第86話 理論魔術
「しょうがないわね。ここは私に任せてもらえるかしら」
ついに、ここで威風堂々と名乗りを上げる【ワルキューレ】の異名を持つ、活発婉麗ハイエルフの王女リディ。
これまで目にしたのは、一昨日のトールとの尋常ならざる格闘能力。魔術に於いては、隠密術に亜空間収納。先ほどのセーフティエリア封鎖に行使した灰銀色金属製防壁の具現化形成。
軍での作戦中では身体強化、弾速強化、弾丸を不可視の盾で防いだりなど、いずれも補助的なもののみ。攻撃魔術に関しては全くの未知数。
わちゃわちゃ、バリボリと喰い喰われ、蟲毒の巨釜の中を思わせるこの見渡す限り悪夢の昆蟲G獄。その数は数千単位にも及ぶ。ここを通り抜けなければ、次への道は閉ざされ目的は全て潰えてしまう。
昨日、150体の下級悪魔を相手に派手な無双劇を披露したトールでも、体術と銃器だけではこの数を対処しきれない。即席聖域を構築するにも、長々しい聖書の言葉を必要とする為、詠み上げた瞬間に聖波動でこちらの伏在が悟られ、領域浄化が完成する前に、この悍ましい黒い大瀑布に吞み込まれてしまう。
やはり、ここは極大殲滅魔術の力に頼るしかない。カレンとトアでは、また大きく疲弊状態に陥り、回復の為トールの能力が必要になる。トールはあくまで前衛であって、後衛の治癒回復士では無い。一々この繰り返しでは、今後の継戦持続に支障が生じて命取りに成りかねない。
「ハハ、やっと見れるな。 地球では見る機会があるかどうかって言ってた、お前の真の闘争の力!」
『確か、ハイエルフの中でも特に強い戦士がいるってお母たまが言ってたけど、もしかして、エルフの勇者ってリディじゃ……?』
『見せてもらおうか。 連邦軍のモビルスーツの性能とやらを!』
「やかましい!」
リディのようやくの魔術戦闘が見れるとあって、トールのテンションが上がる中、トアが何やら呟くも、カレンの某赤い人のセリフでかき消される。
「フフフ。何か期待しているようだけど、ここは魔力温存の為、上級の術式は使わないわよ。行使するのは下級の術式。カレンとトアも魔力制御を学びなさい。これはレクチャーよ」
『『アイ!イエッサッサー!マスターリディ!』』
「は!? 下級って……レクチャーもいいけど、それでこの数イケんのかよ!?」
「まぁ、見てなさい。ものは使い様ってところね。これは地球で学んだことよ。
──術式メインルーチン起動展開。インタプリタ実行。プロトコルコード、エレメンタル」
これほどの状況を然も無いと言わんばかりにリディは意識を集中。掌を前方に翳し精霊術の詠唱を始めた。
「顕現ソースコード、ノーム。カテゴリー 阻害」
「顕現ソースコード、シルフェ。カテゴリー 操作」
「顕現ソースコード、ウンディーネ。カテゴリー 事象」
「な!? 一人で三重ハモり!? どんな声帯してんだ!?」
驚くべき事にリディは三つの声を同時に発し、高速早口にて術式コードコール。煉瓦色光、翡翠色光、天色光。茶、緑、青系色光の三つの術式陣が現れ複雑に動く。
「三つの魔法陣? 三種類の魔術を同時に使うって事か……?」
『上級の魔術師はいろんな種類の魔術を同時にできるって、お母たまが言っていたのー』
『たしか、あれは【三重詠唱術】って言ってたよね……?』
「──ターゲット多数、ランダム連続発動レベル2──【鈍重泥濁】
「──範囲及び、高低差無制限発動。レベル2 ───【狂風謳歌】
「──発動座標、視界内直径100m圏内レベル2──【雨霖鈴曲】
三重詠唱により三種の魔術式が同時に完成。すると無数の『G爺』『剴G牙爺』が這いずり回る地面が波打ち、粘度の高い泥地が所々に幾つも現れる。肢足を取られた爺蟲らが、もぞもぞと身動きを封じられていく。
『『『『『!!!!????』』』』』
『なんじゃぁ!?えらいこっちゃぁ!…… まぁええか。ええの~~』
