始まっている ジスランside
「――私はほかに好きな人がいる彼ごと愛します」
リアナがそう言った時、稲妻に打たれたような衝撃を受けたと同時に、なにかが自分の中で溢れだしていくのがわかった。
初めての感覚で、立ち尽くしたまま動けなくなる。うまい言葉も出てこない。そうしているうちに、彼女は顔を真っ赤にして大広間から出て行ってしまった。
これまで受けた嫌味や、煩わしい奇異の眼差しすべてを忘れて、今しがたリアナに言われた言葉だけが脳内に強く残っている。
「……っ」
急に顔がカッと熱くなって、片手で顔を覆った。
リアナは王宮に来るのは初めてだと言っていたから、ひとりになったら右も左もわからないだろう。だからすぐに追いかけなければ。頭ではそう思っているのに、身体を心が言うこと聞かない。
まるでリアナから発せられた言葉の熱の余韻に、まだ浸っていたいというように。
「うわぁ。すごいね。君の婚約者。最長記録を更新してるって聞いていたけど、予想以上だ」
後ろから肩をぽんっと叩かれ、一気に現実へと引き戻される。
振り向くと、にやにやとどこかイラッとする笑みを浮かべたフリードリヒ王子が立っていた。フリードリヒ王子は歳が同じで、昔から仲良くしてもらっている。俺が〝妄男〟と噂され世間から白い目で見られるようになってからも、唯一態度を変えなかった稀な男だ。
「フリードリヒ王子……本日の主役がこんな場所で油を売っていいのですか」
そう言って、やんわりと肩に置かれた手をはじく。無礼と見える行為かもしれないが、俺たちの仲ではよくある光景だ。
「いや。本当は上段から盛大に登場するはずだったんだよ? でもさ、アガーテの準備に時間がかかりすぎちゃって。ドレスを着替えるのなんて、もう8着目。さすがに暇になってひそかに大広間の様子を覗いてたってわけ」
アガーテ様は俺と同じく、公爵家出身の令嬢だ。
王子を待たせるなんてことなかなかできる真似ではないが、これもまたよくある光景で、フリードリヒ王子も嫌な顔ひとつしていない。アガーテ様のわがままなところすら愛おしいと、聞いてもいないのに言っていたのを思い出す。
「でも、リアナちゃん? だっけ。彼女、素晴らしいよ。ジスランの雰囲気もいつもと違うし、すっごくお似合いだと僕は思うなぁ」
うんうんとひとりで頷きつつ、フリードリヒ王子は言う。
……俺の雰囲気が違う? 自分では、普段通りにしているつもりなんだが。フリードリヒ王子のことだから、また適当なことを言っているんだろう。
「ジスラン。あんないい子がやっと見つかったのに、まだ恋してるの? 魔法書で出会った異世界人に」
「……ニナは、俺にとって誰よりも大事な人なんです」
「知ってるよ。それ何百回も聞いたから。でも、彼女とは七年もの間音沙汰がないんだろう? それってもう、向こうはジスランに会おうとしてないってことなんじゃない?」
フリードリヒ王子は俺の話を馬鹿にすることなく話を合わせようとはしてくれる。だが、リアナみたいに楽しそうには聞いてくれない。いつも呆れた顔で、はいはいと流すような感じだ。
所詮、異世界人との話など信じておらず、俺の妄言に付き合ってやっている、というスタンスなのだろう。
――そうであっても、今みたいにたまに芯を食ったことを言う。
ニナが俺に会いたくない、または会える状況になくなったなんて可能性は、この七年で腐るほど考えた。妄想と言われすぎて、本当にすべて夢だったのではないかと思ったことだってある。
それでも彼女の笑顔を思い出すたびに心は温かくなり、愛しさは勝手に込み上げた。ほかの女性のことを心に置くスペースなど、少しもないほどニナで埋め尽くされていた――つい、最近までは。
「ねぇジスラン。そばにいる人を大事にしないと、知らないうちにいなくなっちゃうかもよ? それで君が後悔しないなら僕は構わないけどさ」
ニナに会えなくなって、俺は絶望した。毎日真っ白いページを眺めるたびに、どうしようもない喪失感にかられた。だけど今は……その喪失感を、べつの存在が忘れさせてくれている。
「……そんなこと、言われなくてもわかっています。俺は婚約者を探しに行くので少しここから抜けますが、アガーテ様にもよろしくお伝えください」
そう言うと、フリードリヒ王子はひらひらと手を振って俺を見送った。
さて。リアナはどこへ行ったのだろう。夜風に当たると言っていたから、庭園のどこかにいそうな気がするが……。
数分ほど庭をうろうろしていると、聞き慣れた声が聞こえた。甲高く耳に響くようなこの声は……2人目に俺の婚約者になったイザベラか。パーティー好きの彼女がどうしてメイン会場でなくこんな場所にいるのか気になって、声がするほうへなるべく音を立てずに近寄ってみる。すると――イザベラと取り巻きふたり、そしてその向かい側にリアナが立っていた。
「あなただって、どうせジスラン様にキスもされたことないのでしょう?」
「キッ、キス!? あるわけないじゃないですか!」
イザベラはなにを言っているのかと思ったが、リアナの焦った様子が大袈裟で。正直こんな場面なのに笑いそうになってしまった。しかし――。
「普通、婚約者ならそういうことをするのが当たり前なのよ。もちろん、それ以上のことも。でもあなたはジスラン様に触れられるどころか、愛を囁かれることもないの。この先一生」
そう言われた後のリアナの表情は、これまで俺が見たことのないものだった。初めて会った時に、似た言葉を俺から告げた時でさえ。あんな顔はしなかった。
すべて悟っているような、でも、どこか苦しそうな、言い表せない表情。
リアナがどういう感情で、こんな顔を見せたのかわからない。気が付けば、俺は走り出していた。
「リアナのなにが終わっているって?」
「ジ、ジスラン様……!?」
イザベラの血相が変わる。
俺はそのままリアナの身体を引き寄せると、流れるままに彼女を抱きしめていた。女性を抱きしめるなど、この年齢で初めてのことだ。ふわりと漂う清香に、僅かに心臓が跳ねる。
「俺がリアナを大切に想っている証明のために、ここでキスをしようか」
「……はっ!?」
完全に勢いだった。考える間もなく、口が勝手に動いていた。
戸惑うリアナを無視して、俺は彼女を見つめる。揺れる瞳はあまりに綺麗で、吸い込まれそうだ。
「も、もうよくわかりましたわ! あなたたち、行きましょう!」
さすがに元婚約者のキスシーンなど見るに堪えなかったのか、イザベラは取り巻きを引きつれて逃げるように去って行った。




