第126話 オーバーロード
そこは、険峻な山々が連なり、幾つもの噴煙立ち昇る不毛な活火山地帯。
毛細血管のように幾多と溶岩の川が流れ、至る所に強酸性猛毒の沼。
大気は猛毒ガスや放射能に汚染され、瘴気に満ち溢れた、人には決して立ち入れぬ絶対致死領域。
そこに息づく厄災異形生態系は、喰い喰われ戯れる兇夢の大饗宴。霊体であったとしても魂全てが穢れ、喰われ、供物とされる大魔界。其の地の名は──。
──|狂気山脈《 モンテス インサニア》。
その中央、峻岳上部に築かれた禍々しい巨大城郭。煉獄の万魔殿。
──煉獄城 トゥヌクダルス。
大聖堂ならぬ大魔堂最奥に、幾種族の骨で造られた異形の玉座。
玉座上に浮遊し、幾つもの黒炭色の蛇腹状パイプが繋がれた生体金属質の繭玉。
其れは自存する源、全ての生物の源所以、人類史以前の神話級遺物。
純然たる知性体の精神生命力である特異素粒子【アニマ】。
各地に設置された集積装置から集められたアニマの総合集積基地局。
【ウボ=サスラの揺り籠】。
その揺り籠で眠る煉獄城城主。その正式名は──。
──マスティマ・ヴェルハディス・サターン・マルアーク。
その存在は、嘗ては《《平凡な》》人であった。
幼少期に彼は、父の影響で否応なく魔導の道へと進み、周囲からは、過剰とも取れる期待を一身に背負わされた。
彼の父は、かの世界『ヒュペルボリア』でも類まれな‶唯一無二の存在〟であったからだ。
魔導を操る者『魔術師』。その中でも優れた者を『上級魔術師』。
更に極め、魔導の真意に踏み込んだ者を『賢者』。その最たる、一国家に一人か極僅かしか存在しない超越者が『大賢者』と称された。
その全世界魔術師の最高峰である『大賢者』の頂点が──。
──大賢者王。
勇者と同様に大賢者は、核兵器に相当する。その並びで大賢者王を比喩するなら、旧ソ連で開発され、現ロシアが有する最大水素爆弾。広島型原爆の3300倍。
単一兵器としての威力は、人類史上最大【AN602 爆弾の皇帝】。
その存在は正に神の領域。魔導の根源たる【聖導】を行使。
『亜神』または『現人神』と崇められていた。
それがヴェルハディスの父親であったのだ。その正式名は──。
──ラファエル・ヘルメス・トリスメギストス・マルアーク。
家名である『マルアーク』は、地球のヘブライ語での意味は【御使い】。
『偉大なる存在』と崇め敬まれた父親とは対象的に、ヴェルハディスは魔力量も技術も平々凡々。普通どころかそれ以下の落ちこぼれ。
期待を裏切られた周囲の反応は、失望を通り越して散々の云われよう。外出すれば近所のクソガキに、にぎりっ屁を嗅がされ鼻クソを擦り付けられる始末。
その原因とも言える父親はと言うと、公務や外交、研究、依頼に忙しく追われ、我関せずの完全ほったらかし状態。
ヴェルハディスには二人の弟がいた。弟たちは非常に優秀であった。10代にも満たないうちに、すでに『上級魔術師』級の能力を持ち得ていたのだ。
必然的に周囲の目は弟たちに集まり、ヴェルハディスは見限られ見放された。
まるで‶亡き者〟かのように。
そこは誰しも優位性があれば、マウントを取りたがる貴族階級が往々と闊歩する世界。イキリたい七光りのクソ子供世代では特にだ。
当然とも言えるが、ヴェルハディスが通っていた学院では、劣等落ちこぼれはガッツリ王道の虐め対象。額に現地語で『肉』と書かれ、裸エプロンでタイガーステップを踏まされながらのケツバットは日常茶飯事。
胸クソ所業の暴風雨──と、思いきやそんな事は無かった。
