長い長い一週間
次の日。
マガリーがモーニングティーを運んできてくれて、私は朝から優雅な時間を過ごしていた。窓から差し込む陽ざしが気持ちいい。こんな些細なことで、今日も一日頑張ろうと思える私は単純だ。
朝食の準備ができるまで軽く運動することにした。といっても、またあてもなく廊下を散歩するだけなのだが。
「うーん、よく眠れた!」
散歩をしながら大きく伸びをしていると、前方から視線を感じてそちらに目を向ける。……ロイドだ。
「おはよう。ロイド」
「お前、図太い女だな。尊敬する」
「朝から褒められてるのか貶されてるのかわからない質問、やめてくれる?」
「だって、ここへ来た初日によく眠れるなんてお前くらいだぜ」
「へぇ。そうなの? ここは枕も毛布も上等品で、いつもより快眠できたくらいよ」
そう言うと、ロイドは明らかに呆れた顔をして「かわいそうなヤツ」と呟いた。……なんだか馬鹿にされているような気がする。
「あと、ジスラン様のは妄想じゃあないわ。昨日は書庫に案内してくれて、私に異世界のことを教えてくれたの。優しい人だなって思ったわ」
「は!? お前、ジスランの話を信じてるうえに、あのやけに具体的な妄想話に付き合ったのか?」
引いているロイドをよそに、私は大きく頷くと両手を頬に当てて昨夜のジスを思い出した。ニナについて嬉しそうに語る、ジスの優しい表情を……。
「ジスラン様、素敵な恋をしたのね……」
「うっとりした表情やめろ。お前、そんなんじゃあそのうち商人に騙されて高い壺買わされるぞ。ジスランの話は全部作り話!」
弟のロイドまでこんな言い方をするなんて、この現実こそ作り話であってほしいものだ。
「そんなことないわ! あれは現実に起こった話よ」
「なんで言い切れるんだよ」
「逆にどうして信じないの?」
「証拠がない。それに、異世界なんてのはおとぎ話の中の話だ」
それが当たり前だと言うように、ロイドは肩をすくめて鼻で笑う。
……私も前世ではそう思っていた。これは高クオリティな乙女ゲームで、ジスはそこに登場するキャラクターにすぎないって。私が住んでいる以外の世界が存在し、ましてや繋がるなんて考えたことがなかった。ロイドも同じように考えているのなら、信じないのも無理はない。実際にニナを見ていないんだもの。
「この世界は魔法が存在しているんだから、異世界と通じる魔法書があってもおかしくないじゃない」
「だったら、今すぐその魔法書で異世界とやらに繋いでみればいい。それができないから、こんな言われ方してるんだろう」
うぅ……なにも言い返せない。大体それができたら、ジスはとっくにやっていたはず。
実際ニナと繋がっている時に誰にもその事実を教えなかったのは、ジスにとってあの魔法書とニナが特別だったからだろう。
『この時間はほかの誰にも邪魔されたくない。俺だけの時間』だと、前世でよくジスが言っていた。そしてその時間が突如失われて、周りにやっとニナの話をした時には、魔法書は意味をなさなくなってしまっていた――ってところか。
あの魔法書って、ニナ以外とは繋がらないんだろうか。繋がることができたら証拠になって、ジスが嘘つきじゃないって証明できるのに。
「お前は知らないかもしれないけど……あいつが異世界人と繋がっていたって時期、ジスランはかなり心を病んでいた。それはこの屋敷に住んでいるやつ全員が知ってる。だから現実逃避しておかしくなって、妄想との境目がわからなくなったんだよ」
「ジスラン様が……?」
二週間姿を見せなかったあの時だろうか。ジスの様子がおかしかったのは。
ニナの言葉を聞いて堪えていた涙は見せてくれたけれど、なにがあったのか詳しくは聞けなくて、ジスから話してくれることもなかった。
――過去になにがあったんだろう。
いつか話してもらえる日がくるだろうか。正直、前世からずっとなにが原因なのか気になっていた。
……その前に、リアナとしての私を友情でもいいから好きになってもらわないと。ニナにも話さなかった過去を話してもらうなんて、相当難しいだろうから。
「ロイド、私頑張る」
「どの流れでそうなった」
何度目かの呆れ顔を見せるロイドの横で、私は自分の拳をぎゅっと握った。
