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竜は人を愛する夢をみる  作者: 木庭七虹
第三章 竜の心臓
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2.獣

 クォードが連れてきたのは女だった。ただの女ではない。女戦士だ。歳のころは三十前後。北の大陸の出身なのだろう。短い髪は白金で、肌の色は透けるように白い。瞳は深い緑だ。細い革の紐を額に巻き、革で出来た簡素な防具を着けている。剥き出しの腕には、しなやかで強靱な筋肉が見て取れた。だが、それだけなら驚くにはあたらない。クオンたちの目を惹いたのは女の足だった。

 女の足はふさふさとした毛に覆われていた。黄色に黒い輪模様が散っている。形も人間のものとは異なり、大型の猫科の動物のようだった。尻からは先端が黒くなった長い尻尾が垂れている。

「魔法か……?」

 クオンが訊ねると、クォードが頷いた。

 クォードは三十代半ばの浅黒い肌に黒い髪をした精悍な男だ。商人の姿に身をやつしているが、本来は男爵で、ノガルドの動乱のときは外務を担当する官吏としてテーレに駐留していた。彼の主な仕事は他国の情報収集にあり、海外に赴任していることが多かったため、貴族でありながら、ノガルド国内ではあまり顔を知られていない。髭を蓄え、商人の姿をした彼を、クォードだと見破れる人間はほとんどいないはずだった。そこで、ノガルドに潜入しては、国内の様子を報告するという役割を自ら買って出てくれていた。クオンたちにとって祖国の動向を知るための貴重な情報源だった。

 遅れて書斎に入ってきたアガンが扉を閉めるのを合図に、クオンはみなに座るよう促した。

 小さな卓を挟んで向き合っている長椅子のひとつにクオンが座り、その隣にアガンが腰をかける。クオンの正面にクォードが座り、アガンと向き合う位置に女戦士が座った。ダウルドはアガンの横に立ったまま、女戦士の動きに注意を払っている。

「彼女の名前はサザといいます」クォードが言った。「ヌガティックの豪豹師団の副師団長でした」

「ヌガティックの?」義母の祖国の名を聞いて、クオンは眉を寄せた。「豪豹師団といえば、ヌガティックの国軍の中でも勇猛なことで名高い四獣師団のひとつだな? その副師団長がなぜ……?」

「王を批判し、怒りを買ったのだそうです」

 女戦士は、獣のような低い唸り声を上げた。

「戦えないよう右腕の腱を切られ、二度と批判できないよう魔法で声も奪われ、散々なぶり者にされた末に、このような姿に変えられたうえで放逐されたそうです」

 クォードは、丸まった紙の束をクオンに手渡した。

「サザと交わした筆談の記録です。ヌガティックでは、本来、罪を犯した兵士は、その軍団全員相手にひとりで闘わされるそうです。ところがサザはそうした処刑を免れ、代わりにこのような仕打ちを受けたといいます」

 クオンは手渡されたメモに目を落としたものの、北の大陸の言葉はあまり得意ではない。しかも、左手で書かれたらしい文字は読みにくかった。辛うじて判別できる部分だけ拾い読みする。

『私に最大の恥辱を与えるためだ。私をヌガトーへ行かせないために、私をただの女に貶め、戦士として死ぬ道を閉ざした』

 ヌガトーというのは、戦神モルディケが統治する天界の国だ。北の大陸ドーレンでは戦神モルディケを崇める国が多い。特にヌガティックのモルディケ崇拝は有名だ。

 ヌガティックの戦士は、戦って殺されればヌガトーへ行くことが出来ると信じている。それが戦士として最大の誇りなのだという。多くの敵を倒せば倒すほど、ヌガトーに赴いたとき高い位に就くことが出来るのだという話を、蛮族のいかにも蛮族らしい信仰だという揶揄と共に、クオンも耳にしたことがあった。

「ヌガティックは戦士の国です。たとえ罪を犯した者であっても、勇猛に戦う心さえあれば戦士として認められます。だから罪人の処刑も、〝戦い〟という形で行われます。戦うことで罪は清められ戦士としての栄誉は守られるのだそうです。最もさげすまれるのが、戦わずに逃げ出すような臆病者であり、そういう者は罪を償うことも出来ず、ヌガトーへも行けないといわれています」

 口の利けないサザに代わってクォードが説明する。

「戦わずして死んだ戦士の魂はヌガトーへは行けず永遠に地上をさまようことになるそうです。それまでどれほど勇猛果敢に戦おうとも、戦士にふさわしい死に方をしなければ、ヌガトーへ行くことは出来ない。それは戦士にとって最大の屈辱だといいます。サザは、戦士としての誇りを奪われ、戦士として生きることも、戦士として死ぬことも奪われた。これ以上ない屈辱を味わわされ、このような仕打ちをしたヌガティックの王を心の底から憎んでいるそうです」

