これからのことを話し合います
見知らぬ天井。見知らぬ部屋。
小さな私の手を握る超絶美形。
目が合えばニッコリと微笑む。
──そうか。ここは天国だ。
小説のキャラクターに転生するくらいだ。
男性の天使がいてもおかしくない。
世の中には人間の知らないことで溢れ返っている。
「良かった。目が覚めたんだな」
大きな手は頭を撫でた。壊れ物を扱うかのように優しく不器用に。
「お、おいこら!押すな!って、うわ!!」
ドタドタと大きな音を立てて、まるで漫画のワンシーンのように流れ込んできたのは二人の青年。
こちらも美形。私の手を握ってくれている天使と顔立ちがよく似ている。
三人共、サラサラヘアーだ。風が吹けば見とれるほどに美しくなびく。
天使の髪色はかなり薄いグレーに対し、青年は目を細めてしまいたい金色。
瞳の色は……まだよく見えなかった。
こんなにも整った顔は絶対に人間ではない。
「何をしている」
「俺らも気になって……その」
「はぁーー」
盛大なため息。肺活量がすごいな。
「驚かせてすまない。あれは私の息子。長男のノルア・テロイと次男のティアロ・テロイだ」
………………テロイ?
その名前どこかで。
記憶の回路を辿った。
そんなに難しいことではなくすぐに答えは出る。
主人公を養子に迎えて、物語の中心となる家門。
──何で?
もはや疑問しかない。
私は窓もない汚れきった部屋に閉じ込められて、死を待つだけだった。
原作の通りに物語が進むなら私は死ななくてはならない。
生きて……。しかも、何がどうしてテロイ家にいるのか。
頭が混乱する。
「痛いところはないか?体全体に治癒魔法をかけたから、大丈夫だとは思うのだが」
体が重たいということを除けば痛みは全くない。
ロクな食事を摂ってこなかったせいで栄養が足りてないのだ。
「大丈夫」と言うため口を開くと、声は出なかった。
私は発しているつもりなんだけど、聞こえていないということは、そういうことなんだろう。
ずっと。誰かと喋ることなく独りぼっち。
恐らくこの体は喋り方がわからない。
無理に声を出そうとすれば慣れないことに痛みが走る。
「リミック。無理をさせてはいけませんよ」
なんて美しい人だろうか。
後光に照らされているかのようにキラキラと輝く。
背中まである水色の髪は一本一本がよく手入れされている。
あの髪の毛一本でウン百万円を支払う人が出てきそう。
三人が天使だとすれば、この女性は女神。
四人全員が目も眩むほどの美しさを放つ。
ここが天国だと言っても過言ではない。
「ごめんなさいね」
女性は申し訳なさそうに謝った。
気にしてない、とさえ今の私には言えないから首を横に振る。
言葉がなくても意思疎通をはかる方法はいくらでもあるのだ。伝わるかは別として。
「そう。良かったわ」
女神の微笑みは破壊力抜群。
ドキュンと心臓が矢で射抜かれた。
崇め奉りたい。信仰を続ければその美貌のお零れが貰えるかも。
「すまなかった」
天使。じゃない。ここがテロイ家で、青年二人を息子と呼んだのなら、この人はリミック・テロイ。
主人公をミトン家から救う張本人。
リミックはひどく傷ついたような、悲しい顔をしながら私の手をそっと包み込む。
どんな表情でも絵になるし、美しすぎる。
なぜリミックがそんな顔をして私に謝るのか。
わからないでいると、今度は優しい手が髪に触れた。
「愚弟は君と私の髪色が同じことが気に食わなかったのだろう」
リミックは話した。こんな子供に。
内容をどれだけ理解しているかなんて、わかりもしないで。
懺悔のためではない。この子が不当な扱いを受けていた理由を知っていなくてはならないから。
父はリミックに強いコンプレックスを抱いていた。
同じ親から生まれたはずなのに容姿、人望。その他諸々。全てにおいて勝てるものはなかったとか。
いつも虚勢を張り強がってはいたが、完璧な兄に劣等感を感じて他の人間に威張り散らす。
権力で従えさえ、物事を都合の良いように解釈する。
惚れ惚れする小物っぷり。
唯一、結婚の速さだけは勝っている。
18歳になってすぐ婿入りをしたのは、体よく追い出されたとみて間違いなさそうだ。
愛する妻との間に生まれた子供がまさか、この世で最も、憎んでいる兄と同じ髪色。
幼少期の記憶や感情が蘇り、私を兄の代わりに仕立て上げた。
──そんな、くだらないことで……?
