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竜は人を愛する夢をみる  作者: 木庭七虹
第五章 真実の宝冠
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5.真実の姿

「さあ、この男の体から、宝物庫の鍵を取り出しなさい」

 レメナス王の言葉にクレモスが頷き、固い顔で一歩踏み出した。

「エレングス殿……」アガンは、国務大臣を睨み付けた。「いったい、どういうおつもりです……?」

 脇腹の痛みは尋常ではなく、流れる血が足許に溜まっている。崩れ落ちそうになる体を辛うじて支えているのは、なんとしてでもクオンを王にしなければならないという、意地だった。

 エレングスはアガンに近寄ってくると、顔を覗き込むようにして言った。 

「宰相殿。あなたは素直に鍵を出してくださるような方ではない。ですから、罠を仕掛けさせていただきました。クレモス陛下が偽の宝冠で戴冠するという話をわざとクォードの耳に入れ、さらに、私が持つ鍵をあなたに渡して、あなた方が本物の宝冠を取り出すためにここへ来るよう仕向けました。警備の兵を減らし、あなた方が、楽にここへたどり着けるようにもして差しあげた。お陰で傷を負うこともなく来ることが出来たでしょう?」

「いったい、何を血迷っていらっしゃる……!? ノガルド王の正統な後継者は、クオン殿下だ。王家の血を守るという誓いは偽りだったのですかっ!」

「残念ながら、ノガルド王の血を正しく引いた男子はたったひとり。このクレモスさまだけです」

 エレングスは、少年の肩に手を載せて微笑んだ。

「何をおっしゃる! クオンさまは正しく王家の血筋。たとえ国務大臣といえども、殿下を侮辱するような言葉は許せません!」

「先王は、生涯たった一度だけ過ちを犯された。全世界を相手に、決して許されざる嘘をつかれたのです――」エレングスは、静かに告げた。「二十八年前、妃殿下は王女を出産なされた。しかし、非常な難産で、危うくお命を落とされるところでした。辛うじて一命を取り留めたものの、二度と子供を望めぬ体になってしまわれた。世継ぎを望むことは出来なくなってしまった王は大変悩まれました。このままではノガルド王家は断絶してしまうと。王に兄弟はなく、傍系の男子は血が薄すぎる。そこで、王室付き魔法使いのモルセオンに命じました。この姫を王子と偽るようにと――」

「馬鹿、な……!」

「離宮から逃亡するとき、モルセオンはクオンさまに姿を偽る魔法をかけたと聞きましたが、それは魔法をかけたのではなく、解除したのです。死ぬ覚悟だったのでしょう。そのままモルセオンが死んでしまえば、クオンさまにかけた魔法を解除できるものがいなくなってしまう。おそらく王が生前に命じられたのでしょう。王もモルセオンも、嘘偽りを抱えたまま冥府に赴くのは気が引けたのでしょう。王はクレモスさまがお生まれになったとき、ホッとされておりました。これでクオンも、本来の自分に返ることが出来る、と」

「そんな、馬鹿な……!」

 反論しようにも言葉が出ない。モルセオンの最後の言葉を思い出す。

 魔法使いは、クオンに対して、自分らしく生きろと言った。王になれとは言わなかった。国王の側近であり、強い信頼を得て、最も国王の心を知っていたはずの魔法使いが、それこそが国王の望みだと言ったのだ。

 アガンは、魔法使いのあの言葉を、無駄な騒乱を避けるためのものであると思っていた。クオンが身を引くことで国が平安になるのであれば、その道を選べという意味だと思っていた。しかし、そうではなかったのか――?

 クオンと初めて会ったときのことを思い出す。王宮の裏庭の、太陽の光が降り注ぐ芝生の上で、健やかな寝息を立てていた子供を、アガンはすっかり少女だと思いこんだ。王子だと知るまで、数回、同じ裏庭で顔を合わせた。あそこへ行けば会えるだろうという期待が、アガンの足を頻繁に裏庭へ向かわせたのだ。

 しゃべり方こそ少年のようだったが、キラキラした群青色の瞳も、ほんのりと赤い唇も、ふっくらとした頬も、くるくる変わる表情も、ちょっとした仕草も、どれもこれもが少女にしか見えなかった。

