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約束の向こう側  作者: 亀
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第三十三章 外へ出す文章

三月の中旬。


凌は、二つの文書を何度も読み返していた。


画面の上には、赤い文字がいくつも並んでいる。


「根拠を追加する」


「表現を修正する」


「実現可能性を確認する」


最初に書いたときよりも、文章はずっと長くなっていた。


けれど、凌はまだ完成したとは思っていなかった。


文章を書くことと、誰かに見せることは違う。


自分だけが読むなら、多少分かりにくくても問題はない。


しかし、他の人に見せるなら話は別だった。


「どうして、この方法なのか」


「誰がやるのか」


「お金はどうするのか」


「失敗したらどうするのか」


そういう質問が出てくる。


凌は一つずつ確認していった。


ごみ収集については、収集する側の負担だけではなく、利用する側の負担も考えた。


雪については、道路だけではなく、歩行者の安全や除雪後の雪の置き場所についても考えた。


最初は一つの問題だと思っていたものが、調べるほど複数の問題に分かれていった。


凌はノートに書いた。


「問題は、一つではない。」


そして、その下に続けた。


「だから、解決方法も一つとは限らない。」


午後になると、凌は文章をPDFにまとめた。


ファイルを開く。


タイトルを確認する。


ページ数を確認する。


誤字を確認する。


数字を確認する。


もう一度、最初から読む。


途中で何度か手が止まった。


「ここは言い過ぎかもしれない」


そう思ったところは、表現を弱くした。


「必ず必要だ」


ではなく、


「検討する余地がある」


と書き直した。


「こうすべきだ」


ではなく、


「試行することが考えられる」


とした。


自分の考えを否定するためではない。


実際に判断するのは、自分ではないからだ。


凌はそう考えていた。


夕方。


窓の外が少し暗くなってきた。


凌は椅子に座ったまま、完成した二つのファイルを見ていた。


「都市ごみ収集サービス及びデータガバナンス計画書草案」


「初雪融雪・除雪計画」


どちらも、まだ「草案」だった。


それでも、最初のメモとは違っていた。


自分の疑問。


調べた資料。


現状の整理。


考えた方法。


予想される問題。


試行方法。


いくつものものが一つの文章になっている。


凌はファイルを閉じた。


そして、スマートフォンを手に取った。


どこに送ればいいのか。


誰が担当しているのか。


もう一度調べる。


行政のホームページを開く。


担当部署を確認する。


問い合わせ先を見る。


凌は画面を見ながら、しばらく考えた。


自分は専門家ではない。


行政の仕事をしたこともない。


日本人でもない。


それでも、住んでいる場所で気になったことを調べて、自分なりに考えた。


だったら、一度見てもらってもいいのではないか。


凌は問い合わせ先をメモした。


まだ送信ボタンは押さなかった。


文章を添える必要がある。


長く書く必要はない。


自分が誰なのか。


何を見て、何を考えたのか。


そして、何をお願いしたいのか。


それだけでいい。


凌は新しい文章を開いた。


最初の一行を書く。


「突然のご連絡、失礼いたします。」


そこで一度止まった。


何度か読み返す。


そして、続きを書いた。


自分の考えを押しつけるためではない。


「一市民として考えた案について、ご意見をいただければ幸いです。」


そこまで書いて、凌は保存した。


まだ送らない。


今日はここまでにする。


パソコンを閉じる。


部屋の中が静かになった。


窓の外では、車が一台通り過ぎていった。


凌はベッドに座った。


数か月前なら、日本の行政に自分から文章を送るなど、考えたこともなかった。


日本に来たばかりのころは、買い物一つでも迷っていた。


駅で道が分からなくなったこともあった。


今は、自分で調べ、自分で文章を書き、知らない相手に問い合わせようとしている。


大きなことをしたつもりはなかった。


ただ、分からないことを分からないままにしない。


気になったことを、そのまま放置しない。


そして、自分で考えたものを、必要な場所へ持っていく。


それだけだった。


凌はスマートフォンを机の上に置いた。


送信するのは、もう少し確認してからでいい。


文章は完成している。


でも、送る前にもう一度読む。


それが、自分のやり方だった。


その夜、凌はノートを開いた。


今日の日付を書いた。


その下に、一行だけ残した。


「明日、もう一度確認する。」


ペンを置く。


まだ、文章は部屋の中にあった。


けれど明日には、それが部屋の外へ出るかもしれなかった。

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