ホストが戦慄した怪物、りのあ
歌舞伎町の最深部、シャンパンコールが鼓膜を震わせる喧騒の中で、ホストの「れんれん」は、目の前の少女――りのあ――に、これまでにない戦慄を覚えていた。
かつてのりのあは、扱いやすい「太客」に過ぎなかった。
自分の美貌を認められたいという卑近な承認欲求と、空っぽな心を埋めるための依存心。
彼女が札束を投じる際、そこには常に「私を見て」という湿った情念があり、それはホストにとって御しやすい、計算可能な「弱さ」だった。
しかし、今の彼女はどうだ。
「ねぇ、れんれん。今日これ、全部溶かしていい? 1億。……あは、数字が動くだけなのに、なんでこんなに脳汁出ちゃうんだろ。まじ尊すぎて無理、死ぬ」
彼女がテーブルに置いたのは、最新の資産を反映したタブレットと、決済端末だった。
以前の彼女なら、100万のシャンパンを入れるのにも「うち、頑張ったんだよ?」という、執着にも似た可愛げがあった。
だが、今の彼女の瞳には、感情の機微を読み取らせない冷徹なガラスの色が混じっている。
「……りのあ、今日ちょっと、おかしくないか? 1億って、お前……」
れんれんが思わず、職業的な営業スマイルを忘れて問い返す。
彼女は、フリルを揺らしながら小首をかしげた。
その動きは完璧に計算された「地雷系」のテンプレートだが、そこから発せられる圧迫感は、まるで巨大なヘッジファンドのCEOと対峙しているかのようだった。
「えー、なんで? 効率的に稼いで、合理的に捨てる。これって、人生の最適化じゃん。お金なんて持ってても死んだら持っていけないしぃ、今のうちに最高に無駄なことに使って、私の存在を世界に刻みつけたいの。ぴえん、怖がらないでよぉ、超絶愛してるんだってば」
彼女は笑っている。
だが、その背後に透けて見えるのは、かつてのりのあが持っていた「恋心」ではない。
それは、『自己顕示という名の、最も贅沢な廃棄処理』を楽しんでいる、異質の知性だった。
彼女はパパ活で得た豊富な資金をもとに、まるでAmazonでショッピングするようなタッチで行われたスキャルピングによって、わずか数時間のうちに市場から数億を掠め取ってきた。
そのプロセスは極めて冷酷で、合理的なアルゴリズムの産物だ。
そして、その結晶である富を、このホストクラブという「最も非生産的な空間」で、一瞬にして揮発させる。
それはもはや、貢ぎ物ではない。
自分の有能さを顕示するために、あえて無意味に資本を破壊する「儀式」だ。
「あー、シャンパンの泡と一緒に、私の倫理観も消えちゃった。まじウケる。ねぇ、早く開けてよ。世界で一番高い無駄遣い、一緒にしよ?」
れんれんの手が、わずかに震えた。
1億というカネに震えたのではない。
彼女の口から出る言葉は、相変わらず『ぴえん』や『まじ無理』といった壊滅的に浅薄な語彙だ。
しかし、その言葉の裏側にある「底の知れなさ」が、彼を恐怖させていた。
目の前にいるのは、恋する少女ではない。
自分の美しさと、莫大な富と、そして『無意味にカネを捨てる自分』という狂った美学を完成させるために、自分を単なる「廃棄場所」として利用している、怪物。
「……いいよ、開けよう。りのあが望むなら」
「やったぁ! れんれん大好き、超愛してるぅ!……はい、決済終了。1億、秒で溶かしたの、これ私史上最高のミニマリズムかも。あー、快感すぎて頭イカれるぅ……」
彼女は、シャンパンが弾ける音を聞きながら、恍惚とした表情で自分の指先を眺めていた。
その瞳には、かつての「りのあ」が持っていたはずの、救いを求めるような色は微塵もなかった。
ただ、数字がゼロになる瞬間の純粋な美しさと、それを支配している自分への陶酔だけが、地獄のような美しさで宿っていた。




