第102話 お疲れ様でした
「──なるほど…理解したよ。クレインは、こんな極地を幾つも潜り抜け、あの境地に至ったのか……エグいな」
度重なる極限状態にて、イナバの脳内では大変革が起きていた。状況は異なるが、それはトールが幾度と経験した脳改革。
シナプスの可塑性により、神経細胞から情報を伝達接続するシナプスの機能変化と大増量。
これにより、運動制御解除を始めとして、身体各機能の増強。更に『気』の伝達効率が加速向上。
練度に差はあるがトールと同様、第2から第7チャクラが開輪。第6「アジュナ」においてはサードアイ。これにて、不可視の気の流れを読み解くことが可能になった。
更に、ここでトールの進化とは大きな違いが発生。それは──【魔力回路】。
これは、早見伊織を含めた異世界転移、転生者に起きた異世界での順応化現象。脳稼働率上昇に伴った、遺伝子情報に新たに上書きされたアップデートプログラム。
魔術に触れた他の米軍兵士らにも気づいては無いが、この魔力回路が確立されていた。
ならば、魔術に触れたトールに、魔力回路が発現されなかった理由とは?
その大きな要因は、【聖痕】の有無。果たして、それが何を意味しているか?
そして、魔力システムの確立により、イナバは霊素を練った『気』に魔力を加えた【魔闘気】を行使することが可能になった。
──インストール完了 NEW! ファイルネーム INABA Ver 10.0。
これが、イナバがレザーフェイスとの対戦に名乗りを挙げた時に起こっていた、一足飛びの大幅なレベルアップ現象である。
「色々と見えるようになったが、この化け物を滅殺することは不可能だろうな……。だが、足止めは大いに可能!!」
『フフルルゥ!! ピャアア!ピャアア!』
と、奇妙な呼吸音と怒りに任せ、肉切り包丁を乱雑ながらも、隙間無くぶん回す。
その衝撃波は石畳や建物を破砕。距離を置いていたミシェルらや米兵たちにも襲いかかる。
「──レベル3 絶界牆壁」
これに、瞬時にミシェルが対応。味方らの前面に黄色光、正六角形を組み合わせた、蜂の巣構造、平面型の魔術壁を展開し衝撃波を防ぐ。
「ふい~、危なか~。……助かったばい」
「まるで、竜巻だな……あの中をイナバ中尉は……至近距離でどうなってんだ…?」
その激しき凶刃と衝撃波の濁流の中を、イナバは複雑に連なる岩の間を流れる、川の流水の如く、逆らうことなく受け流していく。
常人の動体視力では追えない凶速度を、気の流れを読み解き成しえる神業。
だが、その瘴気の衝撃波を完全に受け流すことは不可能。大きな負傷は防げているが、幾所に皮膚を抉る傷を負い血流が流れていく。
この凶悪狂乱の嵐は、その身に纏う蒼色光の魔闘気オーラが無ければ、木っ端微塵になっていただろう。そこに──。
「──治癒弾!」
米兵たちの背後から、翡翠色の光弾が放たれイナバに直撃。瞬時に傷が治癒された。
「む!? おっと、これはありがたい!感謝する!! あの娘にはまた救われたな」
「クラリス!? 貴方、退避していなかったですの!?」
「みゃみゃ!!【聖女】にもしもの事が起きたら、色々とまずいにゃら!」
密かに背後で控えていた、十代半ばの清楚系美少女【聖女】と称されるクラリス。
艶のあるピンク色のロングヘア―を靡かせ、純白の神官衣姿。右手には、水晶と細かな装飾を組み合わせた神官用ロングロッド。
異世界での主神を信仰する主教会直属。修行の為に冒険者ギルドに在籍。その天賦の才により、若いながらもS級ランクにまで登り詰めた上位治癒魔術師である。