 クオンはサザを見た。サザは安易な同情など跳ね返す鋭さで、クオンたちを見詰め返した。

「サザの立場はよくわかった。だが、それが我々と、いったい何の関係がある?」

 アガンの冷酷に切り捨てるような言い方に、クオンは苛立った。しかし、今の自分たちに、他人に同情している余裕などないことはよく心得ていたので、何の口出しも出来ない。

 クォードは、アガンの言葉を待っていたとばかりに言った。

「サザは生き証人です。サザをこのような姿に変えたのは、ヌガティックのレメナス王自身だそうです」

「レメナス王が魔法を扱う、だと?」

 アガンが眉を寄せた。

「はい」クォードは頷いた。「正確には、レメナス王自身ではなく、王に取り憑いた邪精霊が、です」

「邪精霊!?」

 クオンは思わず叫んでしまった。ダウルドは天帝シルヴェルム・ムの加護を求める印を素早く切り、アガンは低く唸った。

「一国の王たるものが、冥界の邪神と契りを結んだというのか?」

 アガンの声には怒りと怯えの両方が含まれていた。

 クオンは体の芯が冷えてゆくような気がした。

 邪神ウルガムンマとの契約は禁忌だ。己の望みと引き替えに、人間界を地獄に売り渡す行為だった。

 ウルガムンマと契約すると、邪神のしもべである邪精霊が体に取り憑き、契約者の望みを叶えてくれる。すべての望みが叶ったときウルガムンマとの契約は成就され、この世と地獄の境目は失われて、地獄の住人が気ままに人間界を闊歩するようになる。

 邪神に望めば、莫大な財を得ることも出来、人の心を思うままに操ることも、魔法を使うことも自在に出来る。過去、何人もの人間がその邪な魅力に抗えず、この世を滅ぼしかけた。そのたびに、人間界滅亡の危機を救ったのは、〈真実の宝冠〉と呼ばれる秘宝だ。

 〈真実の宝冠〉は運命神ティティクーが人類に授けたと伝えられている神宝だ。あらゆる欺瞞を暴き、真実をさらけ出す力がある。並の人間がこの宝冠を被れば精神が錯乱する。この宝冠を被ることが出来、この宝冠を扱うことが出来るのは、ノガルドの王だけだ。

 それゆえに、ノガルドでは新たな王が就任するときは、必ずこの宝冠を被ってみせなければならない。真実の王でなければ、その場で気が狂い、場合によっては死に至るという。偽物は決してノガルドの王になることが出来ない。運命神に選ばれ、天帝に祝福された者だけが、真実のノガルド王になれるのだ。

「サザが戦士として死ぬことが出来ないようにされたのは、サザがヌガトーへ行き、レメナス王が邪神と契約したことを戦神モルディケに報告するのを恐れてのことでしょう。戦神モルディケも天神のひとりです。いくら天帝シルヴェルム・ムとの仲が悪いといっても、人間界の危難となれば、必ず天帝に伝えるでしょう。天帝が人間界と地獄が繋がることを黙って見ているはずがありません。必ずノガルドの王に力を貸してして、邪精霊を滅ぼし、契約を破綻させる手助けをするに違いありません。レメナス王はそれを恐れていると思われます」

 サザが獣のような声で吠えた。

 クォードは、サザをなだめるように見てから、その視線をクオンに戻した。

「サザは、このことをクオンさまにお伝えしたいと言っております。ノガルドの真の王たる資格を持っているのはクオンさまであると……」

「ノガルドの王は、クレモスだ」クオンはサザを睨み付け、きっぱりと言った。「このことはクレモスに伝えるべきだ」

「ですから、このサザが生き証人だと申し上げているのです。サザは、レメナス王のことを深く知りすぎた。サザはかつてレメナス王の愛妾でもありました。そして、レメナス王の寝所で、王が実妹ミモルヴァと同衾しているのを……」

「やめろっ!!」クオンは耳を押さえて叫んだ。「そんなたわごとは聞きたくないっ!」

「クレモスさまは、月足らずでお生まれになりましたな……」アガンが冷たい声で言った。「そのようなことはままあるので、疑問に思う者はおりませんでした。しかし、弟君を取り上げた侍医が、月足らずにしては、しっかりとしていらっしゃると、不思議そうに首を捻っていたのを覚えています」

「妹とだなどと……なんというヤツだ……(けだもの)にも劣る!」

 ダウルドが吐き捨てるように言った。

「クレモスは、ノガルド王の子だ。愚弄は許さない……」

 今度もきっぱりと言い切りたかったのに、声が掠れた。疑念がじわじわと心を蝕んでゆく。クオンは唇を噛みしめ俯いた。感じているのは怒りよりも悲しみだった。

「すべては〈真実の宝冠〉が明らかにしてくれるはずです。クレモスさまが本当に先王の血を継がれ、ノガルド王にふさわしい方であるならば、宝冠はクレモスさまを選ぶでしょう」クォードが言った。「この十ヶ月間仮王として統治されていたクレモスさまですが、再来月、誕生日を迎えた翌日に、正式に戴冠式を行うそうです――」

