本の世界はファンタジーでした
「すごいです!お嬢様!隣のお部屋まで移動出来ましたよ!!」
正式にテロイ家の家族になって早いもので、1週間が経つ。
ちゃんとした栄養のある食事を摂ることにより、ようやく一人で立っても倒れないようになった。
食事もスープからポタージュに変わりはしたものの、ポタージュは嫌いなのでスープのまま。
具は野菜だけでなくお肉も入るようになったし、以前のように煮込まなくても噛めるようにもなってきた。
気を抜くとまだフラっとすることもあり、部屋には弾力のあるクッションが余すことなく置かれている。
手触りにもかなりこだわっているらしく、要はあれだ。人をダメにするクッション。
一度倒れたら最後、立ち上がる気力が失われる。
過保護すぎる両親をどうにか説得してクッションは退けてもらった。
ほんとにもう床一面を陣取られると歩きづらいし。
リンシエがずっと傍にいてくれるから、倒れそうになったら支えてもらえる。
ついこの間だって。足がもつれて顔から転んでしまいそうなとこを素早く助けてもらった。
反応速度が異常なまでに速かったことに関しては何も聞かない。
そう、例えば。リンシエがその道のプロだったとしても。私はリンシエが大好きなのだ。
「ふぅ……」
疲れたので休憩。
立てるようになったら次にすることは一つ。歩くこと。
冗談ではなく本当に、この体は体力がない。
部屋の中でさえ自由に歩き回れなかった。
ずっと抱っこで移動するわけにもいかず、こうして訓練の真っ最中。
1週間かけてようやく、隣室まで移動することが出来た。体力は残ってないけど。
何かをやり遂げる度にリンシエは大袈裟なまでに褒めてくれる。
それが嬉しくてもっと頑張ろうとやる気が出た。
「お嬢様。今日も魔法の訓練をなさいますか?」
「ん!!」
そうなのだ。驚くことにこの世界は魔法が使える。
原作はまだ読んでいないし、同僚だってそんこと一言も言っていなかった。
ネットで検索したらネタバレ記事を目にしてまう恐れがあるので、本を買うと決めたときから、外部の情報を遮断することに力を入れていたんだよね。
その努力虚しく、一行も読めないどころか本を開くことすら叶わず、私はこうして『愛され公女の日常』で第二の人生を歩んでいるところ。
名前を与えられなかった「ななし」は、ユーリとなり美男美女が集う家族に愛されていた。
それはそれは過保護なくらいに。
「でも!30分だけですからね」
魔法は、火、水、雷、風、土、の五大属性で成り立つ。光と闇の属性もあるものの、これはごく稀の、ほんっっっとうに希少価値が高いそうだ。
属性を見極める方法は一つ。先日、神殿で私が行った儀式。
とは言っても、そんなに複雑なことはしていない。
何やら模様の描かれた円の中に立ち、されるがまま状態だっただけ。
家族が手を握ってくれたのは、それぞれの魔力を私に流すため。
新しく迎える家族には必要なこと。いついかなるときも、どこにいても。ずっと繋がっている証明。
魔法の存在を知ると、あの模様が魔法を表していたのだと理解した。
それぞれの色は属性。光と闇が上下にあったのは、朝と夜を意味しているのだろう。
あの中で魔法石と呼ばれるひし形の石に触れることで属性の色を放つようになるらしく……。
私は何色でもなかった。眩しいだけ。
話を聞いてしょんぼりしていた私に朗報が告げられた。
なんと私は全ての属性を持っている。光と闇を含めた、文字通り全て。
複数の属性を持つ場合は、その人間により合った属性の色が濃く光る。
つまり私は光属性が強い。と、思いきや、そうではなかった。
どの属性にも当てはまらない治癒魔法。それこそ私が最も得意とする魔法である。
そして……。悲しいことにユーリは魔力が強すぎて無意識のうちに付けられた傷を治し癒していたことから、痛みに鈍感になっているとリミッ……じゃない。お父様が教えてくれた。
喉に感じていた不快さや違和感は痛み、だったのだ。
なくてはならないものが欠けている。
痛みがわからないから、何をされても他人事でいられた。泣くこともなく、あの暗闇で永遠に……。
お父様は憂い悲しんでいたんだ。
私が治癒魔法の使い手だと知ってしまったあの瞬間。