高速で戦う高ランク冒険者に、遠距離からピンポイントで回復を可能とする、稀な【治癒狙撃手】としても名声を馳せている。
彼女にもしもの事があれば、色々と面倒くさい事になる。
「一蓮托生です!! この大局面の戦況に、私がいなくて誰がおりますかー!! もう、私の見ている前で誰も死なせはしません!! この場の全ての回復はお任せを!!」
強い決死の思いを基に、この悪夢の最前線に残ったクラリス。目の前で力及ばず、戦死した仲間たちの事もあってか、その双眸には涙を溢れさせている。
「このお嬢も、中々の強者たいねー……。よかたい! 彼女の護衛はワシがちかっぱしやんばい!!」
「おい、俺たちもこの娘の護衛に就くぞ!!」
「「「「イエッサー!!」」」」
クラリスにガッツリと心象を鷲掴みにされたドーレスを始めとする米兵たちは、彼女を囲い「この身を呈してでも守り抜く!」と、円陣形を展開。
「皆さん、ありがとうございます!!」
涙ぐみながらもペコリと90度。その可愛らしいクラリスの感謝の礼に、ドーレス、米兵たちは、はにかんだ笑みを零す。
「ハハ! 楽しんでいる場合ではないな。もう、これ以上仲間の手を煩わせるにはいかない!!」
このレイドパーティと出会った時、米兵らの負傷回復を率先して行ってくれたのはクラリスであり、魔術に最初に直接触れたのもその時だ。
つまり、イナバの大きなレベルアップ進化の種を植えてくれたのは、クラリスであったのだ。米兵たちのこの行動も、その時の感謝の顕れであろう。
トールの力に憧れ、その未開の境地を歩めることに至ったイナバは、高揚感に酔いしれていた。
だが、状況は切迫しており、年端も行かぬ少女が激戦場に立つ姿は、地球的観点では非常に由々しき事であり、現状は戦場慣れした兵士でもあっても極限の状況。
力量に置いては、レザーフェイスは圧倒的。滅ぼすことは不可能。だが、武の業においてはイナバに利がある。
この激烈な凶風雨。その懐に入らせまいと、隙間なく轟音を上げ振るわれるレザーフェイスの肉切大包丁。
だが、速度に頼った一本の刃で完全に隙間を埋める事など不可。刹那の瞬間では寧ろ大穴だらけ。その最適ルートをイナバはサードアイにて見切る。
「──ここだな」
超速刹那。ゴン!と、イナバは左手首を内側に曲げ、外側の硬い部分で打つ【孤拳】。振られた大包丁の側面を下方斜めに強打つ。
これは、合気柔術の【崩し】の要領と同様。気の流れの綻びを見出し、レザーフェイスの踏み込む寸前の虚を衝き、身体の加重支点を大いに挫く一点の一撃。
レザーフェイスは、外側下から引っ張られたかのように、右側に大きくバランスを崩す。ついに突破口が抉じ開けられた。
競技化された空手は、組手試合では多くの禁止技が定められている。主には負傷に繋がる攻撃だ。しかし、今は生死を分かつ超実戦の激戦場。
イナバは、殺傷を目的とした本来の空手道技を、一切の制限無くそれを振るう。
「稲葉流 奧伝──裏十砕波」
レザーフェイスの懐、内門に八極拳のように強踏み込む。それを地面では無く足の甲へ。
バキ!!ドゴン!!と、骨の粉砕と石畳が陥没する音が織り交ざる。同時に下から掬い上げるように水月へ右肘打ち。上方へ浮き掛かるが足が固定されている為、衝撃が分散することなく一点に集中し胃袋破裂。
突然の足の甲と鳩尾が爆発したかのような衝撃。気の流れが乱された事によって遮断されていた痛覚が蘇り、レザーフェイスに超激痛が襲いかかる。
そこから、イナバは身体を捻り、下がり掛かったカウンターで頭部では無く、狙うは喉部分。
開いた左手、一指し指と親指の間【刀峰】で、喉笛を潰し急激に押し上げられ、後頭部側、首元、頚椎骨折及び靭帯断裂。頭部が後方へ歪な角度に反り返る。
