心に決めた人
その後、侍女のマガリーが私を部屋まで案内してくれた。広すぎる屋敷内は廊下を歩くだけで目が回りそうだ。
「リアナ様のお部屋はこちらになります」
「……うわぁ」
案内された部屋を見て、私はおもわず息をのんだ。
すごい。これが公爵家。実家の部屋も前世と比べたらものすごくいい部屋だったが、それよりも広くて大きい。家具や寝具も全体的に白と金色、淡いピンクベージュにレースが基調となっており、女性らしい部屋に仕上がっている。
「ねぇマガリー。この後の私の予定は?」
「本日は特になにもございません。公爵様やロイド様への挨拶も既に済まされておりますし、ご自由にしていただいて構わないとジスラン様から承っております」
「そう。じゃあ、屋敷を自由に見て周ってもいいかしら。こんな大きなお屋敷に来たのは初めてだから、冒険心が疼いちゃって!」
「……冒険心、ですか?」
マガリーはぽかんとした顔で言った。
令嬢が冒険だなんて、少年っぽかっただろうか。少なくとも淑女が口にする言葉ではないか。ついつい前世でロールプレイングゲームをしていたこともあって、広い場所に来ると探索したくなるのよね。
「ごめんなさい。普通に屋敷を探索――いや、いろいろと見てみたいだけなの!」
「……ふふっ。リアナ様は面白いお方ですね。ご令嬢からは聞き慣れない言葉だったのでびっくりしてしまいました。申し訳ございません。ぜひ、ご自由に冒険してください」
マガリーは口元に手をあてて上品に眉を下げて笑った。私よりずっと令嬢っぽい。でもよかった。怖い侍女だったらどうしようって不安もあったけれど、マガリーとは仲良くなれそう。
許可ももらえたので、私は動きやすいワンピースに着替えると、屋敷内をうろうろと散歩することにした。
――あ。
長い廊下を歩いていると、数メートル先にジスの姿を見つける。ジスも私に気づいたようだ。
……遠目から見てもスタイル抜群ね。あの足の長さ、どうなってるんだろう。前世では全身を見ることはなかったから、ジスがこんなに背が高いことも知らなかった。180センチはありそうだ。私と話していた頃より伸びているんだろうな。
立ち止まってぼーっとジスを眺めていたら、気づけばすぐ近くまでジスが来ていた。なにか話しかけようか。それとも、にっこり笑いかけるだけでいいのか。どうしよう。
考えがまとまらないままあたふたしていると、ジスはなにも言わずにすっと私の横を通り過ぎて行った。
えっ? と思い振り向くも、ジスの背中はさっきみたいにどんどん遠ざかっていくだけで、こちらを振り返る気配もない。
……無視? というか、目すら合わなかったんだけど。
えーっと、私たち一応婚約者よね? 愛してくれとは言わないけど、挨拶もしないような関係なの?
「無視されてやんの」
すると、聞き覚えのあるくつくつ笑い声がまたもや背後から聞こえてくる。
「……ロイド」
「いきなり呼び捨てかよ。さっきも無理して俺に敬語使ってたもんな」
「えっ、バレてた?」
「バレバレ。まぁ、俺はジスランと違って心が広いからなんでもいいけど」
癖で様を付けずに呼んでしまったが、本人がいいと言ってくれたおかげで助かった。
ロイドはともかく、ジスのこともうっかり〝ジス〟って呼ばないように気を付けないと。明らかに好かれていなさそうだし、馴れ馴れしい呼び方をしたら怒られそうだ。
「世間知らずのお嬢様は、何日で出て行くか見ものだな」
「世間知らずって私のこと?」
「ほかに誰がいるんだよ。お前、見た目はちゃんとしてるけど中身はだいぶ庶民っぽいぞ」
「……それ、お父様とお母様にも散々言われたわ」
仕方ないじゃない。前世は普通の一般庶民だったんだから。
転生してから一般的な貴族マナーは学んだものの、ジスを前にしてニナの頃の私が蘇って、ついつい当時の私で接してしまいそうになる。
「公爵家の妻になるんなら、もっときちんとしたマナー勉強もしないとね。あとで公爵に頼んでみようっと。あ、ロイドもついてきて? ふたりのほうが緊張しなさそうだし」
見た目に反して、ロイドはすっごく話しやすい。言ったら怒られそうだが、ロイドもいい意味で公爵家の人間っぽくない親しみやすさがある。
「は、はぁ? なんで俺がそんな面倒なことを……それに、どうせ無意味だからやめとけって。お前変だから、これまでの令嬢よりは持ちそうだけど」
