わたくし、やられっぱなしは嫌いですので 〜悪女の汚名を着せられた公爵令嬢は聖女の真実を暴く〜
「あら、プリシラ様ったらまたセーラ様に嫌がらせをなさるつもりなんじゃなくて?」
「セーラ様もお可哀想にねぇ」
令嬢たちがヒソヒソと、隠すつもりのない陰口を言い合っているのを聞きながら、わたくしは扇の中に隠した唇をギュッと噛み締めた。
筆頭公爵家の娘であるわたくしを下の身分の彼女らが悪様に言うなど普通であれば許されないことだけれど、第二王子殿下が認めたとなれば話は別。
ここぞとばかりにわたくしの陰口を叩く者が出てくるのは必然だ。
「ですがまさか、ここまで顕著とは。薄情なものですわね」
つい先日までわたくしの取り巻きをしていた令嬢たちでさえ、わたくしと関与して自分も周囲から避けられることを嫌ってか話しかけてこない。
学院の卒業パーティーで事件が起きるまで『社交界の華』と呼ばれていたわたくしはまるで、この場にいないかのようだった。
そんなわたくしに代わり、注目を集めている女が一人いる。
それは明るい白金の髪に灰色の瞳の小柄ながら女性的な凹凸に富んだ少女だ。彼女の纏う純白のドレスは上等品だし、彼女の隣にある金髪碧眼の青年はこの国で最も高貴とされる身分、すなわち王族の男だった。
――聖女セーラ。
彼女こそがわたくしの名を穢した張本人である。
かつては平民上がりの男爵令嬢だからと馬鹿にされていた彼女も、今となっては社交界の主役だ。
そのせいか彼女は大層ご機嫌らしく、ニコニコ笑っていた。
その笑顔はとても可憐で、男たちの心を鷲掴みにするらしい。
今まで淑女たらんと育てられてきたわたくしにとっては、はしたないようにしか見えないのだけれど。
でも笑っていられるのも今のうちの話だ。
だってこれからわたくしは、彼女に宣戦布告するのだから。
わたくしは、セーラが侍らせている第二王子殿下が所用で彼女の元を離れた隙を狙い、そっと聖女に近づいていく。
それにいち早く気づいたセーラは、わたくしの方を振り返って口角をニヤァっと上げた。それでいて怯えるように肩を震わせるものだから、周囲の人間からは怯えているように見える。
――なんと演技が上手いのでしょう。いっそ役者にでもなればよろしいですのに。
「あの時ぶりですわね、聖女セーラ様。迷惑かと存じますが、ご挨拶に参りましたの。第二王子殿下とのご婚約おめでとうございます」
こちらは淑女の笑みをたたえて彼女に儀礼的な挨拶を投げかける。
嫌味や負け惜しみを言ってくるであろうと予想していたに違いないセーラは、少し不満げにわたくしを見た後、こくりと頷いた。
「お祝いいただき、ありがとうございます……。その、この前の件は、プリシラ様が謝ってさえくれれば私、許しますから」
先程の意地悪い顔と一転、聖女セーラは、まさに慈悲深い聖女のような顔で言った。
しかし言っている内容は非常に悪質なものだった。わたくしが彼女に謝る理由など一切ないと知っていながら、赦しを乞うことを求めているのだ。
だから――。
「聖女セーラ様」
「……はい」
「わたくし、やられっぱなしは嫌いですので、覚悟してくださいませね」
わたくしは、堂々と宣言した。
偽聖女の彼女に、好き放題なんてさせてやるものか。
図に乗るなと。わたくしとて、ただ権力に甘えていた力のない小娘ではないのだと、知らしめてやる。
わたくしのそんな内心が伝わったのか、聖女は何か嫌なものでも見たように顔を歪めた。
しかし彼女が何かを言う前に、他の令嬢たちが「プリシラ様、あんまりです!」と口を揃えてわたくしを糾弾し始める。
わたくしは彼女らに構わず、静かにその場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――波打つ赤毛、意思の強い真紅の瞳、透き通るような白磁の肌。
右に出る令嬢がいないほどの美貌がありながら、王妃教育を十五にして終えた才媛。誰もが羨む完璧令嬢にして、筆頭公爵家であるクリムゾン家の長女、そして第二王子ダドリー殿下の婚約者。
第一王子のヘンリー殿下は病弱だったため、王太子になるのはダドリー殿下だと目されていた。だからわたくしは王太子妃になり、そして王妃になるはずだった。
そんな地位を得ていた頃のわたくしと聖女セーラはかつて友人だった。
