閑話
これは夢だ。不思議とそう直感した。
虹色の空間。明るいのに全体的の色素は薄い。おかげで目が開けられる。
ここが夢の中だとして。直前まで私は何をしていたのか。
記憶に霧がかかったかのように、何も思い出せない。
辺りを見渡したところ、どこに向かって歩いても永遠と先が続く。果てしない水平線だ。終わりが見えない。
──四角い箱の中に閉じ込められている感覚だけど違うのか。
待っていればそのうち、目が覚めるだろうと悠長に構えていると、どこからか毛玉が飛んできた。
不自然なほどに浮いている。
白くてふわふわ。触りたくてうずうずした。未知のものには警戒して然るべきなのに、好奇心が抑えられない。
「初めまして」
「喋った!?」
毛玉はおかしそうにクスクス笑う。私の周りを回りながら。
「私をここに連れて来たのは貴方?」
「そうね。そうなるわね」
妙に引っかかる言い方。
「聞きたいことがあってね」
動きを止めた毛玉は、毛玉なのに凛とした姿を思わせる。
「もしも、どんな願いでも一つだけ叶うとしたら、貴女は何を望むのかしら?」
「それが……聞きたいこと?」
「絶対に叶う願いごとよ。教えてくれる?」
願い。夢、とは違うんだよね。
──毛玉は私に何かを期待している?
私も人間だ。叶ったらいいなと思う欲はある。それを口にしたことはないけど。
ただ、欲望と願いごともまた違う。
「それはさ。漠然とした願いでもいいの?」
「もちろん」
目を閉じて、世界を想像した。
不平等で不条理。他人には無関心。
そんな悲しい世界が変わるとしたら?その奇跡を掴むチャンスがあるなら、私は迷わず手を伸ばす。
「みんなが笑顔で幸せに暮らせますように。それだけ」
最初は亡き祖父母との約束だったかもしれない。
でも、いつしか約束だからではなく私が誰かのために何かをしたいのだと気付いた。
偽善、点数稼ぎ。私のやっていることを見て、そう言う人は多かった。
子供のときは腹を立てていたけど、高校生くらいから気にすることがバカらしくなったのだ。
私が何かをすることに、周りの目や意見を気にすることはない。
困っているから助ける。シンプルな理由。
むしろなぜ、目の前に困っている人がいるのに見て見ぬふりをするのか。私は理解に苦しむ。
男子はよく言っていた。可愛い女の子や美人のお姉さんなら迷わず助けるのにと。
意味がわからない。
性別も見た目も、年齢だってどうでもいいのでは?
人助けは見返りのためにやるものではないのに。
極端な話、誰かを助けたことにより私が死んだとしても、助けた人を恨んだりはしない。
むしろ謝るだろう。目の前で人が死ぬ恐怖を植え付けてしまったことを。
素朴な疑問をぶつけたのは商店街のど真ん中でだった。
夕方ということもあり多くの人が行き交う。そんな中での私の発言。
恥ずかしいことに周りから絶賛の拍手が送られ、同級生の男子は白い目で見られていた。
ちなみに。そのとき私が助けたのは、シニアカーが段差に挟まって転んだおばあちゃん。
私が一番に駆け付けただけで、他の人もすぐ駆け寄って来た。
怪我をしていないか確認してシニアカーを起こす。落ちた荷物を拾う。
たったそれだけのことを面倒臭がり、ましてや笑った同級生を一生忘れることはない。
「願いを叶える代償が必要だというなら、喜んで差し出すわ」
「求められたものが命でも?」
「私なんかの命が役に立つなら人柱にだってなれる」
私の命にそこまでの価値はない。同じ天秤に乗ったところで傾くわけがないとわかっている。
一人と何億。重いのは後者。
今世だけでは足りない。来世もその次も。私がまたこの世に生を受けることがあれば、天に捧げなければならないだろう。
それでも……。
「泣いてほしくない。私は苦しいも悲しいも経験した。寂しさと絶望が未だに襲ってくるときがある。“怖い”を知ってしまったからこそ、他の人がそうならないように、笑顔で生きてほしいから」
この考えさえ偽善、なのだろう。
紛れもなく本心であるからこそ、恥ずかしげもなく口にした。
「そう。貴女は……あの子とは違うのね」
毛玉はそう言った。
──あの子?
聞き返そうとしたら毛玉は虹色の光を放つ。
眩しすぎて思わず手で光を遮った。
「答えが聞けて良かったわ。ありがとう」
「え、ま、待って!」
終わりがくる。夢から覚めてしまう。
「ここでの出来事は全て忘れるわ。これから頑張って“みんな”を幸せにしてあげて。貴女はもう救ったのだから。尊い命を」
「どういう意味……?」
天から光の粒子が降り注ぎ私を包む。
「優里。優しい子。これは私から貴女へのプレゼント」
なぜだろう?名前を呼ばれただけなのに涙が溢れるのは。
景色が急激に加速する。超高速のスライドショーみたい。
速すぎて何も見えないけど。
なぜ……だろうか。愛しさと切なさ、痛みまでもが胸を締め付ける。
何千にも及ぶ記憶の欠片。触れたいけど、壊れてしまうかもと遠慮した。
人の形をしていない毛玉が微笑んだ気がして、無意識に首を傾げる。
左右に流れる映像の最後に映ったのは、私と灰色の髪をした女の子が倒れている姿。
ドクンと心臓がはねた。血が沸騰したように熱い。
私はこの記憶を……《《知っている》》。
「大丈夫。貴女なら何も心配することはないわ」
後押しするような一言。
夢の中なのに急激な睡魔に襲われる。
まだそこに浮く毛玉に手を伸ばすも、意識は完全に途切れた。
体が倒れた衝撃はない。ゆっくりと眠りに落ちただけ。
次に目が覚めたとき、視界に映ったのは見知らぬ天井。