「……今までここへ来た婚約者たちは、みんなそんなにすぐ出て行っていたの?」
気になってロイドに尋ねると、ロイドは無言で深く頷いた。
「公爵家の婚約者に選ばれるような身分の高い令嬢はほとんどプライドも高いからな。ジスランからあんな態度とられたら、我慢できないんだろ。ずっとちやほやされて生きてきたのに、政略結婚とはいえ、最初にあんなこと言われちまったらな」
なるほど。きっと私なんかより全然綺麗でモテモテで、身分も申し分ない令嬢たちが選ばれていたのだろう。うちは伯爵家だから爵位こそ低くはないが裕福ではない。クラルティ公爵からすると、妥協できるギリギリの範囲だったのかも。
「ジスラン様みたいに素敵な人を前にしたら、彼から愛されたいって感情が芽生えるのも無理ないし、心に決めた人に嫉妬してしまったのかもしれないわね」
私だって、画面越しでもそう思った瞬間があったもの。
いざ婚約者に選ばれた令嬢たちは、どんなに拗らせ公爵とか悪い噂があっても、偽りでもいいから愛されたいって思う人はいたのではなかろうか。
「ずいぶん他人事みたいな物言いだな。リアナだっけ。お前は嫉妬しないの?」
「私は……」
不思議とそういう感情はなかった。前世の記憶がないまま、ただのリアナとして出会っていたらまた違ったと思うけれど、ニナとしての記憶がある私からすると――ジスへの感情は〝推し〟としての愛情に近い。実際に声を聞き、手を伸ばせば触れられる、同じ世界に生まれたことによってその想いは前世より強くなったように思える。
画面越しの〝乙女ゲームキャラのジスラン〟だったから、私をシステム上好いてくれることはあっても、実際に会えば見向きもされないことなんて百も承知だ。だから――。
「むしろ気になるわ。ジス……ラン様がそこまで好きになった人のこと。聞いても教えてくれないかしら?」
そこまで心に決めた人がいながらその人を婚約者にしない――否、できないってことは、なにか事情があるのだろう。もし既に故人だった場合、心の傷を抉ることになる。ナイーブな内容ならば、安易に聞くのは避けたい。しかし、ジスから話してくれることもなさそうな気がする。
でも実際はめちゃくちゃ気になる!
ジスがほかの女性すべてをないがしろにしてまで愛した相手のこと!
「……べつに口止めされてないし、王都では有名な話だから教えてやるよ。でもこれ聞いたら、なにも知らなそうなお前はジスランの見る目が変わるかもな。変人――いや、妄想に取り憑かれた異常者だって」
「……異常者?」
誰かを一途に愛することの、なにが異常なのだろう。理解できずに首を傾げると、ロイドが口を開いた。
「ジスランがずっと想い続けてる女は、あいつが十五歳の時に出会った〝異世界の女〟らしいぜ」
その言葉を聞いて、私の心臓がドクンと大きく脈打った。
「もう七年も会えてないのに、忘れられないんだってさ。ありえないだろ。そんな話。異世界なんて創作の話で、実際あるわけないのに。あいつ、おかしいんだ――」
「名前は!?」
気づけば私は、ロイドの両腕をがしりと掴んで詰め寄っていた。
「は、どうしたんだよ急に」
「いいから、その子の名前を教えて! 知ってるんでしょう?」
まさか。いいやありえない。でも、もしかして。
そんな言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
「……ニナ、って言ってたけど」
「!」
聞いた途端、急にありえないと思っていたことが現実なのだと実感する。
顔が熱い。これって本当の話?
私が前世で話していたジスランは、この世界のジスランで……ゲームとかではなく、実際に異世界に住むジスランとなにか不思議な力を通してマッチングしていたってこと……? そのうえ――。
「おい。なんでお前が赤くなってんだよ」
「だ、だって」
ジスは前世の私が死んでからもずっと、私を……ニナを想っていたの?
だとしたら、ニナは死んでリアナとして生まれ変わったことを伝えて、私がニナだっていうのも言ったほうが……でも、信じてもらえる証拠もないし……。
「どうすればいいのーっ!」
「お、おい! どこ行くんだよ!」
思考回路が追い付かず、頭がパンクしそうになった私は逃げるようにその場を去った。その後もしばらく、身体の火照りは収まらなかった。