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約束の向こう側  作者: 亀
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第十一章 できないと言われる仕事

新しい工場の準備が進んでいた。


凌は、棚に並べるネジやナットを一つずつ確認していた。


種類が多かった。


大きさも違う。


平ワッシャーもあれば、ばねワッシャーもある。


日本語の名前が分からないものも多かった。


「これは何ですか」


凌が魚に聞く。


魚は名前を教える。


凌はスマートフォンに記録した。


一つ覚えたら、次へ進む。


そうやって少しずつ覚えていけばいいと思っていた。


⸻


防水テープの作業では、凌は王ほど上手くできなかった。


魚が一度教えたあと、凌は自分でやってみた。


しかし、テープがきれいに貼れない。


「もう一回教えてください」


凌は言った。


魚はもう一度、手順を見せた。


凌はその動きを見ながら、同じように手を動かした。


仕事が終わったあと、凌は考えた。


もっと練習しなければならない。


会社で練習する時間がなければ、自分で練習するしかない。


その頃、凌は百円ショップへ行った。


防水テープを買った。


ハサミも買った。


宿舎に戻ると、机の上で何度も練習した。


一度切る。


貼る。


剥がす。


また切る。


同じ動作を繰り返した。


日本語ができない。


仕事もまだ遅い。


それなら、自分で覚えるしかない。


凌はそう思っていた。


⸻


しかし、仕事の中では別の問題も増えていった。


日本人の先輩に何かを聞いても、最初の説明だけでは分からないことがある。


「すみません。もう一度お願いします」


凌が聞く。


相手がもう一度説明する。


それでも分からなければ、また聞く。


次第に、土川や宮田は直接凌に説明することが少なくなった。


「魚さんに聞いて」


そう言われることが増えた。


凌は仕方なく魚のところへ行った。


「これはどうすればいいですか」


魚に聞く。


魚が答える。


その答えを聞いて、凌はまた作業へ戻る。


そういう日が増えていった。


⸻


ある日、凌がハサミを使って作業をしていた。


長い時間、同じ動きを繰り返した。


手の一部が擦れて痛くなった。


皮膚が膨らんだ。


それでも、その日は作業を続けた。


四時間、五時間近くハサミを使っていた。


後になって、その膨らんだところが破れた。


凌は手を見た。


痛かった。


しかし、その程度で仕事を止めるという考えはなかった。


魚に話すと、魚は驚いたような顔をした。


「なんでハサミも使えないの?」


凌は黙って聞いた。


「会社の面接でもハサミを使ったでしょう」


凌は答えた。


「使いました。でも、今は手がこうなっています」


魚は納得していないようだった。


「本当に面接で自分でやった?」


凌は何も言わなかった。


できないことがある。


それは凌自身も分かっていた。


しかし、それと、最初から何もできないということは同じではない。


凌はそう思っていた。


⸻


新しい工場では、作業の指示も少しずつ増えた。


あるとき、魚から掃除を頼まれた。


凌は掃除をした。


床を掃く。


物を片づける。


作業場所をきれいにする。


しばらくして魚が来た。


「ずっと掃除していたら、会社にクビにされるよ」


凌は手を止めた。


「じゃあ、何をすればいいですか」


魚は別の仕事を指示した。


凌はそちらへ移った。


しかし、しばらくすると、


「それじゃない」


と言われた。


凌は元の場所へ戻った。


また別の仕事を始める。


すると、今度は、


「なんでこっちをやってないの?」


と言われた。


凌は答えようとした。


しかし、やめた。


一月二十二日のことを思い出した。


言い訳をしない。


反論しない。


分からなければ、自分が悪かったと言う。


それが一番安全だと思っていた。


「すみません。すぐやります」


凌はそう言った。


⸻


仕事をしていると、魚から言われることが増えた。


「王のほうができる」


「凌はまだ何もできない」


「今のお前にできるのは雑用くらいだ」


凌は黙って聞いていた。


王が早いことは、凌自身も知っていた。


王は手を使う仕事に慣れている。


それは事実だった。


自分は違う。


だからこそ、もっと仕事を教えてほしかった。


できないなら、できるようになりたかった。


凌は以前の仕事を思い出した。


中国では、工程の異常が起きれば原因を探した。


設備に問題があれば調べた。


品質に問題があれば、データを整理した。


作業標準を書いた。


改善案を出した。


問題を見つけることには慣れていた。


けれど、目の前の金属部品を素早く組み立てることには慣れていなかった。


それだけの違いだと思っていた。


⸻


ある日の夕方、凌は魚から言われた。


「お前、何をやっても間違ってるよ」


凌は手を止めた。


しばらく何も言わなかった。


そして、小さく答えた。


「分かりました。直します」


魚はそのまま作業へ戻っていった。


凌も手を動かした。


工場の中では、機械の音が続いていた。


金属がぶつかる音。


工具の音。


人の話し声。


その中で、凌は一人で作業を続けた。


自分には何ができるのか。


何ができないのか。


その境目が、少しずつ分からなくなっていた。

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