『だらしないの~。そんなもの、はんじゃらげーのすいすいすいじゃろ~』
『婆さまや~~婆さまや~~孫~~犬と漬物がおらんの~~』
しかし部分的な為、未だ活発に動き回っているものも多数。同時に強い風が吹き出し、周囲の大気を激しく掻き回し始める。天井部付近には、雲のようなものが現れ徐々に濃くなっていく。
「……所々がゴキブリホイホイみたくなってるな……。全面ってわけじゃねーのか? んで、強風を吹かせて何がしたいんだ?……ん!?……この匂いって」
『臭いの~~~!! 何この匂い!?』
『鼻がツンツンするー! 臭い臭い!』
「これは油か?……原油の匂い……なるほど、そういう事か。ハハ! 如何にも地獄らしい絵面にしようってことだな!」
泥地は、只の土と地下水が混じったものでは無く、原油との混合泥粘土。動きを鈍らせるのはあくまで副効果。主目的で考えられるのは一つしか無い。
「フフフ、気づいたようね。これからゲテモノの焼き調理を始めるわ。 まず、火の準備。燃焼の三要素のうち二つ【Fuel(可燃物)】【Oxygen(酸素供給)】はこれで用意できたわ。そして最後の一つ【Heat(熱源)】は《《これ》》でいいわね」
そう語りながら、リディがいつの間にやら手に持ってるのは、魔術的要素は欠片も無い、地球産携行爆弾兵器──『M67破片手榴弾』。
透かさず口で安全ピンを抜き、ポイっと軽く放り投げると魔力風が中央付近にまで運び、油泥にはまる爺蟲らの中へと空爆のように落とされる。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!
そして、爆発。直撃を受けた数体が爆散し、周囲の原油泥に引火。酸素濃度の濃い強風が煽り広げ、燃焼温度が上がる。更に天井部付近に漂う魔術雲が幾つも渦を巻き、その各渦の中心から滝のような水流が、燃焼の強い箇所へと降り注ぐ。
「原油は第4類危険物の非水溶性。水を掛ければ、消化どころか逆に燃え広がり、爆発的に激しさを増す」
油と水は混じり合わない為、熱せられて気化した水が油を弾く。この性質から高温燃焼で急激に水が気化し、あちらこちらで爆発。各所で爆炎が高く上がり、燃えた油が広範囲に飛散し延焼が拡大する。
『お~~い!おい~~~っ!おい~~~っ!おいぎぎぎぃぃっ!!』
『婆さまや~~!婆さまや~~!おい婆さみゃぁぁ!!このクソババァぁぁぁっババババぁぁぁぁ!!』
『くぁwせdrftgyふじこlp軽トラック!!ゲホッグボッかぁぁぁぁぁぁっぺっ!!おええええええ!!』
『『『『『だめだこりゃあああああああああああああああ!!!』』』』』
見渡せばこの大空洞全域は、全て燃え盛る業火の海。爺蟲らの大群は盛大に焼かれて阿鼻叫喚、断末魔の叫び。正真正銘THE地獄絵図の完成。
「『『…………………』』」
「これで、この空洞全域に炎が広がったわね。さぁ、まだまだ温度が上がるわ。ここにいたら一緒に焼け死ぬ事になるから、洞窟の方に一旦下がるわよ」
一行らのいる高台も、熱波によりかなりの気温が上昇。速やかに洞窟内に下がった後、熱の影響を受けないよう魔術による分厚い岩の壁で完全に塞ぐ。
「ふぅぅ、これでいいわね。後は少々待つだけね」
「……マジで、グリル調理感覚であの焦熱地獄を作りやがった……中の温度は、いったいどれぐらいになってんだよ……」
「ん~、とりあえず出来立てのマグマの倍ぐらいかしら? 最も熱いところで3000℃くらい? 火に強い地獄生物と言っても、無効化できる種でも無ければこれぐらいでイケるんじゃないかしら?」
「いや、十分過ぎるだろ。中の様子を感知したが、とっくに皆くたばってるよ。一匹残らずな……ったく、えげつねぇな」
地球での一般的なマグマの温度は、地表近くで大体800℃から1200℃。地下深くマントルの高圧力による固体状から、圧力が下がり液化したてのマグマは1300℃から1400℃とされている。
