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お人形遊びは、もうおしまい

掲載日:2025/07/19

 


 私の名前はマキナ・アルス。

 王立魔法技術院にその名を刻む、天才魔法技師。

 そして、かつてはこの国の第二王子カイウス・レックス・インペリウス殿下の婚約者だった。


 ……そう、かつては。


 玉座の間で、彼から婚約破棄を告げられたときの光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。


「マキナ!貴様との婚約を本日をもって破棄する!」


 カイウス殿下声が、静まり返ったホールに響き渡る。

 彼の腕には、か細く可憐な令嬢が寄り添っていた。

 セレーネ嬢……最近、殿下がたいそうご贔屓にされている子だ。

 潤んだ瞳で私を見つめ、怯えるように殿下の後ろに隠れる姿は、庇護欲をそそるのだろう。


「理由は分かっているな? 貴様がこのセレーネに嫉妬心から数々の嫌がらせを行った罪だ! その陰湿で醜い心根もはや王族の婚約者として相応しくない!」


 周囲の貴族たちが、ひそひそと囁き合う。

 同情、嘲笑、好奇。

 様々な視線が、私に突き刺さった。


 私は何も答えず、ただ静かに自分の腕をさすった。

 ドレスの袖に隠された腕をかばうように。


「……考え直してはいただけませんか、殿下」


 絞り出した声は、自分でも驚くほどか弱く震えていた。


「あなたのことを、本当の意味で支えられるのは私だけだと思うのです」


 最後の警告であり、最後の慈悲。

 けれど、その言葉は彼の耳には届かない。


「黙れ! 見苦しい言い訳は聞きたくない! 貴様のような女はこの国にいることすら許されん! よって婚約破棄の上国外追放を命じる!」


 決定的な宣告だった。

 セレーネ嬢の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように私を見下すカイウス殿下。

 その瞳には、かつて私に向けられていた熱など、一片も残っていなかった。


 私はゆっくりと目を伏せ、踵を返す。

 背後から投げつけられる蔑みの視線を受けながら、ただ、一歩ずつホールを後にした。

 悲しい、という感情とは少し違う。

 もっと冷たくて、重たい何かが、私の心を支配していた。


 これで、よかったのだと。

 そう、自分に言い聞かせながら。



◇ ◇ ◇ ◇



 カイウス殿下は邪魔者がいなくなった宮殿で、ようやく手に入れた可憐な小鳥――セレーネ嬢との甘い夜を過ごしたことだろう。

 きっと、彼は満たされていたはずだ。

 すべてが自分の思い通りになったのだから。


 ……翌朝までは。


「どういうことだ……? セレーネ? おい、起きろ!」


 王子の寝室から、悲鳴に近い絶叫が響き渡った。

 朝食の準備を知らせに来たメイドが、恐る恐る扉を開ける。

 そこには信じがたい光景が広がっていた。


 ベッドの上で、カイウス殿下が美しい令嬢の体を揺さぶっている。

 しかし、その令嬢――セレーネは人形のように微動だにしない。

 肌は陶器のように冷たく、その瞳は虚空を見つめたままだった。


「ど、どういうことだ!? なぜだ! なぜ動かない!」


 王子は半狂乱になり、駆けつけたメイドの腕を掴んだ。


「お前! お前が何かしたのか!?」

「きゃっ! 滅相もございません殿下!」


 その細い腕に、容赦なく力が込められる。

 恐怖に引きつるメイドの顔を見て、彼の口元が歪んだ。


「……そうだ、お前が悪い。お前たちのせいで、セレーネが……!」


 王子が手を振り上げた、その瞬間だった。


「そこまでだ、カイウス殿下」


 低く、厳かな声が響く。

 ばん、と音を立てて扉が開け放たれ、屈強な騎士たちがなだれ込んできた。

