お嬢様の名前【リンシエ】
旦那様が小さな女の子を連れて帰ってきた。
その子供はミトン家のご令嬢らしいけど、とても信じられない。
手足は枝のように細く、一度も日に焼けたことのない白い肌。
痩せこけた頬。
どれを見ても貴族令嬢とは程遠い。
裕福ではない私でさえ、あんなになることはなかった。
詳しく事情を聞けば、魔力封じの部屋に閉じ込められていたとか。
ありえない!あの部屋は魔力暴走を抑えるための部屋。虐待をする部屋ではない。
守るための部屋で傷つけるなんて。
奥様付きだった私はそのままお嬢様の侍女に任命された。
眠りから目を覚ましテロイ家の養女となることが決まり、私はお嬢様にお仕えする旨を伝えた。
酷い扱いを受けていたせいで人を信じられなくなっているかと思っていたら、お嬢様はただ自身の身なりを気にしていた。
長い間、暗い部屋に放置気味だったせいか髪も体も汚れが目立つ。
石鹸でさえ使ったことがないのだろう。
こんな幼い子供が周りに気を遣わなければならない現状を作り出したミトン家に腹が立った。
公爵家で使われているシャンプーやボディーソープは特殊で、泡を肌に乗せるだけで汚れを浮かせてくれる優れもの。臭いも洗い流してくれるので、お風呂を出たらお嬢様はもう身なりを気にしなくて済むはず。
かなり高価で作るのにも手間がかかり一般には流通していない。
テロイ家だけに卸してくれる特別な商品。
妹が着ていたワンピースはお嬢様のサイズに合っていた。
お下がりで申し訳ない気持ちになりつつ、お嬢様のサイズを測っていないから新しい服を仕立てることが出来ないからと、昨日のうちに実家から持ってきた。
最後にリボンでおめかしをすれば、地上に天使が舞い降りたかのような可愛さに言葉を失う。
お嬢様が屋敷内を歩けるようになったある日。
許可を得て庭に出た。
季節の花々が咲き誇り、中庭でのティータイムは大人気。
初めて見る花に興味津々のお嬢様、可愛いです!!
そっと手を伸ばしては折ってしまわないように指先で触れるだけ。
「お嬢様。可愛い足が汚れてしまいますぞ」
庭師のエレトが土の上に立つお嬢様を抱き上げた。
買ったばかりの靴に土が付いたものの、お嬢様は首を横に振る。
「き、きた…なく、ないから……いいの」
貴族令嬢にとって花とは遠くから愛でるもの。
自慢したい靴が汚れる土の上を歩くもの好きはいない。
奥様やそのご友人方はそんな考えを持つことなく、こうして庭に足を運んでは庭仕事を手伝おうとする。
エレトに全力でお断りされたから我慢しているけど、隙あらば入ろうとするのでいつも目を光らせているのだとか。
「おはな、きれーね」
「はい。そうですね」
「ほしい、いったら……だめ?」
「いいえ。ダメではありませんよ。そうだ、お嬢様。種を植えてみますか?」
奥様には絶対に触らせないのに。
こんなにも愛らしいお嬢様が望むことなら何でも叶えてあげたい気持ちはよくわかる。
「おしょごと、じゃまにならにゃい?」
んん~可愛い!!
これまでに喋ることをしてこなかったお嬢様は、まだ上手く話せない。
舌足らずでもあるのだろうけど。
「何をおっしゃいますか。お嬢様はテロイの名を持つ公女様。我々の上に立つお方が、そのような心配をしなくてもいいんですよ」
「ん。あ、あいがと」
仕えるべき人間が主のために何かをするのは当たり前。感謝をされるようなことではないのに。
──お嬢様は本当にミトン家の次女なのだろうか?
ミトン公爵家。古くから国に貢献してきたテロイ家と並ぶ由緒正しき家柄。
先代公爵から被害妄想……悪い意味で自分に自信を持ち始めて、一気に評判が地に落ちていった。
その娘も嫁いだ婿も同じ性格の持ち主で、赤の他人なのに血の繋がりさえ感じさせる。
傲慢で他人の迷惑を顧みない。自分こそが正しいのだと、ふてぶてしさが服を着て歩いているような人達だ。
無礼極まりない両親と違って、お嬢様は旦那様似。
高位貴族だからと偉ぶることもなく、同じ目線に立ってくれようとしている。
「ここ、いれていい?」
まだ植えられていない花壇の一角がお嬢様専用となり、柔らかい土を手で掘り起こす。
力のないお嬢様がスコップを持てるわけはないけど、臆することなく未知の物に手をつけるお嬢様の勇敢さにドキッとした。
好奇心ではなくエレトが土いじりをしていたから、安全と判断したのよね?
興味が湧くから手当り次第、触るわけではないと信じたかった。
子供の好奇心は侮れるものではない。私の弟妹も色んなことに興味を持っては周囲を巻き込む。
我が家は裕福ではなかったから尚のこと、自分達で調べたい意志が強かったのかもしれない。
多くの知識を持っていれば将来、役に立つ。
「ええ。あとは土を被せてこの水をかけてあければ……」
花が咲いた。お嬢様が水をかけた瞬間に。
こんなにすぐ咲くものだった?