罪なき命は奪われそうになったの?
いいや。奪われたんだ。確かに。
その結末は既に描かれている。
生まれてきただけで疎まれて。この子は何も悪いことをしていないのに。
寂しかったよね。辛かったよね。
暗い世界に独りきり。
残飯のような食事で命を繋いでは、運んできた感謝を述べろと乳母に土下座を強要されて。
酷い罵声を浴びせられても言葉の意味なんてわかるはずもなく。
だから乳母は毎日毎日、この子を罵り、時には暴力まで振るった。
「リミック!子供に聞かせる内容ではないでしょう」
女神……じゃない。公爵夫人は細くスラッとした指で、私の目から零れ落ちるものを拭った。
それは涙。
あまりにも悲しくて。泣かずにはいられない。
「もっと早くに助けられなくてごめんなさい」
心からの懺悔。
テロイ家は何も悪くないのに、家族四人が本気で悔いていた。
抱きしめてくれる公爵夫人は良い匂いがして、荒れそうになった感情が鎮まる。
「もしも君が望んでくれるなら。私達の家族にならないか」
家族?養子になるってこと?
それは主人公であるラーシャの役目。
脇役ですらない私がテロイ家の恩恵を受けるなど……。
「それいいじゃん!よーしチビ。俺らの妹になれ」
ティアロがパチンと指を鳴らして、明るい笑顔と声で言った。
──チビじゃないもん!!
ほっぺたをぷくぅと膨らませると、ノルアが面白がるようにつつく。
この兄二人、とんでもなく失礼だ!
「ティアロ。レディーに向かってチビとは何ですか。この子はまだ幼いのですよ」
そうだそうだ!
公爵夫人に優しく咎められたことにより、反省したかのように頬を掻きながら
「悪かった。ごめんな」
真っ直ぐと目を見て謝ってくれた。
性格はちょっと悪いかもしれないけど、根は良い人そうだ。
「家族になるならいつまでも、君やこの子、ではいけないな」
すいません。まだ養子になるとは言ってませんけど。
既に決定したような雰囲気。
「名前は。君の。ゆっくりで構わない。教えて欲しい」
言ってもいいのだろうか。誰にも呼ばれることのない名前を。
僅かに口を開き、躊躇う。
たった三文字。頑張ったら伝えられる。
私の……。この子の名前は……
「な、なし……」
瞬間、リミックが目を見開いた。
かと思えばおもむろに立ち上がる。
「奴らを始末してくる。望み通り骨まで残さぬのう灰にしてやるぞ」
なんて物騒なことを口走るのに誰も止めようとしない。
あとそんなことは望んでないと思う。
ここまで怒り狂うのには訳がある。
貴族・平民。身分に関わらず名前を与えられなかった子供には共通して“ななし”と名前が付けられるのだ。
名前ではあるけど名前ではない。
貴族の子供には滅多に。いいや。絶対にありえるはずがない。
“ななし”であると名乗るのは不名誉なことであり、認めることでもある。
生まれたことを祝福されず、生きることを望まれていない、踏み潰される雑草以下であると。
色の付いた瞳から感情が消える。
虚無。人を人と思ってすらいない。
本気で殺しに行くつもりだ。
背を向けて行ってしまうリミックに手を伸ばす。掴もうと必死。
私はすっかり忘れていた。
どんなに広く大きなベッドとはいえ、無限大ではない。
面積がなくなれば当然、落ちる。
そこまで高さはなく背中を強打しただけ。
なのに。痛くなかった。
敷いてあるカーペットがスライムのように柔らかく弾力があったからではない。
落ちた衝撃はあったし、ノルアとティアロなんてパニック状態に陥って「どうしよう」と叫ぶばかり。
私自身も驚いてはいるものの、意識はリミックを止めることに集中している。
立つことすらままならないから、ハイハイだけが移動手段。
中身26歳とはいえ、恥ずかしがっている場合ではない。