「ですから、ノガルド王家の正統な後継者であるクレモスさまに、宝物庫の鍵をお渡しください」

「国務大臣。あなたは、騙されている……」

 エレングスは首を振った。

「いいえ、宰相殿。私はこの目で誕生したばかりの王女を見ています。ダングラード公爵も、そして、あなたのお父上もご一緒でした」

「そんなことは……信じない……」

「ならば、そこの男にも訊いてご覧なさい」

 エレングスは、意識を取り戻し、座ったまま首を振っているダウルドを顎で示した。

「ダウルド!」

 アガンが呼び掛けると、ダウルドは顔を上げた。

「あなたにお訊ねします。クオン殿下が王女であられると、あなたはご存じでしたか」

 ダウルドは驚いた顔をし、すぐに視線を逸らした。口を固く閉じたまま答えない。青ざめた顔が答えだった。

 アガンは溜息をついた。

 体の力が抜け、己の血溜まりの上に座り込んだ。なんとしてでもクオンを王にと気張っていた心が萎えていく。足許から凍り付いていくような気がした。

 ノガルド王家は終わりだ――

 しかし、同時に、まったく別の感情がアガンの心を満たしていた。

 そうと知っていれば、クオンの手を取って、どこか誰も知らないところへ逃げたのに――

 クオンが望んでいた通り、戦など起こさず、そのままふたりで……


「さあ、陛下。鍵を取り出すための呪文を唱えてください」

 エレングスが、クレモスに言う。

 アガンは、項垂れたままかれらの声を聞いていた。

「白蓮の夢は、暁の光と共に結ばれる。願わくは我が夢も、共に結実せんことを……」

 クレモスが三度(みたび)唱えた。

 その後に沈黙が続く。心の中で神呪を唱えているのだろう。

 だが、いくら待っても何の変化も起こらない。

 アガンは笑った。

「どういうことだ?」

 不審を顔ににじませて問うエレングスに、アガンは言った。

「今、はっきりと証明された。この者は、ノガルド王の血筋ではありません。レメナス王とその妹の間の不義の子です。現場を目撃したと証言した者がいる」

 エレングスは青ざめた顔でレメナス王を見た。クレモスも目を見開いて王を見る。

 レメナス王がククッと、喉の奥で笑った。

「王よ、まさか……?」

「呪文が利かない場合は、どうすれば鍵を取り出せる?」

 王の言葉に、エレングスは後退った。

「なんということを……なんということを……」

 レメナス王は冷酷な笑みを浮かべて言った。

「エレングス、こんな男の出任せを信じる必要はない」

「本物の王子であるならば、呪文が利かないわけがございません……」

「本物であるかどうかなど、どうでもいいではないか。〈真実の宝冠〉を頭に載せたものこそが、ノガルドの王だ」

「恐れ多いことを……あなたは何もわかっていらっしゃらない。ノガルドの王とは、そのようなものではない。神聖な宝冠が、偽りの王を認めるわけがない」

 エレングスは、アガンが落とした剣を拾った。

「お覚悟を!」

 切っ先をクレモスに向けて体重を預ける。だが、エレングスの一撃は、レメナス王の魔法で阻まれた。跳ね上がった剣は、エレングスに向かって落下し、右の肩から左の胸にかけて貫いた。血が噴き出し、エレングスの体が倒れる。

 アガンは、目を背け、歯を食いしばった。

「何も死に急ぐことはあるまいに……」

 レメナス王は気怠げに言い、アガンに魔法を向けた。だが、鍵の器として防御の魔術がかけられているアガンに、魔法は利かない。

「やはり、お前には、術が利かないようだな」

 レメナス王の顔が不機嫌になる。

 もう一度、魔法を発動するが、今度もアガンの体をすり抜けただけだった。

「では、お前がこの男を殺せ」

 レメナス王が睨んだ先には、ちょうど意識を取り戻し、短槍を杖代わりにして起き上がったばかりのクォードがいた。

 短槍を握ったクォードの手が動きだす。クォードは反対の手で押さえようとしているのだが、右手は勝手に動くようだ。槍の先端がアガンに向けられた。

 クォードは、左の手で短槍の穂先を掴み、渾身の力を込めて向きを変えると、わざと転んで自分の体を刺し貫いた。

「クォード!」

 怒りが、アガンの胸を焦がす。歯が折れそうなほど噛みしめる。

 レメナス王は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「さて、どうすれば鍵をあなたの体の中から無事取り出すことが出来るか、教えていただけますかな?」

 レメナス王が、残忍な笑みを浮かべて近付いてきた。

 その背後にダウルドの姿が見えた。

 ダウルドは丸太のような腕を伸ばして、レメナス王の首を掴んで締め上げた。

 だが、レメナス王の魔法が、ダウルドを軽々とはじき飛ばす。飛ばされたダウルドの体は、壁に激突する寸前で止まったと思うと、嫌な音を立てて、背中の方へ真っ二つに折れた。レメナス王はさらに魔法を送って、ダウルドの体を天井にぶつけ、床に放り出した。襤褸布のようになったダウルドの体から血が流れ出て床に広がった。