と言っても、半年間というほんの短い期間だったけれど。
彼女と知り合ったのはわたくしが王立学院で最高学年、三年生になったばかりのある日のこと。
いつもわたくしが休む学院の庭園のベンチに、先客がいた。
わたくしがここを好むのは周知の事実だったので普通の令嬢令息なら遠慮してそこに座らない。
それだけでわたくしは、彼女が何者なのかを悟った。
「ご機嫌よう。あら、見かけないお顔ですわね。あなたが噂の聖女様ですの?」
その時、学院は平民上がりの男爵令嬢、それも聖女が転入してくるともっぱらの噂だった。
聖女というのは百年に一度生まれるとされる癒し手のこと。心の清らかな乙女の中に神が力を授けてくださるのだそうだ。
わたくしも一目見てみたいと密かに思っていた。
「――あ、ああ、えっと、こんにちは。私、セーラです。セーラ・プラーティノ」
「プラーティノ男爵家のご息女でいらっしゃいますのね。わたくしはクリムゾン公爵家長女、プリシラ・クリムゾンと申しますわ。どうぞお見知りおきを」
そんな風に挨拶を済ませた後、セーラは「私、学院は今日が初めてなんです。色々わからなくて、教えてくれませんか?」とわたくしに頼み込んできた。
わたくしは日々疲れていて本当は休みたかったが、何しろ聖女であるセーラと話してみたかったものだから頷いてしまった。
思えばこの時警戒していれば良かったが、いかにも純朴そうな彼女の外見に騙されてしまったのかも知れない。
学院を案内しながら話すうち、わたくしとセーラは親しくなっていった。
と言っても、わたくしの方は聖女と交友関係を持っていれば後々の社交で役に立つという戦略ありきの友情ではあったけれど。
セーラの所作ははしたないし身分は下なのでどこまで有用かはわからないが、利用する価値はある。
うまくやり、彼女とプラーティノ男爵家をクリムゾン公爵家の派閥に加えられれば良い――そんな風に考えていた。
しかし、三年生の中頃に差し掛かろうという頃、彼女との仲は雲行きが怪しくなり始めた。
きっかけはセーラがわたくしの婚約者のダドリー殿下と親しくなり始めたこと。最初はわたくしを通じてしか彼と話さなかったセーラは、徐々にわたくしのいない場でも彼と会い、親しげに話すようになったのである。
婚約者でもない殿方と二人で会うのは、さすがに許容できかねる。
やんわりとそう言ってセーラを咎めたが、彼女は一向に聞き入れようとしない。それどころか第二王子殿下との距離をさらに縮めていき、そしてある時――。
「……ダドリー様」
「セーラ、君のことは俺が守る」
まるで恋愛劇のワンシーンのような濃厚なキスを交わすセーラとダドリー殿下の姿を目の当たりにしてしまった。
これが普通の令嬢であれば、失神してしまっていたかも知れない。
しかしわたくしはそんなにやわではない。社交界の様々な修羅場を掻い潜り、『社交界の華』と呼ばれるまでに至った女なのだ。無礼を承知でダドリー殿下とセーラの熱愛現場に割り込むと、淑女の笑みを崩さぬままに彼らを問い詰めた。
「そこで一体何をしていらっしゃいますのかしら、お二人は」
「……っ。プリシラか。覗き見など、はしたないぞ」
「そうですかしら。わたくし、少なくとも婚約者のいらっしゃる殿方と口付けるような常識なしではない自覚はございますわよ?」
わたくしはただ、そう言っただけ。
なのにセーラは怯えたような顔をしてワッと泣き崩れてしまい、それ以上会話にならなかった。
そうして翌日、セーラが「プリシラ様にいじめられて……」とありもしないことを周囲に吹聴し始めて。
最初は誰一人として信じなかったものの、日に日に増えていく彼女の青あざや破られた教科書、ドレスについた大きなシミなどを見る度にセーラの言葉の真実味は増し、やがて皆が彼女を信じてわたくしを遠巻きにするようになってしまった。
調べればすぐそれが虚偽だとわかっただろう。だが行動を起こす者はいなかった。
そこにはわたくしを貶めたい者、ダドリー殿下の怒りを買いたくない者など様々な人間の思惑があり、簡単に理由を語れるものではない。
動かない方が吉だとそれぞれが判断した結果だろう。
それでも取り巻き令嬢たちは最後までわたくしの傍にあったが、卒業パーティーで事態は一転する。
