夫婦
俺は一体誰なのだろう。家のソファーで座りながら隣の理恵と話している時、ふとそう思った。
俺は花倉壮馬。愛しい妻の理恵と暮らしている。理恵は一般人には美人とも可愛らしいとも言えないらしい。だが、時々見せてくる笑顔や表情がコロコロ変わるところが好きだ。それ以前に自分自身の意志を持って仕事に励み、俺だけに甘える姿がいい。
ただ、俺は本当にここに存在するのか不安になる時がある。それというのも『幼少期』というか気付いた時には妻と結婚式を上げていたのが原因だろう。幼い頃の記憶がない。俺は父親も母親も知らずにいる。今更知ったところで意味はないが、結婚式前の記憶が全くといって無いのだ。不安という感情はでてくるだろう。
結婚してから早五年、新婚とも言い難い年になってきた。理恵のご両親はとてもいい人で俺のことも本当の息子のようにしてくれているし、俺も本当の両親のように接する。
「壮馬くんなら安心ね」
「壮馬くんが家に来てくれて嬉しいよ」
そんな言葉をいつも言ってくれている。俺は嬉しかった。
「あなた、どうしたの?」
理恵が心配そうにこちらを覗いていた。昔のことに気を取られすぎたらしい。理恵がいるのにあり得ない失態をした。
理恵とは喧嘩はしたことがないし、理恵のやってほしいことや言ってほしいことが手に取るようにわかるからするはずもない。
「あぁ、少しボーっとしてただけだよ。心配かけてごめん」
そう言うと、理恵はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「安心したわ」
理恵はそう言って天使のように微笑み、テレビに視線を戻した。テレビでは、AIロボットについて専門家たちが議論していた。議論の内容は『感情は必要かどうか』。
「ロボットに感情…」
「テレビが気になる?」
「あ、あぁ」
理恵がこれまでの内容を詳しく説明してくれる。
ロボットはこれまで感情を『持っていなかった』が、最近は感情を『持つ』ことも出来るらしい。しかも、人間と同じように喜怒哀楽が備わっていると言う。
「すごいわよね」
理恵は楽しそうに笑いながら話した。
「でも、ロボットって感情で動くことがあるのかしら。前に買い主を殺しちゃった事件はあったけど、そんなのって普通ありえないわよね。法律でも定まってるのに」
「そうだね。所詮ロボットだし、感情が強すぎるってことはないんじゃないかな?」
「そうよね」
そう言って理恵はテレビに食い付いた。理恵はAIについてよく知ろうと本や情報番組をよく見ている。おそらく自分の仕事も変わってくれるAIがいないか探しているのではないだろうか。理恵の仕事をしているところも愛くるしいと言うのにそれを奪うAIが出てきてしまっては俺にとって最悪だと考えてはいたが、俺には理恵だけいれば他はどうでも良かったため、気にしたことはなかった。
ただ、時々、極稀に、月に1回の間隔で頭がパンクしたように痛くなる時があった。その時は理恵から貰った俺の身長、180cmより少し大きい―2m前後の―カプセルの中に入っていると、頭がスッキリして、出る頃には頭痛はなくなっている。片頭痛などの一次性頭痛でも、くも膜下出血などとする二次性頭痛に似ても似つかない種類の頭痛だった。
「そう言えば理恵、来週は結婚記念日だから、前に行きたいって言ってたレストラン予約したんだ。楽しみにしててよ」
「えっ!本当?嬉しいわ!やっぱり人間の男とは違うわね」
手をねだるときのようなポーズをしながら理恵は言う。本当にかわいい。
でも、人間のとはどういうことだ?…あぁ、僕のほうが一般男性よりすごいってことか。一々こういう事を気にしている人のことを理恵は嫌うんだ。俺は考えを消去した。
2年3ヶ月18日、2時間50分45秒前から1月に1から3回の頻度でよくわからないことを考えるが多くなってきた。3ヶ月ほど前からは1月に5回も考えていた。俺は頭もいいはずなのに、そういう発言だけ、意味がわからないのだ。
「それより、聞いてよ!」
理恵が前のめりに話してくる。この文面からすると、愚痴があるのだろう。前回は部下の仕事ができないと言っていたな。確か「頼んだ仕事しかしていない」、「自分で考えて動くことが出来てない」という話があった。
「また、私の上司が仕事押し付けてきたのよ!上司より仕事ができるのは知っているけどお陰で残業続きよ。あの上司、死んでしまえばいいのに。そう思わない?あなた」
そう言ってテレビの前にあるソファーに座った。俺は最後の言葉が次の指令だと思った。
「そっか。大変だね。僕もその上司が死んで君の笑顔が増えてほしいよ。きっとその方が今より笑えるよ。でももっと綺麗になるのは俺の前だけがいいな」
「…まぁ、ふふっ」
理恵は恥ずかしそうに顔を赤らめて笑った。やっぱり初々しく、かわいい。
「でもそれで困ってるなら、僕が殺してあげよっか?」
「本当?嬉しいわ!…あなた、愚痴を聞いてくれてありがとう。私、お風呂入ってくるわね。」
