第94話 熾天使ノ聖歌
──手元の時計で15:00。
英気も養われ、休憩談話もそこそこに、一行は再び動き出すことにした。
この時刻は、アフガン時間のままだ。行動時間の目安としているが、こんな地下深くでは、実際の標準時刻など分かるはずも無い。
そもそも、ここは異次元の煉獄。時間の概念が地球と同様とは考えられない。
一行が目指すは地上と仲間との合流。まず部屋を出て向かう先は、上階へと続く直線階段。幅は2mほどで一段一段進むごとに、水流と思われる轟音が鼓膜を激しく叩き、他の音を掻き消していく。
階段を上り切ると、そこは凸凹状の狭間胸壁の手摺りがある、城壁上のようなコの字型通路。現在の位置はコの字で言えば上部の辺り。
下を覗けば十mほど、天井までは幾十m。中層建てのビルが丸ごと収まる規模の大空間。
更にコの字の先は、大きく切り取られたかのような断崖絶壁。100m単位の直径と深さがある円柱状の自然の大縦穴となっている。複数の地下河川の遷急点なのだろう、大小幾つもの滝が轟轟と流れ落ちる瀑布帯が広がっていた。
その周囲の岩壁を幾種もの渓流植物が覆い、蝶や小鳥が飛び交う、緑鮮やかな理想郷の如き大絶景を創りだしていた。
上空は地上に繋がっているようで、外界からの淡い光の柱が差し込み、その彩りが神秘的で壮観なものへと映し出していた。その美しき光景に目を見開き、息を呑む一行。
『『わぁ~~~~~~~~~!! 何かすご~~~~い!!』』
「あー、何だここは……? エグいな……」
「これは、幻想的な絵画のようね……。この城壁のような高台は、地下のこの絶景を楽しむ為に造られた物見の展望台なのかしら? ……いえ、違うようね」
古き組積造の人工地下大空間と、大自然の壮麗な絶景との鮮やかな色彩。
──とは、言い難い。最初に光の情景に目を奪われたが、続く闇の部分、手前側に視点を向ければ、その境界は余りにも隔絶された世界。文字通りの天国と地獄の差の隔たり。
その境界線内、人工石造りの床一面はドス黒く、夥しい数の人骨を含め、獣、謎生物の骨などが散乱、幾つもの骨山が積み重ねられいた。
だが、骨山を残すのは壁側の端の方のみ。中央部から広範囲が激しく荒れ果て、巨大な何かの暴乱と熾烈な戦闘跡の様相が見て取れる。
それを明らかに物語る、巨大な何かの散々たる在り様。原型など留めているはずも無く、紫檀色の血の海に浮かぶ無数の大きな肉塊に臓物。
その毒々しい血流が、断崖から清流の瀑布帯に一筋の穢れを垂れ流している。
そして、巨大な何かとは──。
──地下水路ステージ支配者 ‶エリアボス〟。
種族、識別不能状態。その無残な亡骸であった。
「う~わ、えっぐぅぅ……。つうか、これヤった奴って何の仕業だよ……」
『クソエグいの~~~!』
『それと、すごく臭い~~~!』
「かなりヤバそうな存在ね。遭遇しない事を祈らないと……あなた得意でしょ?」
「やかましい!」
エリアボス戦は、すでに他のプレイヤーにクリアされ、MMORPGであれば非常に悔しいところであるが、これはリアルな戦場。
避けられる戦闘ならば、それに越したことは無い。まずは、結果オーライ。幸運と言いたいところだが、新たな脅威の事も危惧しなければならなくなった。
しかし、ここであれこれ考えていても無意味。とりあえずは、次なるステージを目指すべく、先へと続くルートを探し周囲を見渡す。
その戦闘の傷跡は至る所に激しく濃く刻まれ、コの字型物見高台は途中で大きく損壊し途切れていた。反対側へ行くには別ルートが必要になる。
その反対側には上層への階段通路入口が見える。これでは──と、そのルートはあっさりと見つかる。高台内側に施された下への階段。
一旦その細い階段を下へと下り、骨山にエグい血の海の戦闘跡を抜け、反対側の細い階段を上り、上層階段のある高台上へと出るルート。
「ちっ、上でも感じていたが、下に降りたらすげーわ。かなり濃いな……」
「ん?……濃い? 絵面は確かにすごいけど。他に何か……ええ、確かに濃いわね」
「ああ、ここに囚われた濃密な想念…思念体の群だよ。あっちこちの骨山と、この血の池や肉片からもドロドロと漂ってるな」
⦅⦅⦅アァァアァアア……さむ……アアァこわ……アァァアアくる…アア……アアいた…アアア……アアアアなぜ…アアアおう…アアア……ひど……アァァ……⦆⦆⦆
『なんか変な黒い塊がいっぱい飛んでるのー……』
『何か言ってるようだけど……いっぱい重なりすぎて、聞きとれないよ』