──あの表情はそういう意味だったのか。
その話を聞いて心がズキズキと痛んだということは、全く痛みを感じないわけではない。
知らないだけ。痛みというものを。
今の私は常に治癒魔法が発動し続けている状態。
本能がそうさせている。この身を守るために。
魔力をコントロール出来るようになれば魔法も切れる。魔法が切れたら傷を負い、痛みが知れるはず。
故意に傷つくつもりはないけどね。
そういうことをしたら家族は怒るよりも先に悲しむ。だからやらない。
体力が完全になくなった私は、訓練のためリンシエに抱っこされて移動する。
もっともっと頑張って、せめて屋敷の中だけは自分で歩けるようになりたい。
「ではお嬢様。集中して下さい」
魔法部屋。その名の通り魔法を扱うための部屋。
部屋に余計な物はなく、椅子が中央に置かれているだけ。
訓練は激しくて派手なものではない。椅子に座って体を巡る魔力の流れを理解するだけ。
地味で、はたから見たら座っているだけなのに、意外と難しい。
基礎中の基礎であるこの訓練は魔法を自在に操るために必要なことで、遅くても10歳になる頃には誰でも簡単に出来るようになる。
特殊な作りになっているこの部屋はいくら魔法を使っても傷ついたりはしない。
魔力封じの部屋もあるんだとか。私が閉じ込められていたのが、まさにその部屋。
本来、魔力の暴走から子供を守る部屋であり、決して虐待をするためではない。
「いい感じです。そのままリラックスして」
目を閉じて集中すればイメージしやすい。
体の中を血とは別のものが流れるこれが魔力か。
普通の人間で魔法とは無縁だった私にさえ、異物に感じないのはユーリがこの世界の住人だからだろう。
属性によって魔力にも色が付き、私の魔力は何色にも染まる透明。
魔法を使うときには魔力がその属性の色へと変わる。
まずはこうして目には見えない魔力を感じることがコントロールへの第一歩。
ただ私は従来の子供よりも魔力が多い。お父様と同じ、もしくはそれ以上。
大人でさえお父様と同じ量を持つのは王族くらいだというのに覚醒……。魔法が発動する歳でもない私が持つ量としてはかなり危険。
暴走なんて起きれば一発で死に至る。
そう考えると閉じ込められていたのが、あの部屋で良かったとさえ思う。
でもさ。それって変じゃない?
原作では一人静かに息を引き取ったんでしょ。誰にも気付かれずに。
部屋の外から感知するほどに魔力が多ければ原作でも死ぬことはない。
原作と違うことがあるとすれば私が憑依したことだ。
もしも、この仮説が正しかったとして。私は私の死を喜んでもいいのだろうか?
車に撥ねられるはずだった子供は救えた。それ自体はいい。問題はその後。
目の前で人が死ぬトラウマを植え付けてしまった。
心の傷に大小はない。徐々に心を蝕んでいく。
呪いに近いんだ。あの苦しみは。
忘れたくても忘れられない。刻まれるんだ。死ぬまでずっと。
「お嬢様。ここまでです」
アラームが鳴る。目覚まし時計と同じ音。懐かしい。
ネガティブなことを考えすぎたせいか私の意志とは関係なく魔法が発動されていた。
威力は抑えられているものの、焚き火のように小さな炎は揺れ、水溜まりの上でつむじ風が舞う。
雷鳴が轟き、砂場で作るような山が幾つも出来ていた。
部屋の半分は眩しく、もう半分は暗い。
6歳にもならない私が魔法を使えることは異例。まぁ、残念ながら使っている感覚は皆無。
歴史を遡っても才能のある者。すなわち王族や、由緒正しき貴族に生まれた当主の器でもあるたった数人の名前しか刻まれていない。
魔力が暴走を起こしたわけでもないから、しばらくすれば自然と消えていく。
幸いなのはリンシエに魔法は当たってなくて怪我をしていないこと。
1週間ずーーーっと訓練してるのにコツさえ掴めない未熟な自分が嫌になる。
みんなは焦らなくてもいいと慰めてくれるけど、私としては1日でも早く出来るようになりたい。
「無理は禁物ですよ。焦って体調を崩されたらそれこそ、皆様が悲しみますから」
「ん」
私が頑張るのは体力作りや魔力コントロールだけではない。喋ることもだ。
みんなと会話するには、まだまだ喉の調子が良くない。
──普通の家族になるには程遠いなぁ。




