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美味い酒に目が眩んで噂の英雄様を演じた結果

作者: 黄舞

昔Twitter(現X)で呟いたネタ

自分で書いてみました

「クソが……なんでこうなる」


 ロイド・アーデンは、目の前の光景を見て、悪態をつく。

 暗い森の中、倒れた馬車の周りには数人の盗賊が蠢いていた。

 彼らの背や腰には剣や斧、いかにも荒くれ者たちが使いそうな武器が下げられている。

 ()()である積荷を、すぐ目の前にある洞穴の中へ運んでいる最中だ。

 風に運ばれ聞こえてくる声から、目に見えるのは下っ端で、中にも多くいるようだ。

 下っ端でもそれなりの装備をしているのだから、中はもっと良い獲物を持っていると考えて間違いない。

 どうやら明確に()()()を引いてしまった。

 すでにあらかたの積荷は運び終わったようで、ロイドが救出すべき商人の娘もあの中だろう。

 ふとここへ赴く前、娘の救いを求めてきた商人の顔が思い浮かんだ。

 焦り顔面蒼白になりながら、ロイドに懇願する商人。

 ロイドはそっと自分のこめかみを押さえた。


「ったく……一時の快楽のために嘘なんかつくもんじゃねえな」


 ()()として歓待を受けたのはつい数時間前。

 うまい酒、豪華な料理、柔らかなベッド。

 すべては一瞬の偽りだったが、()()を演じることで手に入った夢のような時間だった。

 それが今、命懸けの戦場に早変わりとは。

 心の中で自分の行動の結果を呪いながら、ロイドは小さく笑った。


「……まあ、俺の選択が正しかったことなんて、一度でもあったか?」


 人生の選択をことごとく誤ってきた男が、今さら後悔するのも馬鹿らしい。

 どうせ最低最悪の状況だ。

 だったら、今回もどうにかして生き延びるしかない。

 ロイドはゆっくりと深呼吸し、愛用の剣の柄に手をかける。

 さて、()()らしく立ち回るとするか――。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


 酒場のカウンターに肘をつき、ロイドは薄汚れたジョッキを口に運んだ。

 泡立ちの甘い酒が喉を滑り落ちるが、その味わいを堪能するような余裕はない。

 財布の中身はほとんど尽きかけている。

 少し曇った真鍮製のジョッキに映る自分をぼんやりと見つめながら、次の仕事を探さなければならない憂鬱を思う。

 くたびれた旅人風の格好。

 無精髭に、目つきの悪さ。

 どこからどう見ても”落ちぶれた流れ者”そのものだった。

 彼の仕事は、その場その場で金になることを請け負うこと。

 傭兵、荷物運び、時には酒場の皿洗いまで、何でもやる。

 金があれば飲んだくれ、金がなくなればまた仕事を探す。

 そんな日々を繰り返していた。


「この街に英雄様が……?」


 たまたま漏れ聞こえてきた言葉に、なぜか興味を持った。

 話している男は二人。

 一人は小綺麗で見るからに仕立ての良い服を身につけた中年の男性。

 もう一人は、ロイドも見覚えのある、この街の守衛を担っている男だ。


「あくまで噂だがね。同じ名前の人物がいるらしい」

「ほう。その噂が本当なのであれば、ぜひお近づきになってみたいものですな。かの有名な英雄様と知り合いとなれば、商売の話のタネには持ってこいです」

「しかし、これだけ噂が流れてはいるが、誰もその人物に直接会ったとは聞かない」

「はっはっは。だからこその英雄様なのですよ。何を成したかだけでもこれだけ話題になるのですから」


 ロイドは無意識にそば耳を立てていた。

 守衛の相手は商人のようだ。

 聞いてみると英雄と呼ばれる人物がこの街にいるらしい。

 ロイド自身はそのような噂を聞いたことがなかったが、英雄という言葉に、胸の奥に黒いものが溜まるのを感じた。