 レメナス王は満足の笑みを浮かべると、再びアガンに近付いてきた。

 手にした剣の切っ先を、アガンの目の前に突き出してくる。思わず目を瞑って顔を背けると、頭の側面に激しい痛みが走った。

 アガンは、側頭部を押さえて絶叫した。耳が膝元に落ちている。

「次は、目がいいか? それとも鼻か?」

 アガンは、苦しい息の下で笑った。

「殺せ。鍵は、お前の手には入らない……」

 レメナス王はムッとした顔でアガンを蹴り倒すと、レトの方へ向き直った。

 レトの腕の中から一部始終を見ていたのだろう、クオンはすっかり青ざめた顔をしていた。

 レメナス王は、魔法を使って瞬時にふたりの側に寄ると、クオンの髪を掴んで床に引き摺り倒し、喉元に剣を押し当てた。

「動くな!」

 険しい目をして立ち上がりかけたレトを、威嚇する。

「こいつの命が惜しければ、動くな」

 レトが、空中から魔法の刃を生み出し、レメナス王目掛けて飛ばす。三日月型の透明な刃が、いくつもレメナス王目掛けて飛んでいく。しかし、王のひと睨みで、すべて硝子のように砕け散った。

 レトは、大人しく身を引いた。

「よろしい」

 レメナス王は、満足げに微笑むと、アガンの方へ視線を移した。

「宰相殿。鍵のありかをお教え願えますな?」

 勝利を確信した笑みに、アガンは唇を噛みしめた。

「や、めろ……」クオンが掠れる声で言った。「やめてくれ。俺が呪文を唱える。鍵を取り出してやる。だから、これ以上、アガンを傷つけるのはやめてくれ……」

「ほう!」

 レメナス王の瞳が嬉しそうに輝いた。

「ダメです!」アガンはクオンを睨み付けた。「呪文を唱えれば、私は、殿下を恨みます。殿下を憎みます。こんな輩に鍵を渡しては、先王にも我が父にも申し訳が立たない。私は生きていられない。死後も永遠に殿下をお恨み申し上げる!」

 クオンの目に恐怖が浮かぶ。

 クオンに向かってこんなことを言い、あんな顔をさせるのは、絶えられなかった。しかし、鍵をレメナス王に渡すことだけは出来ない。ノガルドの宰相として、それだけは絶対に出来なかった。

「さあ、呪文を……!」

 促す王に、クオンは、唇を固く引き結んで首を振った。

 レメナス王は、面白くなさそうに鼻を鳴らすと、クオンの髪を掴む手に力を込めた。

「宰相殿、それではこの女をあなたの目の前で切り刻んで差しあげましょう」

 クオンの首筋に刃が触れ、血が一筋流れる。

 痛みと怒りで目が眩みそうになる。許せない。クオンを傷つけるなど、絶対に許せない。

 ドクンと、心臓が大きく波打つ。

 その鼓動と共に、祖先の血がアガンに訴えてきた。

 お前はアーヤネルビオだ――と。

 祖先の血がアガンを急き立てる。その使命を果たせと騒ぐ。

 ああ、そうだった――

 自分は、宰相家の血を継いでいるだけでなく、間違いなく母の血も継いでいるのだ。

 母の部族であったアーヤネルビオの血をこの体に色濃く受け継いでいる。

 宰相家のものであろうとするばかりに、アガンは母方の血を疎んできた。しかし、拒絶しようとも、拒否しようとも、祖先の血は間違いなくアガンの中に流れている。

 アガンは目を閉じ、己の浅はかさを笑った。

 空から落ちてきた竜族の生き残り。これは運命だったのだ――

 腹をくくると、唇を引き結び、目を開いた。

「レト!」

 てのひらで心臓の上を押さえると、竜に向かって叫んだ。

「レト、レト、レト! 偉大なる竜よ!」

 ドクン。

「お前は約束したはずだ。宝冠を手に入れるまで私を助けると!」

 ドクン。

 レトは首を傾げた。

「竜は、約束を破るのか? 竜は嘘をつくのか?」

 ドクン。

 レトは首を振った。

「お前はクオンを愛していると言ったな?」

 ドクン。

 レトは頷いた。

「だから私を殺して、クオンを手に入れたいとも言った」

 ドクン。

 レトはまた頷いた。

「ならば、今すぐ私を殺せ! お前に私の心臓をやろう! この心臓をお前のものとして使うがいい! 心臓を得れば、お前は本来の力を取り戻せるだろう。竜本来の魔力を使ってクオンを助けるんだ! レメナス王はクオンを殺す。間違いなく殺す。レメナス王にとって、ノガルドの血を継ぐものは邪魔だからだ。お前ならばクオンの命を救うことが出来る! 愛する者をみすみす見殺しにするつもりか? お前は本当はクオンを愛してなどいないのか? 命をかけてでも守りたいと思わないのか? どうなんだっ!」

 心臓も一緒に叫びを上げる。

 ドクン! 

「レト、どうなんだっ!」

 アガンの言葉に、レトはうっすらと笑った。


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