***
「リアナ、ちょっといいだろうか」
朝食後、マガリーと庭園を散歩しているとジスが私に声をかけてきた。まさかジスから話しかけてくれると思わず、肩がびくりと跳ねてしまった。恥ずかしい。
「はい! もちろんです」
「わたくしは失礼いたします」
「いや、すぐ終わるからべつに――」
ジスが言い終わる前に、光の速さでマガリーは去って行った。
「きゃあっ! ジスラン様が朝からリアナ様と一緒にいるなんてっ」
「昨日も晩餐後、ふたりで仲良く廊下を歩いていたわ」
「リアナ様可愛いもの。ジスラン様にもついに春がきたのでは!?」
マガリー含むきゃあきゃあと騒いでいる侍女の私語が、完全にここまで聞こえてくる。
「……はぁ。女っていうのは噂話が好きだな」
前髪をくしゃりと掻きあげて、ジスは小さなため息を吐いた。
「あはは……。公爵にも、ついさっき声をかけられましたよ。昨日晩餐後ふたりでどこに行ってたのかって。きっと使用人たちの噂を聞きつけたんでしょうね」
「父上が?」
ロイドと話し終えた直後のことだ。公爵はにこにことした顔と軽い足取りで私の元にやって来て、『ジスランとどこでどんな話を?』と興味津々に聞いてきた。
「書庫室へ行って、異世界の話を聞かせてもらったと言いました」
「……君って馬鹿正直だな。父上の顔色が一瞬で悪くなっただろう」
……当たっている。ついでにロイドとまったく同じことを言われたんだっけ。〝ジスランは当時病んでいて、夢物語を見ていたんだ〟って。ロイドよりは優しい言い方だけど、意味は変わらない。
「私は信じるし、楽しかったと言いましたよ。なんせ馬鹿正直なので」
公爵も驚いていたけれど、それ以上追及はしてこなかった。もしかすると、私もかなり変な子だと思われた可能性は高いが、べつに構わない。本当のことを言っているだけだもの。
「それで、用事ってなんですか?」
朝から惚気話を聞けたりして! なんて浮かれたことが脳裏を過ったが、たぶん違う。わざわざ私を探していたってことは、少なからず急ぎの用事のはずだ。
「俺はこれから外出することになった。期間は一週間だ」
「えっ!? これから? すぐですか?」
「ああ。君と話し終えたら出発する」
唐突すぎてついていけない。まさか二度目の晩餐を一緒に食べることもなく一週間会えなくなるなんて。しかも、婚約した次の日に。
……ジスったら、これまでもこうやってなりふり構わず公務に出かけていたのかしら。さすがに令嬢たちが腹を立ててしまうのもわかる。いくら好きにしていいと言われても、ここまで露骨にどうでもいい扱いされると、そんな経験をしたことない令嬢の心はあっという間に折れるに違いない。
「一週間って、結構長いですね。……あ、東の地域にある森の魔物討伐ですか? あそこは季節の変わり目になぜか魔物が増えるって聞いたことが――」
「へぇ。よく知ってるな。メルシエ伯爵家が魔物討伐の情報にも詳しかったとは初耳だ。誰に聞いたんだ?」
あなたからです。季節の変わり目に増えるって風邪みたいねって、くだらない冗談を言って笑い合いました。
「え、えーっと、ロイド!」
まったく聞いていないが、さっき私とジスを馬鹿にした贖罪として、言い訳に名前を使わせてもらうくらいは許してほしい。
「あいつは魔物討伐馬鹿だからな。今回は残念ながら剣技より魔力に弱い魔物だから、あいつの出番はないけど」
ジスラン様も地味にロイドのことを酷い言い方している。このふたり、そんなに仲良くない? でも、めちゃくちゃ仲が悪いようにも見えない。
「ついでに近くに所有している領地の偵察もしてくるから、このくらいかかる。留守中はなにをしてくれてもいい。君の好きにしてくれ。じゃあ」
言いたいことは言い終えたようで、ジスは早足で門のほうへ向かって行った。既に馬車や同行する兵士たちは揃っているようで、門の前に待機している様子が見えた。
「いってらっしゃいませ! ジスラン様、お気をつけて」
ジスが強いのは知っているから、心配はしていない。でも……早く帰ってきてほしい。だって一週間もニナとの惚気話がお預けだなんて寂しすぎるもの!