 あっという間に取り押さえられ、床に組み伏せられる王子。


「な、何をする! 無礼者! 私は王子だぞ!」


 騎士団の壁が左右に割れ、その間から二人の人物が進み出る。


 一人は、この国の騎士団を束ねる、アトラス・フォルティス騎士団長。

 そして、もう一人は――。


「マキナ……!? なぜ、お前がここに……国外追放になったはずでは……!」


 驚愕に見開かれたカイウス殿下の目に、昨日と変わらない私が映る。

 私はただ、冷たい瞳で彼を見下ろしていた。


「ええ、殿下。すべて、計画通りですので」



◇ ◇ ◇ ◇



 カイウス殿下と婚約を結んだ当初、私は確かに彼を愛していた。

 聡明で、カリスマ性があり、未来の王として申し分のない方だと。

 しかし、共に過ごす時間が増えるにつれて、私は気づいてしまったのだ。


 彼の完璧な仮面の下に隠された、底知れぬ残虐性。

 すべてを支配せずにはいられない歪んだ欲望。


 始まりは、些細なことだった。

 私の返答が少し遅れただけで、不機嫌そうに舌打ちをする。

 私の意見が彼と異なれば、冷たい言葉で否定される。


 そして、ある日。

 初めて、彼は私に手を上げた。


 二人きりの部屋で、私の些細な失敗をあげつらい、激高した彼の平手が私の頬を打った。

 衝撃と痛みで、何が起きたのか分からなかった。

 謝罪の言葉はなく、ただ「俺を怒らせるお前が悪い」と、冷たく言い放っただけ。


 それが、すべての始まりだった。

 暴力は次第にエスカレートし、見えない場所を選んで執拗に繰り返された。

 ドレスの下は、青や紫の痣で覆われるようになった。

 私は、自分の命にさえ危機を感じ始めていた。


 逃げ出すことはできたかもしれない。


 ――けれど、私の頭脳はもっと残酷な未来を予測していた。


 私が彼の元を去れば、彼の暴力の矛先は、他の誰かに向かうだろう。

 侍女や、新しい婚約者……あるいは、国民へ。

 王族という絶対的な権力を持った彼の狂気は、決して放置してはならない。


 彼を、正常であるかのように偽装しなければならない。

 彼の残虐性と支配欲を、安全な形で満たし続け、外に漏れ出さないように管理しなければ。


 そこで私は、自らの最高傑作を創り出した。


 私の持つ魔法技術のすべてを注ぎ込み、人間と見分けのつかない、完璧な魔法人形を。

 それが――『セレーネ』。


『彼女』は私の分身であり、私の盾だった。

 私は裏で糸を操る人形師のように、セレーネを遠隔で操作した。

 カイウス殿下が好みそうな、儚げで、従順で、何も言い返さない、可憐な令嬢を演じさせた。

 彼の意識は、面白いようにセレーネに釘付けになった。

 思い通りになる美しい人形に、彼は夢中になった。


 同時に私は意図的に彼と距離を取り、『お飾りの婚約者』を演じる。

 そして、彼の関心を自分から完全に逸らさせることに成功した。


 すべては彼の狂気をセレーネという『檻』の中に閉じ込めておくための苦肉の策だった。


 だが、彼はセレーネに、私への婚約破棄を切り出してきた。

 私がセレーネを虐げたとでっち上げ、婚約を破棄するそうだ。

 セレーネという『人形』を、本気で自分のものにしたいと望んだのだ。

 私の作った檻を、自ら壊そうとした。


 もう、私一人では抑えきれない。

 耐えられなくなった私は、すべてを打ち明ける覚悟を決めた。

 私が選んだ相談相手は、国で最も公正で、強い意志を持つ人物。


 アトラス・フォルティス騎士団長だった。


 彼は私の告白と、ドレスの下に隠されたおびただしい数の痣を見て、静かに拳を握りしめた。

 そして、彼は私の計画に、全面的な協力を約束してくれたのだ。


 婚約破棄と国外追放の茶番。

 私が悲しげに宮殿を去ったあの日、追放などされていなかった。