 つまらない話を耳にしてしまった。

 そう思い、意識を再び手にしたジョッキに戻す。


「ロイド・アーデン。本当にこの街にいるのなら、俺も会ってみたいものだ」

「ぶっ!?」


 守衛の口から出た人物名に、思わずロイドは口に含んだ酒を吹き出してしまった。

 何事かと守衛と商人の視線がロイドに向く。


「大丈夫ですかな? おや……あなた……」


 商人は袖口で濡れた口元を拭くロイドをしげしげと見つめる。

 ロイドはその視線に居心地の悪さを感じ、持ち前の目付きの悪い眼差しを向け返した。


「焦茶色の癖毛……琥珀色の目……年齢も合いそうだ。失礼ですが、お名前をお聞きしても?」


 ロイドの見た目を口にしながら名前を聞いてくる商人。

 髪の色も目の色も、ロイドの地元では珍しいものではない。

 しかし、地元から遠く離れたこの街では少々珍しい。

 話の流れからロイドの見た目が英雄と噂されている男と似ているのだろう。

 名前も一緒のようだが、これも地元ではありふれた組み合わせだ。

 面倒ごとに巻き込まれないようにと、どう答えるか思案していたところ、ロイドは商人の先ほどの会話を思い出した。

 見た目からしてこの商人はそれなりに成功している人物に違いない。

 上手く立ち回れば、この酒よりも美味い酒にありつけそうだ。

 それに嘘を吐くわけではない。

 本名を名乗るだけだ。

 ()()()してもらえるように、少々話を合わせる必要はあるだろうが。


「ロイド。ロイド・アーデンだ」


 ロイドの返答に商人は目を輝かせ、守衛は目を見開く。


「おお! やはりそうでしたか! まさかこんなところで英雄様にお会いできるとは! どうぞこちらに来ませんか? ぜひお話をお聞きしたい」

「そうか? 悪いな。ご馳走になるよ」


 英雄様と呼ばれたが、肯定も否定もしない。

 あくまで名前をたずねられたから、本名を答えただけだ。

 商人の話に適当に相槌を打ち、過去の自分の経験を()()盛りながら話す。

 運ばれてくる酒も食事も、同じ店のものとは思えない美味しさに思わず笑みが出る。

 仕事があるからと守衛が帰った後、ロイドは商人の屋敷に招待され、さらに上等な酒で喉を潤した。


「たまにはこういうのも悪くねえな……」


 ロイドは豪華なベッドの上で大の字になりながら、しみじみと呟いた。

 もちろんこんな楽園は長続きするはずがない。

 長居すればするほど嘘だとバレる。

 自己弁護をすればあっちが勝手に英雄様だと勘違いしただけだが、そんな道理は通用しないことなど分かっている。

 良くて罵られ、悪ければしばらく冷たく固い檻の中で寝泊まりする羽目になる。


「……さて、そろそろ潮時か」


 さすがにバレる前に消えたほうがいい。

 そう考えたロイドは、荷物をまとめ、音を立てないように窓へと向かった。

 幸いあてがわられた客室は二階。

 多少無理をすれば窓から抜け出すのも問題ない。

 顔を商人だけでなく守衛にも顔を覚えられてしまったから、この街も出る必要がある。

 元々根無草の生活だ。

 ちょうど次の仕事をしなければならないから、護衛か何かを引き受けて、そのままたどり着いた街で金が尽きるまで暮らせばいい。

 窓を開けようと手をかけた――その瞬間、部屋の扉が激しく叩かれた。


「英雄様! どうかお助けを!」


 ロイドの眉がピクリと動いた。


(……嫌な予感しかしねえ)


 抱えていた荷物を元の床に下ろし、わざと少し間を空けてから扉へ向かう。

 諦め半分で扉を開けると、そこには先ほどの商人がいた。

 顔は蒼白、額には脂汗がにじんでいる。


「……なんだよ」

「娘が! 山賊に襲われ、捕らわれてしまいました! 頼みます! どうか助けてください!」


 ロイドは心の中で絶叫した。


(なんでこうなる!?)


