3.鏡の向こう
王都を出たレメナス王は、都の城壁が完全に見えなくなるまで進むと、斬竜騎士団に進軍の停止を命じた。将軍たちが率いる各軍団は、そのままイレームの領地であるダングラードを目指すように伝えてあるというのに、王は、平原に幕舎を張らせると、近衛師団を休息させた。
「なぜ、いくらも行かないうちに休息など取るのですか?」
クレモスが不審をぶつけると、レメナス王は言った。
「これも戦いのひとつです。ご覧なさい」
幕舎の中には、大きな鏡がひとつ運び込まれていた。青黒い金属で縁取りされた丸い鏡が、台座に乗せられて、幕舎の中央にデンと置かれたさまは異様だった。
「これが、何か……?」
鏡に目をやったクレモスは思わず息を飲んだ。
鏡の中には、赤い色をした扉が映っていた。その扉の前に、群青色の長衣を着た兄と、前宰相のアガン、兄の従者であるダウルド、商人風の見知らぬ男、そして、瑠璃色の髪をした美しい青年が立っている。
「つい先ほどまでは、闇が映るばかりでしたが、今はしっかりと映っているでしょう? やはり、扉が開かれたことで魔法による防御も解除されたようですね。これで苦もなくあちらへ行くことが出来ます」
伯父の言葉は、クレモスには理解不能だった。
「これは、いったい……」
「あそこには、あなたを王にするための秘宝が納められているのですよ」
伯父が手を伸ばすと、鏡の表面が水面のように波打った。
「エレングス! 行くぞ!」
レメナス王が声をかけると、王の背後に控えていた国務大臣が、固い顔で頷いた。
「クレモス陛下、あなたも一緒に行くのですよ」
レメナス王は唇の端をキュッと押し上げた。伸ばした手を鏡に押しつけると、鏡の中に手がのめり込んでいく。
伯父の姿が鏡の向こうに消えると、エレングスが背中をそっと押した。
「さあ、陛下の番です」
クレモスは、伯父の真似をしててのひらを鏡に当てた。氷に触れたような冷たさにぎょっとした。手を離し、エレングスを見る。エレングスは黙ってクレモスを見詰めている。
クレモスは、しばらく躊躇ったあと、もう一度鏡面に手を当てた。水面に潜るように、手が鏡の中に埋もれていく。鏡に潜る感触は、なんともいえず気持ちが悪かった。体が震える。冷たさのせいだけではない。魂が拒絶し、抵抗しているのだ。
クレモスは、もう一度エレングスを見た。だが、国務大臣は、促すように頷いただけだった。
仕方なくクレモスは、目を瞑って鏡の中に頭を突っ込んだ。地獄へ落とされるような恐怖と戦いながら、重い液体の中を泳ぐようにかき分けて進むと、突然体が軽くなって、どこかへ放り出された。転びかけたがなんとか体勢を整えて目を開けると、そこは鏡の中に見えた、あの赤い扉の前だった。