それは、ヴェルハディスの影が極めて薄かったからだ。兎に角、無気力。兎に角、目立たない虚ろな存在。
弟たちの才能への脚光の影に、無能な自分自身への失望が更なる陰を落とす。両親からの愛情は皆無。自然と無口となり友人も皆無。
そして、否応なく心身を蝕む孤独感と絶望。近所のクソガキらのにぎりっ屁も、今やノスタルジックな遠い過去の匂い。
世界そのものから隔絶された感覚であった。孤独感が強まれば強まる程、存在が希薄化していく。
【存在力】は、其の者が持ち得る力の顕れ。武力や権力に限らず、其の者が成し得た成果で高まっていく。その存在性は‶オーラ〟となり、不可視であるもの感覚的に捉えられ、自然と人の視線が集まる。
人々からの注目と称賛の言葉。それが目に見えぬ意識波動と言霊と化し、其の者の精神力と気を高め、魂の波動力。云わば【存在力】の強さを生み出していく。
それが極まり「畏怖」「尊崇」「崇拝」「信仰」などの特異意識波動により、至高の【存在力】を持ち得た奇跡然の象徴。其れが‶神〟と呼ばれている。
特異意識波動は相互関係を生み出す。より多く、より強い意識波動は其の‶存在〟をより高め、其の威光は還元され『恩恵』いわゆる【加護】として変換される。
ふるさと納税のようなウィンウィンな還元システム。
ヴェルハディスは、何の因果かそのシステムから除外されていた。存在力が完全に損失した者。それは‶死人〟だ。
生きたままの死人かの様な存在。それが当時少年期のヴェルハディスであった。
だが、しかし──。
彼は父親に比肩するほどの潜在能力と‶特異な加護〟を持ち得ていた。
魔導教義の入口とも言える一般基本魔術【共通語魔術】。基本魔導入門で躓いていれば、無能とされるのは当然。
この時点では、魔力も乏しく、世界に順応する為だけの必要量。日常生活に必要最低限の筋力のような、世界で稼働するだけの基本仕様であったが、本質は超異質。
其の力の源流は‶別次元宇宙〟の理力。加護に於いても別次元。
其れは邪神とも云われる異形の神々‶旧支配者〟の恩恵。
──蕃神の副王 ■■=■■■■の加護。
其の御名は、人には発する事の出来ない『原初の言葉の外的表れ』。辛うじて最も近い言語化された名は在るが、其の名を語るだけでも災いが齎される。
ヴェルハディスは、其の外なる旧支配者の御使い『混沌の媒介』として選ばれたのだ。生物が誕生する36億年以前の‶大いなる復讐〟の為に……。
世界から隔絶された感覚は実際そのもの。別次元の理が故に、存在力も外なる次元宇宙に所以するもの。
異なる次元に在るものを知覚できないの当然。ヴェルハディスの存在性の希薄さは、そう言った概念の作用によるものであったのだ。
そんな事とは露知らず。初等でさえ卒業不可と通告され学院を退学。父親は相変わらずの放任。世界中を飛び交い駆けずり回り、顔を合わす事は殆ど無かった。
家族周囲からの憐憫と蔑みに満ちた視線に耐えきれず、ヴェルハディスは自ら家を出た。
それから冒険者に身を投じるも、そこでも無能扱い。絶望の極地であったヴェルハディスは、ある日、夢の中で天啓ならぬ外啓を授かった。
目が覚めたヴェルハディスは、即座に夢の通りに行動した。向かったのは、迷い込んだら脱出は困難とされる、霧に覆われた魔の森「幻霧の森」。
ヴェルハディスは導かれるように奥地へ進むと、そこには未発見の古代遺跡。
至る所が崩れ、苔や蔦に覆われた古代霊廟跡が、密かに佇んでいた。