一つの種からどんどんと花は咲き、花壇いっぱいを埋め尽くす。
お嬢様の目は輝きに満ちていて、とても疑問を口に出来る状況ではない。
「リンシエ。どうじょ」
「私にくれるのですか?」
「あい」
「ありがとうございます」
「エレトも」
「おや。こんな老いぼれにでもですか」
なんて言いつつ、顔が綻んでいる。嬉しいのが丸わかり。
「んとね、あのね。ほかの、ひとにも……あげたいな」
指をもじもじさせながら上目遣いで見てくるお嬢様の可愛さにやられない人間はいない。
「他の人というのは使用人のとですか?」
「ん!」
これだけ咲いていれば数が足りなくなることはないだろう。
お嬢様の伝えたいことがわかった。
スノードロップの花言葉は“ありがとう”
その汚れなき健気さに泣きたくなった。
こんなにも純粋な人がなぜ、髪色一つで残酷な目に合わなくてはならなかったのか。
「お嬢様。でしたら旦那様達には、こちらのカスミソウをお渡しになられてはいかがですか?」
カスミソウは確か“感謝”と“幸福”
今の気持ちを伝えるにはピッタリの花。
同じように種を植えて水を撒く。さっきよりも量が多く、これなら小さな花束が作れる。
「お嬢様。こちらは一度、お返し致しますね」
「おはな、いらにゃい?」
「いいえ。とても嬉しいです。ですが、お嬢様の初めてのプレゼントを私が貰うわけにはいきません」
「ほっほ。それもそうだな。お嬢様。また明日、渡しに来てはくれませんか?」
「ん!!」
物置きから持ってきたバケットに摘んだ花を入れて、カスミソウを花束にするため一度、部屋へと戻る。
そこまで本格的な花束ではなく、リボンで軽く束ねるだけ。
リボンの色はそれぞれ、家族の髪色から選んだ。
力がなく小さな手のお嬢様では、かなり苦戦を強いられる。
代わりにやるなんて、出しゃばるつもりはない。
不器用ながらに時間をかけて完成させたお嬢様はニコニコ顔。
世界中探してもこんなに愛らしいお嬢様は一人だけ。
「よろこんで、くれるかな?」
何をそんなに不安に思うことがあるのか。
お嬢様からのプレゼントならきっと大喜び。
仕えるべき人間として主であるお嬢様の背中を押してあげなくては。
「大丈夫ですよ。お嬢様の心がこもったプレゼントですから。皆様、きっと喜んでくれます」
「そう、かな」
「はい!絶対に」
「そっかぁ」
表情が綻んだ。受け取ってもらえた瞬間を想像しているのだろう。
「お嬢様の想い。皆様に伝わりますよ」
「あ、あのね。リンシエ」
「何でしょう、お嬢様」
「っ、わた…し。ユーリ、だよ」
「はい。存じ上げております」
「だ、だからね、あの……なまえ……おぼえてにゃいのかにゃって」
恥ずかしそうに、自分の勘違いだと知って顔を赤くしながら俯く。
お嬢様は“ななし”だった。
没落した貴族よりも不名誉な“ななし”
祝福も望みもなく、生まれてきたことを疎まれるだけ。
旦那様に救われ、テロイ家の養女となり、ようやく名前を持てた。
私はバカだ。お嬢様は“ななし”ではないのだから、名前を呼ぶべきだったのに。
「ユーリ様。こちらの花束は夕食時にお渡ししましょう」
名前を呼んだだけで、後光が差したような眩しい笑顔。
可愛すぎて、ときめかずにはいられない。
「ユーリ様。少しお傍を離れますね」
「ん」
静かに扉を締めながら部屋を出て、歩いていた足は段々と駆け出す。
はしたないと怒られようが急がなくては。
昼過ぎなら使用人達は休憩している。
専用の部屋で昼食を食べながら雑談に花を咲かせていた。
「これからユーリ様のことはお嬢様ではなく、名前でお呼びして下さい!!」
「どうしたの、リンシエ。急に」
「ユーリ様はそれを望んでいます」
「そんな……だって、ねぇ?」
皆が視線を交わらせる。
「あんな愛らしい天使のお名前を、使用人如きが軽々しく口にしていいと!?」
そうなのだ。みんなユーリ様の名前を呼びたくないのではない。
恐れ多いだけなのだ。名前で呼ぶことが。
喋ることに慣れていないながらに、いつも懸命に私達のことを気にかけてくれるユーリ様の優しさにときめく。
最初こそ虚ろだった瞳にも生気が宿り出し、ぎこちなさの残る笑顔だって向けてくれるようになった。
育った環境を聞かされ最初は戸惑っていたものの、実際にユーリ様と会ってしまえば何も考える必要がなくなる。
ユーリ様が可愛いという事実があれば良くなった。
「お嬢様と呼ぶと、とても悲しそうにされますよ」
「な……なんてこと!!」
「お嬢……じゃなかった。ユーリ様を悲しませるなんて!!」
「そうだ!ここにはお嬢様なんて名前の公女様は存在しない!!」
一致団結する姿に熱を感じる。
みんなユーリ様が大好き。ずっと笑っていてほしい。
傷つける者がいれば地の果てまで追いかける。
揺るぎない誓い。ユーリ様の幸せのためなら、私達は何だって出来る。
夕食の時間になると、既に集まっていたご家族にカスミソウを手渡した。
声にならない喜びが食堂を駆け巡り、嬉しさのあまりノルア様とティアロ様は号泣。
旦那様と奥様は目頭を抑えながらも泣くのを堪えていた。
「ユーリ様。良かったですね」
「うん!」
ユーリ様は些細なことで喜ぶ。
小さな幸せを独り占めすることなく、分け与えてくれる。
この日を境に誰も、ユーリ様をお嬢様と呼ぶことはなくなった。
顔を会わせるとすぐに名前を呼ぶ。その度にもちもちの頬が緩む。
名前で呼ばれるようになったユーリ様は本当に嬉しそうで、今日も本物の天使のような愛らしさで笑う。




