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竜は人を愛する夢をみる  作者: 木庭七虹
序章 呪縛
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2.人間の世界

 見渡す限りの大海原を、昼夜を分かたず飛び続けること三日。ついに陸地が見えてきた。

 その景観に刺激されて、ドクン、と血が鳴り、レトの脳髄に過去の知識が流れ込む。

 血は教えてくれた。この世界の形を。


 この世界は、三つの大陸から出来ている。

 北のドーレン。南のブラティヴァー。そして、東のテーレ。

 ドーレンは最も広い大陸だ。土地は広大だが、大半は寒冷で不毛な山岳地帯であり、峨々たる高山が連なり、生物が暮らせるような平地は、南方と東方の海岸線沿いにわずかにあるだけだ。

 ドーレンの南側に南北に細長く連なっているのがブラティヴァー。起伏に富んだ大地に何本もの大河が流れ、熱帯から温帯までの豊かな自然に囲まれた緑の楽園だ。

 ブラティヴァーの北半分の東側からドーレンの北側までぐるっと取り囲むように広がっている三角形の大陸がテーレ。南部は砂漠とオアシス。中部は東西に流れる大河に添って豊かな森林や草原が広がり、北に行くに従って緑が減って、北部は岩とコケの大地。最北端には氷に閉ざされた純白の世界が待っている。三角形の東の頂点に当たる場所にアモレストという巨大な火山がある他は、起伏の少ない平坦な土地が続いている。

 三つの大陸は水路のような細長い海峡によって隔てられている。海峡は曲がりくねって複雑に入り組んでいるが、ちょうど三つの大陸の真ん中に広い中海があり、その中央に島がある。その島はノガルドといい、人間たちは〝中央の良心〟と呼んでいる。それこそが、この世の中心。世界を動かす要だという。


 レトは、近付いてきた山がアモレスト火山であることを知った。その裾野が入り組んだ海岸線になっている。

 遥か見下ろす海上に、何かが浮かんでいる。

 ドクン、と、また血が鳴って、それが人間が海を行くために造った船という乗り物であることを教えてくれた。

 が、眼下の船は、祖先の血が教えてくれたものとは形状が異なる。血の記憶の中の船は、はるかに小型で、一本の柱に風を受けるための大きな布を一枚張っただけの簡素なもので、陸地の周辺にへばりつくように航行するのみだったが、今見る船は、かなり大きいうえに、何本もの柱に、それぞれ形の異なる複数の布が張られて、速度も速いようだ。大陸からかなり離れた場所を行く船もあり、血が教えてくれる数百年以上前の知識よりも、人間はさらに工夫を重ねてきたことがうかがえる。

 レトは、一気に高度を下げて、陸地から大きく離れて進む一艘の船に近付いた。船の上に人間たちの姿が見えた。レトを見て、口々に何か叫んでいるようだ。伸ばした前肢の指先を真っ直ぐにレトに向けている。魔法をかけるつもりだろうかと身構えたが、何も起こらなかった。

 一旦上空に逃れ、数度旋回し、魔法による攻撃の心配がないことを確信すると、再び高度を下げた。

 翼を大きく羽ばたかせて、生み出した魔法の風を船に当てる。船体が傾き、乗っていた人々が海に投げ出される。

 もう一度翼を振るうと、あっけなく転覆した。魔法による反撃はない。人間はちっぽけなうえに魔法を操ることすら出来ないらしい。

 海上でもがく人間たちを尻目に、レトは陸へ向かった。


 入り江に船が何艘も停泊している。船の上や周囲の地面に人間が多数蠢いている。

 生き物の熱気が伝わってくるようで、レトは鼻に皺を寄せた。

 島には生き物がいなかった。鳥はおろか虫すらも。海には魚や海獣類がおり、それらがレトたちの食料となっていたが、海の生き物たちは地上の生物のような熱気は持っていない。冷たい鱗の奥には冷ややかな血が流れている。海洋と同じ温度で生きるかれらは、海洋と同じく悠然としていた。

 地上の生き物たちのなんと暑苦しく忙しなく騒々しいことか。

 かれらの存在は不快だった。

 高度を下げると、大きく息を吸って吐き出した。息を吐く瞬間、ざらざらとした前歯をすりあわせると、火花が散って呼気に引火する。飛び出した焔が大地を舐める。人間共があわてふためくのが見えた。逃げようとするのだが、迫る焔に追いつかれ、背中を焼かれて倒れ伏す。

