おかしいよ
「さっさと出て行ってくれ。どの面下げてここに来てる」
ロイドと屋敷へ戻ると、なにやら不穏な空気が漂っていた。
門の前には見たことのない御者に少し小さめの馬車が停まっていて、玄関へ続く道の途中で、知らない大人の女性とジスが対峙している。
「あーあ。最悪だ。おい、今日のジスランには近づくなよ。荒れるから」
少し離れた場所からふたりを見ていると、ロイドが私に耳打ちしてきた。ジスが睨みつけている女性はいったい誰なのか。綺麗にまとめられた輝く金色の髪は、クラルティ公爵の髪よりジスと似ている。……まさか。
「一年ぶりに母親に会えたっていうのにそんなに怖い顔をして。まったく、旦那様はどういう教育をしているのかしら」
やっぱり、ジスとロイドのお母様……!
「母親面をするな。俺はお前を認めてない」
「どうして? 血が繋がってるのは私のほうなのに?」
「……っ!」
ジスの眉間の皺の本数が増え、あきらかに相手への憎悪を露にしている。
血が繋がっているってどういうことだろう。母親だから、繋がってて当たり前だけど、私の〝ほう〟っていうのが気にかかる。
「見れば見るほど似てきてるわよ。ジスラン。やっぱりあなたは、私とあの人の――」
「やめろ! 俺は父上の……」
「なあに? 断言できないってことは、あなたも自信がないの?」
「……」
母親と思わしき女性は持っていた扇子で口元を隠しているが、ジスに向ける視線はあきらかに投げかける言葉と同じく煽るようなものだった。
いまにも一触即発しそうな雰囲気にひやひやしていると、私はそこでジスの異変に気付く。固く握りしめている右手の拳から、魔力が溢れ出そうになっていることに。
私は現段階で魔法を使えないが、実家にいる時に魔法に関する本を読んだことがある。それに、前世でジスにいちばんよくしていた質問も〝魔法について〟だった。
『魔法を使うのに大事なのはイメージと……コントロールだね。魔力って普段は無意識に発動を抑えられているから、使いたい時に自ら放つっていうのが普通の流れなんだけど、この間、コントロールが効かずに勝手に溢れ出てしまって……屋敷の壁に穴を開けちゃってこっぴどく叱られちゃったんだ』
私はふと、そう言って苦笑していた少年時代のジスを思い出す。
時が経って、もう完璧にコントロールできるようになっているかもしれない。ただ、もしまた同じようなことが起きたら?
……クラルティ夫人に風穴が空いてしまうわ!
「さあジスラン、そこを退きなさい。今日は旦那様に領地運営の費用について相談しにきただけなの。あなたに用はないわ」
「父上は外出中だ。代理で俺が対応することになるが、費用を上げる気はない。お引き取り願おうか」
「じゃあ旦那様が戻ってくるまで待つしかないわね。直接言えば、私の言うことは聞いてくれるだろうから」
「いい加減に――」
「ジスラン様! リアナです! ただいま帰りましたわ!」
ジスの怒りメーターが上がったと思われたその時、私は空気を読まずに夫人とジスの間に割って入った。背後からロイドの焦り声が聞こえたが、これ以上無視していられない。
「……リアナ?」
急に私が登場したせいで、ジスもぽかんとした顔をしている。
「町から帰ってきました」
「あ、ああ。おかえり。しかし、今はそれどころでは……」
「ちょっとなんなのこの無礼な子。邪魔だわ」
戸惑うジスを正面から見て、後頭部には超絶不機嫌な夫人の声が降ってくる。
「初めまして。ジスラン様の婚約者のリアナ・エイメスと申します」
「……婚約者? どうでもいいわ。どうせすぐいなくなるんでしょう? ジスの噂は、私のいるところまで届いてるからね。本当に勘弁してほしいわ」
せっかく振り向いて挨拶したっていうのに、夫人は心底興味がなさそうに扇子を広げてパタパタと扇ぎだす。いろいろな意味であおるのが好きな人物らしい。
「そうですか。それでクラルティ公爵についてなのですが、町で見かけてお話したところ、今日はいつ戻られるかわからないようです! そのため後日改めてか手紙でのやり取りのほうがいいかと! それと私はこれからジスラン様とお茶をしたいので、さっさと――じゃなくて、早くジスラン様を解放していただいても?」
めちゃくちゃ早口でマシンガンドークすると、呆気にとられたのか夫人が目を丸くして口をつぐんだ。……今だわ!