「馬鹿なっ!」クォードの話に割り込んで叫び声を上げたのはアガンだ。「即位に必要な〈真実の宝冠〉を納めてある宝物庫の鍵は……」

 クォードが頷いた。

「戴冠式のことはすでに内外に伝えられております。クレモスさまは、再来月〈真実の宝冠〉を頂き、ノガルド王になられる。そして、まだ年若く、何事にも未熟なクレモスさまに代わって、伯父であるレメナス王が執政として実質的な王の仕事をなさることに決定しています」

 アガンが卓を叩いて立ち上がった。血の気が失せ、唇が震えている。

「民を謀り、神を愚弄し、レメナス王は、世界を滅ぼすおつもりか……っ」

「ですから我々は、クオンさまに立ち上がっていただきたいのです。そのためにお願いに参りました。偽りを暴くことが出来るのは、本物の〈真実の宝冠〉しかありません」

 クォードの真摯な瞳。サザの燃えるような瞳。アガンの何かを冷徹に計算しているような瞳。ダウルドの神への不敬を憤る瞳。クオンはかれらの瞳をひとつひとつに宿る己に対する期待を感じつつも、驚きと困惑で揺れる自分の心をどうすることも出来ずにいた。

「俺は、クレモスを信じたい……」

 それが偽らざる気持ちだった。弟を信じたい。疑いたくない――

「クレモスは、何も知らないまま利用されているのかもしれないだろう……?」

「そうかもしれません。だからこそ尚更、我々は行くべきです。知らず知らずのうちに神への謀反に荷担させられているのならば、お救いするには、やはり真実を暴くより他ありません。本物の宝冠で、誰が本当にノガルドの――世界の中心の王であるのか、はっきりとさせねばなりません」

 アガンが、決断を促すようにクオンの握りしめた拳に触れた。

「ここヘーゲをはじめテーレの国々のほとんどはクオンさまに味方しておりますし、母君の生まれ故郷のアダ・ガルブムも力になってくれます。アダ・ガルブムが動けば、今は様子見を決め込んでいる周辺の国々も、黙って座視しているわけにはいきますまい。世界が望んでいるのは、ノガルドの正統な後継者です。世界の中心に偽りの主を据えて、それで世界に平穏が訪れる道理がございません。真実こそが大切であるというのは、ノガルド王家の信念であり、クオンさまの信念だったのではありませんか?」

 アガンの言葉が胸に重い。

 クォードの言葉を信じるならば、クレモスは、形だけ似せた偽りの宝冠を頂いて即位しようとしている。それがクレモスの意思であるのか、それともクレモスは何も知らされずに本物だと信じ込まされているのかはわからない。

 クオンは、クレモスに王位を継がせたいと思っていた。あのような形で国を追われたのでなければ、クレモスの王位継承を認めるつもりだったのだ。だが、いくら弟の即位を望んでいるといっても、偽の宝冠で即位した偽の王がノガルドを統治することは許せない。

 宝冠が納められている宝物庫の鍵は、国務大臣のエレングスと宰相であったアガンがそれぞれ持っていた。二つの鍵が揃わないと宝物庫は開かない。無理やり開こうとしても、厳重に仕掛けられた古代の魔法を破ることは、どんな有能な魔法使いにも出来ないはずだった。

 今、ノガルドの王宮にはエレングスの鍵がある。アガンは、自分が持っている鍵のありかをクオンにすら教えてくれない。クレモスの即位は承認できないと言って、秘密をひとりで守り続けてきた。

「アガン……俺がノガルドへ行けば、宝物庫の鍵を出してくれるか?」

 クオンの問いに、アガンは破顔した。

「真に王たるべき資格を持ったお方のためであれば、鍵はいつでも差し出します。それが、私の役目ですから」

 クオンは頷いた。

「わかった。ノガルドへ行こう」

 決意を固めた。自分が王になりたいとは思っていない。ただ、ノガルドが嘘で固められてゆくのが許せなかった。王になるために行くのではない。アガンには悪いが、クオンにその気はまったくなかった。〈真実の宝冠〉を正統な後継者の頭上に載せるために行く。

 クオンは立ち上がると、サザを見詰めた。

「まだ名乗っていなかったな。俺が、クオンだ。ノガルドの前国王の第一王子。お前が会いたがっていた人間だ。残念ながら今はこのような姿を余儀なくされているが、〈真実の宝冠〉がこの手に入れば、偽りを暴く力で元の姿を取り戻せるだろう。お前のその姿も元に戻すことが出来るに違いない。敵の偽りを破り、真実をさらけ出すことが俺の望みだ。そのために、俺はノガルドへ行く。協力してもらえるだろうか?」

 サザは、猛獣の叫び声を上げると、力強く頷いた。

 クオンの決意に、クォードもアガンもダウルドも、興奮で顔を染めている。

「この十ヶ月の間、殿下が決意してくださる日を待ち望みつつ、準備を調えて参りました。いつでもノガルドに攻め込むことが出来ます。さあ、クオンさま、出撃をお命じください」

 アガンが、椅子から降りて、クオンの足許に跪くと、他の三人もそれにならった。

 クオンはみなを見下ろして言った。

「ノガルドへ出撃し、〈真実の宝冠〉を奪還する。真の王を世界の要の玉座に迎えるために!」


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