更に、右回し蹴りでレザーフェイスの左膝を外側から破壊、内側へ皮膚を突き破る開放粉砕骨折。
続けて、金的へと左飛び膝蹴りにて、睾丸破裂を含めた股間部が仙骨ごと破潰。
再び身体が前方にくの字。頭部が下がったところに、右拳の小指側で打つ【鉄槌】を頭頂部へ振り下ろし陥没、脳破壊。その衝撃で前方へと頭部が折れ曲がり、頚椎完全粉砕。
続く顔面、鼻の下急所「人中」に左親指の先、一指し指、中指の第二関節で打つ【一本拳】で破壊。その影響と喉が潰れ、頚椎粉砕も相まって完全呼吸不能。
右手【二本指貫手】と、左手の指を鳥の嘴状に窄めた【鶏口】にて両眼球を潰し、視界を完全遮断。
ここまで九連撃。十連コンボの最後の締めは──。
「──鎧通し」
それは空手道秘技【裏当て】別名【鎧通し】。強烈な踏み込みにより石畳は陥没。同時に指を折り曲げた右掌打【平拳】を、胸部中央に向け、極大発剄で撃ち込む。
【裏当て】は同箇所への高速二連の拳打であるが、イナバは【魔闘気】を習得したことにより、一撃で打ちこむ極大発剄技へと昇華させた。
これにより、レザーフェイスの心臓、肺破裂、全肋骨、脊椎が完全粉砕。
その波動衝撃波は体内で爆発したかの如く、背中皮膚を突き抜け、血肉骨が吹き出し飛散する。
「せいやっ!!!」
「「「「「………………」」」」」
イナバのビシリ空手ポージングとキメの一声と共に、ズシャリと、レザーフェイスの原型を留めていない肉塊が倒れ込む。
その凄まじき連攻撃とレザーフェイスの無残な姿に、双眸を大きく見開き絶句する味方ら一同。
「ぃよーっし!! 足止め任務はクリア!! こいつが復活する前に撤退!! レオバルト!! ミゼーア殿!!こちらはオーケイだ!!」
「ガハハハ!! 了解だ!! いくら燃やしぶった斬っても、アホみたいに再生するこの化け物には、もううんざりしていたところだ!!」
「了承!! 我も同様の見解! 全くキリが無い! 即座に一旦の燼滅に努めようぞ!!」
レオバルト、ミゼーアの戦闘は壮絶さを極め、ミゼーアVSサイコドクターの雷速空中戦においては、都市南東数キロ先まで戦火を拡大。
だが、共に各所に手傷を負っているも余力を残している状態。
幾度となく致命の一撃をバニーマンとサイコドクターに与え屠るも、不滅者にダメージを負わすには至らず、その度に何事も無かったかのように再生復活を繰り返している。
この終わりの見えぬ不毛たる攻防に、終着点への道筋を拓くのは、イナバの戦況次第であったが、正にレンジャーのモットーを体現し、見事にそれを成し得た。
「──火竜王の咆哮」
イナバの奮戦に応えるべく、レオバルトは全力攻撃。火竜剣を纏っていた爆炎が竜の頭部を形作る。そして、その大きく開いた顎から放たれる極炎集束レーザー砲撃。
これにて、バニーマンは蒸発。その砲撃は都市南部の外壁を突き抜け破壊。僅かな間の後、その軌跡が盛大に爆発炎上する。
「雷帝の裁きを受けよ──ᛁᛋᚺᚲᚢᚱ」
ミゼーアは、上空で浮遊しながら【白夜】を天に掲げ、神狼魔術コール。
サイコドクターを中心に、天空から極太【聖白雷】の御柱が降り注ぎ建ち、周囲の建物ごと塵と化す。
その衝撃波が広範囲を薙ぎ払い、数キロの距離があったものの、爆風が仲間らのいる地点まで激しく吹き荒れる。
「みゃー!!ヤバイにゃらー!!」
「かーっ!! ほんな、すごかばい!!」
「「「「…………」」」」
「……ハハ、御二人方、共に凄まじいな……」
「……レオバルト様のお力は存じ上げてましたが、今のは大賢者クラスの【真意魔術】。あの獣人の御方……いったい何者なのですか…?」
