彼の思い出
「ここだ」
ある扉の前で立ち止まり、ジスがゆっくりと扉を開ける。
「……書庫室?」
目の前に広がるいくつもの本棚。そしてそこにびっしりと並んでいるたくさんの本たち。実家にも書庫室はあったが、ここの半分以下のスペースにも満たないほど小さなものだったため、この光景を見ただけでテンションが上がった。
でも、どうしてジスは私をここへ連れてきたんだろう。もしかして、私が本が好きって言ったから?
「十五歳の時、ここで一冊の古い魔法書を見つけてね。……これなんだけど」
ぞう言って、ジスは書庫室のいちばん奥にある本棚の中から、一冊の本を取り出した。
「なにも書いてない白紙のページがただただ続いていて、最後のページにただひとこと〝あなたの望む人と出会える〟って書いてあって……俺は当時荒れていたから〝俺のことを知らない遠い遠い場所にいる人〟って願ったんだ。多分だけど」
ここまで聞いて、大体察しがついた。きっとジスはこの本を通じて私と出会ったのだと。そしてジスの願った遠い場所にいる人物に、偶然私が選ばれたのだと悟った。
「そうしたら、白紙のページに彼女の――ニナの姿が映ったんだ。この本はたしかに異世界に繋がっていて、俺は時間が空くたびにここへ来て、本を通じてニナと会うようになった」
「すごい! 本で異世界と繋がるなんて素敵!」
ずっと気になっていた。ジスはなにで私と通じていたのか。
それが魔法書だとわかり、なんともこの世界らしい方法で感動する。
「そんなにあっさり信じてくれるのか。君は」
「ジスラン様ったら、まだ私のこと疑ってます? あまりに疑われると私も悲しくなりますよ」
じとっとした目でジスを見ると、今度はジスがぎくりとした表情を浮かべた。
「いいや、初めてのことだから……ごめん」
冷徹なオーラを常に発していたジスが、ここへ来て私の知っているジスに戻ってきたように感じる。
「謝罪はいりませんから、それより聞かせてください。この本でニナと知り合ってからの話」
「ああ。ニナとはいろんな話をしたんだ。たとえば――」
それからは、ジスがニナとの思い出話を聞かせてくれた。
日本という国に住んでいたこと。日本の料理を見せてくれて、いつか手料理を食べさせたいと言ってもらったこと。魔法に驚いていたこと。そのほかにもいろいろあったけど、特に何度も言っていたのが……。
「ニナは俺の近くにはいないような、ピュアで可愛らしい子だった。とにかく可愛くて、見てるだけで癒されるんだ。本当にニナは可愛い。世界一可愛い」
可愛い、という女性が何度言われたって嬉しい誉め言葉。それを恥ずかしげもなく連呼するものだから、私のほうがむずがゆくてたまらなくなり、ジタバタしたくなる衝動を必死で抑えた。
――私、一生分の可愛いを今日だけで言われた気がする。リアナのことではないけど、前世のニナだってただの平凡な日本人で突出して可愛かったわけでもない。そんなニナをジスがべた褒めしてくれて、嬉しくないはずがない。
「あ……ごめん。誰も聞いてくれなかったから、嬉しくなってつい長話してしまった。今日は遅いし、ここまでにしよう。君も疲れただろう」
「いえ。最高な時間でした」
疲れるどころか、なんか興奮してきたくらい。
「……リアナ。ずっと楽しそうに聞いてくれていたな」
不意に名前を呼ばれてドキッとする。ジスと会ってから、リアナよりニナの名前のほうを多く聞いていた。というか、むしろ初めて会話の途中で自然に名前を呼ばれた気がする。
「はい。実際楽しいですから。それにしても……ニナは幸せ者ですね」
「……どうしてそう思う?」
「だって、こんなにジスラン様に愛されているんですもの。幸せ者に決まっています」
