⑥見えない恐怖
俺は咄嗟に背嚢の側面にしまっておいた鶴嘴を引き抜き、側面に迫っていた大黒蟻の頭部めがけて先端を振り下ろす。硬い外皮も鉄の先端には敵わず、大黒蟻は頭部がひしゃげる様に地面に叩き伏せられた。
「さ、三匹目ぇ!」
残るは一匹。長剣は起き上がった大黒蟻の後ろに転がっている。
すれ違いざまに拾いに行ける程の速さも器用さもない。
俺は鶴嘴を構え直した。
大黒蟻が懲りずに直進して来る。対して、こちらは心の中で時を刻み、側面へと飛び避ける。
「これで、終わりだぁぁぁっ!」
迷わず鶴嘴を振り下ろす。位置は若干ずれたが、大黒蟻の丸みを帯びた腹部の中心を貫き、そのまま石床へと鶴橋の先端が食いついた。
「うおっ!」
腹部に溜まっていた蟻酸が漏れ出し、顔を襲う。
「目がぁっ! 目がぁぁぁぁっ!」
反射的にのけ反った。
まるで柑橘類の皮を顔の前で絞られたかのような痛みが両目を襲った。匂いや煙が出る程の強さはないようだが、無防備だった状態から浴びた蟻酸は、俺の心を揺さぶるには十分な一撃だった。
「う、うああぁぁぁ!」
長剣どころか、思わず手放してしまった鶴嘴の位置すら分からない。そして最後の一匹が死んでいたかを確認していなかった事に今更気が付き、せめてその場から離れようと後ずさる。
だが、踵に硬い何かが当たり、後ろへと転倒した。
「ううっ! くっ!」
暗転した視界の中で必死に手をばたつかせるが、両手が大きな何かにぶつかっている。それが大黒蟻かもしれないと想像するや、それが死骸すら分からず、さらに恐怖が襲い掛かる。
「馬鹿垂れ! さっさと水で洗え!」
男の声が俺の耳を貫く。
「み、水!? そうかっ!」
それなら見えない状態でも出来る。俺は即座に背嚢から水筒と同じ形を手探りで見付けると、急いで蓋を取り、頭から水を浴びた。
「くっ、ぷはぁ!」
口の中で酸味が若干混じるが、急いで顔を洗うと、蟻酸の痛みはすぐに引き、数回の瞬きで視力が戻り始める。
ようやく状況が確認できるようになり、心拍が元の数字に戻っていく。そして周囲を確認し、大黒蟻が全て息絶えていた事を把握すると、俺の呼吸は落ち着きを取り戻し始めていた。