 逃げ出すはずが、一転して命懸けの戦場へ。

 もしここで断り、欺いていたとバレれば、八つ当たりとばかりに捕まるより酷い目に遭う可能性まで出てきてしまった。

 まさに自業自得。

 だが――ロイドは、これまで何度もこういう窮地を切り抜けてきた。


「……クソが。仕方ねえな」


 ロイドは剣を抜き、深いため息をついた。


(どうせ俺の人生なんて、ろくでもねえ選択の連続だ)


 それでも、最低最悪の中でどうにか生きてきたのは事実。

 今回も、なんとかするしかない。

 腕にはそれなりの自信がある。

 規模は分からないが、数人程度の山賊ならば、一人救出するくらい可能だろう。


「いいぜ。俺がなんとかしてやるよ」

 

 ロイドは皮肉気に笑い、森へと足を踏み入れた。

 そこで目にしたのは、遠目でも分かる()()()()の獲物を身に付けた()()()数人。

 どう考えても中規模以上、正常な感覚の持ち主ならば一人で挑むなど自殺行為と分かる、盗賊団のアジトだった。


「こりゃあ面倒なことになったな」


 ロイドは森の陰に身を潜め、遠目に盗賊団の様子を窺っていた。

 数人規模の寄せ集めと思っていたが、目の前の相手は明らかに違う。

 馬車から積荷を運んでいた下っ端ですら、動きに統率が取れており、装備も粗末なものではない。

 訓練を受けた兵か、経験豊富な傭兵崩れの集団だ。


「クソが……ただの山賊じゃねぇ。こいつら、厄介な連中だぞ」


 ロイドはこめかみを押さえながら、正面突破が無謀であることを改めて認識した。


(真正面から挑めば、まず勝ち目はない。なら、別の手を使うしかねぇな)


 ロイドは深く息を吐き、盗賊団に紛れ込む方法を考え始めた。

 ロイドは自らの装いを確認する。

 くたびれた旅装、無精髭、腰には愛剣が指してある。

 生来の目付きの悪さも、落ちぶれた流れ者らしさを助長する。


(……こりゃ使えるな)