「クリムゾン公爵令嬢プリシラ! 聖女たるセーラ・プラーティノ男爵令嬢へ対し非道な行いを繰り返した貴様のような悪女とこれ以上婚約関係にあるわけにはいかない。よって、貴様との婚約を破棄するッ!」
第二王子ダドリー殿下からの婚約破棄。
その一声で、わたくしの未来は崩れた。いいや、とっくの昔に崩れていたのかも知れない。
セーラを寵妃にするという可能性は考えていたが、まさかここまでやるなんて。
ダドリー殿下は、セーラの傷跡、そして他の令嬢令息たちからの証言だけでわたくしを一方的に断罪した。
わたくしは淡々と、ダドリー殿下からの婚約破棄を受け入れた。
国王陛下は第二王子を甘やかしており、たとえこちらが反発したとしても強制的に破棄されるのは目に見えている。それなら大人しく呑んだ方がいい。
元々政略的な婚約。ダドリー殿下への恋情はなかった。もっとも妃として支えようという気持ちは持っていたが、それもセーラとの浮気現場を見た時に冷めていたし。
ただし、それでわたくしが黙って引っ込んでいるとでも思ったら大間違いだ。
わたくしは栄えあるクリムゾン家の長女。聖女に――否、偽聖女になど、負けてはやらない。
父はわたくしをきちんと娘として見てくれる人だから、ダドリー殿下から婚約破棄されたくらいでは勘当したりはしなかった。
つまり逆転の目はまだある。
彼女の真実を全て暴き、完全勝利を掴み取ってみせる。わたくしはそう、心に決めた。
「せいぜい今は、ダドリー殿下の横で意地の悪い笑みでも浮かべているとよろしいですわ」
セーラを遠目に見つめながら、小さく呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヘンリー殿下は、病弱のために外に出て立ち動くことができない。
感染症に弱いことから、侍女以外の者を部屋に入れることも基本はないので、わたくしが面会の許可を取り付けるのはそれはそれは大変だった。
しかしこれは、セーラの真実を知らしめるための第一歩。
そしてそれと同時に彼をわたくしの協力者にすることができる、もっとも効率の良い方法だった。
「お久しぶりでございます。プリシラ・クリムゾンでございます。ヘンリー殿下、本日は面会の許可をくださり誠にありがとうございました」
「……そんなに硬くならなくていいよ。僕は、出来損ないの王子だからね」
柔和な笑顔でわたくしを出迎えたのは、金髪碧眼の優しそうな美青年だ。
ヘンリー殿下の姿を見て、さらに言葉を交わしたのはダドリー殿下と共に婚約の報告に来た時以来だから、実に十年ぶりである。
「そんなことはございません。ヘンリー殿下は学院に通っていらっしゃらないのにダドリー殿下より勉学、そして政治に精通していらっしゃいますでしょう」
「暇だからいくらでも学ぶ機会があっただけさ」
自嘲するように言うヘンリー殿下だが、彼はダドリー殿下よりずっと優秀だった。
その病弱な体さえなければ間違いなく王太子になっていただろうというほどに――。
だから。
「わたくし、本日とあるものをお持ちいたしましたの」
わたくしは、腕に下げていた鞄の中から黄金の小箱を取り出した。
蓋を開けた中、そこにあるのは純白の粉末の入った小瓶。その中身を掌の上に広げ、わたくしはパクりと口にした。
舌触りの悪い、ざらざらとした苦い味のものが口の中に広がる。
味は毒でももう少しマシだ。けれど、その一口だけで体の内側から異常なまでに疲労が抜けていくのがわかった。
「どうぞ、ヘンリー殿下もお召し上がりください。味は悪いですけれど」
「……これは?」
「遥か東方の国に伝わる特殊な薬草を粉末状にした物ですわ」
ヘンリー殿下はわたくしの言葉を信じてくださったようだ。
恐る恐るながら、粉末を口にした。それから「苦い!」と悶絶した後、しかし表情をガラリと変えた。
「……体が、動いている?」
先程までガチガチで、手を伸ばすのがやっとだったヘンリー殿下の体がまるで健康体のようになっていたのである。
言わずもがな、この薬のおかげだ。
彼はベッドから降り、立ち上がってみた。
寝たきりだったのが信じられないほどの健康ぶりだ。
「素晴らしい。これはそんなにも効果が強いものなのか?」