ここで私が頑張らなくては取り返しのつかないことになるのだ。
大人の足なら二~三歩の距離も、この体では遠く感じる。
体力がないのも原因の一つで、もう息を切らす。
肩で大きく息を吸っては、疲れから汗が流れる。
ようやく追いつき、裾を掴むも握力はなく、握ることすら出来ない。
「行って……欲しくないのか?」
伝わった。それだけが嬉しくて、何度も首を縦に振る。
どんなに許せなくても殺して欲しいわけじゃない。
困ったように笑いながらも殺意は薄れ、慣れたように抱き上げてくれた。
視界が急に高くなり、超絶美形が目の前に。
「そうだな。もう私達の家族になるのだから、あんな連中のことなど気にする必要もない」
やっぱりそれは決定なんだ。
“ななし”なんて厄介者、施設にでも放り込めばいいものを。
本当の本当に家族の輪に入れてくれようとしていた。
分不相応で、望むことすらおこがましい。
独り寂しく死んでいくはずだった私が愛されて、幸せに生きたいなどとは。
「名前を付けよう。私達が呼ぶ、君が呼ばれるべき大切な名前を」
心地良い声。つい身を委ねたくなってしまいそうな。
完全に殺気が消えた。瞳にも生気が宿り肩の荷が降りた気分。
ベッドにちょこんと座らされる。
美形家族にまじまじと見つめられると恥ずかしくなり、シーツにくるまると生温かい視線が飛んできた。
不快感はない。くすぐったい感じ。
「うーん、名前か。何がいいだろうな」
「ゆ、う、り」
「ユーリ?」
無意識に私は本当の名前を口にしていた。
「すごくいい名前ね」
二度目の微笑み。ライフはゼロになった。
蘇生してもらわないと。このままじゃ死んだまま生きることになる。
「ユーリ。これからは不慣れなことやわからないことだらけで戸惑うこともあるだろう。私達も間違えるかもしれない。それでも。これだけは約束する。お前を不幸にはしない。幸せにすると」
「ユーリ。もし何かあったらノルアお兄ちゃんに言うんだぞ。守ってやるからな」
「俺だって!!ユーリのこと守る!!傷つける役は誰だって許さない!!」
「ふふ。二人共。そんなに大声を出さないの。ユーリがビックリするでしょ。ユーリ。私達は家族よ。何があってもそれは変わらないから、いつでも甘えてね」
もう決して呼ばれることのない名前。
月影優里は死んだ。車に撥ねられて。
あれが夢だった。なんてオチはない。
衝突と落下の痛みは本物。
突然、訪れた死にこれまでの走馬灯が頭の中を駆け巡る。
飛行機事故に遭い命を落とした。
いつだって私を愛してくれて、何があっても味方でいてくれた大好きな両親。
もう会えない悲しみに心が折れかけたとき、シワシワの手で祖父祖母が抱きしめてくれたことは忘れない。
私を呼んでくれる声は穏やかで安心をくれた。
独りぼっちになった私の家族になってくれると言ってくれたんだ。
それはとても温かくて、壊れかけた心を支えてくれた気がした。
愛おしくてかけがえのない記憶。
目を閉じれば会える月影優里の家族。
戻ることの出来ない私が生まれて生きた世界。
月影優里はもういないけど。ユーリはいる。
生きて……いいのだろうか。
名前を与えられなかった悲しくも愛しい女の子と。
「ユーリ。泣かないでくれ」
当たり前のように名前を呼んでくれて、何気ないことなのに幸せを感じる。
私はここで、この人達に愛されて生きていいんだ。
涙が溢れるのは悲しいからではない。嬉しいからだ。
「あ……あり、が…と」
喋ることが苦しい。
か細くて絞り出したかのような声にも関わらず、ちゃんと届いていた。
頑張って感謝を伝えられて良かったと思うけど、なぜかみんな。黙り込んでしまった。
ほんと何で?




