今日から大人になった君へ
どうしようもなく大人な貴方だから(https://ncode.syosetu.com/n2906jz/)の別視点になります。
未だ騒めく会場を背に、自動ドアを抜けると途端に鋭い冷気が肌を刺す。
着慣れぬ真新しいスーツの上にコートを羽織り、薄らと白く雪の積もった道へさくりと足を踏み出した。
幹線道路を挟んだ反対側にあるコンビニの店内に探し人を見つける。立ち読みでもしているのか、伏した睫毛の瞬きまで見える気がした。
その姿に惹きつけられて、時が止まったかのように身動きが取れなくなる。己の白い息だけが待ちきれないと先へ進んでいった。
さすがに視線を感じたのだろうか、ふと彼が手元から視線を上げる。日本人にしては明るめの茶色い瞳が俺の姿を捉え、ふっと優しげに細められた。雑誌を戻して一旦姿を隠した彼がまもなく外へ出て、こちらへ真っ直ぐに向かってくる。
俺とは違って着慣れたスーツはしっくりと身体に馴染み、胸のポケットのふくらみには愛用の煙草が収まっているのだろう。『今日から大人』の俺に対して、彼はどうしたって『本物の大人』だった。
「お疲れさん。懐かしい友達に会えたか?」
「……おう」
「髪切ったのか? スーツも似合ってるよ」
「……別に」
「なんだなんだ、今更照れてんのか? 反抗期か? もうお前も大人だろ?」
「うるせぇ」
わざとらしく肘で脇腹を突かれ、近付いた身体から嗅ぎ慣れた煙草の匂いが香った。
妙な匂いだと顔を顰めていたそれが、好ましく感じ始めたのはいつからだったろう。すれ違った見知らぬ人から同じ匂いがして、妙に胸の奥が騒ついたり。自分の服に移ったそれを、別れた後にそっと嗅いでみたり。
自分ばかりが好きで好きで堪らないことが悔しくて、寂しくて。苛立つ自分の幼さがますます際立つ気がしてやり場のない思いだけが降り積もっていくようだった。
胸のポケットから、彼の煙草を抜き取る。箱を開け一本取り出すと口に咥えてみた。煙とはまた違う香りを感じ、ああこれはキスをする時の味だ、と思う。
「こーら。煙草はまだだーめ」
「成人したのに?」
「酒と煙草は二十歳からだよ」
「……なんだよ、成人したってなにも変わらないんじゃん」
年の差はいつまでたっても縮まらないし。いつだって彼は俺のずっと先を行ってしまうんだ。
早く大人になりたかった。大人になれば近付けると思っていた。横に並んで、同じ景色を見られるのだと。
俺の手から奪い取った煙草をそのまま咥えて慣れた手つきで火をつけると、僅かに上を向いた彼はふぅっと長く白い息を吐いた。煙草は冬の方がうまいんだよな、などと呟いて。
せっかく迎えに来てくれた恋人の前でも素直になれない俺はやっぱりまだ、子供だ。
磨かれた革靴のつま先には、汚れた雪が積もっている。
「十八歳になったら、出来ることがあるだろ」
いつの間にか火をもみ消していた彼はポケットから温かい缶コーヒーを二本取り出すと、片方を俺に握らせた。器用に片手で自分の分を開けながら、空いた手で俺の手をさっと掬う。
普段は他人に見られることを厭う俺に気遣って、こんなふうに触れたりしないのに。
「……クレカを作れるとか?」
「ふっ、まあ、そうだな」
「パスポートの期限が長くなる、とか」
「おお、今度旅行に行くのもいいかもな」
さく、さく、と足元の雪が鳴く。
繋いだ手のひらがじんわりと温かい。コーヒーを持つ逆の手よりも、だ。
「結婚」
「……は」
「結婚できるようになるぞ。十八歳になったら」
思わず立ち止まった俺の手を、彼がぐいと引く。そのまま腕の中に抱き寄せられると、やっぱり大好きなあの香りに包まれて胸の奥がぎゅっとなる。
「でも……でも、俺たちは」
「俺はずっと待ってたぞ? お前が大人になる時を」
静かに降り出した雪が、周囲の音を奪っていく。
この人に敵うことなんてきっとないんだろう。だけど、それでもいいからこの先の人生を一緒に過ごせたら。
「今日から……大人だ」
「ふはっ! そうだな。成人おめでとう。よし、これからはお兄さんが大人の悪ぅい遊びをいっぱい教えてやるからな」
言葉とは裏腹に優しく細められたその瞳を見ると、俺は何度だってこの人に恋してしまうんだ。
本当に、敵わない。