 アトラス団長と彼の信頼する部下たちと共に、王子の部屋の近くで、その時が来るのをただじっと待っていたのだ。

 彼がセレーネという『安全弁』を失い、その本性を現す瞬間を。



◇ ◇ ◇ ◇


「……というわけです、殿下」


 私は、床に組み伏せられたまま呆然としているカイウス殿下に、静かに語りかけた。


「メイドに手を上げた、あの瞬間。あなたの残虐性がもはや制御不可能なレベルに達したと判断し、拘束させていただきました」


 彼の狂気は白日の下に晒された。

 もう、誰も彼を未来の王だとは思わないだろう。

 王位継承権の剥奪、そして廃嫡は免れない。


 カイウス殿下は、何もかもが信じられないという顔で、私と、そしてベッドの上で眠り続けるセレーネを交互に見た。


「人形……? セレーネが……人形だと……? そ、そんな……嘘だ……」


「ええ、嘘ではありませんよ。私の最高傑作です」


 私はゆっくりと彼に近づき、しゃがみこんで、その絶望に染まった顔を覗き込んだ。

 そして、あの日と同じように、自分の腕をそっとさする。


 ――皮膚の下にずっと残り続ける消えない痣を。


 こらえていた涙が、頬を伝って落ちる。


「……お人形遊びは、楽しかったですか?」


 彼の瞳が、大きく揺れた。


「いくら叩いても、蹴っても、あの娘が決して痣一つ作らなかったことを、不思議に思いませんでしたか?」


「あ……あ……」


 声にならない呻きが、彼の喉から漏れる。


「警告したはずです。あなたのことを本当の意味で……その狂気ごと支えられるのは、この世で私一人だけだったのに」


 愚かだと見下していた元婚約者。

 その女が、自分のすべてを管理し、手のひらの上で転がしていた。

 自分が心から愛した女は、ただの操り人形だった。

 その事実は、彼の傲慢な心を砕く。


 彼は、わななく唇で何かを言おうとしたが、言葉になる前に騎士たちに引きずられていく。

 その瞳から光が消え、抜け殻のようになっていく様を、私はただ静かに見送った。


 王子の姿が見えなくなり、部屋に静寂が戻る。

 張り詰めていた糸が切れたように、私はその場にへたり込んだ。

 もう、涙をこらえることはできなかった。


「……っ……う……」


 終わった。

 長くて苦しい戦いが、ようやく。


 そのとき、力強い腕が、そっと私の肩を支えてくれた。

 見上げると、アトラス団長が優しい目をして私を見下ろしていた。


「……つらかっただろう」


 その一言で、堰を切ったように嗚咽が溢れ出す。

 彼は何も言わず、私が泣き止むまで、ただ静かにそばにいてくれた。


 やがて私が落ち着きを取り戻すと、彼は私の頬に残る涙の跡を、無骨だが優しい指先で拭ってくれた。


「マキナ嬢。……いや、マキナ。これで君は、君の人生を歩んでいいんだ」


「私の、人生……」


「そうだ。君の聡明さ、その献身、そして何よりその清い心を私はずっと見てきた。君のような素晴らしい女性は、あの男にはあまりにもったいない」


 アトラス団長は、まっすぐに私の瞳を見つめると、はっきりと告げた。


「私の伴侶になってはくれないだろうか」


「……え?」


 予期せぬ言葉に、私は目を見開く。


「もちろん、すぐにとは言わない。君の心が癒えるのを、いつまでも待つつもりだ。だが、これからの君の人生を、一番近くで支えさせてはもらえないだろうか」


 彼の真摯な言葉が、凍てついていた私の心に、じんわりと温かく沁み込んでいく。

 カイウス殿下との日々で失ってしまった、自己肯定感というものを取り戻せるような気がした。



 ――私の人生は、まだ、これから始められるのかもしれない。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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