 彼は木の枝で適当に髪を乱し、服に土を擦りつけた。

 見た目の汚れ具合を増せば、より盗賊らしく見える。

 そして、あえて堂々と盗賊の集団へ近づいた。


「おい、見ない顔だな。新顔か? どこから来た」


 入り口にいた見張りが訝しげに睨む。


「へへ、噂を聞いてな。腕に覚えのある奴を募ってるって話じゃねぇか」


 ロイドは歯を見せて笑いながら適当に誤魔化した。

 適度に腰を低くし、相手に油断させる。


「……ほう。名は?」

「ラルフだ。俺を仲間に入れた方が得だぜ。そこら辺の傭兵なんかよりもずっと腕がたつ」


 嘘の名前を即座に口にし、適当に話を盛る。

 ロイドはぎりぎりの縁で留まっているが、一歩間違えれば盗賊をするような者たちと同じ穴のムジナだ。

 それゆえにどういう話題が気にいるかも分かっている。

 話術巧みに、見張りにそれらしく売り込みをかけた。


「ふん。そんだけ自信があるなら、中の親父に話を通しな」

「ありがとよ。ところで、その親父は何処にいるんだ? ついでに間違って覚えてちゃあいけねえ。念のため、親父の名前を教えてくれ」

「あん? 親父の名前はグレゴリーに決まってんだろ。黒猿団のグレゴリー。まさか知らねぇで来たんじゃねぇだろうな?」

「まさか。念のためつったろ? 俺の思ってた通りだ。それなら居場所を聞くまでもねぇな。一目見れば分かる」

「違ぇねぇ。がっはっは。親父に気に入られたきゃあ、せいぜい気張んな」


 見張りの横を通り過ぎ、アジトへと進みながら、ロイドは内心舌を打った。

 どうやら、予想以上にヤバい相手だ。

 黒猿団とその団長グレゴリー。

 元々は名うての傭兵団だったが、ある時雇い主といざこざを起こし、悪評が広まり今では盗賊団に落ちぶれたと聞く。

 金の支払いが原因だったという噂だが、雇い主である商人家族と雇用人を虐殺し、金品を強奪した。

 団名の由来である団長グレゴリーは、浅黒い肌を持つ巨漢で、傭兵団の時から残忍な性格で知られている。

 しかし実力は本物で、若い頃には隣国との戦争で多くの殊勲を得ていた強者だ。

 和平が結ばれ、戦争がなくなったが、そのまま戦争が続いていれば、今は騎士団として活躍していたかもしれない。


「どんどん悪い方向に話が流れていくな……」


 今となっては引き返すこともできない。

 もし引き返そうとすれば、見張りに止められる。

 考えうる可能性と、その時の対処方法を頭に入れながら、ゆっくりと中へ進んでいった。

 少し進むと扉が現れる。

 ロイドはわざとらしく勢いよくそれを開けた。


「よお兄弟。新入りのラルフだ。景気はどうだい?」


 中にいる盗賊たちの一番近くの男に向かい、話しかける。

 男は飲んでいたジョッキを机に置き、立ち上がるとロイドに近付く。


「新入りだぁ? 聞いてねぇぞ。そんな話」

「そりゃそうだ。さっき決まったんだ。親父に話通して来いってよ」


 ロイドは周りにも聞こえる声で、大きな身振りで見張りのいる方向を親指で指しながら言う。

 今のところ名前以外、嘘は言っていない。


「モッシュのやろう。適当な仕事しやがって……親父に挨拶する価値があるか、俺が確かめてやる。その腰の剣は飾りじゃないんだろ? 面白いことでも見せてみろ」

「面白いことねぇ……こういうのはどうだ?」


 ロイドは腰の剣を素早く抜くと、一瞬で後ろを振り向き、上段から一直線に振り下ろす。

 男が慌てて獲物を抜こうとしている間に終わった一連の動きに、周囲からざわついた声が上がる。


「お、驚かせるんじゃねぇよ。まぁ、速いってことは分かった。実戦で使い物になれば、の話だがな。切るってのは簡単じゃねぇぞ」

「切ったさ」


 そう言いながらロイドは入ってきたばかりの扉を軽く押す。

 すると、扉は外側に向かってゆっくりと倒れ、地面にぶつかると大きな音と土埃を上げた。


「扉を……切っただと?」

「どうだ? 少しは面白かったかい?」

「……がっはっは! なかなかやるじゃねぇか。モッシュのやろう。ちゃんと仕事してるようだな。親父には俺から言っといてやるよ」

「おう。よろしくな。兄弟」


 その後しばらく男と酒を飲み交わしながら、話を続け、情報を集めた。

 商人の娘の居場所はおおよそ把握できたが、早く動かなければ手遅れになりそうだ。

 ロイドは内心で舌打ちする。

 

(時間がねぇ……今夜中に動かないとマズい)


 とはいえ、ここで不用意に騒ぎを起こせば即座に袋叩きにされる。

 ロイドは慎重に策を巡らせた。

 夜になり、多くの盗賊たちが眠りについた頃、ロイドは行動に移る。

 まず、酒樽をいくつか確認する。

 その中身は強い蒸留酒だった。


(こいつを使わせてもらうぜ)