「怨霊の類かしら……。それの集合体。私たちが降りてきたら、一斉に反応し動き出したようね」
至る所から、苦しみ嘆く声と共に湧き出た黒い塊は、無数の髑髏の群幽体。負の想念の集合体。地縛霊の塊。それが無数に漂っている。
その塊の数体が、何を感じ取ったかトールに纏わりついてきた。
「うざっ! 死人が活気付いてんじゃねーよ。 絡んでくんなや腐れハゲどっ……」
これには、トールの聖痕&ヴィシュッダチャクラの強力除霊、浄化作用が発動。数が集まろうと地縛霊など然も無い。と、払い除けるが──。
「だぁっ、クソっ!! 入り込んっ、うっぷ! おぇええええ!!」
『『おとたまーっ!?』』
「とっ、トール! いったい何が!?」
地縛霊の群幽体自体は瞬時に払えたものの、その膨大な量の感情思念が濁流となって、トールの精神に流れ込み、跪いて堪らず嘔吐する。
突然のその異常なトールの状態に、双子とリディは慌て駆け寄るが、それを片膝をつきながら掌で制す。
「わ、悪りい。こいつらをナメ過ぎてた……。かなり強ぇ激しい感情の波が、大量に頭に流れ込んできた……」
『『おとたま……』』
「激しい感情。……それは怨念のようなもの?」
「……ああ、確かに怨みの感情もあるが……。それよりもでかいのは酷寒、強い恐怖と悲しみの想い。激しく辛く…痛み……身体の痛みより心の痛みか。信じていた者からの理解のできぬ理不尽な死の痛みと悲哀……。そんな強い感情が複雑にうねり絡まっている感じだ」
「この惨状は信じていた者から?……どう言う事かしら? 話が読めないわね……」
察するに、この空間は地下の大処刑場。高台はその悪趣味な物見の為なのか?
しかし、その大虐殺に至った経緯の意味が不明。
「俺もその状況は分からねーよ。伝わったのは感情だけだからな……。特にこの血の池と肉片の奴から……正体は、その大量の思念が高密度で集まり、死骸から生まれた化け物ってところか」
「……悍ましいわね。それを何者かは知らないけど粉々に切り刻んで……まぁ、こんな所に居座ってても碌な事にならないわ。とっとと先に進みましょう」
地球の数々の名だたる心霊スポットと比較しても、比べようもないほどの強烈な忌み地の大空間。死者の強い負の念が濁流のように渦巻く、黄泉の世界。
この兇夢の暗黒郷と、その先に広がる桃源郷の光景。ここはその相反する世界が、互いに隔てながらも共存していた。
謎の脅威の存在も気になるところだが、こんな場所に長居は不要。
と、早々の立ち去りをリディは一行に促すが。
「まぁ待て。通りすがりだが、まぁ、しょうがねーな……」
『『おとたま!?』』
「ん? 何をする気なの?」
「ああ、この辛気臭ぇ、いわくつきの大事故物件を綺麗にリノベーションすんだよ。ついでに、こいつらのネガティブ思考を改善し、環境のいい新物件に案内してやるよ。万々歳だろ?」
『『「は!?」』』
この男は何をほざいていやがるんだ? と、一同が呆然と見守る中、トールはスッと立ち、左手で額から胸に十字を切る。その掌を胸に当て聖痕が淡い橙色光を灯す。
「──主よ」
ティィィィィィィィィィィィィン……………。
祈りの言を綴り始めると、周囲に涼やかな透明感のある美しい音色が響き渡り木霊する。
それまで悍ましく蠢き、瘴気に塗れた髑髏の思念群幽体の群が、その音色の波動で一斉に動きが止まる。
「我らみまかりし者の霊魂のために祈り奉る」
それは、カトリックの死者のための祈り。
その祈りの言に、聖痕の光が輝きを増し黄金色に変わる。悪意の想念に染まった狂気の呪怨霊であれば、それは灼熱の劫火の如し極光。
⦅アアア……あたた……か…い……⦆
しかし、悲哀と苦痛に打ちひしがれ、救いを求める彼らには、越冬の果ての穏やかな小春の陽射しの暖かさ。
「願わくは、其の全ての罪を赦し、終わりなき命の港に至らしめ給え」
黒々とした瘴気が緩やかに雪解けのように払われ、髑髏の塊は分散し、淡い光を纏った人の姿を形作っていく。
「……何これ…… すごいわね……」
『わぁ~~~。空気がきれいになっていくのー!』
『これ、おとたまに助けてもらった時に感じた光。あったかい……』
トールの綴る言は煌びやかな光の波動となり、昏く重い悪夢の光景を、清流の如く洗い流し清めていく。
「永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え」