 輪のついた箱を引っ張っている、足の長い動物が、焔におののき暴れだす。箱がひっくり返り、中から人間がはい出てくるが、燃え上がる焔に焼かれて暴れ回る。

 折り重なる黒こげの死体。

 海に飛び込み、流される死体。

 逃げまどう奴等にさらに焔を浴びせる。

 焔は奴等を一気に消し炭に変える。

 なんとちっぽけな奴等なのだろう。

 なんと頼りない存在なのだろう。

 祖先の血は人間を侮るなとささやくが、その意味がわからない。人間など、竜族に比べたら取るに足りない存在ではないか。

 一旦、上空に舞い上がったレトは、急降下すると、逃げまどう人間を一人、背後から襲って口にくわえた。ぎざぎざに尖った歯が食い込むと、人間の柔らかな皮膚はあっけなく敗れて、生暖かい血がほとばしり出た。

 飲み込んだ瞬間、あまりの美味に、レトはうっとりとした。

 骨を砕き、肉を咀嚼する。

 今まで食べた何よりも、人間は美味かった。

 人間という生き物は、まさしく竜族の食物として神が創造したものに違いない。さもなくば、これほど舌に甘く、喉に心地よいはずがない。

 食べられるために生まれてきたのであるならば、吾に食べられることこそが、かれらにとって無上の幸福であるはずだ――レトはそう思い、かれらの幸福のためにも、もっともっと食べてやろうと思った。

 腹が鳴る。

 人間の血と肉と骨を求めて、腹の底が疼く。

 小さな人間を抱いた人間が目に留まった。

 ドクン、と血が鳴り、それが人間の赤ん坊と雌であることを知る。さきほど食べたのは雄だったようだ。

 地上に降り立ち、母子の行く手を遮る。

 慌てた母親は背後を見るが、迫る焔に引き返すことは出来ない。子をかばうように抱き締めて、レトを睨み付けてきた。

 レトは女に向かって微笑むと、大きく口を開けて母子に牙を立てた。

 雄よりも柔らかく、独特の匂いがした。賢者の血が、それは人間の乳の匂いであることを教えてくれた。

 悪くない――

 他にも子を抱く雌はいないものかと目をやると、不意に鼻先に何かが当たった。ツンと嫌な臭いが鼻をつく。周囲を見回したが原因となるものは見あたらなかった。

 再び、今度は耳の側に何かが当たった。その寸前、遠くで小さな破裂音がした。

 音の方へ目をやると、人間が――おそらく雄の人間が――小さな筒のようなものを構えているのが見えた。

 またしても破裂するような音がして、その筒先から煙が上がった。同時に、横っ腹の鱗がカンと小さな音を立てた。何かが飛んできて、レトの鱗に当たって弾けたようだった。

 人間の武器には気をつけろ――

 賢者の血が、レトに忠告する。

 人間が鉄から作り出した剣や槍といった武器は、この世のどんなものよりも固い鱗を傷つけることは出来ないが、鱗の隙間から肉を傷つけることが出来る。目や口や鼻や耳の中など、鱗のない場所は、人間の攻撃に対して弱点となる。鉄で傷をつけられると、竜の体はそこから腐りはじめる――

 人間のようなちっぽけな生き物が、竜を駆逐できた理由の一端を、レトは初めて知った。

 また破裂音がして、今度は頬の辺りに何かが当たった。

 最初の攻撃を受けたとき感じた血に似ているくせに不快な臭いが、鉄の臭いであることを賢者の血が教えてくれた。痛くも痒くもない攻撃だったが、鱗のない部位の柔らかな膚なら傷つけることが可能かもしれない。

 レトは相手から顔を背けて大きく息を吸うと、目を瞑ったまま、攻撃してきた人間がいたとおぼしき場所に向かって焔を吐き出した。

 口元で敵の武器が跳ねる。

 慌てて口を閉じ、空へ舞い上がった。

 人間は筒を空に向けた。破裂音がし、筒先から煙が出たが、どうやら、あの攻撃はある程度距離があると届かないらしい。

 翼を羽ばたかせて、魔法の風を生む。

 地上で燃えさかっていた焔が生き物のようにとぐろを巻き、レトを攻撃してきた人間を巻き込んだ。

 人間の武器には気をつけよう――

 レトは頭に刻み込んで、海岸線を離れた。

 西に進路を取る。

 目指すのはノガルド。

 この世の中心と呼ばれ、世界を動かす要といわれている場所へ行けば、何かが見つかるのではないかと思った。好奇心が疼く。この世界を動かしているのが何なのか、そこへ行けばきっとわかるに違いない。それがわかれば、自分がいったい何のためにこの世にあるのかも知ることが出来るのではないか――

 レトは燦々と降り注ぐ夏の太陽を背中いっぱい浴びながら、密かに期待した。

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