「通常の薬草は気休め程度にしかならないそうですけれど、こちらの薬草は特殊ですから。
聖女の奇跡は素晴らしいでしょう、ヘンリー殿下?」
「聖女の奇跡? でも、プリシラ嬢は聖女ではないんじゃ」
「ええ、もちろんのことわたくしは聖女ではございませんわ。けれどこれを使えば誰でも聖女と偽ることは可能だと思いませんこと?」
それだけでヘンリー殿下はわたくしの言わんとしていることに気づいたらしく、目を見開く。
「……君は」
彼は何か言いたげにしていたが、わたくしはあえてそれに答えることはしなかった。
その代わりに、
「王国の影の情報をいただきたいんですの。権限は国王陛下にございます。国王陛下の首を縦に振らせてはいただけないでしょうか?」
「それが君の目的なんだね」
「はい」
「わかったよ。……どうやら本当に体の調子がいいらしい。これなら、できるかも知れないな」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げたわたくしは、第一の目的を達成したことに内心安堵しつつ、そっと部屋を退出した。
ヘンリー殿下に動いてもらっている間、わたくしは薬を――聖女の奇跡を一般に広めなければいけない。
セーラを断罪するために。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヘンリー殿下が起き上がれたことは、どうやらまだ極秘にしているらしい。
新たに第二王子ダドリー殿下の婚約者となったセーラは、王妃教育やら祝賀会やら何やらで忙しくしていた。
それに従い、彼女が教会に赴いて人々を治療する機会は減っていった。
口にはしないまでも、それを不満に思っていた平民は数多くいたことだろう。
そこへ手を差し伸べたのは、他ならぬわたくしだった。
クリムゾン公爵家はそれなりに財力があるが、それ以前にわたくしは王妃教育の合間を縫うようにして慈善事業などに取り組んでいたから、蓄えはたくさんあるので実家の力には頼らなかった。
その資金で高価な薬を買い込み、惜しみなく使ったのだ。
変装していたので、人々はわたくしがプリシラだとは気づかなかったようだけれど、勝手に『聖女様』と呼んで崇め始めた。
そしてそれから一ヶ月後にはもう社交界ではすっかり噂になっていた。
通常、聖女は一度に二人現れないものとされている。唯一だからこそ聖女は聖女たり得るのだ。それが複数出現したとなれば、当然ながら大騒ぎだ。
さすがにセーラもこの事態を知ったようだ。
教育に明け暮れるセーラに代わってやって来たのは、ダドリー殿下だった。
「おいプリシラ!」
「突然何の許可もなく屋敷に上がり込んでいらっしゃるとは。
ダドリー殿下、一体どんなご用ですの? わたくしとあなたはもう婚約者同士ではないのです」
「くだらないことを言うな。貴様だろう、聖女を偽り、セーラを貶めようとしているのは。セーラが言っていたぞ」
それを聞いて、わたくしは笑い出しそうになってしまった。
これが笑わずにいられるだろうか? しかし笑っていてはさらにダドリー殿下の機嫌が悪くなるだろうと思い、わたくしは堪えた。
「ダドリー殿下のお言葉を、そのままそっくりあなたの最愛の婚約者様にお返しいたしますわ」
「……何?」
わたくしがこれ以上このどうしようもなく愚かな彼に教えてやる義理はない。
ダドリー殿下は元々、お世辞にも優秀とは言えなかった。わたくしが彼の欠点を補い、なんとか支えていたからこそ立太子の条件を満たしていたまでのこと。
こんな風に色々と鈍いのでは、この国を任せられない。
――遠慮なく潰させていただきますわよ。
「貴様はどれだけセーラを苦しめたら気が済むんだ!」
ダドリー殿下がまだぎゃあぎゃあと騒いでいる。
それを鬱陶しく思いながら、わたくしは答えた。
「命を奪わないだけ、まだ慈悲深い方だと自負しておりますけれど?」
「貴様はどこまでっ」
「お帰りはあちらですわ、ダドリー殿下」
それでも帰らないので、最後には公爵家の私兵団の手によってダドリー殿下は摘み出された。
それからしばらくして、ヘンリー殿下から約束のものが届けられた。
わたくしはそれを元に、聖女セーラの味方をした貴族たちを訪ねて歩く。