 間に合わせのものでやりくりせざるを得ないロイドにとって、酒樽に入った蒸留酒は願ってもない道具だ。

 酒樽から蒸留酒を汲み、通路や盗賊たちが眠る部屋の前に撒いていく。

 次に、蒸留酒を注いだジョッキを片手に持ち、商人の娘が閉じ込められた場所へと向かった。


「よお兄弟。交代の時間だ」

「あ? そんな話聞いてねぇぞ?」

「兄貴に言われたんだ。下っ端の俺がやれってな。ほら。酒も持ってきた。これでも飲んでゆっくりしてくれ」

「お。そうか。悪いな。しっかしよぉ。えらいべっぴんさんだ。金さえあれば、俺が買いたいくらいだぜ」

「おいおい。商品には手を出すんじゃねぇぜ。親父も兄貴も怖ぇからな」

「んなの分かってるよ。じゃあ、あとはよろしく頼むぜ」


 ロイドからジョッキを受け取った見張りは、すでに少し口に運びながら持ち場を離れようとした。

 その男をロイドは呼び止める。


「おう、悪いな兄弟。行く前にひとつ聞くのを忘れた。この檻の鍵はどれだったかな」

「あ? それだ。壁にかかってる一番奥のやつ。おい。お前こそ、変な気起こすんじゃねぇぞ」

「分かってるよ兄弟。じゃあな」


 見張りが出ていくのを待つと、ロイドは壁の鍵を取り、商人の娘がいる檻へと近付いた。

 幸いにも娘は父親似ではないようだ。

 父親同様仕立ての良い服を身にまとった妙齢の女性は、整った顔に怯えた表情を浮かべロイドを見つめている。

 先ほどのロイドと見張りの言葉をきいていたのだろう。

 ロイドが邪な考えで近付いて来たのだと思い、身を震わせる。


「おい。嬢ちゃん。リーシャだな? よく聞け。俺はお前の親父の使いだ。助けに来た」


 叫ばれ誰か来た時点で終わりだ。

 檻を開ける前に娘に危害を与えないことを伝える。

 娘の名前は商人から聞いていた。

 名前を知っていることを伝えれば、少しは信用が得られるだろう。

 驚きに目を丸くするリーシャに、声を出さぬよう仕草で示し、頷くのを確認してから檻の鍵を開けた。


「今から逃がしてやるが、一言でも声を出せば終わりだ。分かったな?」


 リーシャは必死に頷いた。

 どこか怪我をしていないか確認した後、ロイドは出口へと急ぐ。

 見つからないように注意しながら、最短距離を駆け抜けていく。

 しかし、まもなく出口というところで、最も会いたくない人物に遭遇してしまった。


「おい! 誰だテメェ。その娘をどうするつもりだ? まぁいい。死んどけ」


 背が低い方ではないロイドが見上げるほど大きなその男は、両手持ち用の斧を二本それぞれの手で持っていた。

 猿の魔物、キラーエイプを彷彿とさせる男を見て、ロイドはすぐに黒猿団の団長グレゴリーだと悟った。


「まさかここまで最悪とはな。我ながら笑えるぜ」

「俺のことは知ってるようだな。それなら話が早い。死んどけ」


 グレゴリーは両手斧をまるで片手斧のように軽々と操り、ロイドに向かって振り下ろした。

 受け止める選択肢を捨て、リーシャを庇いながら後ろへ避ける。

 グレゴリーの斧は地面にぶつかる瞬間に空中でぴたりと止まった。

 筋力の力のみで止めたのだ。

 その一連の動きだけでも、グレゴリーの膂力がいかに人並外れたものか想像できる。


(このままじゃ、他の奴らも集まって来ちまうな。そうなったら絶体絶命だぞ)


 ロイドは足元まで続く、蒸留酒の撒いた跡を目にやる。

 上手く逃げ出した後に、蒸留酒に火を放ち、追手を封じようと考えていた仕込みだ。

 今火を付ければ奥で寝ている盗賊たちを動きを止められるが、グレゴリーを相手にしながら火種を用意するのは至難の技だ。

 魔法で火を出せれば良かったのだが、きちんとした訓練を受けていないロイドはそういった類を不得手としていた。


「おらぁ!」


 とうに全盛期は超えた年齢のはずのグレゴリーだが、一撃でも食らえば絶命するような攻撃を繰り返す。

 リーシャを庇いながらの戦いで、ロイドは防戦一方になってしまう。

 一人で先に出口まで逃げてもらえれば楽だが、先には見張りが立っている。

 リーシャだけで行かせれば、その見張りをどうしようもない。


「ちょこまかとうっとうしいやつだ。さっさと、死んどけ!」

「最悪な人生だが、死ぬ勇気はあいにく持ちわせてないんだ。すまんな」


 それは異様な光景だった。

 両手にそれぞれ両手斧を持ち、軽々と振るうグレゴリーと、リーシャを庇いながらも危なげなく交わし続けるロイド。

 攻防は変わらずだが、決着の兆しは見えない。


(らちがあかないな……お? 良いもの持ってるじゃねぇか)


 ロイドはリーシャが身に付けているネックレスについた宝石に目をやる。

 無駄な抵抗をしなかったおかげか、身に付けていたアクセサリーなども奪われることなく、檻に入れられていたようだ。


「そのネックレス。ちょっと借りるぜ」


 ロイドはリーシャからネックレスを取ると、先ほど切り倒した扉まで彼女を抱えたまま駆け出した。

 背を向け逃げ出すロイドを嘲りながら、グレゴリーは後を追う。


「逃がすかよ。良い加減、死んどけ!」


 扉の上を通り過ぎた瞬間、ロイドはネックレスから引きちぎった宝石をグレゴリーに向かって投げ付けた。

 勢いよく飛んできた宝石を、グレゴリーはこともなげに斧で叩き落とす。

 その瞬間。

 宝石と斧がぶつかることにより生じた火花で、気化していた酒に火が付き、床に撒いてあった酒が一斉に燃え上がる。


「うおおおぉぉぉぉ!!」

 