夢で見た通りに遺跡霊廟内へと入り、地下へと進んだ。多くのアンデッドと遭遇するも、不思議と襲われる事は無かった。寧ろ崇敬されてるかの様であった。
そして、最下7層、最後の70段の階段を降りると燃え盛る『炎の神殿』に辿り着いた。神殿入口には、二人の神官が待ち構えていた。
ナシュトとカマン=ターと名乗った。
「御使い様」と、深々仰々しく頭を下げられ、彼らの案内で神殿内に迎えられた。
炎が割れ現れた通路。そこから700段の階段を降りると漆黒の門【暗黒門】に到達した。門の先へ進むと──。
無音、無臭、無風、無酸素、無光、無重力、無感覚、無限。
虚無であった。
深淵にして遥か天上。一切何も無い暗黒空間。
‶其の存在〟以外は。
其の存在は、全にして一、一にして全なる者。
周囲を囲う大小様々、幾多の極彩色に輝く球体。球体それぞれには、幾何学模様の単眼。それら全てがヴェルハディスを睥睨する。
「麗しき主よ……」
ヴェルハディスから自然とその言葉が発せられた。自然と止めどなく涙が溢れた。
其の存在は、無言にして無限とも思える言を語った。自然と理解した。
刹那にして無窮の時が流れたかの様な感覚。
そして、一冊の書物を下賜された。何らかの生物の皮膚で造られた50cmほどの禍々しい古文書。
ヴェルハディスはそこで目が覚めた。
全て夢であったのか……。
──否。
ヴェルハディスが体感していたものは、虚構にして現実。幻視にして現視。
覚醒状態にして夢の深層に存在する‶幻夢郷〟。
目覚めた彼の目前には、宙に浮遊する一冊の古文書。その古文書は『魔導書』であった。表紙には古代語で──。
──【Necronomicon 死霊秘法書】──
これにより無能とされた彼が、成人後に能力を開花させたのは、学院では決して学ぶ事の無い禁忌とされる【死霊魔術】。
多種多様のアンデッドを生み出し、死を司る悍ましい存在や悪魔の召喚と、その使役が可能となった。
この魔導書には、他にも多くの禍々しい秘術が記述されていた。父を超えるべく力を求め欲したヴェルハディスは、その秘術で自らの両眼球を取り出した。
その代わりに召喚秘法の一種を行使し、古代種族‶ショゴスロード王〟の魔眼
【シャイニーの兇眼】を双眸に発現移植した。
ショゴスとは、凡そ10億年前に造られ生まれた。当初は不定形のスライムのような生命体。姿形を自由に変えられた。知性は低かったが脳を固定化し発展進化を続け、知能の高い『ショゴスロード』と呼ばれる上位種族が生まれた。
其の王が『ミスター・シャイニー』。後にこのショゴスの細胞から人類や動植物が生まれたとされている。
そのショゴスの原型質であり身体の組織の元となったのが、全ての生物の源。
外なる神々の一柱【ウボ=サスラ】。
大きな力を得るには、それに相当する代償が必要。移植代の手付金として、幼い子供100人の命を供物に捧げた。
そこから人種に関わらず1000の知生体を贄とし、生命力を吸収。兇眼を通じ、ヴェルハディスの肉体はDNAレベルで造り替えられた。
更に1万の生命力を糧に、死を克服した不死の超越者【不滅者】と化した。
基本仕様から違法改造仕様へと変容したのだ。
犠牲になった者は、アンデッドとして使役し有効二次利用。自らの力と同時に、軍勢を築き上げていった。
誰しも戦慄と畏怖に震える巨大な‶存在力〟を手に入れたのだ。
其の存在力は魔力によるものでは無く、聖天神々の力【聖導】の対極たる理力
‶邪力〟。その所以たる外導。
──【邪導】