最初はわたくしが悪女だからと屋敷に入れるのを渋ったり、追い返そうとしてきたが、それを見せるだけでそれまでの威勢が嘘のように大人しくなった。
「正直に話してくだされば、あなたがたの罪は軽いものとなりますわ。さもなくば――」
にっこりと微笑みながら言えば、皆が震えながら真実を話した。
もう一人の聖女が現れたせいで、セーラの信用は日毎に落ちていくばかり。
わたくしが密かに雇った密偵が城での彼女の様子を調べたところ、イライラしながら聖女らしからぬはしたない言葉を繰り返し呟いていたのだという。
それでいて、表側ではいい顔しかしていないのだから本当に彼女は演技が得意らしい。
ともかく、セーラの独り言の中で重要な証言も得られたので、わたくしにとっては非常にありがたいことだった。
「――これで準備は揃いましたわね」
次に開かれるパーティーにて、わたくしは悪女の汚名を返上し、聖女の真実を暴く。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そしてやって来た、決戦の日。
わたくしはカツカツとハイヒールを鳴らしながら、堂々と胸を張ってパーティー会場に入った。
衣装はお気に入りの薄紅色の可愛らしいドレス。
化粧はいつも以上に力を入れたし、腰まで届く長い赤髪は一糸の乱れもない。
そんなわたくしの姿を見たパーティー参加者たちの反応は様々だ。
夫人や令嬢たちが冷たい視線を向けてくる一方で、令息たちはわたくしに近づきたくて仕方がない様子だ。だが、周囲の目を気にしいているらしく、実際に話しかけてくる者はない。
――今日は聖女セーラと第二王子ダドリー殿下の婚約を正式に発表するためのパーティー。
賑やかな音楽が奏でられる中、主役であるダドリー殿下とセーラが連れ添って歩いてきた。
わたくしの時と違い、わああっと大きな歓声が上がる。
熱っぽい視線が注がれる先で、ホールに姿を見せたセーラは歯を見せて笑っていた。
その隣のダドリー殿下は、聖女は俺のものだとばかりにセーラを抱き寄せて自慢げにしている。
その自慢げな表情は、一体いつまで続けていられるのだろうか?
「今日は知っての通り、重要な発表がある」
ダドリー殿下の声に会場中が静かになる。
わたくしはそんな周囲を無視し、前へ出た。
「俺は、彼女……セーラ・プラーティノを――」
「お言葉の途中申し訳ございません。少しよろしいでしょうか?」
わたくしは彼の言葉をあえて遮り、声を上げる。
ダドリー殿下の青い瞳がわたくしの姿を捉え、すぐに憎々しげな色を帯びた。
「何だ、プリシラ! また嫉妬か。だが止めても無駄だぞ。もはや貴様は俺の婚約者ではないのだからな。俺は貴様に苦言を呈される謂れは一つとして、ない!」
「もちろん承知しておりますわ。それを承知した上で、どうしてもお伝えしたいことがあるんですの」
わたくしは背後に隠し持っていた紙束を、ダドリー殿下――そして彼の隣のセーラに見せつけながら、言った。
「そちらのセーラ様が口にしたことは、全て偽りですわ。
わたくしが行ったという悪事の数々。あなたへの愛。そして――聖女ということさえも」
華やかしい祝賀パーティーを、わたくしは聖女の断罪場へと変えた。
「どういうこと、ですか? また私にひどいことを?」
わずかに震える声でセーラはわたくしに問いかける。
灰色の瞳が揺れ、今にも泣き出しそうになっている。だがそれも全て演技だとわかっているから、心は少しも痛まなかった。
「あなたが一番よくご存知でしょうが、皆さんにわかるようにはっきり申しますわね。
あなたは――聖女セーラ・プラーティノは癒し手などではなかったということですわ」
パーティーの参加者たちがどよめく。
セーラを抱き寄せているダドリー殿下は、怒りに目を吊り上げて叫んだ。
「どういうことだ! 聖女を貶めるなど、いくら筆頭公爵家令嬢の貴様でも許されないぞ」
「それをおっしゃったら、筆頭公爵家の娘であるわたくしを無実の罪で貶めるセーラ様の方が許されないと思いますけれど。
ダドリー殿下、それにセーラ様。王家には影という存在があることをご存知ですか?」
セーラは頷いたが、ダドリー殿下は頷かない。
そんなのも知らないで一体どうやって王太子になるつもりだったのだろう。全てわたくしに任せきりで。