 爆発的な衝撃に吹き飛ばされるグレゴリー。

 ロイドたちにもその爆風が襲うが、倒れていた扉を盾にしていたおかげで、しこたま背中を打つだけで済んだ。

 抱えていたリーシャを抱き起こすと、ロイドは出口へと急ぐ。

 下手をすると逃げ出す前に洞窟自体が崩壊する可能性が高いためだ。


「急げ! 急げ!」


 間も無くして洞窟の外に飛び出したロイドの前に、数時間前に話したばかりの、モッシュと呼ばれた見張りが立っていた。

 リーシャを連れて出て来たロイドと、中から聞こえて来た爆音と、どちらに注視すればいいか戸惑っている様子だ。


「お、お前! 何があったんだよ!? 中で何が起きてんだ!? 親父は? 他の奴らは大丈夫なのかよ!?」

「悪いな兄弟。先か後かの違いだ。お前も一緒の場所に行けよ」

「何言って……」


 モッシュが言葉を言い終える前に、ロイドの愛剣がその首を刎ねた。

 リーシャが小さく息を飲む。

 商人の娘には刺激が少々強すぎたようだ。


「捕える……という方法はなかったのですか?」

「この状況でか? わざわざ危険を冒す必要などないだろ。それに一度落ちたやつの行き着く先は、ひとつしかねぇよ」


 リーシャの問いに答えながら自嘲する。

 自分が落ちてないと言えるのか。

 今目の前に転がっている首は、明日の我が身かもしれない。

 そうならないように、ぎりぎりの縁で思いとどまっている自分がいる。

 ふと、仲の良かった少女の顔が頭をよぎる。

 今の自分が落ち切らないのは、その少女のおかげかもしれない。

 昔、少年だった自分が語る夢を、目を輝かせながら肯定してくれた少女。

 今どこで何をしているかも知らない、遠い過去の温かい記憶が、寒く冷え切ったロイドの心に灯る唯一の光だった。


「ひとまず帰るぞ。親父さんが顔を真っ青にして待ってるからな」

「お父様の使いだと言っていましたね。本当にありがとうございます。家に戻りましたら、十分なお礼を必ず」

「そうしてくれ。今回みたいなことは二度とごめんだ――」

「逃げてんじゃねぇ! 死んどけー!!」

「おいおい……あの中で生きてんのかよ。本当に人間か? いや、猿だったか」


 先ほどロイドたちが出て来た洞窟から、グレゴリーが現れた。

 煤に撒かれて浅黒い肌は、まだらに黒さを増している。

 服もところどころ破れや焦げた後が目立つ。

 しかし両手の斧は健在だ。


「嬢ちゃん。危ないから少し離れててくれ。すぐ終わる」

「おらぁあ!!」


 グレゴリーはロイドに向かって走り出し、先ほどと同じように斧を振るう。

 斧が周辺の枝や幹に当たるたび、枝は切り落とされ、幹は削ぎ落とされていく。

 局所的な暴風と化したグレゴリーを前に、ロイドは小さくため息を吐いた。


「聞いてた話だと、もっと強かったんだがな。過去の英雄も、老いには勝てないか」

「何ぶつくさ言ってやがる! 死んどけ!!」

「その言葉もそろそろ聞き飽きたな。お前が……死んどけ!」


 ロイドの力ある言葉に応じるように、ロイドの身体から淡白い光が放たれる。

 独学で身に付けた身体強化の魔法の影響だ。

 一般的な魔導師たちのように、炎や雷を起こすことはできないが、自分の持つ魔力を使い、一時的に身体能力を飛躍的に上げることができる。

 昔師匠と慕った人物の話では、身体強化を使う者の中でも、目に見えるほどの影響を及ぼすことができるまで熟達しているのは稀らしい。

 ここぞとばかりに使う切り札であり、多用も連続使用もできないが、今の状況を打破するには十分だった。