「ご納得していただけたということでよろしいですね。それでは夫人、またいつか! 早く中へ戻りましょうジスラン様!」
「お、おいリアナ……」
強引にジスの背中を押して、玄関前の侍女たちには目で合図をして扉を開いてもらう。夫人が反論してくる前に屋敷へ入ってしまえばいいのよ! なんの事情で別の場所で暮らしているかは不明だが、この感じだと思ったよりよくないいざこざがあったのはたしかだ。
夫人は屋敷の鍵を持っているわけでもなさそうだし、閉め出せば諦めて帰るでしょう!
「ロイドも早くっ!」
扉を閉める前に声をかけると、ロイドがこちらへ猛ダッシュしてきた。
「ロイド!? いたのね! ちょっと、私も一緒に中へ――」
夫人はあっという間に追い越していくロイドの背に向かって手を伸ばすものの、その手は空を切るだけで終わる。
「それでは夫人、ごきげんよう」
それだけ言って、私は玄関の扉を閉めた。
真っ赤な顔で怒る夫人が目に焼き付いている。でも、侍女たちも積極的に私に協力してくれている様子を見ると、やはり夫人は屋敷の人たちに好かれていないのだろう。
「……ふぅ。なんとかなりました。無事ですか? ジスラン様」
「ああ。俺はなんともないが……君はなぜこんなことを……」
「よかった。ジスラン様のここから魔力が溢れ出ていたので、夫人の身体に風穴が空くと思って焦りました」
私はジスの右手を取って、自然と安堵のため息をついた。
「……あっ! ごめんなさい。私、勝手に触れて……」
「いや、構わない。それより――」
「クラルティ公爵のことなら真っ赤な嘘です! 思い付きでつきました! 勝手な真似をしてごめんなさいっ」
勝手に手を取ったことも含め、私は頭を下げる。しかしすぐ、ジスに顔を上げるよう言われた。
「いいや。正直助かった。だけど……一瞬でも迷わなかったのか? 相手は立場ある公爵夫人。下手なことをすれば、君の立場が危うくなるというのに」
「あ。……忘れていました」
「忘れていた、って?」
ジスに言われて初めて気づく。相手がどれだけ立場が上かということに。私、ひょっとしてとんでもないことをしてしまったのでは? そう思ったところで取り返しはつかないけれど。
「とにかく、ジスラン様から夫人を遠ざけたかったんです。あの人、ジスラン様を煽るようなことばかり言うんですもん。見ていて気持ちいいわけありません」
「……それだけで、身体が動いたと?」
「はい。おかしいですか? 立派な理由かと思いますので、どうかお許しいただければ……ジスラン様のほうからもお口添えを……」
「はははっ! おかしいに決まってるだろ! 普通公爵夫人を閉め出すなんて真似できないぜ。さすがリアナ!」
許しを乞う姿勢に入ると、ロイドが大きな声で笑い始めた。
「ちょっとロイド、そんなに笑わなくても……」
「……ふっ」
「……ジスラン様?」
急に恥ずかしくなってロイドに注意しようとすると、ジスが小さな笑い声を漏らす。
「ははっ……。ロイドの言う通り、おかしいよ。リアナ」
「う。ジスラン様までそんなこと言って……」
「ごめん。でも――ありがとう」
ジスは大きな手のひらを私の頭の上に乗せると、そのまま優しく髪を撫でた。私、今ジスに頭ポンされてる?
「あと、リアナはなにも心配しないでいい。あの人、もう公爵夫人じゃあないから」
「えっ? そうなんですか?」
「ああ。とっくに離縁してるんだ。だから閉め出したって問題ない」
「……よ、よかったぁ。私、とんでもない罰を受けるかと」
今さらになって足の力が抜けて、その場にぺたんと座り込む。
「今度あの人がまた来たら、俺もこうやって閉め出すことにする。良い技を教えてくれて助かった」
ジスは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、私に手を差し伸べた。
おずおずとその手を取ると、ジスとばっちり目が合ってしまう。
「覚えてなさいよ! ジスランと小娘!」
その瞬間、扉の向こうから元公爵夫人の怒声が飛んできて、私たちは顔を見合わせて笑った。
いまさらになりますは魔法がある世界でもメインは恋愛なので、魔法はあまり出てきません。ごめんなさい。