「――その影は、ダドリー殿下と、殿下の婚約者であったわたくしを見ていました。これがその影たちが行ったわたくしの行動の一部始終の記録ですわ。わたくしがクリムゾン公爵家の中にいる時以外ずっと監視されておりましたのよ」
「そんな紙束、インチキです。だって私、私……っ」
悲痛な声でわたくしに訴えるセーラ。
きっとこれが偽物だとでも言うつもりなのだろう。けれど、
「これはヘンリー殿下から頂いたものですの。ほら、ここに王族の印があるでしょう? それともこれも偽造したとでもおっしゃるのかしら、セーラ様?」
セーラは息を呑み、言葉を詰まらせた。
さすがに演技の上手い彼女でも驚愕を隠し切れなかったらしい。――実質いないも同然とみなしていたヘンリー殿下の名がまさか出てくるなど思ってもみなかったのだろう。
適当に泣いて誤魔化せばいいと思っていた計画が崩れたのに違いなかった。
「兄上が!? でもなぜだ。兄上は病床にふせっているはずで」
「ともかく、これが本物だということは皆さんおわかりになるでしょう? ダドリー殿下の婚約者であった期間中は、わたくしの行動は全て筒抜けでしたの。その状態でどうしてセーラ様に非道なことを行えるのでしょうか?」
「悪辣な貴様のことだ。どうせ取り巻きを使って……」
「ですがセーラ様ははっきりとわたくしに虐げられたとおっしゃったのでしょう? わたくしの知人が行ったことであれば、真っ先にセーラ様はその人物の名を挙げるのが普通ですわ。
セーラ様はそれをなさらなかったのですわよね?」
もはや何も言い返す言葉が見つからないのか、ダドリー殿下は黙ってしまった。
一方のセーラは、わたくしを激しく睨みつけながら、周囲にはそう見えないように肩を震わせて怯えたふりをし始める。
「ひどい……ひどいです、プリシラ様」
とうとう泣き出したが、わたくしはそれにいちいち取り合うつもりはない。
わたくしとダドリー殿下、セーラのやり取りを傍観する貴族たちはざわめいていた。
「まさかセーラ様が……」
「でもプリシラ嬢は悪女ではありませんか」
「聖女様、お可哀想に。また公爵令嬢に泣かされていらっしゃる」
「もしもクリムゾン公爵令嬢がおっしゃることが正しいのなら、聖女様は公爵家に喧嘩を売ったことになるんじゃないのか」
「じゃあ内紛の可能性も」「そんな!」
「セーラ様が正しいに決まっています」「いいえ、聖女とはいえ彼女は男爵家の養女。クリムゾン公爵令嬢の方がよほど信頼できるわ」
聖女の味方を続ける者、証拠を見てわたくしが正しいのだと気づいた者。
それぞれの意見は分かれるところだろうが、わたくしは構わない。
断罪を次の項目に移そう。
「――そして、なのですけれど。セーラ様、近頃の『第二の聖女』の噂はお聞きになっていらっしゃいますかしら」
セーラは何も答えない。
代わりに躊躇いがちながらも口を開いたのはダドリー殿下だった。
「……偽聖女の話なら、聞いている。まさかそちらこそが聖女などと世迷いごとを宣うのではなかろうな?」
「いいえ、もちろん違いますわ。もっとも、聖女という呼び名は勝手に民がつけたものですけれど――あれは実は、わたくしですのよ」
それからわたくしは、頭の足りない者でもわかるほど丁寧に説明をした。
傷を癒やし病を消したのは薬草というものであること。それを飲ませて回ったのが自分であるということ。
当然ながら、ダドリー殿下は言った。
「それは神への、そして聖女への冒涜ではないか。貴様、なんとおぞましいことを」
「ならばセーラ様も同じなのではありませんか?」
「……何だと」
「もしもそうでないとおっしゃるのであれば、セーラ様、今この場で奇跡を起こすことはできますわよね?」
セーラはわかりやすく青ざめた。
セーラが教会で人々を治療していたのは確かなことだ。
教会だけではなく、貴族の屋敷に赴いての治療も行っていた。だからこそ聖女として認められ、崇められるようになった。
だがそれは神に与えられし特別な力があるからできたことではない。彼女が行っていたのは聖女の真似事をしたわたくしと何も違っていなかったのである。
セーラは今日、パーティーのために長手袋をはめている。
その手袋はおそらく薬草汁に浸したものだろう。ほんのりと、嗅ぎ覚えのある香りがした。
だがその手袋を脱いでしまえば?