「か……かはっ! バカな……」


 常人の目には隙間などないグレゴリーの猛撃を掻い潜り、ロイドは致命傷を与えた。

 グレゴリーは斧から手を離し、首の横から噴き上がる血を抑えながら膝をつく。

 浅黒い肌からは血の気が引き、灰色に変わっていく。

 ロイドはその最期を見届けることなく、離れて身を潜めていたリーシャの元へ向かった。


「さすが英雄様! 娘を、リーシャを救出していただきありがとうございます!」


 商人の屋敷にリーシャを連れ戻すと、一睡もせずに娘の安否を心配していた商人から感謝の言葉が上がった。

 相当気を張っていたのか、会った時と比べて顔がやつれたように見える。

 それでもリーシャの無事を知った喜びで、青白かった顔色は、今は紅潮してむしろ血色が良くなっていた。

 商人の妻がリーシャを抱きしめているのを見ながら、ロイドはすでに他界した両親のことを思い浮かべた。

 開墾地の農奴として過酷な環境で、幼いロイドに愛情を注いでくれていた両親の死に際を見ることができなかったことは、ロイドの心に小さくない棘として残っている。


「まさかあの黒猿団を一人で壊滅させるとは……にわかに信じられん」

「運が良かったんだ。正直二度とごめんだな」


 街の門を通った時に、リーシャを救出したことは守衛にも伝わった。

 ロイドは詳細は後でと伝えたが、相手が黒猿団だったことはうっかりと口を滑らせてしまった。

 現場に向かえば有名すぎる男の死体が転がっているのだから、すぐ分かることだ。

 守衛はロイドと共に商人の館に訪れ、道中も含め、興奮した様子で話しかけている。

 

「今部下を現場に向かわせている。団長であるグレゴリーの死体もそこにあるのだな?」

「ああ。もう一人、見張りのが。残りは仲良く崩れた洞窟の中で眠ってる」

「むぅ……信じられんな。どうやればそんなことが可能なのか」


 思い返せばかなり綱渡りなことをした結果、運良く上手くいっただけだった。

 もちろん事細かに何をしたかなど教える気もさらさらない。


「ところで、いい加減休みたいんだ。話すことは十分話した。そろそろ帰ってもいいか?」

「これは失礼いたしました! 英雄様! 帰るなど言わずに、どうぞご用意した客室でお休みください!」


 ロイドの言葉に商人が慌てた様子で改めてもてなしを伝える。

 これ以上の面倒ごとは遠慮したいロイドだったが、正直なところ限界が近かった。

 昨日の夜まで酒盛りをし、ほとんど休息も取らずに一日かけて商人の娘を救出した。

 グレゴリーとのやり取りでは、爆風に飛ばされ打撲し、身体強化も使った。

 精も根も尽き果て、可能なら今すぐにでも泥のように眠りたい。

 これから宿を探そうにも、そもそも金が尽きている。

 どこかの軒下の固い地べたがせいぜいだ。


「そうか? 悪いな。もう一日だけ世話になろう」

「もちろんでございます! 一日などとおっしゃらずに。あなたは娘の命の恩人でございます。いつまででもお過ごしください!」


 リーシャを救出する前にあてがわれた客室よりも、さらに上等な部屋に通されたロイドは、靴を脱ぎ捨てそのままベッドの上に身体を沈めた。

 上等なベッドは、疲れ切ったロイドの身体を包み込み、すぐに深い眠りへと誘っていく。

 目まぐるしく過ぎ去った出来事に想いを寄せる間も無く、ロイドは意識を手放した。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