ああ、ニナとして生きているときにこの世界に来られたら、どうなっていたんだろう。その世界線も気になるけど、どんな形であれこうやって会えただけでリアナも幸せ者だ。大体直接ジスにぐいぐいこられたら、たじたじになってまともに顔を見られる自信がない。又聞きくらいがベストだと、この立場になって気づいた。
「そうか。そうだといいな……。ニナは俺が、初めて弱いところを見せられた人だった。彼女には救われたんだ」
遠い異世界へ想いを馳せるように、ジスは真っ黒な夜空を見上げた。つられて私の視線も同じ方向へと動く。そして、とあることに気づいた。
「……似ていますね」
「……なにが?」
「空に浮かぶたくさんの星。ジスラン様の瞳に似てる。最初は太陽みたいって安直に思いましたけど……近くで見ると、もっと繊細な美しさがありました」
画面越しだと気づけなかった、ジスの瞳の奥に宿る煌めき。
それが見られただけでも、今日、ここまで来てよかったと思えるくらい。
「……そうか。自分の瞳をそんなふうに思ったことはなかった。俺はあんまり……この瞳が好きじゃあないから」
そうだったの!? こんなに綺麗なのに。
まずい。また知らぬ間にジスにとっての地雷を……。
「でも、この星に似てるって言われたら嫌な気はしないな」
そう呟くジスは、私の思い上がりでなかったら、少しだけ嬉しそうに見えた。
――やった! リアナとしても、ジスを喜ばせられた。
きっとこれまで、妄男とか奇病とかひどいことを言われて、ジスも人間不信になっている部分があると思う。私が次の恋をできるように、ジスの自己肯定感を上げてあげないと!
「ジスラン様さえよければ、また話を聞かせてくれますか?」
「ああ。ニナとの話はならいつでも」
……私との日常会話は必要とされていない気がするけど、まぁいいか。ニナの話が聞けるだけでもハッピーだもの。
「それじゃあ、俺は先に部屋に戻るけど……君はどうする?」
「私はもう少し、書庫の本を見て周っても?」
「構わない。本が好きと言っていたし、好きなだけ見るといい」
「ありがとうございます!」
返事を聞いて、ジスは小さく頷くと扉のほうへ歩いて行った。私は静かにそれを見送っていると、途中でジスがこちらを振り向く。
「あのさ……リアナ、君、変わってるって言われない?」
わざわざ振り向いてまで確認したいことだったのか。しかし、ジスからするとこんなにニナに興味を持つなんて、物珍しい以外のなんでもないのだろう。
「ふふっ。それ、ジスラン様が言います?」
私からすると、この世界でたくさんの美女を見てきたはずなのに、ずっとニナを好きでいるジスのほうが変わっている。
「……ふっ。たしかに」
おもわず笑いをこぼした私を見て、つられるようにジスも笑った。わあ……! ジスが初めてリアナに笑顔を向けてくれた!
感動に浸っているうちに、ジスは書庫室から出て行った。
バタリ、と扉が閉まる音を聞き、私はその場で手足をジタバタと動かした。
「は~~~っ! ジスったらずるい! ニナの話になると、すっごく優しい顔になるんだもん。それで可愛い可愛いって……思い出すだけでキュン死にしそう……」
ひとりで胸を押さえ、さっきのジスの微笑みと可愛いを噛みしめる。
「はぁ。ニナが羨ましい……! というか、ニナでよかった……!」
前世の自分が羨ましいって状況が初めてすぎてよくわからない。なんというか新感覚。そんな単純な言葉で済ませられる感覚ではないが、いい表現方法が見つからない。
『俺は心に決めた人がいる。例えその人と会えなくても……想い続けるって決めてるんだ。だから君を、他の人を、俺は一生好きにならない』
見たこともない冷めた顔と声色で、そう言っていたジスを思い出す。
――最初はどうなるかと思ったけれど、これからああやって惚気てもらえるのなら、案外幸せな結婚生活を送れるかも。
なんて思いながら、私はこのときめきが収まるまで、ひとりでジタバタを続けるのだった。