彼女はただの人になり、誰も治療できなくなるだろう。
わたくしは手に持っていた扇で己の小指を少しだけ傷つける。
じんとした痛みと共に赤く染まっていく小指をセーラに向かって差し出し、そして微笑んだ。
「わたくし、聖女様の御手で触れていただきたいですわ」
しばらく黙り込み、わたくしの小指をじっと見つめたセーラ。
答えに窮した彼女が紡いだ言い訳は。
「……ごめんなさい。今は毎日忙し過ぎて寝不足で、魔力切れなんです」
という、苦しいものだった。
この状態で、わたくしと彼女どちらを信用すべきかなどもはや明らかだ。
先程までセーラを擁護していた人物でさえ押し黙ってしまうほど。
セーラという少女が聖女ではないことを、この場にいる大勢が認めざるを得なかったのだった。
しかしセーラはそう簡単に屈するつもりはないらしい。
儚い美少女という風を演出し、涙目で、そして震える声で言った。
「私、今日ダドリー様と婚約するんですよ。どうしてプリシラ様は、私の邪魔ばかりするんですか。私、プリシラ様にあんなにひどいことされて、辛かったんです。私はただダドリー様が好きなだけなのに」
しかし彼女の言葉に、一つとして真実は含まれていない。
わたくしは何度も思ったものだ。本当に彼女がダドリー殿下のことを愛しているなら、たとえ不誠実であったとしても彼女らの愛を認めることもできたでしょうに、と。
もちろんそうだとしても、汚名を着せられたことに対しては相応の報復は行ったには違いないけれど。
「聖女――いいえ偽り聖女のセーラ様。いい加減もう、醜い抵抗はおやめになってくださいませ。
あなたが東の国の者だという証拠は掴んでおりますのよ。愚かで操りやすいダドリー殿下を狙って国を乗っ取ろうとしたことも、わかっておりますわ」
正確に言えば、彼女は東の帝国の皇女だということまで調べはついている。
皇女と言っても数多い側妃のうちの一人から生まれた子なので地位は随分と低く、そのためこの国を領土に変える手駒として使われたらしい。プラーティノ男爵家に養女として取り入り、特殊な薬草で周囲を騙しながら聖女となった。そして純朴なふりをして近づき、王太子になるであろうダドリー殿下の婚約者の座についたわけだ。
これが聖女セーラの真実。
わたくしが使えるあらゆる手段を講じて手に入れたものだった。
「そうそう、あなたの独り言もたくさん聞かせていただきました。相当口がお悪いですのね。お可哀想に」
「……っ!」
これだけ言えば、彼女はぐうの音も出ないだろう。
このままパーティーは中止される。騎士たちによって取り調べが行われ、わたくしが暴いた真実が確かなものだと証明されるのはすぐだ。
ざまぁ見ろ、ですわ。
達成感に思わず頬を緩ませた――その時だった。
びゅん。
目の前で銀色の何かが光り、風が唸った。
寸手で首を傾げなければ、きっと今頃わたくしの頭部は胴体と繋がっていなかっただろう。わたくしの首筋のすぐ横を通り抜けていったそれは、小さいながらも刃の鋭いナイフだ。
その上、おそらくだが先端には毒が塗られている。
「せっかく上手くいくと思ったのに、全部台無し!