『俺は、英雄になるんだ!』


 少年時代のロイドが、隣に座り話を聞く少女に向かって恥ずかしげもなく夢を語っている。

 夢の中だと自覚できているロイドは、複雑な気持ちで過去の自分を見つめていた。

 夢は夢だったのだ。

 少年時代の自分にそう伝えたいが、声は出ない。


『うん! ロイド兄ちゃんならなれるよ!』


 黒髪の少女が肯定する。

 ロイドを兄ちゃんと呼ぶ彼女は、妹ではない。

 幼い頃に暮らした開墾地の幼馴染の一人だ。

 歳はロイドの五歳下。

 夢の中では後ろを向いていて、その顔は見えないが、いつもロイドの話を目を輝かせながら聞いてくれていた。


『この少年をぜひ我が団に推薦したい』


 場面が突如変わり、昔師匠と慕った男が、ロイドの両親に話している。

 たまたま訪れた騎士団の副団長だ。

 副団長の横には夢を実現できると心躍らせる間も無く成人を迎えるロイドが立っていた。

 少し戸惑いながらも申し入れを受け入れた両親が、ロイドの額にキスをする。

 これが両親と最期の別れになることになるなど、当時のロイドは思いもしなかった。

 その後も夢は時代を追いながら次々と場面を変え流れていく。

 英雄になることを夢見て生まれ育った地から旅立ったロイドを待ち受けていたのは、悲惨な現実だった。

 農奴の息子として生まれたロイドは、騎士団の本拠地である都市では、簡単に標的になった。

 田舎者、物知らず。

 開墾地という厳しい環境だからこその団結と人情に囲まれて育ったロイドにとって、都市部に住む者たちの口撃や嫌がらせは、実行者たちが望む以上の効果を上げた。

 見返してやろうとがむしゃらに鍛え、目立つ成果を挙げたことも裏目に出た。

 農奴の息子が、正規の訓練と入団試験を経た自分たちよりも優れていることを認めるのを拒む者たちが多かったのだ。

 成果のでっち上げ、横取り、と有る事無い事の噂を立てた。

 理不尽な扱いや嫌がらせによって、命の危険に何度もさらされた。

 様々な出来事は少しずつ、しかし確実にロイドの心を蝕んでいく。


『ロイド。俺はもうお前を庇いきれん。お前を推薦したのが間違いだった。この疫病神め』


 決定打はロイドを騎士団に推薦した副団長の一言だった。

 師匠と慕い、最後の心の拠り所にしていた副団長は、保身のためにロイドを切り捨てた。

 絶望に打ちひしがれた数年前のロイドが、騎士団証を外したところで夢は唐突に終わる。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


「クソ……嫌な夢見ちまったじゃねぇか」


 ロイドはゆっくりと目を開け、自分が上等なベッドの上に寝ていることを認識する。

 上半身を起こし、ベッドの横に両脚を投げ出し、腰掛けた。

 辺りを見渡せば、腰掛けているベッド同様、ロイドにはいくらするのかも検討のつかない調度品が並んでいる。


「英雄様、か……へっ。ガラでもねぇ」


 寝る前の出来事を思い出し、ロイドは呟く。

 今さら英雄など、なれるわけがない。

 昨日はたまたま上手くいっただけで、そもそも噂の()()()は、別人だ。

 偶然名前と見た目が似ているだけ。

 それだけで決まるのであれば、きちんと探せば世の中には何人もの英雄様がいるに違いない。


「さて、と。少々手間があったが、予定通りに行くとするか」


 ロイドは荷物を担ぐと窓の外を眺めた。

 今日いる部屋は三階だが、幸いにもすぐ近くに背の高い木が生えており、そこに飛び移れば難なく降りられそうだ。

 辺りを歩く人影もない。

 この街ともこれでおさらばだ。

 路銀を稼ぐついでに、遠くへ向かう商人の護衛依頼でも探そう。

 そう考えながら窓から身体を乗り出し、縁に立ってから木に飛び移った。


「英雄様。そろそろお昼ですが。朝もお召し上がりになられませんでしたが、大丈夫ですか?」


 商人の屋敷に勤める侍女が、ロイドが寝ているはずの部屋の扉を控えめに叩く。

 返事がないため、よほど疲れているのだろうとそのままにしておいたが、夕刻になっても返事がないことで中を覗き驚いた。

 部屋にいるはずのロイドの姿がどこにも見当たらない。

 すぐに主人である商人に伝え、屋敷中を探す指示が出たが見つからなかった。

 娘であるリーシャを救ってくれたお礼が詰まった皮袋を見つめながら、商人はどこへ向ったかも分からない英雄に向かい感謝の意を述べた。

 その後、しばらくして、巷に広がる英雄の噂に新しい話が追加された。

 英雄は単身で悪名高い大規模盗賊団から姫を救い出したのだとか。

 そして英雄は凄まじい威力の爆発魔法を操り、剣技は盗賊団の頭領を一刀の元切り伏せるほど。

 そんな偉業を成した英雄は奥ゆかしく、謝礼として一宿一飯だけを受け取り、次に救うべき人を探しながら旅を続けている。

 噂におヒレは付きもの。

 嘘か誠か。

 酒のつまみや話のタネに、今日も人々はまだ見ぬ英雄の噂で盛り上がるのだ。

面白かった、ロイドのその後が気になる!と思ってくれた方は、ぜひご評価お願いします!!

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