聖痕の光が眩く輝き、浄化の波動が一気に広がる。その奔流が歪に積み重なっていた骨山、血の池に肉塊を崩壊させ、光粒子となり塵化する。
それは美しく、幻想的な光景であった。
断崖絶壁の向こう側に広がる、瀑布帯と鮮やかに折り重なるコントラスト。
「エイメン」
ガランガラァァァン ガランガラァァァン ガランガラァァァァァァン……。
〘〘〘הַגֶּפֶן הֵנֵצוּ הָרִמֹּנִיםבְּאִבֵּי הַנָּחַל לִרְאוֹת הֲפָרְחָהאֶל־גִּנַּת אֱגוֹז יָרַדְתִּי לִרְאוֹת〙〙〙
(私はくるみの木の庭へ下って行きました。谷の新緑を見るために。
ぶどうの木が芽を出したか、ざくろの花が咲いたかを見るために)
──旧約聖書 雅歌 6章11節
祈りの終いと共に、何処からか荘厳と鳴り響く祝福の鐘の音。続く大勢の聖歌隊のような清浄たる合唱和により重なる調和。それは、天使たちの歌声。
瀑布帯に流れる幾重もの滝の音が基調和音。壮大に紡がれる管弦楽による雅な聖歌が絢爛に歌い演奏される。
その調和演奏による聖歌の輪舞曲は、その幻想画を壮大に壮美に色艶を装飾していく。
──それは、全ての穢れを洗い流す聖鐘。祝福の聖歌。天界からの福音の奏。
⦅⦅⦅⦅⦅⦅⦅ありがとう……⦆⦆⦆⦆⦆⦆⦆
「あー、通りすがりの、物のついでだ。礼なら生まれ変わってから、酒の1本でも持って来てくれりゃ御の字だよ」
もう、禍々しい髑髏の群幽体は一切存在しない。負の思念体であった魂が浄化された生前の姿の人々。
その多くの人々の霊魂が暖かな淡い光に包まれ、救済者であるトールに一斉に感謝の言葉を捧げる。その粋な返しに、朗らかな微笑みを贈る大勢の霊たち。
いずれも、長きに渡り囚われ、激しく辛い痛みと悲哀から解放された穏やかな笑顔を、眩いばかりに燦然と顕していた。
そして、瀑布帯の上空に現れ出る、黄金色に輝く巨大な──。
【ヘブンズゲート】
重厚な門扉の開門音が、祝福の聖歌の旋律に新たに加わり賛歌する。
清らかな霊魂となった人々は、トールに感謝の一礼をし一斉に飛び立っていった。
そして、霊魂たちは集束。光の奔流と化し門の中、黄昏色の天界へと旅立った。
その全てが流れ尽くすと、緩やかに巨大な門扉は閉じ、静かに消えていった。
その極大浄化現象により、一切の穢れが全て消失。悍ましい地獄の如し魔空間から、静謐で厳かな神聖大聖堂と化した。
それは、正に神秘的な宗教画の荘厳たる顕現。カレン、トア、リディはその神々しい光景に言葉を失い、自然と双眸から涙が溢れだし頬を伝い流れ落ちていた。
「クリア」
──Mission2 All Clear! Congratulation!
セーフ施設を出発し、洞窟、水路ステージへと続く地獄種の脅威の排除、及び‶裏ミッション〟もクリア。これにてセカンドミッションをコンプリート。
『おとたま、すごいの~~~~~~~~!!』
『ホントにホントに凄すぎるよ、 おとたまー! 神様みたいだったよ!』
「あー、サンキュー! 分かった、分かったからお前ら甘噛むな!」
「ほんと、とんでもないものを見せてくれたわね。正直、驚き過ぎて絶句したわよ。生意気ね。死ねばいいのに」
「やかましい! 泣きながら毒を吐くなクソボケ! どっからか鐘の音やヘブライ語みてーな大勢の歌声がするし、ゲートもでかいしで、こっちも想定以上の現象でパニくってんだよ。 ド派手すぎだろ!」
一時の間、放心状態であった双子とリディは現実を取り戻す。各々感嘆の言葉と、浄化作用の名残で、涙ながらも毒舌を吐き捨てるリディ。そして、最も驚き困惑する当の本人。
「しかし、これは……勇者か教皇クラスの『神聖魔術』の最上級。範囲完全浄化魔術【熾天使ノ聖歌】。しかも、あんな巨大な【天界門】まで顕現するとわ……。
それと、見ていないけど、昨日悪魔たちを相手に完全殲滅に展開していたのは──【聖天界域】」
魔力を一切持ち得ていないはずのトールが、ありえないクラスの最上級魔術と同等のものを発動させたことにより、困惑混乱するリディ。その謎の解明に顎に手を当て、思考の海にダイビング。
「あの聖痕は、魔紋とは異なる系統によって刻まれたもの……神から直接…言うなれば【聖紋】。魔力で無ければ、神や天使たちが持つとされる理力【聖力】。
まさか彼の使った理法は……」
「おい、リディ! んなところでブツクサ言ってねーで、とっとと行くぞー!」
第4章 ライジングロード 完