「よし!! 撤収だ!! 総員、急ぎ目標地点まで全力で走れ!!」
この場でミゼーアの正体を知る者はミシェル、ネイリー、レオバルト。そんな異世界偉人などは、露知らずの米兵たちはいずれも言葉を失い、イナバは苦笑で感嘆。
クラリスは何やら呟くも、レオバルトの撤退号令に一旦の思考を止め、一同と共に北側に走り出す。
そして北側、コールサイン「ラビット」からの不明確な通信にて、退避目標地点として指し示された教会聖堂。
その大広場では、竜人リョウガが、いかつい棘だらけの武装竜形態、【竜戦神装】にて大回転、旋風を巻き起こし振り回すハルバードの銘は──。
「暴れ狂いほたえるぜよ! 【嵐竜戟 リントブルム】!!」
対するは、常時発動 恐怖、呪いの弱体化 を撒き散らし、無数の【髪鞭剣】を狂乱と振り乱す、貞椰子との暴風吹き荒れる、激戦を繰り広げていた。
リュミエルとメルヴィは、すでに教会入口前の掃除を終え、扉を開け退避してくる仲間らの受け入れ態勢を整えていた。
二人が巻き込まれないよう、リョウガは大広場の端側へ、サヤコを誘導してからの熾烈なドッカンバトル。
その周辺建物は大きく損壊。一部は更地となり、広場の敷地面積が東側に歪な形で拡大していた。
リョウガの頭部は傷だらけ。更に片翼は斬られ落ち、背部を覆っていた無数の棘は削り取られ、はげ落ちた箇所が幾つも見られる。
片やサヤコも身体中にリョウガの棘が、頭部にまで突き刺さっている状態。だが、互いにお構い無しで、二つの巨大竜巻がぶつかり合う。
無数の異形の屍、血肉の海が漂い流れる中、退避してきた冒険者らが、その凄まじき戦いを横目に、次々と教会聖堂内に雪崩れ込む。メルヴィは周囲を防衛警戒、リュミエルは大声を張り上げ仲間たちを誘導する。
「さぁ、早く!! 皆さん急いで中に入って下さい!!」
「なんやねん!! ホンマにここは、安全エリアなんやろなー!?」と、当然の疑問を言い出すガイガーも到着。
「その説明は後だ! ガイガー!! とにかく早く入っててくれー!!」
と、どこからともなく調査で別行動を執っていた斥候チーム4名が現れる。そのリーダー、コールサイン「ラビット」。
黒人男性に黒毛ウサ耳!? と、何とも形容し難い様相の『兎人族』の黒き獣人。
事の真相を知る者のようやくの合流ではあるが、今はあれこれ言い合っている猶予は無い。
そして、程なくして最後尾であったミゼーアと親衛隊、イナバら米兵チーム、聖女クラリス、レオバルトらリーダーたちの面々も御到着。
「よし!! リョウガさん!! 揃いましたよ!!」
全員無事にとはいかなかったが、生存者全てが揃い、リョウガに合図を送るリュミエル。
「ええろう!! 宴もたけなわっちゅう事やきに、ぴっと寝ときぃ化け物!!」
すると、サヤコの至る所に突き刺さっていたリョウガの棘が赤々と光り出す。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!
仕掛けは万全。その棘は、魔力パスによって任意で起爆可能なC4爆薬的なもので、これによりサヤコは盛大に大爆発、木っ端微塵となった。
「はぁ、まっことおっこうな奴やきに、ことうちゅうぜよ」
などと、ブツブツと苦言を零しつつ、リョウガは通常形態と戻る。これにて不滅者ら4体全てを退けられたが、これは一時的なもの。
再び復活し襲ってくる前にと、リョウガは疲労と傷だらけの重い身体を引きずりながらも教会聖堂内に入り込み、仲間全員の退避が完了した。
「リョウガさん、お疲れ様でした……皆さんも…ハァしんどかった」