まさかこの世界は……!?
──神様。人は天寿をまっとうしたら天国に行けるのではなかったのですか?
問いかけに答えてくれる人はいない。
私こと月影優里は本日、誕生日を迎えて26歳になったばかり。
人間関係に恵まれて、この歳になっても小学校からの友達が誕生日パーティーを開いてくれる。
悲しくなるから30歳になったらやめようと言っているけど、何だかんだパーティーはするだろう。
仕事が終わり、予約した本を受け取り待ち合わせ場所の居酒屋に向かっていた途中。
信号無視で突っ込んでくる車から子供を庇い、鈍い音と共に体は高く宙を舞った。
かなりスピードが出ていたせいか、体は回転したような。
頭から落ちなかったものの、全身を強打。
骨が折れたなんて優しいものじゃない。砕けたという表現のほうが正しいかも。
痛みを通り越して何も感じない。
車はそのまま逃走。その場にいた人達はパニックになりながらも必死に私を助けようとしてくれた。
多くの人が声をかけてくれる。
「大丈夫」
「きっと助かる」
遠くから救急車のサイレンが聴こえる。
子供は……。突き飛ばした拍子に膝を擦りむいてしまったけど、大きな怪我はない。
呼吸が段々と浅くなっていく。目も開けていられない。
完全に閉じてしまえば、私はこの世を去るだろう。
血まみれで動かなくなった私に駆け寄り、泣きじゃくる子供の頭を撫でた。
「ごめ、んね。怪我……させて」
そこで意識が途切れた。
なのに……。死んだはずの私は目を覚ます。
「ん……?」
暗い。
目を開けているはずなのに何も見えなかった。
窓がなく扉が締め切られているからジメジメしている。
力の入らない体をどうにか起き上がらせて、そこで違和感に気付く。
体が小さく手足も短い。
この子の朧気な記憶が、自分が何者かを教えてくれた。
ここは。この世界は……大人気小説『愛され公女の日常』
内容はこうだ。
主人公は6歳のラーシャ・ミトン。
家族に愛されながらも、傲慢な性格でもある両親は他の貴族疎まれている。
愛らしい容姿の主人公は誰からも好かれているが、両親のせいで貴族社会に馴染めない。
そんなとき、手を差し伸べてくれたのが父親の兄、叔父のリミック・テロイ公爵。
養女として引き取られ、新しい家族に溺愛される物語。
つまり私は死んで小説のキャラクターに転生したわけか。
ん?憑依?どっちでもいいか。些細なことだ。
なぜこの世界なのか。それは多分、死ぬ前にその本を買ったからだろう。
会社でもかなり話題になっていて、売り切れ続出の本をようやく手に入れたのだ。
その矢先。私は……。
死を嘆き悲しむつもりはない。
本を買わずに待ち合わせ場所に行けば、あの子は車に撥ねられて死んでいたのだから。
最後の最後、誰かを助けることが出来て私は満足している。
私の死は不当ではない。天寿をまっとうしたとさえ思っていたのに。
私はまだ本を読んだことはなく、周りの人が話しているのを聞いただけ。
『愛され公女の日常』には短編の番外編があるらしい。
本編に書かれる描写は一瞬。主人公には妹が《《いた》》と過去形で書かれている。
そういう存在がいたと思う程度。
主人公の妹。二つ歳下。名前は……。
存在を知っているのは両親と数人の使用人だけ。
彼女は髪の色が親と違うという理由から疎まれ嫌われていた。
この世界ではよくあることだ。親と髪色が違って生まれてくることは。
事実、父親だって両親どちらからの色を受け継いでいない。
祖父や祖母、親に兄弟がいた場合、そちらの色で生まれてきたりする。
要は血縁関係のある人間の色をランダムで受け継ぐということだ。
この子の色は汚れてくすんだ灰色。
目は母親と同じスカイブルー。
髪の色一つでこんな扱いを受けるこの子が可哀想で、どうにか助けたい気持ちでいっぱいになった。
──主人公だって両親の色を受け継いでいないじゃないの。
ピンクの髪とスカイブルーの瞳。
顔も知らない姉だけが幸せに暮らしていることを、この子は知らないんだ。
姉妹なのにお互いの存在を認識すらしていない。
窓のない部屋に閉じ込められ、人間的扱いなど受けたことなど一度もなく。
生まれたときからずっとこの部屋で過ごし、赤ん坊だった頃は仕方なく乳母がお世話をしてくれていた。
成長すると乳母は来なくなり、適当に子供が食べられそうな物が用意されるだけ。
暗闇の中でいつも独り。
その場に蹲り、朝や夜もわからないまま過ごす。
食事に手を伸ばすのは本能が生きることを望んでいるから。
それでも……。主人公と同じ歳になるまで生きることはなく、静かに息を引き取った。
と、同僚が話していたな。
今の私はその子である。六歳になることなく一人で死んでいくモブですらないキャラクター。
「ぅ、ぁ……」
叫ぼうにも声は出ない。
暗闇にも目が慣れてきた。狭いな。
幼児からしてみれば広いのかもしれないけど。
それでも。三畳の広さにも満たない。
扉を叩けば外にいる誰かが開けてくれるかもと淡い期待を抱いた。
まともな食事を摂っていないこの体では思うように動けない。
立ち上がってもすぐに倒れてしまう。
掃除なんてされていない部屋だ。埃が舞う。
「ケホケホ」
咳が止まらなくなり苦しい。
また死んでしまうのかな。
たった独りで。寂しく。
全てを諦めた。私にはどうすることも出来ないから。
大人である私が憑依したところで、何かが変わるわけではない。
結局は小説と同じ運命を辿らせてしまう。
いや。私のせいで死期が早まった可能性は充分にある。
──ごめんなさい。
何も出来ないことに涙した。
言葉にならない謝罪を心の中で繰り返す。
せめて私が主人公だったら。すぐにでも助けに来たのに。
次に目が覚めると、硬い床ではなくフカフカのベットの上だった。