なんで!? なんでこうなるの! 私は立派にやった、立派にやったのに!」
ナイフを振るうのは、灰色の瞳に激情を込め、わたくしを見上げる小柄な少女。
セーラだった。
彼女はわたくしに向かって突っ込んで来ては、ナイフを振りかぶり、振り下ろす。
パーティー参加者たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、ダドリー殿下はホールの隅の方で状況を理解できずに座り込んでいた。
「死ねっ。お前なんか死ねばいい! 私の苦労も知らないで偉ぶりやがって! 温室育ちの貴族娘が、偉そうな口叩いてんじゃねえよ――!!!」
迂闊だった、と今更ながら思う。
暗器を隠し持っている可能性に思い至るべきだった。油断した。
このままでは騎士が駆けつける前に殺されてしまう。
何かいい方法はないものか――そう思ったものの、武力で来られるとわたくしに反撃する余地はない。
頭を悩ませ、あるはずのない最適解を探しながら、着実にセーラに追い詰められていき、やがて殺されるはずだったわたくし。
しかし気づけばわたくしは、とある人物の背中に守られていた。
もちろんダドリー殿下ではない。
たくましいその背中は見違えるようだったが、その人物には見覚えがあった。わたくしは思わず彼の名を呼んだ。
「ヘンリー殿下!」
「遅くなって申し訳ない。遅ればせながらパーティーに参加させてもらいたいと思ってね」
健康的でありながら、以前会った時と変わらない柔らかさのある笑みを見せたヘンリー殿下。
彼は何でもないような顔でナイフを振り回して暴れるセーラに近づき、一瞬で彼女を捩じ伏せた。
「パーティーで乱暴とはいただけないな。踊るなら、もっと上品なダンスを覚えてくるといいよ」
「お前は……っ」
「第一王子のヘンリーだよ。情けない弟に代わってこの度立太子した、ね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後は本当に色々なことがあった。
わたくしはあの事件以来たくさんの令嬢令息たちの謝罪を受けた。
その上でわたくしは彼ら彼女らを許し、『社交界の華』として再び返り咲いた。
そんなわたくしとは対照的に、セーラは逮捕され、監獄送りに。
どうせ全ておじゃんだからと最後にヤケを起こしたのが災いし、すぐに処刑された。
彼女の過去はそれなりに辛かったのは知っているが、だからと言って無罪のわたくしを陥れたり、ましてやこの国を乗っ取るなど許されるはずがない。
因果応報だった。
その一方で東の国からのスパイと言っても過言ではない彼女を婚約者に据えようとしたダドリー殿下を筆頭に、セーラに頼まれて偽の証言を行うなど、力を貸した多くの貴族たちが地位を失っていった。
それに加え、セーラの件をきっかけに東の国との戦争が勃発しかけたなんてことも。だがそれは結局、ヘンリー殿下の仲裁によってことなきを得たのだった。
混乱を極めたあのパーティーの場で、立太子したと衝撃の宣言をさらりと行ったヘンリー殿下。
彼はわたくしがセーラへの復讐の準備を進めている間、国王から実質権限を奪い、自分が立太子することを決めたらしかった。
わたくしとしては、ダドリー殿下より彼の方がよほど王太子に相応しいと思うし、何より命を助けられた身なので反論は何もない。
何もないけれど……。
「プリシラ嬢、僕と結婚してほしい」
なぜかわたくしは、ヘンリー殿下から求婚されてしまっていた。
思い当たる節はある。彼の長年の病を完治させたことだ。影の情報を開示してもらうために必要だったとはいえ、あの手はまずかったらしい。
まさか彼がわたくしにご執心になるなんて、思いもしなくて。
「わたくし、ヘンリー殿下には感謝しておりますし臣下として力になるつもりですわ。しかし婚約は――」
「すでにクリムゾン卿の了承は得てある」
「まあっ!?」
知らないうちに外堀を埋められていたらしいことに、わたくしはギョッとした。
「美貌はもちろんだが、プリシラ嬢の強かさ、そして強さに惹かれたんだ。
急な話なのはわかっている。もちろんすぐに受け入れてくれなくていい。プリシラ嬢がその気になるまで、僕はずっと待ち続けるよ」
待ち続けるという意味はつまり、わたくしを諦める気が全くないということ。
これから彼にされるであろうことの数々――恋愛劇のような溺愛を想像し、わたくしはどうしたものかと頭を抱えたのだった。
でも同時に思う。きっと、わたくしが彼の虜になってしまう日はそう遠くないだろうと。