美しいものが魔物とは思えないけどなぁ」
「美しいからこそ邪悪かもしれません。美は人を惑わし、騙します」
「じゃあ、お前もそうとう邪悪だな」
クオンがカカカと大笑いすると、アガンは赤くなって顔を背けた。
「宰相殿は邪心の塊ですからな」
ダウルドがニヤニヤしながら言った。
アガンは、クオンの父であるノガルド国王に仕える宰相だった。だから、ダウルドはアガンをからかいたいときは、わざと〝宰相〟と呼ぶ。
「確かに私の心の中には健全男子ならばごく普通に抱く邪な欲望が渦巻いているかもしれませんが、それでもダウルド殿の歪みっぷりには到底敵うものではございません」
冷静にやり返すアガンに、ダウルドはムッとした顔で言い返した。
「普通に邪な欲望を抱いている健全男子が未だ妻帯せぬのは解せませんな」
「美しく咲き乱れる花の中からたったひとつを選ぶのは、他の花々にとって酷というもの。そんな残酷な仕儀をこの私にせよと?」
「口の減らない偽善者め!」
「口の悪い獣人よりはマシでしょう?」
「こう見えてもわしはれっきとした人間でしてね。蛇の化身と噂されるどこかの誰かさんに言われたくはないですな」
「どうせ狸同士の噂話でしょう。信用に値いたしません」
互いに背を向けあって言い争うのはいつものことだが、今はそれをのんきに見物して笑っているような状況ではない。クオンはふたりの間に割って入った。
「悪いが、ふたりで仲良くこの客人を中にお連れしてくれ。二階東側の一番奥の部屋ならば、静かに休めるだろう」
「この男を館に連れ込むのですか!?」
「部屋を与えるとおっしゃる!?」
仲良く違うセリフを叫ぶふたりに、クオンは言った。
「悪魔であろうと、天使であろうと、敵だとはっきりわかるまでは信じてみるのもいいだろう?」
「若君はいっつもそうおっしゃる……」
「殿下、いつかその優しさが命取りになりかねませんよ……」
「疑って生きるよりも、信じて死ね――知ってると思うが、幸か不幸か、それが、中央の良心と呼ばれるノガルド王家の教えなんでね」
微笑むクオン。
「その家訓のせいで亡命を余儀なくされていらっしゃるのは、いったいどこのどなたやら……」
アガンがぼそりと呟いた。
皮肉たっぷりなそのセリフには、ダウルドといえども反論のしようがなく、クオンにも弁解の余地はなかった。
アガンもさすがに言い過ぎたと思ったらしく、慌てて口をつぐんだが、出てしまった言葉は回収しようもない。しばし三人は、のしかかる言葉の重みにどよーんと項垂れたままたたずんでいた。