そう言って上機嫌で席を立った。
「うん、行ってらっしゃい。ゆっくり入ってきな」
「えぇ」
理恵は軽い足取りで風呂場に向かった。
俺はどんな手順なら疑われないか自殺と見せられるかを知っていた。俺に知らないことはなかった。
10分程試行した結果、次の週末に決行するということが最適解だった。上司は一人暮らしのはずだ。そこで指紋を残さず、首吊りをすれば自殺したと思わせられる。その前に精神が追い詰められていたという証拠があれば確実だろう。とても簡単なものにはなったが、これ以上の時間を短縮できるものが思い付かなかった。理恵の近くに長い時間いたいのにどうしても離れる時間が出来てしまう。
「仕方がないか」
そんな独り言が部屋に響いた。その日は妻が戻ってくると、すぐに別々の部屋に戻り、睡眠を取った。
理恵の上司を殺した。でも、疑われもしなかった。首吊りで遺書もあり、自殺だと判断されたらしい。俺の計画は完璧だ。一寸も狂うとこはない。
「早く行きましょう?」
妻が声を掛けてきた。今日は結婚記念日で俺が予約したレストランに行くところだ。理恵は満面の笑みを浮かべ、楽しそうにしている。俺は理恵が喜ぶところだけ見れれば他は何もいらなかった。
そう、理恵が笑顔になれば何でも良かったはずだった。
理恵が不倫していたらしい。いや、嘘だ。確かに帰りは遅くなったし、前より笑わなくなった。でも、不倫はありえない。だって、理恵のカバンにGPSを搭載しているし、防犯カメラだって見ている。確かに男と一緒にいて、キスもしていた。総合的に見て不倫だと分かっていた。目の前に立ったままの理恵と背の高い俺を見上げて別れてほしいと言っている小さい人間の男がいた。
「悪いことをしたと思ってるわ。でも、貴方よりいい人を見つけたの。だから、別れてくれない?」
「それが理恵の幸せなのか?俺よりそいつは理恵を幸せにできるのか?」
声が震えている気がした。何でこんな事になったんだ。結婚記念日もちゃんと祝っていたし、欲しいものもやって欲しいことも分かっているのに、何故これはわからなかったんだ。どうして。
「えぇ、貴方との生活はつまらないの。」
「なぜだ」
つまらないツマラナイ…
『つまらない』詰まらないとは、 おもしろくない、興味をひかない。又はとりあげる価値がない、大したものではない。 意味がない、ばかげている。それだけのかいがない、ひきあわない。などがある。
理恵の文脈からして、面白くない、興味をひかない。又は大したものではないが当てはまるだろう。
「だって、貴方、意見を言わないじゃない」
理恵は開き直ったように言い始めた。俺の頭の中はどうすれば理恵を取り戻せるかで一杯だった。
「私は意見を言ってほしいの。あなたは意見を言わないじゃない。ただただ、頷いているだけで」
「違う…違うんだ…。ちゃんと意見を…」
俺は頭を抱えて、しゃがんだ。二人は俺を見下ろすように憐れんだ顔をした。
「いいえ、違わないわ。だって、貴方はロボットなんですもの。治らないわ。人間みたいに美しい感情を持ち合わせてないの。あくまで人工的に植え付けられた感情に支配されているだけ」
そう聞いたとき、なにかが切れた。頭がショートしたような気がした。
ロボット…?俺がロボットなのだろうか。いや、ロボットとは本当に俺のことか。他の誰かなのではないか、という考えは理恵の一言で吹き飛ばされた。
「さようなら。…えっと、名前は忘れたわ。ロボットでいいわよね」
そう理恵は、妻は言った。俺はその後、電源をオフにされ、活動を停止した。
次に目を覚ました時、俺は理恵と住んでいた家の頭痛が起きた時に入るカプセルに入っていた。ただ、あんな振られ方をしたのに理恵に対する感情は相変わらず『愛している』というものだった。その不倫した男が理恵を操っていると、そう思い立ち、そいつのことを洗いざらい調べ上げた。俺がロボットということは記憶から抹消させるようにそいつのことをあぶり出した。
調べると全く大したことがなかった。俺より少し背が低くて、少し給料が高いぐらいだ。あと理恵の同僚で引っ張っていくような男、ということだけだ。俺のほうがイケメンだし、優しい。なのに何で、理恵はそいつのところに行ったのだろう。何度考えても分からない。
取り敢えずやることを決まっている。あいつを殺すことだ。きっと脅されて渋々別れようと言っているだけだ。そいつが全部悪いんだ。俺はロボットなんかじゃない。人間だ。れっきとした人間だ。
「そうだ。俺は人間だ」
リビングの中で1人そう言い聞かせた。
男の居場所を特定し、呼び出して話した。男は俺に対して『面倒事』という分類をしていた。男は呆れ顔で俺の呼び出しに来た。
「何でしょうか?」
そいつは何も分かってなさそうにしていた。
「お前が理恵を脅しているんだろ!」
男は理由が分からなそうだったが、すぐに納得したように言った。その言葉を聞いた時、頭という部分に衝撃が走った。