因みにマッチ棒の火の温度は1000℃から1500℃。火の付いた瞬間は2500℃まで達する。意外にもマッチの火よりもマグマの温度は低い。
「あら、もう? だらしないわね。──術式リリース」
術式が解除されたことにより、焦熱地獄と化していた大空洞内の地面が元に戻る。燃料の供給が断たれて急速に鎮火していく。
しかし、気温はまだまだ超高温状態だが、そこは風と水精霊術の組合わせで、常夏程度の気温まで一気に下げてから、グリル岩壁を取り除き解放。
『うわぁ……。キモ虫全部いなくなってるのー』
『焼けた真っ黒な地面だけで、何も無くなってるね……』
「あんだけのG爺蟲の大群、消し炭どころか、全部塵化しちまって何一つ残ってねー…。魔術ってマジでやべーな……」
「地球で得た知識を魔術に応用しただけなんだけど、けっこうすごい事になるのね……。侮れないわね理論魔術」
使用した精霊術は、対象者行動阻害用の泥地形成。敵の目眩ましや機動力を低下させるだけの只の強風。農作物栽培用の雨等、いずれも下位魔術に位置付けられた簡易的な術式。
それらを油による泥地。酸素濃度を上げる。降雨量の調整、集束などにアレンジ。
低コストによるこの極大パフォーマンスは、リディが地球にて学んだ物理理論知識を基に成された賜物だが、この光景を齎した当の本人は、予測はしていたものの実際のこの結果に何気に驚いている様子。
『けど、これで向こうに渡れるね!』
『リディすごぉぉぉぉい!かっけぇ!』
「フフフ。どういたしまして」
「オーケイ、グッジョブだリディ! よーし、次に進むぞお前らー」
『『あ~~~~~~い!イエッサッサー!』』
G障害が綺麗さっぱり無くなった事により、一行は堂々と難なく大空洞内、黒々と焼け爛れた象の皮膚のような地を横断。その先反対側の壁面、つづら折りの小道を軽快に歩き上る。
そして、辿り着いた最上段段差の奥、幅3m、高さ4mはある広めの通路出入口。不揃いの石レンガを積み合わせた上部アーチ型。中世ヨーロッパで見られた組積造式。古めかしい荒い造りの、通路階段が上階へと築かれている。
階段を上がり始めると、一段一段踏むごとに瘴気濃度が増す。目に見えぬ重く纏わりつくような重圧が身体に圧し掛かる。
この先に待ち構える脅威の危険性を知ら占めるかのように、そのプレッシャーは強さを増していく。トールの聖痕もビリビリとひりつき、その確かな反応を示す。
「あー、この先けっこうやべーな。このひりつく感覚……さっきまでのクソ虫らとは、一個体レベルが格段に違うのがあっちこちにいやがるな」
「そのようね。皮膚に感じられる空気とプレッシャーが、これまでとは明らかに違うわ。楽しんでないであなたもそろそろ、気を入れた方がいいんじゃないかしら?」
「分かってるっつうの。魔術なんて見たことなかったしなー。そりゃ見ておかねーと!ってなるだろう? まぁこれからは、俺も本腰を入れとかねーと、かなりヤバそうだ」
そう語りながらトールは獰猛な笑み浮かべ、各チャクラを開放。エクセルギーオーラを高め、完全戦闘態勢に移行していく。
『おとたま、ここすごく嫌な感じがするの……背中がぞわぞわする』
『強いのがいっぱいいるね……。こんなの初めて……怖い。けどボク頑張る!』
カレンとトアの神狼双子らもこの高圧力を感じ、これまでのゆるゆるなノリを改め、愛くるしいモフモフ顔から、精悍な野生の狼の顔つきへと変貌していく。
約50mほどの階段を上がりきると、直線の通路が伸びていた。左右の壁には破壊され、何かが出入りしたような穴が幾つか開いている。
通路の先には、壁に備え付けられた松明であろう、揺らめく火による薄灯りが見える。
『あの灯りがあるところ……何かいるね……』
『今度は虫じゃない何か……今まで感じたことがない気配なの』
「……数は6体。これは間違いなくアレね」
「ああ、悪魔だ」