兇眼を得て、視える世界が大きく変化した。人には見えぬものまで視えた。
多くの事象が制御可能となった。
邪力を魔力に変換し、世界既存の極大魔術を行使できる様にさえ至った。
更に、外なる次元へと繋がり‶外なる従者〟を得られた。
死の支配者【死霊魔術師】。その中でも、嘗て無い希代の超越者。
外なる【大魔王】が誕生した瞬間であった。
聖導対邪導。御使い対御使い。大賢者王対大魔王。
そして‶父対子〟の長きに渡る戦いが始まった瞬間であった。
ヴェルハディスの当初は、不遇の少年期を過ごす原因となった恨みと、同時に憧れを抱いた偉大な父。そして母や弟たち、蔑んだ周囲を見返したいだけの想いであった。
だが、そこから在らぬ方向へと事態が発展。
億単位の数多くの者が、この壮大な‶家庭内紛争〟に巻き込まれたのだ。
遥か古の当時。かの世界の3分の1が焦土と化し、幾つもの国々が滅びた。
決戦兵器である幾人もの勇者、大賢者が失われた。膨大な死と犠牲を生み出した超大戦。
死が増えれば増えるほど、ヴェルハディスの糧となり、死の軍勢が増殖拡大していく。この戦いは、ヒュペルボリア史上、最も忌まわしき災厄戦争として語り継がれた。後に聖天書にも記述されたこの戦いは。
──【聖邪大戦】と呼ばれた。
「──懐かしい夢を見ていたな……」
【ウボ=サスラの揺り籠】に揺られ、超熟睡のヴェルハディスはふと目を覚ました。
その双眸は、解けぬ糸で縫われ開かぬ状態。
「あの戦いで全てを失い因果体ごと封印され、次元の狭間に追いやられてしまったな……」
結果的にはヴェルハディスは大敗。幾重もの超封印は、父親である大賢者王ヘルメスによる聖導極大封印術。
「我が忠実な従者であり猟犬‶ルルハリル〟により、次元の狭間から救われ、ここまで回復。その封印も間もなく打ち破れる事であろう。大分『生命力』が集まり蓄積されてきておる」
大戦にて、ヴェルハディスと同様、大きな負傷を負ったティンダロスの猟犬ルルハリルは、自由に次元を行き来できるが故に、封印される前に別次元に逃亡。
自らの回復を経てから、ヴェルハディスの因果体を、次元の狭間から救い出したのだ。
「……む? ドゥルナスとの接続が途切れておるな。奴には主の眷属たる因子と地獄由来、悪魔の力を与えたはずだが……」
ヴェルハディスの部下であると同時に、唯一初のお友達とも言えるドゥルナス。
例えるなら「おかけになった電話番号はうんたら」のような状態。
「奴には万単位の兵隊も控えておるし……まさか‶アレ〟に複数の隠蔽術を搔い潜り、あの地下要塞に辿り着くとは考えられぬが……ミ=ゴよ」
「お呼びでやんすか旦那」
ヴェルハディスの呼びかけに瞬時に現れた『ミ=ゴ』。
体長2m程。薄桃色の甲殻類にして菌類生物。蝙蝠と蝶を合わせたかの様な翅。
スズメバチに近い歪な胴体とサソリの様な尻尾。全身が帯状疱疹の様な菌類に覆われている。
3対の鉤爪の付いた手肢。頭部は幾つもの触手を束ねた渦巻状の楕円形。そこから歪んだアンテナの様な突起物が幾つも生えている。3対の内の1対2肢で人型の様に立っている。
「ドゥルナスに何か‶問題〟が生じたようだ。即座に奴の地下要塞へと向かえ」
「へい。で、その問題はどう致すでやんすか?」
「まずは状況を知らせよ。但し‶アレ〟ならば即撤退だ。狩場の通過も避けよ」
「アレ?‶ギュスターヴ〟でやんすね。了解イエッサー、合点承知の助べぇ。直ちに向かうでやんす」
ミ=ゴは、そう了承すると瞬時に消えた。
「さて、どうしたものか。ギュスターヴで無ければ……」