「もしかして、理恵さんの元夫さんですか?理恵さんは迷惑してるんですよ。ロボットだがなんだか知らないけどロボットは俺達、人間がが過ごしやすくする為に作られているわけで、お前たちには権利はないんですよ。人間はお前たちを作ったんだから神様として扱ってもいいんじゃないかな?」
そいつは『人間は神様だ』と言い、俺のことを『お前はロボットだ』と罵った。
雑音が聞こえ、その雑音を消すように俺は努めた。気がつくと、そいつが俺の手の中で死んでいた。多分、俺が首を手で締めて殺したんだと思う。その部分の記憶はないが、おそらくデータではあるのだろう。
「ーーさん!」
理恵の声が聞こえた。やっぱり脅されていたんだ。それ以外ありえない。
「理恵、もう大丈夫だ」
振り返って理恵を見ると、まるで虫でも見るように俺を見ていた。なんでだ?俺は悪いことはしてない。だって、理恵を助けたんだから。
「どうしてこんなことをするの!?」
理恵はそいつを庇うように俺の前に立った。そいつはもう死んでいるというのに。人間というのは馬鹿なのだろうか。
「理恵、大丈夫だよ。もう君の敵は」
「私はロボットなんか嫌いよ!お前も大嫌い!」
君の敵はいない、と言おうとしたのにそれに被せて理恵が俺に怒鳴った。
ショックだった。そこで立ち尽くしていると、理恵はそいつを見て、息をしていないということから死んでいることが分かったからか泣いていた。俺の前では泣いているところなんか見せてくれなかったのに。
「理恵、一緒に死のう」
それが一番良かったのだ。ロボットだろうが人間と同じで死ぬはずだ。俺は理恵の細い首に手を回し、強く締めた。理恵は、苦しそうにしていたが死んだ。呆気なかった。俺はどうやって死ねば良いのだろう。感情は人間、体はロボットらしい。何かの音が後ろから聞こえる。なんだろう。音のする方に首を回すと、後ろまで見えた。パトカーの音だったのか。誰が連絡したんだ?俺が見ていた限りでは連絡を取れる機器を操作していた人はいなかった。それに、人ひとりすら通りかからなかったというのに。
あれ?真後ろから音が聞こえたのになんで首、真後ろまで回ってるんだ?
そう考えていた所を警察が俺を捕まえ、警察は誰かに連絡を取り、警察署に連れてかれた。警察官と目が合った。あいつも多分…
そこでロボットは電源を落とされた。ロボットは警察官たちで研究所まで運ばれた。電源が切れてしまえば動かない粗大ごみと変わらない。力のないロボットを警察官は何ともないという表情で持ち、パトカーは研究所に向かった。
研究所の人々はロボットを元あった場所に運ばせ、何があったのかを調べるため、機器をつけた。
警察官が研究者と話をしていた。
「今回で210回目ですよ。どうしてこんな事が起きるんですか?」
警察官は今回、事件を起こしたロボットをみながら研究者に悪態をつく。
「まだ調査中です。改善することも不可能に近いでしょう。」
「その理由は?」
警察官はつまらなそうに聞く。
「恐らく最初からその女性しか愛せることが出来ないからでしょうね。」
「どういうことです?」
警察官はわからないようだった。研究者は一度警察官の方を盗み見るとロボットが収納されている場所を見た。やはり警察官にはわからないらしく、無表情を貫いている。
「やはり感情は入れないほうが良かったですね」 「いえ、まだ改良の余地があるだけですよ」
「私はそう思いませんが…」
研究者は顔に暗い影を落として警察官と話した
「まぁ大丈夫ですよ。だって、人間は余るほどいますから。僕は戻ります」
警察官は研究者に声を掛け、研究所を後にした。
「…感情がなくてもめんどくさいな。人間を相手にしていたほうがよほど楽だ」
研究者がため息をついてポツリと呟く。
2150年、AIが発達し、ロボットと結婚する人も増えてきたがそれと同時に感情がないロボットは嫌いと言う人も増えてきている。ここではロボットに感情を埋め込む実験をしていた。そして、ロボットと結婚したい人に紹介をし、試験をしていた。月に1回、2m前後
の大きさのカプセルに入り、実験結果を送信していた。半年に1回でも良かったのだが、容量が多くなってしまうからか、ロボットたちの負担が大きく、頭痛に悩まされることがわかったため、月に1回と研究者たちが決めた。それでも頭痛に悩まされるロボットがいるらしい。
この実験の電気代は保証されるため、喜んでやる人もいたが、今回のようにロボットに殺されることもしばしばあった。
それを受けて研究所では、ロボットが人を殺すと警察に通報されるようシステムを追加した。また、政府は「ロボットは人を傷付ければならない」という法律をAI法に追加しているが、年々死亡率は増えている。ロボットの愛は人間には重いのだろう。
研究者は何度目かわからないため息を吐いた。
「また失敗か…君たちは何度私たちのところに戻ってくれば気がすむのかな?」
研究者は電源を切られ、頭から管がたくさんついているロボットに話しかけた。ロボットは無言を貫いた。
ロボットの感情が改善されるのが先か、それとも人間が絶滅するのが先か。