秘書官
「ベルアメール伯爵夫人。はじめまして、第三王女マリーナ・ミラバスです」
「マリーナ殿下、本日はご招待いただき大変光栄です。フィリア・ベルアメールと申します」
「ようやくお会いできましたね。ベルアメール伯爵に夫人を招待したいとお伝えしていたのに何度頼んでも断られて……」
「アシェル様……いいえ、夫が?」
公式の場に出すには恥ずかしいと思われていたのだろうか。
確かに私は幼く世間知らずに違いないけれど……。
(アシェル様とは十二歳も年が離れているのだもの……)
十二歳の年の差はあまりに大きい。
アシェル様は出会ったときから大人で、素敵で、輝いていた。
「それにしても、ベルアメール伯爵も大人げない……」
パサリと音がして視線を向けると、マリーナ殿下が扇を拡げて口元を隠していた。
(今一瞬、アシェル様が大人げないと聞こえたような……?)
アシェル様と大人げないという言葉がどうしても結びつかない。
それとも、私よりも大人びたこのお茶会の参加者には、アシェル様のいろいろな面が見えているのだろうか……。
「確かに、こんなに可愛らしいのですもの。ベルアメール伯爵が隠しておきたいのもわかる気がしますわ」
「確かに……気持ちはわからなくもないですね」
ミリアリア公爵夫人とマリーナ殿下が私のことを見ながらそんなことを言う。
(そういえば、ミリアリア公爵夫人はアシェル様と王立学園では一緒の学年だったはず……。私と同じ年の頃のアシェル様は、一体どんな感じだったのかしら?)
きっと、私より大人びた冷静な判断ができる学生だったに違いない。
(それにしても……)
直立不動のまま、金色の目だけこちらに向けている黒髪の美女。
ランディス子爵令嬢が気になっていると、マリーナ殿下がにっこりと微笑んだ。
「ああ、紹介がまだでしたね。こちらはユリア・ランディス子爵令嬢です。ベルアメール伯爵の部下なので、夫人はすでにご存じかもしれませんね」
「ええ……先日の夜会で少しだけお話ししました。改めまして、フィリア・ベルアメールです。よろしくお願いいたします」
「ユリア・ランディスです。……先日は大変失礼致しました」
確かに、ランディス子爵令嬢との初めての会話は衝撃的だった。
(そういえばあのとき、どうしてアシェル様の色のドレスを着なくなったのか聞かれた上に、迷惑だと言われたわね……一体どういう意味だったのかしら?)
その点については気になるけれど、王女殿下主催のお茶会で聞くような内容でもないだろう。
そう思って「お気になさらず」と答えるだけにとどめる。
「そういえば、ベルアメール伯爵とランディス子爵令嬢が愛人関係という噂があったわね。ちゃんと、釈明した方がよろしいのでは?」
それについての話題は出すまいと思っていたのに、マリーナ殿下が急にそんなことを言い始めた。
その言葉を聞いた途端、ランディス子爵令嬢はものすごく嫌そうな顔をした。
「勘弁してください……あの無口で無愛想で仕事だけにしか興味がないくせに最近遅すぎる初恋……いえ、それは言わない約束でしたね……な男には興味ありません」
「……えっ」
先日の夜会で直接お会いしてから、ランディス子爵令嬢がアシェル様の愛人だという噂は違うのではないかと思っていた。
(そう……やっぱり愛人ではなかったのね。でも、初恋って何のことかしら?)
そんなことを思いながら、考え込んでいるとランディス子爵令嬢が私に近づいてきた。
「……先日は不躾なことをして申し訳ありませんでした。ただ、私もあの噂話にはとても迷惑していたので……」
「……ランディス子爵令嬢」
「それから、勘違いされていると困るので伝えさせていただきますが、私のドレスの色は断じて宰相殿の瞳の色ではありません。ですから、今後も着させていただきます」
「はあ……」
ランディス子爵令嬢は、はっきり物を言うタイプなのだろう。
「お詫びしているのに失礼を重ねているわよ!」
「――失礼致しました」
マリーナ殿下が慌てたようにランディス子爵令嬢を止めているけれど、私は彼女に対してそんなに嫌な印象がない。
(少々変わっているとは思うけれど……)
「だから、また宰相殿の色のドレスを着て差し上げてください」
「――ええ、でも……私には似合わないですから」
「それは……。ああ、いけない。もうこんな時間ですか」
ランディス子爵令嬢は、胸元から出した懐中時計を見つめて眉根を寄せた。
「申し訳ありません、重要会議の合間を縫ってご挨拶に来たものですから……マリーナ殿下、お誘いいただきありがとうございました」
「ランディス子爵令嬢、またいらしてね?」
「ええ……都合がつけば……。何にせよ、殿下からも陛下に文官の人員補充を申し出てくださいませ。一人でも大抵のことをこなせてしまうからと言って、その一人ばかりに命令するのは怠慢だと私は思います」
「――そうね、今回の問題もそれが原因の一つですもの。陛下には私からも再度お伝えしておくわ」
「ええ、それにしても遅すぎた初恋を拗らせた人というのは……面倒なものです」
「でも初恋相手がこんなに可愛いのですもの。気持ちはわからないでもないわ」
ぼそぼそと内緒話をするランディス子爵令嬢とマリーナ殿下が、一瞬私に視線を向けた気がした。
「では、失礼致します」
ランディス子爵令嬢の美しい礼は、令嬢としてのものではなく文官としての正式なものだ。
その凜々しい所作にしばし心を奪われる。
去って行く後ろ姿は次第に駆け足になり、あっという間にその姿は消えたのだった。